バグのヒーローアルカディア   作:胡麻蝉あぶら

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67話 3人のおじさん

 

分倍河原仁。

 

現在ショッカーの幹部として名を連ねる彼は、組織内でも特異な立ち位置を確立していた。

彼は戦闘員として活動しながら、一般組との交流を積極的に行っているのだ。

裏表のない性格と常にテンションが高く相反する言葉を同時に発するユニークな言動は、殺伐としがちな裏社会、社会的弱者によって構成された組織において見事な潤滑油として機能していた。

 

ムゲンバンダイは個性を使用可能な娯楽施設の建設を計画している。

 

その企画立案において「一般の人間が何を求め、何を楽しみにしているのか」という生の意見を吸い上げるのは極めて重要だった。

その点において、かつて社会の底辺を這いずり回り、人間の弱さや孤独を知り尽くしている分倍河原は、適任中の適任であった。

 

最近では一般組の伊口と個人的に意気投合し、休日に一緒に遊びに行ったという報告も上がっている。

「孤独」を何よりも嫌い、誰かに必要とされることに至上の喜びを感じる彼にとって、他者と交わり、意見を聞き、形にしていくこの仕事は天職とも言えた。

 

だが、組織の長である難羽は、モニター越しに彼の姿を見るたび、拭いきれない「悩み」を抱えていた。

 

難羽は、自他共に認める天才だ。

この時代の最新鋭とされる技術を遥かに凌駕する頭脳を持ち、肉体を物理的に改造し、兵器を作り、社会の暗部と言えるヒーロー公安委員会のセキリュティにも容易に侵入できる。

 

物理法則や論理の分野において、彼に不可能なことはほとんどない。

 

しかし、ただ一つ。

『精神』の分野に関してだけは、難羽は致命的に不器用だった。

 

彼自身がどれほどの理不尽や絶望を前にしても決して折れない、異常なまでの精神力と目的意識を持っているがゆえに、折れ曲がり、壊れてしまった人間の心の構造を真の意味で理解し、救済することができないのだ。

 

分倍河原仁の心は、難羽が出会うずっと前に修復不可能なほどに砕け散っている。

 

難羽が彼に与えられたのは居場所という名の「包帯」だけであり、傷そのものを塞ぐ術を、この天才は持ち合わせていなかった。

 

 


 

 

 

 

 

 

今から6年前。

難羽がまだショッカーとしての基盤を固めつつあった頃、彼はとある奇妙な強盗団を追っていた。

 

犯罪の規模自体はしがない連続強盗だ。

多数の死傷者を出しているわけでも、大規模なテロを企てているわけでもない。

だが監視カメラの映像を解析していた難羽はその強盗団の「異常性」に気づき、手を止めた。

 

 

「……全員骨格から癖に至るまで、完全に同一だ。マスクや幻影の類ではない」

 

 

三つ子や四つ子などというレベルではない。

十人近い強盗団が全員同じ男なのだ。

 

難羽は即座に国のデータベースへハッキングを仕掛け、該当する可能性のある個性を検索した。

そして、一人の男のデータに行き着く。

 

分倍河原仁。

個性『二倍』。

一つのものを二つに増やす能力。

 

そのデータを見た瞬間、難羽の背筋に冷たい悪寒が走った。

 

それは強盗という犯罪に対するものではない。

「二倍」という事象がもたらす、物理的・数学的な恐怖に対する悪寒だ。

 

 

(……バイバインか。あるいは、景気のいいケーキの増殖)

 

 

難羽の脳裏に超常黎明期以前のSF的思考実験がよぎる。

 

 

「1を2にする」

 

 

一見すれば大したことのない能力に思える。

だが、もし「増やされた2」がさらに能力を使って「4」になり、「8」になり、「16」になったらどうなる? 

 

指数関数的な増殖。

制限がなければたった一人の人間が、数日、いや数時間でこの地球の表面積を埋め尽くすほどの質量を生み出すことができる。

増殖し続ける肉と泥の波が都市を飲み込み、海を埋め立て、生態系を破壊し、物理的に世界を終わらせる。

 

 

(もし、この男が自身の個性の真の恐ろしさを理解してしまったら。或いは、発狂して理性を失い、個性を暴走させたら……星が終わるぞ)

 

 

ただの人間という矮小な器に、惑星を破壊しかねない矛盾したような機能が搭載されている。

難羽はこの『個性』という超常の概念そのものを、激しく呪い始めていた。

 

早急に確保、あるいは処分しなければならない。

難羽は逆探知と監視網を駆使し、彼らの——否、彼の住処である廃ビルへと辿り着いた。

 

だが、重い鉄扉を蹴り開けた難羽の目に飛び込んできたのは世界を滅ぼす軍隊などではなく、この世の地獄を煮詰めたような凄惨で猟奇的な光景だった。

 

 

「俺が本物だァァァ!!!」

 

「ふざけんな! 俺こそが俺だ!! 消えろォ!!」

 

 

部屋の中では同じ顔、同じ服を着た男たちが血みどろの殺し合いを繰り広げていた。

 

ナイフで自身の顔を持つ男を刺し、椅子を振り上げて自身の顔を持つ男の頭蓋を砕く。

致命傷を負った者はドロドロの灰色の泥となって溶け落ちる。

だが泥になる寸前まで、彼らは「俺が本物だ」と絶叫し続けていた。

 

血と、泥と、嘔吐物と、排泄物の異臭が混ざり合う狂気の密室。

 

難羽は顔色一つ変えず、その凄惨な同士討ちの様子を観察した。

 

 

(……なるほど。椅子に縛り付けられているのがオリジナルの『本体』か)

 

 

部屋の隅。

殺し合いの喧騒から外れた場所に、ガムテープで椅子に拘束されて白目を剥きかけている男がいた。

 

難羽は殺し合いに夢中になっている分倍河原達に気付かれないよう、音もなく本体へと接近する。

 

首元に指を当て、脈を測る。

瞳孔の動きを確認する。

 

心拍数は異常な数値を叩き出し、眼球は不規則に痙攣している。

周囲の状況と男の衰弱具合から見て、この状態になってから少なくとも一週間は経過している。

極度の栄養失調と脱水症状。

そして何より、精神が完全に限界を超えている。

 

 

(自分自身に反乱を起こされ、自分が殺し合う様を延々と見せられ続けたのか……文字通りの『自分殺し』というわけだ)

 

「アハハハハ! 死ね俺!!」

 

 

血まみれの分倍河原が、別の分倍河原の首を掻き切った。

 

 

「……すまない」

 

 

難羽は低く呟くと、動いた。

人間離れした膂力と速度。

彼が手刀を一閃させた瞬間、凶器を振り上げていた三人の分倍河原の首が全く同時に宙を舞った。

 

事態を把握する間もなく彼らの身体は形を保てなくなり、べちゃりという嫌な音と共に大量の泥となって床に崩れ落ちた。

後には何処かに流れていくように消えていく泥の海と、椅子に縛り付けられた瀕死の本体だけが残された。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、難羽は分倍河原を自身の施設へと回収して治療を施した。

 

目を覚ました彼にその個性がどれほど危険なものであるかを論理的に叩き込み、二度と自身を複製しないよう厳命した。

 

そして彼に「役割」を与えた。

 

裏社会での工作と、表向きの会社における一般人との交流だ。

彼を常に他者と関わる環境に置き、孤独を紛らわせることで、人間への個性使用(特に自己複製)の欲求を抑え込ませるための合理的な処置だった。

難羽の目論見通り、分倍河原は組織に馴染み、明るく振る舞い、有用な人材として機能し始めた。

 

だが、難羽は決定的な部分を理解していなかった。

それは彼の「頭の良さ」ゆえの死角だった。

 

難羽は当初こう考えていたのだ。

 

『個性を使い、独立した精神を持つ分身を作り出す。それは即ち、使い捨ての命を生み出すということだ。分倍河原はその命への冒涜を理解した上で、自己の利益のために増やしていたのだろう。だからあんな反乱が起きたのだ』と。

 

違う。

分倍河原仁はそこまで冷酷ではない。

彼はただ孤独に耐えられず、「自分を助けてくれる仲間」が欲しかっただけの弱く、優しい人間だったのだ。

 

コピーたちは自分が本物だと信じ込んでいた。

だからこそ自分が偽物であることに耐えきれず、殺し合いに発展した。

 

その根本的なトラウマと自己の同一性の崩壊という名の底なし沼。

 

難羽が施した他者との交流という包帯の下で、彼の傷は癒えるどころかより歪な形へと化膿し、静かに『進化』を遂げていたのである。

 


 

 

 

 

 

 

現在。

ムゲンバンダイの地下、防音設備の整った広大なトレーニングルームの一角。

 

そこで行われていたのは一見すると滑稽な、しかし本質を知れば背筋が凍るような異様な光景だった。

 

 

「よし……肩幅、オッケー。身長、イメージ通り。筋肉の密度……ここをこうして、と」

 

 

トゥワイスは誰もいない虚空に向かって、愛用のメジャーを真剣な顔で当てていた。

 

彼の個性『二倍』の本来の発動条件は、増やす対象の「明確なイメージ」を持つことだ。

そのためには身長、胸囲、足のサイズなど、あらゆる数値を正確に計測し、脳内に設計図を構築する必要がある。

 

 

逆に言えば。

 

 

数値さえ完璧に設定し、本物と見紛うほどの強烈な設定(イメージ)さえ構築できれば、それは実在しない『架空の存在』であっても具現化できてしまうのだ。

 

 

自分を増やせば殺し合いになる。

他者を増やせば、それは「使い捨ての命」を生み出すという罪悪感に苛まれる。

その絶望の底で、彼は自らの個性の「裏技」に行き着いた。

 

「来いよ、俺の最強の友達(ダチ)公!!」

 

トゥワイスが叫ぶと、彼の手のひらから灰色の泥が滝のように溢れ出した。

泥は床で二つの塊となり、まるで粘土細工が命を吹き込まれるように急速に人の形を成していく。

 

一つは純白。

もう一つは漆黒。

 

 

「ふん、私は悪を倒すだけだ」

 

 

泥が固まり姿を現したのは、純白のスーツとマントに身を包んだ戦士だった。

 

顔を覆う白いマスク、キリリと吊り上がった双眸、そして威厳に満ちた口調。

 

『トゥワイス・ホワイト』

 

彼がこれまでに計測してきた数多の格闘家やヴィランの肉体データ、その「強い部分」だけを継ぎ接ぎしてイメージした、戦闘特化の理想像。

 

 

「ケッ……単純馬鹿が。俺様がブレインだ、お前らは手足として動け」

 

 

もう一体は、漆黒のフードと仕立ての良い紳士服を纏った男。

口を開けば否定と皮肉ばかりだが、その瞳には冷徹な知性が宿っている。

 

『トゥワイス・ブラック』

 

こちらは彼が計測した知能犯や参謀タイプのデータを統合し、計算し尽くされた頭脳特化の理想像。

 

 

「やったぜ! 今日もキレッキレだな二人とも! ……喧嘩すんなよ!」

 

 

そしてその中心で歓喜の声を上げるのが、オリジナルの分倍河原仁、トゥワイス・ジンだ。

 

二人の他人(じぶん)が現れたことで、彼はひどく安堵したように顔のマスクを剥ぎ取った。

マスクを被っていなくても彼はもう「自分が自分であるか」を疑わずに済む。

 

なぜなら目の前にいるのは「自分」ではなく「友達」だからだ。

 

 

「戦うのは良いけどさぁ、俺のこと守ってくれない? 俺、弱いからさ!」

 

 

ジンは情けなく両手を合わせ、二人の分身にすがりつく。

 

 

「軟弱者が。貴様は後ろで震えていろ。私が敵を粉砕する」

 

 

ホワイトが純白のマントを翻し、天井から吊るされた特注のサンドバッグを凄まじいパンチで吹き飛ばした。

その威力は通常の強化系個性に匹敵する。

 

ジンが練り上げた「最強の格闘家」のイメージが、見事に物理法則を超越している。

 

 

「チッ……効率が悪いな、ホワイト。そこの角度から攻めれば一撃だろ。……おいジン、コーヒー持ってこい」

 

 

ブラックがフードの奥で目を細め、物理的な戦闘には参加せず的確な指示と尊大な命令を下す。

 

 

「へいへい! 喜んで! ……ってなんで俺がパシリなんだよ!」

 

 

ジンは口では文句を言いながらも、その顔は満面の笑みだった。

どこか嬉しそうに、トレーニングルームの隅にある給湯器へとコーヒーを淹れに走る。

 

以前のような自分同士での殺し合いは、もう起きない。

ホワイトは正義に燃え、ブラックは支配欲を満たし、ジンは弱い「本来の自分」として彼らに依存する。

三者の役割は見事に噛み合い、奇妙な調和が保たれていた。

 

 

孤独だった彼の周りには、今や絶対的な信頼を置ける「最強の仲間」がいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別室のモニター越しにその「心温まる友情劇」を観察していた難羽の表情は、氷のように冷たく、険しいものだった。

 

 

(……これは、解決じゃない)

 

 

難羽はその狂気の構造を冷徹に分析する。

 

一見するとジンは過去のトラウマを克服し、個性を応用して新しい戦い方を身につけたように見える。

組織としても強力な戦力と参謀が増えることは有益だ。

 

だが心理学的に見れば、それは最悪の『逃避』だった。

 

ホワイトの圧倒的な攻撃性も、ブラックの冷徹な知性も、元を辿れば全て「分倍河原仁」という一人の人間に内包されている要素だ。

彼は自分の中にある強さや賢さ、そして暴力性を「自分のものではない」と切り離し、別個体として外部出力しているに過ぎない。

 

彼らを「別人」として定義し、対話することでしか彼はもう精神の安定を保てなくなっているのだ。

それは多重人格の物理的な顕現であり、自己の致命的な解離だった。

 

 

『おうブラック! ミルク多めだったよな! ほらよ!』

 

『……遅い。だが悪くない淹れ方だ』

 

 

「……だろうな。味の好みは同じだ」

 

 

モニターの中では三人が仲睦まじくコーヒーブレイクを楽しんでいる。

 

難羽は目を伏せた。

自分は彼に役割を与え、人との交流を通じて孤独を癒そうとした。

だがそれは根本的な治療にはなっていなかった。

人間という脆い器は、難羽が考えるような論理通りには動かないのだ。

 

 

トレーニングの時間が終わり、ホワイトとブラックの身体が限界を迎えたようにドロドロに溶け始めた。

 

 

『あーあ、時間かぁ。じゃあな、二人とも!』

 

 

ジンが手を振る。

二体の分身は完全に泥に戻り、床の排水溝へと流れて消滅した。

 

個性の解除。

本来ならここで彼は「一人」に戻り、静寂が訪れるはずだ。

 

だが。

 

 

「お疲れ! ホワイト、さっきのパンチ最高だったぜ! ……ブラック、お前の作戦も悪くなかったよな?」

 

 

難羽はモニターを凝視した。

ジンは誰もいない空間——先ほどまでホワイトとブラックが立っていた虚空に向かって、親しげに話しかけている。

 

 

『ああ、当然だ。私は負けん』

 

『フン、俺の頭脳があってこそだがな』

 

 

彼らが答えるはずはない。

彼らは泥になって消えたのだから。

 

しかしジンの脳内では、消滅したはずの彼らがまだそこにいて会話を続けている。

記憶の中で、妄想の中で、彼らは生き続けている。

 

いや、「保存」されているのだ。

 

 

「……へへっ、明日も遊ぼうぜ。俺たち、最強チームだもんな」

 

 

ジンは誰もいない虚空と肩を組み、心底楽しそうに笑っている。

その姿は長年の孤独を癒し、最高の親友を手に入れた少年のようにも見える。

 

だが、モニター越しにそれを俯瞰する難羽にとっては何もない空気に笑いかけ、肩を組んで歩く男の姿は、あまりにも悲しく、そして背筋が凍るような狂気の完成形だった。

 

 

「……悪化しているな」

 

 

難羽は静かに呟き、モニターの電源を叩き切った。

暗転した画面に難羽自身の暗い顔が映り込む。

 

自分を増やせば殺し合いになる。

他人を増やせば命への冒涜になる。

 

その禁忌の狭間で傷ついた男が生み出したのは「イマジナリーフレンドの具現化」という逃げ道。

 

孤独を埋めるために自らの精神を切り売りし続けるその姿は、難羽の科学や論理では決して救うことのできない、人間の心の深すぎるバグそのものであった。

 





サッドマンズパレードを封印しようとしたら、トゥワイスの症状が悪化しました。
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