64話 赤き現実
東京都心、ムゲンバンダイの最上階。
夜景を一望できる会議室の空気は眼下に広がる宝石のような街並みとは対照的に、重く沈殿していた。
上座に座る20代半ばの青年——難羽輪太郎が、深い溜め息とともにテーブルに突っ伏していた。
「……いや、本当に申し訳ない」
その声には冷徹な指揮官としての威厳など微塵もない。あるのは感情に任せて失態を演じた人間の、等身大の悔恨だけだった。
彼を囲むのは、組織「ショッカー」の最高幹部たち。 全身タイツの分倍河原仁、飄々とした態度の鷹見啓悟、最近治療を受けて肌が綺麗な轟燈矢。
そして元公安の筒美火伊那。
彼女は肘掛けに足を預け、呆れたように難羽を見下ろしていた。
「……反省してるならいいけどさ。冷静ぶってる割に沸点低いよな、お爺様」
ナガンの声は低く、乾いている。
鷹見がタブレットを操作し、動画サイトの画面を見せる。
『仮面アクター、ステインを論破! 衝撃の素顔!』
再生数は天文学的な数字を叩き出していた。
「撮影したのはウチの救助隊だけど、アングルも手ブレも完璧……迫真の演技で評判も上々」
「……うるさい」
難羽が呻く。
当初の計画ではステインの情報をリークし、その矛盾を指摘して社会的に抹殺する予定だった。
それがステインの処刑である。
あくまでクールにビジネスライクに。
だがステインの狂信的な演説を聞いた瞬間、難羽の中で何かが弾けた。
そのまま激昂状態で暴走してしまったのが真実だ。
本来顔を晒す予定はなかった。
「顔を晒すリスク、分かってんだろ?」
ナガンが淡々と指摘する。
「これからお爺様の顔は世界中の特定班に解析される。分かっててやったんならタチが悪いし、分かってなくてやったんなら、もっとタチが悪い」
「……分かっている」
「ボスも人間だったってことで、逆に親近感湧いたんじゃね? カッコよかったぜ! ……ダサかったけどな!」
トゥワイスが茶化すが、燈矢は冷ややかな目を向けた。
「……で? あの時、ステインを殺さなかったのは理性か? それとも単なる気まぐれか?」
燈矢の問いは鋭い。
世間では仮面アクターの強さは変身系の個性によるものと思われているが、ここにいる幹部は知っている。
仮面アクターの装備は武装の展開、肉体の保護がメインである。
ヒーローがサポートアイテムやコスチュームを装着しているのと同じである。
つまり、仮面アクターの身体能力は中の人間のスペックそのままなのだ。
あの時本気で殴っていれば、ステインの首は物理的に胴体からサヨナラしていたはずである。
あくまであれは難羽が途中で我に返り、本気で殴っているように見せただけだ。
「…………」
「言いたくないか?」
難羽はゆっくりと円卓の椅子に腰を下ろし、深く息を吐き出した。
「……いや、言う。あそこまで取り乱したのは、彼が私には救えない者だったからだ」
その言葉に四人の間に戸惑いが広がる。
「救えない、とはどういうことだ? 心の問題か?」
「心の話ではなく根源的な、肉体の作りの話だ」
難羽は静かに首を振り、皆を見渡した。
「例えば、汗が強力な爆薬になる個性を持って生まれた人間がいるとしよう。その人間は無意識のうちに汗をかくための行動や、辛い食べ物を好むようになる。あるいは、身体の一部がエンジンとして機能する個性を持つ者は、燃料として効率の良いオレンジジュースを好んで飲むようになる……これは単なる嗜好ではないんだ」
難羽は卓上の端末に触れ、ホログラムの生体データを空中に投影した。
「個性因子というものは、ただ人間に不思議な力を与えるだけの魔法ではない。その力に耐え、効率的に運用できるように、持ち主の肉体を脳の構造すらも少しずつ適応化させていくんだ」
そこまで聞いた瞬間、鷹見の目が大きく見開かれた。
彼の優秀な頭脳が難羽の言わんとする残酷な真実に行き着いたのだ。
「……まさか。ステインの個性『凝血』は……」
「そうだ。他者の血を舐めることで発動する個性。本来人間という生物は、他者の血を見ることに本能的な恐怖や嫌悪を抱くようにできている。病気や感染症を防ぐための、生物としての正しい防衛本能だ」
難羽の声が微かに震える。
それは技術者としての冷徹な分析ではなく、救えない人間を見た者の悲痛な響きだった。
「だが、彼の身体は個性を機能させるために、その防衛本能を完全に抑え込んでいる。それどころか、血を欲するように肉体と脳の構造が書き換えられてしまっている。人間社会に反する個性は、人間にどうしようもない本能を追加する」
部屋の空気が、さらに一段と重く沈み込んだ。
誰も言葉を発することができない。
「個性因子を完全に取り除いたとしても、血を求める欲求そのものは消えない。適応してしまった肉体と脳の構造は個性そのものではないからだ。本当の意味で治療しようとするならば最早、脳の構造そのものを物理的に作り変えるしかない」
難羽は会議室の天井を見上げた。
彼の異常な技術力は哲学的な精神という天井にたどり着いてしまった。
「だがそれをすれば、彼の精神は消える。記憶や性格、自己同一性すらも失わせる、実質的な精神の殺害だ……私は誰かを救うために技術を磨いてきた。しかし、彼のような人間を救うことは出来ない」
難羽は個性因子の研究をする中でこの問題にたどり着いた。
個性発現後すぐに輸血パックなどで欲求を抑える習慣を作れば、ある程度問題は解決する。
しかし、それでは一度罪を犯してしまった者を救うことは出来ない。
社会を生きる人間としての理性と個性の本能のバランスが崩れた後だからだ。
ステインの罪は決して許されるべきものではない。
しかし難羽は知っていた。
彼が将来、絶対に爆発する爆弾を抱えて生まれていると。
彼の罪は全て彼の責任なのか?
個性によって狂わされただけではないか?
成長するにつれて育まれるはずの
生まれた時から形成される人格を決定づけかねない
大人という自立した人間である彼の罪を、全て個性が原因だったと分けて考えることは出来ない。
だが、それでも。
狂人への怒り、社会への怒り、そして人間を壊す個性という存在への怒り。
その事実を唯一知っていた難羽は、ステインの喚きに反応してしまうほどに精神が疲弊していた。
「……顔を晒した件はすまなかった。だが、学生としてやるべき仕事は終わっている。問題はあまりない」
そう言って難羽はこの話を終わらせた。
唐突な話の切り替えに、4人は誰も指摘することはできなかった。
「……で、ショッカーの現状はどうなってる?」
難羽が咳払いをして切り出すと、トゥワイスが身を乗り出した。
「おう! 一般組の伊口からいいアイデアが出たぜ!」
重苦しく静かになった空間を壊すように、わざと大声で叫ぶ。
トゥワイスが報告したのは一般組の異形の青年伊口が提案した娯楽施設の件だった。
『個性を使用した体感シューティングゲーム』
自身の個性をぶっ放してターゲットを破壊する、シンプルなストレス発散施設だ。
ターゲットは投影装置による架空の的のため、破壊によるコスト増加を抑えられる。
「今は試験運用中だが、一般組からも好評だ。役所への申請も通れば、正式に事業化できる。遊べるのはヘルパーズで資格を取れた人間だけだぜ。安全面も問題なし!」
「ありがとう。安全面は特に気をつけて進めてくれ」
難羽が頷くと、次はナガンが報告書をテーブルに放った。
「次は私からだ……ショッカー救助隊の人員増加についてだよ」
「順調か?」
「順調どころか、パンク寸前さ。一般組からも『救助隊に入りたい』って申し出が殺到してる」
「……理由は?」
「お爺様の演説」
ナガンが丸めた報告書で難羽の頭をパシッと叩いた。
「あんな熱い演説ぶちかますから、感化されたのが大量に出ちまったんだよ。『自分も何かしたい』ってな……責任取ってくれよ」
難羽は叩かれた頭をさすりながら深いため息をついた。
自分の失態が思わぬ副作用を生んでいる。
「……却下だ」
難羽の声が冷徹な指揮官のものに戻っていた。
「感化されただけの人間、一時的な感情で動く人間……そういった連中の救助隊への登録は一切認めない」
「……やっぱりね」
ナガンは予想通りといった顔で鼻を鳴らした。
「それと一般組への通達だ……もし現場で感動したり、義憤に駆られたとしても、ヒーローやヴィランが戦っていたら『応援』などするな……直ちに現場を離れ、自分の命を守る行動を徹底させろ」
「厳しすぎやしねぇか?」
燈矢が口を挟むが、難羽は首を横に振った。
「ショッカー救助隊には特殊な『採用基準』がある……それを忘れたか」
ショッカー救助隊。
その構成員たちは単なる志願者ではない。
彼らは皆、かつて自身の個性によって人生を狂わされ、あるいは自身の個性を呪い、「死んでもいい」とすら思ってしまっていた絶望の淵にいた者たちだ。
難羽は彼らに救いの手を差し伸べた。
だがそれは「個性を肯定する」ことではない。
逆に、「個性を取り除く」ことによる救済だった。
難羽の技術により彼らは「無個性」となる。
その代わりとして、ショッカーの強化スーツを与えられ、救助隊員として新たな人生と任務を与えられるのだ。
「彼らは一度死んだ人間だ……だからこそ、他人の命を救うために躊躇なく危険な場所に踏み込めるが……一般人は違う」
難羽は静かに語る。
「正義感や憧れだけで現場に来る人間は、判断を誤る……絶対にヒーローやヴィランと交戦しないという鉄の掟を、感情で破る可能性がある」
戦闘経験のない人間がプロヒーローや凶悪なヴィランの戦場に介入すればどうなるか。
足手まといになるだけならまだいい。
最悪の場合人質に取られ、救助隊全体の作戦行動を破綻させる。
それどころか、その人間を救おうとヒーローの邪魔となり、救うべき一般市民が救えないという可能性すらあり得る。
「ヴィランの個性によっては一瞬死ぬ……そして、我々の救助隊は『仲間が死んでも、任務達成のためなら見捨てて撤退する』ことを前提としたチームだ」
それは非情なルールだった。
だがその非情さこそが、ショッカー救助隊の生存率と救助成功率を支えている。
一人の隊員を助けるために他の隊員や要救助者を危険に晒すことは許されない。
ショッカー救助隊は群れを基本としているのだ。
さながら肉食動物から逃げる草食動物のように。
「……正義感だけで背負えるほど、この仕事は甘くない」
難羽は窓の外の夜景を見つめた。
その言葉の裏にある感情を、筒美は敏感に感じ取った。
「……分かったよ。お爺様なりの優しさってやつか」
筒美は短く息を吐いた。
一見冷酷に見える判断。
だがそれは「無関係な一般人に死ぬリスクを負わせたくない」という、難羽の不器用な線引きだった。
「一般組にはそう伝えるよ。『お前らの仕事は安全な場所で金を稼いで、組織を支えることだ』ってね」
「……ああ、頼む」
難羽は小さく頷いた。
幹部たちは知っていた。
この男が合理的であろうとしながらも、根底では誰よりも「命の重さ」に囚われている人間であることを。
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