バグのヒーローアルカディア   作:胡麻蝉あぶら

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58話 ステインの処刑

 

保須市の薄暗い路地裏。

血と氷、そして焦げた匂いが入り混じるその場所で、死闘はようやく幕を下ろした。

 

 

「……はぁっ、はぁっ……」

 

 

緑谷出久は、膝に手をついて荒い息を吐いていた。

隣には半身を凍らせながらも立ちすくむ轟焦凍。

そして己の未熟さに涙を流しながらも、なんとか立ち上がった飯田天哉の姿がある。

 

彼らの視線の先にはロープで幾重にも縛り上げられ、プロヒーローたちに囲まれている男——「ヒーロー殺し」ステインがいた。

 

 

「よくやった、お前たち。あとは我々プロに任せろ」

 

 

駆けつけたプロヒーローたちが手負いのステインを連行していく。

 

誰もがこの悪夢のような連続襲撃事件が終わったと安堵していた。

緊張の糸が切れ、疲労がどっと押し寄せる。

 

だが彼らは致命的な見落としをしていた。

縛り上げられ、頭を垂れて引きずられるステインの瞳にはまだ全く「絶望」の色が浮かんでいなかったのだ。

 

 

(……浅はかな贋作どもめ。これで俺が折れたとでも思ったか)

 

 

ステインはわざと力なく足を引きずりながら、自らの体内エネルギーを極限まで温存していた。

 

路地裏での戦闘は確かに彼にとって分が悪かった。

特に誤算だったのはあの緑谷という少年が左腕に装備していた「緑色の盾」だ。

 

ステインの戦闘スタイルは刃物による斬撃と血液の摂取に依存している。

しかしあの盾は狭い路地裏において鉄壁の防壁となり、彼の刃を幾度となく弾き返した。

 

盾という相性の悪い獲物を持った少年と、広範囲を制圧する氷の個性を持つ轟。

あのまま持久戦に持ち込まれれば、いずれ体力が尽きるのは自分の方だった。

 

だからこそ、ステインは「捕縛される」ことを受け入れた。

プロヒーローたちが合流し、路地裏という閉鎖空間から広い大通りへと出るこの瞬間。

勝利を確信し、誰もが最も油断する「今」こそが彼が計画した確実な逃走ルートの起点だった。

 

 

(袖口に隠した予備のナイフ……。ロープを切断するのに一秒。そして人質を取るのに一秒……)

 

 

大通りに出た。

遠くからエンデヴァーやグラントリノがこちらへ向かってくるのが見える。

ステインが刃を滑らせようと筋肉を硬直させた、まさにその瞬間だった。

 

 

「キシャアアアアアッ!!!!」

 

 

上空から、空気を切り裂くような耳障りな奇声が降ってきた。

 

 

「なっ!?」

 

「上だ!!」

 

 

ヒーローたちが上を見上げた時、そこにはエンデヴァーの炎から逃れ、保須の空を旋回していた「翼の生えた脳無」が猛スピードで急降下してきていた。

狙いは路地から出てきたばかりで陣形が整っていないヒーローたち。

いや、その先頭で疲労困憊になっていた緑谷出久だった。

 

 

「緑谷くん!!」

 

 

飯田の叫び声が響く。

だが誰も反応できなかった。

脳無の鉤爪が、無慈悲に緑谷の肩を鷲掴みにする。

 

 

「ぐあっ……!」

 

 

緑谷の身体がいとも簡単に宙へと持ち上げられた。

このまま空高く連れ去られ、殺される。

誰もがそう絶望した、そのゼロコンマ数秒の隙。

 

 

「——退け、贋作」

 

 

地を這うような低い声と共に、ステインが動いた。

彼は拘束されていたはずの両腕を強引に引きちぎるように交差させ、袖口に仕込んでいた小型のナイフでロープを瞬時に切断。

そのまま緑谷を掴んで飛び去ろうとする脳無の足に、信じられない跳躍力でしがみついた。

 

 

「ステイン!?」

 

 

驚愕するヒーローたちを置き去りに、ステインは空中で脳無の太ももにナイフを深々と突き立てた。

黒黒とした血が噴き出す。

ステインはその血を長い舌で舐め取った。

 

 

「キィ……!?」

 

 

個性『凝血』。

血液を摂取された脳無の身体が空中でピタリと硬直した。

推進力を失った異形の怪物は、緑谷を掴んだままステインの体重に引かれてアスファルトへと墜落する。

 

激しい砂塵が舞い上がった。

だがその砂塵の中から、悪魔のような男が立ち上がる。

 

ステインは墜落して動けない脳無の頭部にナイフを突き立て、躊躇なくその脳髄を破壊してトドメを刺した。

そしてその返り血を浴びた凄惨な姿のまま、倒れ込んでいる緑谷の首元へ刃を突きつけたのだ。

 

 

「動くな。……少しでも動けば、この『本物(ヒーロー)』の卵の首を掻き切る」

 

 

人質。

圧倒的な劣勢からの鮮やかな逆転劇。

ステインは緑谷を盾にしながらじりじりと後退し、逃走の機を窺い始めた。

 

 

「ステイン……!! 貴様、何が目的だ!!」

 

 

エンデヴァーが炎を纏いながら駆けつけ、吠えた。

グラントリノも着地し、低い姿勢で睨みつける。

 

飯田が、轟が、怒りと恐怖の入り混じった顔で男を見据えていた。

 

 

「何が正義のためだ!! 人質を取って逃げるのが、お前の言う大義なのか!?」

 

 

誰かが叫んだ。

その非難の言葉はステインの逃走への歩みを止めるには十分すぎた。

 

ステインの動きがピタリと止まる。

 

 

「……正義、だと?」

 

 

ステインがゆっくりと顔を上げた。

 

血に濡れたその顔には先ほどまでの冷徹な計算高さはない。

あるのはドロドロに煮詰まった、純粋すぎるがゆえに狂気を孕んだ「執念」だった。

 

 

「贋作が蔓延るこの社会……! 口先だけの正義が溢れるこの世界……!!」

 

 

ステインの目が見開かれる。

眼球に毛細血管が走り、ギリギリと歯ぎしりをする音が周囲に響く。

 

 

 

「俺が……正さねばならない!! 誰かが血を流し、英雄を取り戻さねばならないのだ!!」

 

 

 

その瞬間。

誰も血を舐められていない。

個性を使われたわけでもない。

 

それにも関わらず、その場にいた全員の身体が目に見えない巨大な「圧力」によって縫い止められた。

 

エンデヴァーのような百戦錬磨のトップヒーローでさえ、一瞬足がすくんだ。

グラントリノの顔に明確な戦慄が走る。

 

それは「殺気」という生易しいものではない。

己の命すら躊躇なく投げ出せる狂信者の、あまりにも純度の高い「信念の暴力」だった。

 

 

『本物を取り戻す』

 

 

ただその一念のためだけに、周囲のすべてを殺し尽くすという異常なオーラ。

空気そのものが鉛のように重くなり呼吸すらままならない。

 

これがヒーロー殺し。

これが社会の闇が生み出したカリスマ。

 

誰もがその圧倒的な存在感の前に魅入られ、あるいは恐怖に支配され、金縛りにあっていた。

 

 

——ただ一人を除いて。

 

 

ドォォォォォォン!!!!

 

 

重苦しい静寂と狂信の空気を、上空から飛来した「物理的な暴力」が粉砕した。

 

 

「ッ!?」

 

 

ステインが弾かれたように上を見る。

 

夜空から黒い風を纏った一つの影が、隕石のような速度でアスファルトに突き刺さった。

着地の衝撃でクレーターが穿たれ、周囲の空気をビリビリと震わせる。

 

 

土煙の中から姿を現したのは、黒いバッタのマスクに灰色の装甲を纏った戦士。

仮面アクターショッカー。

 

 

「……また贋作か」

 

 

ステインが忌々しげにナイフを構え直す。

 

だがその場に降り立った仮面アクターの様子は、いつもと決定的に異なっていた。

 

 

彼は普段、どんな戦場でも冷静だ。

機械のように正確に状況を分析し、最適な指示を出し、命を奪う時でさえ無機質なオペレーションの一部として処理する。

 

だが、今は違った。

その全身から立ち上る黒い風は、荒れ狂う炎のように波打っている。

マスクの複眼はただ対象をスキャンする光ではなく、明らかな「激情」に燃えていた。

 

 

「——ふざけるなよ、蛆虫が」

 

 

地獄の底から響くような、低く、しかし恐ろしいほどに殺意を孕んだ合成音声。

 

難羽輪太郎の心は烈火の如く燃え上がっていた。

 

元々、難羽はステインという存在を「殺す」つもりでこの場に来た。

 

社会のシステムに組み込めず、独自のルールで勝手に他者の命を奪う害獣など、さっさと処分してしまえばいい。

飯田から兄の話を聞いた時もその判断に揺るぎはなかった。

ただの害虫駆除だと。

 

ショッカー内でも『ステインの処刑』は決定していた。

 

 

(……このままこいつをここで殺せば、こいつは『神格化』される)

 

 

もしこの場にいる全員がステインの狂信的なオーラに「何か底知れぬ凄み」を感じたまま、彼が死ねばどうなるか。

 

彼は「自身の正義に従って、死ぬ最期まで戦い抜いた殉教者」として後世に伝わってしまう。

ネット上の馬鹿どもはこぞって彼を祭り上げ、まるでこの男が『何かしらの正しさ』を持っていたと騒ぎ立てるだろう。

 

それは超常黎明期からたった数十年しか経っていない、基盤の脆い「幼い社会」だからこその危うさだ。

故にステインの処刑は決まっていたことだ。

いつも通り、冷静に事を成すだけだ。

 

しかしショッカーという組織の頂点に立つ者としてではない。

一人の人間、難羽輪太郎の心の蓋が外れかかっていた。

 

飯田天晴。

プロヒーローインゲニウム。

 

そしてほかのヒーローたち。

 

 

人々のために戦う人間を、贋作と言いやがった。

 

 

「——チェーン・センチピード!!」

 

 

難羽の叫びと共にアクターの背中にある黒い装甲がスライドし、内部から二つの巨大な影が射出された。

 

それは分厚い鋼鉄の節で連結された、二匹の巨大な「百足(ムカデ)」だった。

生命の宿っていない無機質な機械の怪物は空中で身をくねらせると、緑谷を人質に取っていたステインへと猛スピードで襲い掛かった。

 

 

「何ッ!?」

 

 

ステインがナイフを振るうよりも早く、二匹の鋼鉄の百足が彼の四肢と胴体に巻き付いた。

 

 

「ぐあぁぁっ……!!」

 

 

鋼の多足がステインの肉体に食い込み、万力のような力でギリギリと締め上げる。

その凄まじい拘束力に耐えきれずステインの手から緑谷が解放され、アスファルトへと転がり落ちた。

 

ステインは激痛に顔を歪めながらも残された指先でナイフの柄を握り、絡みつく百足の装甲に刃を立てようとする。

自らの体を傷つけてでも血を流させ、強引に『凝血』を発動させるために。

 

だが無駄だった。

金属ムカデの装甲は刃物を滑らせる特殊な曲面構造で設計されており、ステインの小さなナイフでは傷一つ付けることはできない。

 

血を奪えなければ、ステインの個性は完全に無力化される。

相性の悪さなどという次元ではない。

これは赤黒血染という男の能力と戦闘スタイルを完全に解析し、封殺するためだけに用意された「檻」だった。

 

宙に吊り上げられ、芋虫のように縛り上げられたステイン。

だがその両目は未だ死んでいなかった。

全身の骨が軋む激痛の中にあっても、彼の瞳は眼下で見下ろす黒き戦士——仮面アクターを、憎悪の炎で睨みつけていた。

 

 

「……貴様ぁ……!!」

 

 

血を吐くような、呪詛の声。

 

 

「マスクで顔を隠し……! コソコソと部下に命令を下し、自分勝手な判断で殺す……! それが、貴様の言う正義か!!」

 

 

ステインは全身の筋繊維をちぎれんばかりに隆起させ、吠えた。

 

 

「自己犠牲の欠片もない! 己の信念を晒す覚悟もない! ヒーロー気取りの人形め……!! 貴様こそが、この社会の最も邪悪な贋作(フェイク)だ!!」

 

 

その罵倒は大通りに響き渡った。

 

確かにステインの言う通りだった。

仮面アクターの戦い方は泥臭い自己犠牲や、市民に安心を与えるヒーローのそれとはかけ離れている。

冷徹で、効率的で、顔すら見せない。

 

その異質さに周囲のプロヒーローたちも言葉を失っていた。

緑谷たちでさえ息を呑んでアクターの反応を見守ることしかできない。

 

だが。

 

アクターの手が腰のベルト(アポリオン)へと伸びた。

そのバックルの中央、赤く発光していたタービンの回転がゆっくりと停止していく。

 

排気音と共に、アクターの全身を覆っていた黒い装甲と人工筋肉が、砂のように崩れ落ち、あるいはナノマシンの霧となって空気中へ溶けていく。

 

黒い風が完全に晴れた後。

そこに立っていたのは鋼鉄の戦士ではなかった。

 

白いシャツの上に、無骨な黒い革のジャケットを羽織った男。

実年齢にして20代半ば。

鋭い三白眼に、冷たい銀色の瞳。

そして、特徴的な長い下まつ毛。

 

歴戦の凄みと近寄りがたい絶対的な知性を漂わせるその青年は、怒りに耐えるように歯を食いしばりながらステインを見上げていた。

 

 

「……やはりな」

 

 

背後でグラントリノがボソリと呟いた。

その声には驚きというよりも「確信」に至った者の響きがあった。

 

テレビで見た体育祭での動き、そして過去の記憶。

すべてが今、一本の線で繋がったのだ。

 

一方で地面に這いつくばっていた緑谷は、その男の顔を見て完全に言葉を失っていた。

 

 

「な……ば、くん……?」

 

 

緑谷の口から掠れた声が漏れる。

間違いない。

 

目の前に立つその青年の顔立ちは、彼がよく知る同級生——難羽輪太郎が、そのまま大人になったような、あまりにもそっくりな顔をしていたからだ。

 

だがその体躯も、纏っている空気の重さも、雄英高校で飄々としている15歳の少年とは全く違う。

いくつもの死線を越え、組織を束ね、世界を俯瞰してきた長の顔だった。

 

 

「これより、ステインの処刑を開始する!!」

 

 

 

 

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