ムゲン・バンダイ本社ビルから離れた、都内某所の雑居ビル。
その一室に、「ショッカー
拠点といっても、秘密基地のような仰々しいものではない。
安価で借り上げられた多目的ホールにパイプ椅子と長机が並べられ、部屋の隅にはスーパーで買い込まれたスナック菓子やペットボトルのジュースが山積みにされているだけだ。
会費は月々数百円。
それは組織への上納金ではなく、単なる「おやつ代」である。
難羽はその扉を静かに開けた。
今の彼は組織を束ねる長にはまるで見えない、黒のジャケットを羽織った大人の姿だ。
表情筋を全力で稼働させ、温和な雰囲気を絞り出す。
「——だからさ、角が生えてると帽子選びが大変なんだよ」
「わかるー! 私も背中にヒレがあるから、着れる服が限られちゃって……」
部屋の中は穏やかな喧騒に包まれていた。
そこにいるのは、いわゆる「異形」と呼ばれる個性を持つ者たちや、あるいは個性が強力すぎて社会生活に馴染めなかった者たちだ。
顔が岩のような男、腕が触手になっている女性、全身が毛皮に覆われた老人。
表の社会では好奇の目に晒されたり、恐怖されたりして、肩身の狭い思いをしてきた彼らが、ここではマスクを外し素顔で笑い合っている。
(……悪くない)
難羽は部屋の隅で、その光景を眺めながら目を細めた。
この「一般組」の本来の目的は、難羽が構想する「個性と社会の融合」のためのアイデア出し——特に、市民レベルでの娯楽施設の考案だ。
だが難羽にとっては、こうして彼らが「孤立していない」という事実だけで十分な成果だった。
社会の歪みにはじき出された者たちが傷を舐め合うのではなく、ただ普通の人間として茶を飲み、愚痴をこぼせる場所。
この数百円のサロンこそが、彼らにとってのセーフティネットになっている。
「あ、難羽さん! お疲れ様です!」
「先生、こっちのお菓子美味しいですよ」
参加者たちが、難羽に気づいて手を振る。
彼らにとって難羽は恐ろしい組織の長ではなく、この場所を提供してくれた「ちょっと変わった資産家」だ。
難羽は「ありがとう」と微笑み返し、差し出された煎餅を齧った。
平和な時間。
だが、今日は分倍河原から「面白い意見を持った新入りがいる」と呼び出されている。
難羽は視線を巡らせ、部屋の奥まったテーブルに一人で座っている青年の姿を捉えた。
その青年は周囲の輪から少し離れた場所で、借りてきた猫のように背を丸めていた。
緑色の鱗に覆われた肌。
爬虫類特有の縦に割れた瞳。
ヤモリの異形個性を持つその青年は見るからに緊張し、居心地が悪そうに紙コップの縁を指でなぞっている。
難羽は足音を立てずに近づき、向かいの席に腰を下ろした。
「……隣、いいかな」
「ひゃ、はいっ!?」
青年は弾かれたように顔を上げ、椅子ごと後ろに倒れそうになった。
「あ、あの、えと、ど、どうぞ……!」
視線が泳ぎ、手足の置き場に困っている様子が見て取れる。
対人経験の少なさ。
そして長期間にわたる孤独の匂い。
難羽は彼を怖がらせないよう、服の裾を直し、穏やかな声で切り出した。
「私は難羽だ。……ここの世話役のようなことをしている」
「は、はじめまして……! 伊口……伊口秀一、と言います」
伊口秀一。
彼は震える手で名刺代わりのメモ帳を差し出した。
「……その、最近、田舎から出てきました。ネットのニュースで、ここのことを知って……」
「ニュースを見て、か。行動力があるな」
「い、いえ! そんな……!」
伊口は激しく首を振った。
「ずっと……引きこもってて……。でも、このままじゃダメだって思って……。それで、同じような境遇の人が集まってるって聞いて……」
伊口の声は消え入りそうだった。
異形差別が根強い地方で、彼はその外見ゆえに世界を閉ざしていたのだろう。
だが、彼は勇気を振り絞ってここに来た。
その一歩を難羽は心の中で称賛した。
「よく来てくれた、伊口くん。……ここでは誰も君の鱗を奇異な目で見たりしない。ゆっくりしていくといい」
「は、はい……ありがとうございます……」
伊口は少しだけ肩の力を抜いたようだった。
だが、まだ何かを言い淀んでいる。
分倍河原が言っていた「提案」のことだろう。
難羽は急かさず、雑談から入ることにした。
「……分倍河原くんから聞いたよ。君は、なかなか面白いアイデアを持っているそうだね」
「あ……」
その言葉が出た瞬間、伊口の顔が再び強張った。
「そ、それは……その……」
彼は自信なさげに俯く。
「他の人には……『良い意見だ』って言ってもらえたんですけど……。やっぱり、俺なんかが考えたことなんて……自信がなくて……」
舞い上がった直後に襲ってくる、自己否定の波。
長く社会から隔絶されていた人間特有の思考回路だ。
難羽はテーブルに置かれた伊口の荷物に目を留めた。
使い込まれた携帯ゲーム機が、カバンの隙間から覗いている。
「……ゲームは、好きか?」
「え?」
伊口がきょとんとする。
唐突な質問。
だが、その瞳に微かな光が宿るのを難羽は見逃さなかった。
「あ、はい。……好き、です。……それくらいしか、やることがなかったんで」
「どんなジャンルをやるんだ?」
「えっと……RPGとか、アクションとか……。最近だと、MMOも少し……」
伊口はポツリポツリと、しかし先ほどよりは流暢に自身の愛するタイトルを挙げ始めた。
仮想世界の中だけが、彼にとっての自由な居場所だったのだろう。
難羽は頷き、自身の記憶の引き出しを開けた。
「私は古いゲームが好きでね。龍……ドット絵時代のシューティングや、横スクロールのアクションだ」
「えっ、レトロゲーですか?」
伊口が身を乗り出した。
「わ、わかります! 最近のリアルなグラフィックもいいですけど、あの時代の『制限の中での表現』って、逆に燃えますよね! ヒットボックスの判定とか、今のゲームよりシビアで……!」
「ああ。当時のプログラムは芸術的だった。……容量制限の中でいかに面白い挙動を作るか、製作者の執念を感じるよ」
「そう! そうなんですよ! 特にあのメーカーの……」
スイッチが入った。
難羽は聞き役に徹し、時折マニアックな相槌を打つことで、彼の心の扉を解きほぐしていった。
数分後。
ひとしきり語り終えた伊口は、ハッとしたように口元を押さえた。
「あ、す、すみません……! 俺、一人で喋りすぎて……」
「いや、楽しかったよ」
難羽は心底楽しそうに笑った。
これは嘘ではない。
しかし口角を上げるのに全力が必要だった。
「君が物事の『構造』や『ルール』をよく観察していることが分かった。……さて、そんな君が考えた『娯楽施設』だ。つまらないはずがない」
難羽の言葉に伊口は目を丸くし、そして頬を赤らめた。
自分の好きなものを肯定され、その延長線上に期待を寄せられたことへの喜び。
彼は深く息を吸い込み、意を決したようにカバンから一冊のノートを取り出した。
「……聞いてもらえますか。僕の、アイデア」
伊口が開いたノートにはびっしりと書き込みがされていた。
拙い図面や、想定されるルール、スコア計算式。
それは引きこもりの青年が、初めて社会と繋がるために必死に絞り出した知恵の結晶だった。
「み、皆さんが考えていたのは……もっと大掛かりなものでした」
伊口は説明を始めた。
「強力な個性に耐えられる強化壁とか、特殊な素材のサンドバッグとか……。でも、それだとコストがかかるし、酸や炎の個性を持つ人が使うと、すぐに壊れちゃうって……」
これまでの議論の行き詰まり。
「個性を解放する」=「物理的に何かを壊す・動かす」という発想に縛られていたため、安全面とコスト面で壁にぶつかっていたのだ。
「だから、俺はもっとシンプルでいいと思いました」
伊口の声に、熱がこもる。
「物理的に何かを壊す必要なんてないんです。……ゲームと同じでいい」
「ゲームと同じ?」
難羽が先を促す。
「はい。……『シューティング・レンジ(射撃場)』です。でも、的は鉄板じゃありません」
伊口はノートの図面を指差した。
「頑丈なコンクリートの部屋を作って、壁や空中にプロジェクターで映像を映すんです。……センサーを使って、利用者が放った『
「……なるほど。バーチャルな的か」
「はい! これなら、炎でも氷でも、ビームでも、物理的な破壊を気にせずに撃てます! 壁さえ耐熱・耐衝撃にしておけば、的を交換する必要もありません!」
伊口の言葉が加速する。
「それに、これならゲーム性が作れます! 的の動きをプログラムで変えたり、スコアランキングを作ったり……。個性を出す人間が、それぞれ性能の違う『自機』になるんです!」
彼の目は輝いていた。
「最初から複雑なアスレチックを作るより、まずは『撃って、当たって、気持ちいい』っていうシンプルな快感を提供するべきです。実績作りにもなります!」
全てを言い終えた伊口は、肩で息をしていた。
緊張と興奮で酸欠になりかけている。
彼はハッと我に返り、急に不安そうな顔つきに戻った。
「あ……ど、どうでしょうか……? やっぱり、素人の浅知恵というか……」
再び自信を失いかける伊口の前に、難羽はそっと缶コーヒーを差し出した。
「……飲みたまえ。喉が渇いただろう」
「あ、ありがとうございます……」
伊口は両手で缶を受け取り、一口飲んで落ち着きを取り戻す。
その間、難羽はこみ上げてくる笑みを抑えるのに必死だった。
まさしく悪の首領のような高笑いを上げかねない。
(……素晴らしい)
難羽が感動していたのは、そのシステムの合理性ではない。
いや、プロジェクターとセンサーを使う案は安全性とコストの面で極めて優秀だ。
デザイン面はともかく、システム面はすぐに作ることが可能だ。
だが、それ以上に難羽の胸を打ったのは、このアイデアの「出処」だ。
これまで、多くの改革は難羽の頭脳からトップダウンで生み出されてきた。
だが、これは違う。
社会の片隅で膝を抱えていた一人の青年が、自分の好きなものを通して、社会の問題に対する「解答」を導き出したのだ。
難羽がすべてを与えなくても、人は自ら考え、楽しみを生み出すことができる。
この「的当てゲーム」は、難羽が目指す「自立した社会」の小さな、しかし確かな萌芽だった。
難羽は席を立ち、伊口の隣へと歩み寄った。
そして驚く伊口の手を両手でしっかりと握りしめた。
「伊口くん」
「は、はいっ!?」
「採用だ。……いや、素晴らしい案だ。すぐに制作に取り掛かろう」
難羽の顔は資産家としての仮面を忘れ、一人の人間として崩れていた。
「私が考えたものではない。……この社会に生きる君たちの中からこの発想が生まれたことが、私は何より嬉しいんだ」
「え……?」
伊口は呆然としている。
自分の意見が通った?
あの、誰にも必要とされなかった自分の妄想が?
「君の言う通りだ。物理的な破壊だけが解放じゃない。……デジタル技術との融合で、個性はもっと自由で安全な『遊び』になる」
難羽は伊口の手を握ったまま、力強く告げた。
「伊口くん。君は今、とてつもない発明をしたんだよ」
「は、発明だなんて……ただの、ゲームの真似事で……」
「いいや。……これは『救済』だ」
難羽は伊口の目を見て言った。
「この社会には個性を持て余し、暴発寸前の人間が大勢いる。彼らは最初からヴィランになりたいわけじゃない。ただ、退屈で、窮屈なだけなんだ」
難羽の言葉が、伊口の胸に深く染み込んでいく。
それは伊口自身が感じていた閉塞感そのものだったからだ。
見た目だけで異物と扱われ、その割に個性を使うことも出来ない。
「君の考えたこの施設ができれば、彼らはルールの中で、笑顔で力を解放できる。……それは結果として、未来の犯罪を未然に防ぐことになるんだ」
難羽は、震える伊口の肩に手を置いた。
「命を救うだけがヒーローじゃない」
「……!」
「君は人々の『退屈』と『孤独』を救う、最初のヒーローになったんだ」
その言葉を聞いた瞬間、伊口の中で何かが弾けた。
ヤモリの顔立ちゆえに怪物と呼ばれ、気味悪がられてきた人生。
自分は社会の異物で、何の役にも立たないゴミだと思っていた。
それが、ヒーローだと。
誰かを救ったのだと、この人は言ってくれた。
「あ……ぅ……」
伊口の大きな瞳から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
「お、俺が……ヒーロー……?」
「ああ、そうだとも」
難羽は優しく頷いた。
「胸を張りたまえ、伊口秀一。……君のアイデアが、この世界を少しだけ楽しくするんだ」
「う、うあぁぁぁ……!」
伊口は顔を覆い、子供のように泣きじゃくった。
それは長年の孤独が洗い流される浄化の涙であり、彼が「スピナー」という名のヴィランではなく、創造者としての第一歩を踏み出した産声でもあった。
周囲の参加者たちが、何事かと集まってくる。
「おいおい、どうした?」
「あ、伊口くんの案、採用されたのか!?」
「すげぇじゃん!」
「やるなぁ、ゲーマー!」
仲間たちの温かい拍手と、祝福の声。
その中心で伊口は涙でぐしゃぐしゃになった顔で、何度も、何度も難羽に頭を下げた。
難羽はその光景を、眩しそうに見つめていた。
(幼い社会。ならばこれから成長していける……これが人間の可能性だ)
誰か一人の超人に頼るのではなく、名もなき市民が知恵を出し合い、互いを救う。
この小さな会議室で起きた出来事こそが、難羽が夢見た「平和」の縮図だった。
「……さて、忙しくなるぞ」
難羽はズボンのポケットに手を突っ込み、嬉しそうに独りごちた。
世界を変えるのは強大な力だけではない。
一人のゲーマーの「こうだったらいいのに」という空想が、社会を動かすこともあるのだ。
社会の夜はまだ暗いが、ここには確かな希望の光が灯っていた。