バグのヒーローアルカディア   作:胡麻蝉あぶら

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50話 夢のヒーロー

 

ムゲン・バンダイ本社ビルから離れた、都内某所の雑居ビル。

その一室に、「ショッカー一般組(サポーター)」と呼ばれる集まりの拠点があった。

 

拠点といっても、秘密基地のような仰々しいものではない。

安価で借り上げられた多目的ホールにパイプ椅子と長机が並べられ、部屋の隅にはスーパーで買い込まれたスナック菓子やペットボトルのジュースが山積みにされているだけだ。

 

会費は月々数百円。

それは組織への上納金ではなく、単なる「おやつ代」である。

 

難羽はその扉を静かに開けた。

今の彼は組織を束ねる長にはまるで見えない、黒のジャケットを羽織った大人の姿だ。

表情筋を全力で稼働させ、温和な雰囲気を絞り出す。

 

 

「——だからさ、角が生えてると帽子選びが大変なんだよ」

 

「わかるー! 私も背中にヒレがあるから、着れる服が限られちゃって……」

 

 

部屋の中は穏やかな喧騒に包まれていた。

そこにいるのは、いわゆる「異形」と呼ばれる個性を持つ者たちや、あるいは個性が強力すぎて社会生活に馴染めなかった者たちだ。

 

顔が岩のような男、腕が触手になっている女性、全身が毛皮に覆われた老人。

表の社会では好奇の目に晒されたり、恐怖されたりして、肩身の狭い思いをしてきた彼らが、ここではマスクを外し素顔で笑い合っている。

 

 

(……悪くない)

 

 

難羽は部屋の隅で、その光景を眺めながら目を細めた。

 

この「一般組」の本来の目的は、難羽が構想する「個性と社会の融合」のためのアイデア出し——特に、市民レベルでの娯楽施設の考案だ。

 

だが難羽にとっては、こうして彼らが「孤立していない」という事実だけで十分な成果だった。

 

社会の歪みにはじき出された者たちが傷を舐め合うのではなく、ただ普通の人間として茶を飲み、愚痴をこぼせる場所。

この数百円のサロンこそが、彼らにとってのセーフティネットになっている。

 

 

「あ、難羽さん! お疲れ様です!」

 

「先生、こっちのお菓子美味しいですよ」

 

 

参加者たちが、難羽に気づいて手を振る。

彼らにとって難羽は恐ろしい組織の長ではなく、この場所を提供してくれた「ちょっと変わった資産家」だ。

難羽は「ありがとう」と微笑み返し、差し出された煎餅を齧った。

 

平和な時間。

だが、今日は分倍河原から「面白い意見を持った新入りがいる」と呼び出されている。

 

難羽は視線を巡らせ、部屋の奥まったテーブルに一人で座っている青年の姿を捉えた。

 

その青年は周囲の輪から少し離れた場所で、借りてきた猫のように背を丸めていた。

 

緑色の鱗に覆われた肌。

 

爬虫類特有の縦に割れた瞳。

 

ヤモリの異形個性を持つその青年は見るからに緊張し、居心地が悪そうに紙コップの縁を指でなぞっている。

 

難羽は足音を立てずに近づき、向かいの席に腰を下ろした。

 

 

「……隣、いいかな」

 

「ひゃ、はいっ!?」

 

 

青年は弾かれたように顔を上げ、椅子ごと後ろに倒れそうになった。

 

 

「あ、あの、えと、ど、どうぞ……!」

 

 

視線が泳ぎ、手足の置き場に困っている様子が見て取れる。

 

対人経験の少なさ。

そして長期間にわたる孤独の匂い。

難羽は彼を怖がらせないよう、服の裾を直し、穏やかな声で切り出した。

 

 

「私は難羽だ。……ここの世話役のようなことをしている」

 

「は、はじめまして……! 伊口……伊口秀一、と言います」

 

 

伊口秀一。

彼は震える手で名刺代わりのメモ帳を差し出した。

 

 

「……その、最近、田舎から出てきました。ネットのニュースで、ここのことを知って……」

 

「ニュースを見て、か。行動力があるな」

 

「い、いえ! そんな……!」

 

 

伊口は激しく首を振った。

 

 

「ずっと……引きこもってて……。でも、このままじゃダメだって思って……。それで、同じような境遇の人が集まってるって聞いて……」

 

 

伊口の声は消え入りそうだった。

異形差別が根強い地方で、彼はその外見ゆえに世界を閉ざしていたのだろう。

だが、彼は勇気を振り絞ってここに来た。

その一歩を難羽は心の中で称賛した。

 

 

「よく来てくれた、伊口くん。……ここでは誰も君の鱗を奇異な目で見たりしない。ゆっくりしていくといい」

 

「は、はい……ありがとうございます……」

 

 

伊口は少しだけ肩の力を抜いたようだった。

だが、まだ何かを言い淀んでいる。

 

分倍河原が言っていた「提案」のことだろう。

難羽は急かさず、雑談から入ることにした。

 

 

「……分倍河原くんから聞いたよ。君は、なかなか面白いアイデアを持っているそうだね」

 

「あ……」

 

 

その言葉が出た瞬間、伊口の顔が再び強張った。

 

 

「そ、それは……その……」

 

 

彼は自信なさげに俯く。

 

 

「他の人には……『良い意見だ』って言ってもらえたんですけど……。やっぱり、俺なんかが考えたことなんて……自信がなくて……」

 

 

舞い上がった直後に襲ってくる、自己否定の波。

長く社会から隔絶されていた人間特有の思考回路だ。

 

難羽はテーブルに置かれた伊口の荷物に目を留めた。

使い込まれた携帯ゲーム機が、カバンの隙間から覗いている。

 

 

「……ゲームは、好きか?」

 

「え?」

 

 

伊口がきょとんとする。

 

唐突な質問。

だが、その瞳に微かな光が宿るのを難羽は見逃さなかった。

 

 

「あ、はい。……好き、です。……それくらいしか、やることがなかったんで」

 

「どんなジャンルをやるんだ?」

 

「えっと……RPGとか、アクションとか……。最近だと、MMOも少し……」

 

 

伊口はポツリポツリと、しかし先ほどよりは流暢に自身の愛するタイトルを挙げ始めた。

仮想世界の中だけが、彼にとっての自由な居場所だったのだろう。

 

難羽は頷き、自身の記憶の引き出しを開けた。

 

「私は古いゲームが好きでね。龍……ドット絵時代のシューティングや、横スクロールのアクションだ」

 

「えっ、レトロゲーですか?」

 

 

伊口が身を乗り出した。

 

 

「わ、わかります! 最近のリアルなグラフィックもいいですけど、あの時代の『制限の中での表現』って、逆に燃えますよね! ヒットボックスの判定とか、今のゲームよりシビアで……!」

 

「ああ。当時のプログラムは芸術的だった。……容量制限の中でいかに面白い挙動を作るか、製作者の執念を感じるよ」

 

「そう! そうなんですよ! 特にあのメーカーの……」

 

 

スイッチが入った。

共通言語(ゲーム)を見つけたことで、伊口の中から「オドオドした青年」が消え、熱意ある「ゲーマー」の顔が現れる。

難羽は聞き役に徹し、時折マニアックな相槌を打つことで、彼の心の扉を解きほぐしていった。

 

数分後。

 

ひとしきり語り終えた伊口は、ハッとしたように口元を押さえた。

 

 

「あ、す、すみません……! 俺、一人で喋りすぎて……」

 

「いや、楽しかったよ」

 

 

難羽は心底楽しそうに笑った。

これは嘘ではない。

しかし口角を上げるのに全力が必要だった。

 

 

「君が物事の『構造』や『ルール』をよく観察していることが分かった。……さて、そんな君が考えた『娯楽施設』だ。つまらないはずがない」

 

 

難羽の言葉に伊口は目を丸くし、そして頬を赤らめた。

自分の好きなものを肯定され、その延長線上に期待を寄せられたことへの喜び。

 

彼は深く息を吸い込み、意を決したようにカバンから一冊のノートを取り出した。

 

 

「……聞いてもらえますか。僕の、アイデア」

 

 

伊口が開いたノートにはびっしりと書き込みがされていた。

拙い図面や、想定されるルール、スコア計算式。

 

それは引きこもりの青年が、初めて社会と繋がるために必死に絞り出した知恵の結晶だった。

 

 

「み、皆さんが考えていたのは……もっと大掛かりなものでした」

 

 

伊口は説明を始めた。

 

 

「強力な個性に耐えられる強化壁とか、特殊な素材のサンドバッグとか……。でも、それだとコストがかかるし、酸や炎の個性を持つ人が使うと、すぐに壊れちゃうって……」

 

 

これまでの議論の行き詰まり。

「個性を解放する」=「物理的に何かを壊す・動かす」という発想に縛られていたため、安全面とコスト面で壁にぶつかっていたのだ。

 

 

「だから、俺はもっとシンプルでいいと思いました」

 

 

伊口の声に、熱がこもる。

 

 

「物理的に何かを壊す必要なんてないんです。……ゲームと同じでいい」

 

「ゲームと同じ?」

 

難羽が先を促す。

 

 

「はい。……『シューティング・レンジ(射撃場)』です。でも、的は鉄板じゃありません」

 

 

伊口はノートの図面を指差した。

 

 

「頑丈なコンクリートの部屋を作って、壁や空中にプロジェクターで映像を映すんです。……センサーを使って、利用者が放った『個性()』が映像に当たったかどうかを判定する」

 

「……なるほど。バーチャルな的か」

 

「はい! これなら、炎でも氷でも、ビームでも、物理的な破壊を気にせずに撃てます! 壁さえ耐熱・耐衝撃にしておけば、的を交換する必要もありません!」

 

 

伊口の言葉が加速する。

 

 

「それに、これならゲーム性が作れます! 的の動きをプログラムで変えたり、スコアランキングを作ったり……。個性を出す人間が、それぞれ性能の違う『自機』になるんです!」

 

 

彼の目は輝いていた。

 

 

「最初から複雑なアスレチックを作るより、まずは『撃って、当たって、気持ちいい』っていうシンプルな快感を提供するべきです。実績作りにもなります!」

 

 

 

 

 

全てを言い終えた伊口は、肩で息をしていた。

緊張と興奮で酸欠になりかけている。

 

彼はハッと我に返り、急に不安そうな顔つきに戻った。

 

 

「あ……ど、どうでしょうか……? やっぱり、素人の浅知恵というか……」

 

 

再び自信を失いかける伊口の前に、難羽はそっと缶コーヒーを差し出した。

 

 

「……飲みたまえ。喉が渇いただろう」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 

伊口は両手で缶を受け取り、一口飲んで落ち着きを取り戻す。

 

その間、難羽はこみ上げてくる笑みを抑えるのに必死だった。

まさしく悪の首領のような高笑いを上げかねない。

 

 

(……素晴らしい)

 

 

難羽が感動していたのは、そのシステムの合理性ではない。

 

いや、プロジェクターとセンサーを使う案は安全性とコストの面で極めて優秀だ。

デザイン面はともかく、システム面はすぐに作ることが可能だ。

 

だが、それ以上に難羽の胸を打ったのは、このアイデアの「出処」だ。

 

これまで、多くの改革は難羽の頭脳からトップダウンで生み出されてきた。

 

だが、これは違う。

 

社会の片隅で膝を抱えていた一人の青年が、自分の好きなものを通して、社会の問題に対する「解答」を導き出したのだ。

 

難羽がすべてを与えなくても、人は自ら考え、楽しみを生み出すことができる。

この「的当てゲーム」は、難羽が目指す「自立した社会」の小さな、しかし確かな萌芽だった。

 

 

難羽は席を立ち、伊口の隣へと歩み寄った。

そして驚く伊口の手を両手でしっかりと握りしめた。

 

 

「伊口くん」

 

「は、はいっ!?」

 

「採用だ。……いや、素晴らしい案だ。すぐに制作に取り掛かろう」

 

 

難羽の顔は資産家としての仮面を忘れ、一人の人間として崩れていた。

 

 

「私が考えたものではない。……この社会に生きる君たちの中からこの発想が生まれたことが、私は何より嬉しいんだ」

 

「え……?」

 

 

伊口は呆然としている。

 

自分の意見が通った?

あの、誰にも必要とされなかった自分の妄想が?

 

 

「君の言う通りだ。物理的な破壊だけが解放じゃない。……デジタル技術との融合で、個性はもっと自由で安全な『遊び』になる」

 

 

難羽は伊口の手を握ったまま、力強く告げた。

 

 

「伊口くん。君は今、とてつもない発明をしたんだよ」

 

「は、発明だなんて……ただの、ゲームの真似事で……」

 

「いいや。……これは『救済』だ」

 

 

難羽は伊口の目を見て言った。

 

 

「この社会には個性を持て余し、暴発寸前の人間が大勢いる。彼らは最初からヴィランになりたいわけじゃない。ただ、退屈で、窮屈なだけなんだ」

 

 

難羽の言葉が、伊口の胸に深く染み込んでいく。

それは伊口自身が感じていた閉塞感そのものだったからだ。

見た目だけで異物と扱われ、その割に個性を使うことも出来ない。

 

 

「君の考えたこの施設ができれば、彼らはルールの中で、笑顔で力を解放できる。……それは結果として、未来の犯罪を未然に防ぐことになるんだ」

 

 

難羽は、震える伊口の肩に手を置いた。

 

 

「命を救うだけがヒーローじゃない」

 

「……!」

 

「君は人々の『退屈』と『孤独』を救う、最初のヒーローになったんだ」

 

 

その言葉を聞いた瞬間、伊口の中で何かが弾けた。

 

ヤモリの顔立ちゆえに怪物と呼ばれ、気味悪がられてきた人生。

自分は社会の異物で、何の役にも立たないゴミだと思っていた。

 

それが、ヒーローだと。

誰かを救ったのだと、この人は言ってくれた。

 

 

「あ……ぅ……」

 

 

伊口の大きな瞳から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。

 

 

「お、俺が……ヒーロー……?」

 

「ああ、そうだとも」

 

 

難羽は優しく頷いた。

 

 

「胸を張りたまえ、伊口秀一。……君のアイデアが、この世界を少しだけ楽しくするんだ」

 

「う、うあぁぁぁ……!」

 

 

伊口は顔を覆い、子供のように泣きじゃくった。

 

それは長年の孤独が洗い流される浄化の涙であり、彼が「スピナー」という名のヴィランではなく、創造者としての第一歩を踏み出した産声でもあった。

 

周囲の参加者たちが、何事かと集まってくる。

 

 

「おいおい、どうした?」

 

「あ、伊口くんの案、採用されたのか!?」

 

「すげぇじゃん!」

 

「やるなぁ、ゲーマー!」

 

 

仲間たちの温かい拍手と、祝福の声。

その中心で伊口は涙でぐしゃぐしゃになった顔で、何度も、何度も難羽に頭を下げた。

 

難羽はその光景を、眩しそうに見つめていた。

 

 

(幼い社会。ならばこれから成長していける……これが人間の可能性だ)

 

 

誰か一人の超人に頼るのではなく、名もなき市民が知恵を出し合い、互いを救う。

 

この小さな会議室で起きた出来事こそが、難羽が夢見た「平和」の縮図だった。

 

 

「……さて、忙しくなるぞ」

 

 

難羽はズボンのポケットに手を突っ込み、嬉しそうに独りごちた。

 

世界を変えるのは強大な力だけではない。

 

一人のゲーマーの「こうだったらいいのに」という空想が、社会を動かすこともあるのだ。

 

社会の夜はまだ暗いが、ここには確かな希望の光が灯っていた。

 

 

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