バグのヒーローアルカディア   作:胡麻蝉あぶら

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70話 ナーバスブルーオーシャン

 

I・アイランドの中心部の喧騒渦巻くメインストリートから一本路地を入った場所に、そのオープンテラスのカフェはあった。

 

潮の香りを運ぶ海風が心地よく吹き抜け、白いパラソルが涼しげな日陰を作っている。

最新のヒーローアイテムや派手なアトラクションから少し距離を置いたこの場所は、歩き疲れた観光客たちの憩いの場となっていた。

 

そのテラス席の奥、四人掛けの丸テーブルに、難羽と伊口は向かい合って座っていた。

 

 

「おう、遅かったじゃねぇかボス! 早く着いたな!」

 

 

伊口が席に着くなり、隣の椅子から元気な声が飛んできた。

アイスコーヒーのストローを音を立てて啜りながら、矛盾する二つの言葉を同時に放つのは分倍河原だ。

 

今日の彼はいつものような白と黒の不気味な全身タイツ姿ではない。

ラフなプリントTシャツに薄手のジャケットを羽織り、顔には目元だけを隠すシンプルな黒いハーフマスクを着けている。

彼は一時期マスクを付けないと分裂する感覚に陥っていたが、その症状は治りつつあった。しかし、顔を隠してないと落ち着かないのでこの格好だ。

 

日本の街中でそんな格好をしていれば職務質問待ったなしだが、ここは世界中から個性豊かな来訪者が集まるI・アイランド。

派手なコスプレやマイナーヒーローがそこかしこを歩いているため、彼の奇抜な格好もそういうファッションとして完全に風景に溶け込んでいた。

 

 

「……ボス。この島、どこもかしこも警備ロボットとカメラだらけで、マジで息が詰まるな」

 

 

分倍河原の向かいの席から、心底気怠そうな声が響いた。

頬杖をつき、ストローの刺さったコーラのグラスを指先で弄っている青年、轟燈矢。

 

彼もまた、いつものようなツギハギだらけの禍々しい死体のような姿ではなかった。

難羽による再生医療と培養皮膚の移植を継続的に受けた結果、彼を覆っていた痛々しい火傷の痕跡は極めて薄くなり、滑らかな肌艶を取り戻している。

 

白い髪と、色素の薄い青い瞳。

その容姿は彼がかつて轟家の長男として生まれ持っていたはずの、冷たくも惹きつけられるような端正さを完全に顕現させていた。

 

実際通りがかる女性客やウェイトレスたちが、チラチラと燈矢の方へ熱を帯びた視線を送っている。

本人はその視線を鬱陶しいとしか思っていないようだが、黙って座っているだけで絵になる男であることは間違いなかった。

 

テーブルの上には、アイスコーヒー、コーラ、そして軽食として頼んだ高級なクラブハウスサンドイッチのプレートが並んでいる。

側から見れば、年の離れた上品な祖父とその孫や友人たちが集まって談笑している、微笑ましい休日の風景にしか見えないだろう。

 

だがこのテーブルには、彼らの属する社会的な立ち位置による明確な格差が存在していた。

 

 

「それにしてもボス。今月の給料、口座見たらまたドカンと増えてましたけど……これ、計算間違いじゃないですよね? ……俺、明日クビになるのか!?」

 

 

分倍河原が、自身のスマートフォンの口座残高画面を難羽に見せながら尋ねた。

彼の目はマスクの奥で驚愕に見開かれている。

 

 

「ああ、それか。計算間違いではない。今月分の危険手当と出張手当を上乗せしておいた」

 

 

難羽は美しい装飾が施された陶器のティーカップを手に取り、優雅にアールグレイの香りを楽しみながら淡々と答えた。

 

 

「君たち幹部と実働部隊である救助隊の面々は、私の手足となって文字通り命懸けで働いている。労働には相応の対価が必要だ……それに、ムゲンバンダイが最近取得したサポートアイテムの特許収入が予想以上に跳ね上がってな。会社の利益を裏金に回しすぎても怪しまれる。使い道に困っていたところだ」

 

 

難羽の表の顔の一つである有名玩具・サポートアイテムメーカー『ムゲンバンダイ』の社長として、莫大な個人資産と裁量権を有している。

その資産は私腹を肥やすためではなく、組織の中核を担う幹部たちの生活保障や、技術開発の資金として惜しみなく投入されていた。

正月には成人しているはずの彼らに「お年玉」という名の分厚いボーナスまで配るほどの、徹底した高待遇である。

 

なお、この大盤振る舞いは超常黎明期を生きた経験による影響もある。

社会が終われば、金はケツを拭く紙にもなりはしないという実体験だ。

 

 

「へへっ、マジで助かるぜ! これでバイクのローンが一括で完済できる! ……金なんて一銭もいらねぇよ!」

 

 

分倍河原が嬉しそうにスマホをポケットにしまい込む。

その横で伊口は、分厚いサンドイッチを口いっぱいに頬張りながら、ひどく羨ましそうな、そして少しだけ悲しそうな目を向けていた。

 

 

「いいなぁ……俺なんて、今月のコンビニのバイト代、店長にシフト削られまくってカツカツですよ。家賃払ったらスッカラカンです」

 

 

伊口はヤモリの異形を持つため、接客業でも裏方に回されることが多く、稼ぎ口が安定していないのだ。

勿論大企業ともなればそういった分かりやすい差別はなくなるのだが、バイトなどだとあまり良い顔をされないのが異形だ。

 

  

「伊口、君は組織の一般組だからな」

 

 

難羽はカップをソーサーに置き、諭すような、しかし冷たいわけではない声で言った。

 

 

「一般組はあくまで私の思想に共感し、自発的に集まっている聴講生のようなものだ。社員として雇っているわけでも、ショッカーの戦闘員として契約しているわけでもない。完全な非合法組織との雇用関係を持たせないことが、君たち一般市民を守るための最低限の防壁でもある……君が今ここで私と茶を飲んでいるのも、あくまで友人の招待という私的な枠組みだ」

 

 

伊口は普段フリーターとして日々の生活費を稼ぎ、休日にショッカーが裏で開催するセミナーや集会に通うただの善良な一般市民だ。

それでも彼がここにいるのは、難羽の思想に誰よりも純粋に救いを見出しているからに他ならない。

 

 

「分かってますよ……金のためにボスについてきてるわけじゃないですから」

 

 

伊口はグラスのコーラを飲み干し、口元を拭って笑った。

 

 

「でも、たまにはこうして奢ってくださいね……ここのサンドイッチ、一個で俺の三日分の食費より高くて、自腹じゃ絶対手が出ないんで」

 

「安心しろ。今日の交通費も飲食代も、すべて私の経費だ……存分に食うといい」

 

 

難羽がふっと口角を上げると、伊口は「やった!」と無邪気に残りのサンドイッチに手を伸ばした。

 

 

 

 

一息ついたところで、伊口がふと思い出したように口を開いた。

 

 

「そういえばボス……さっき、エキスポの会場を見学してて思ったんですけど」

 

「なんだ?」

 

「この島には、個性を自由に使って遊べるアトラクションがいっぱいあるじゃないですか。仮想ヴィラン退治ゲームとか、空を飛ぶ専用のエリアとか」

 

伊口はテラスの向こう、島の中心部にそびえ立つ巨大なタワーを見上げた。

 

 

「あれを真似て、俺たちが今度街中に作る予定の『一般向け施設』にも、あんなド派手なアトラクションを導入しないんですか? ……みんな、ああいう風に思いっきり個性をぶっ放すことを求めてると思うんですけど」

 

 

一般市民の素直な提案。

だが難羽は紅茶を一口飲み、静かに、しかし明確に首を横に振った。

 

 

「……結論から言えば、ノーだ」

 

「えっ、ダメなんですか? 絶対面白そうなのに」

 

「まず前提として、この島のアトラクションは一般市民の娯楽ではない」

 

 

難羽はテーブルを指先で軽くコツンと叩いた。

 

 

「あれはあくまでヒーロー志望の学生やプロヒーローが自身の能力を測定し、スポンサーに展示するためのものだ……あるいは、企業が新製品のテストを行うための研究データ収集の実験場に過ぎない。事実、この島でさえ一般の観光客が許可なくその辺の路上で個性をぶっ放すことは厳しく禁止されている」

 

「あ、ああ、言われてみれば……。俺たちがあのアトラクションやった時も、あらかじめ誓約書みたいな電子パネルにサインさせられましたね」

 

「それにここは海に囲まれた人工島だ。出入り口は空港と港のみ、島全体が巨大な要塞のように徹底的に管理されている」

 

難羽はサングラスの奥の視線を、テラスの横を静かに巡回していく警備ロボットへと向けた。

 

 

「圧倒的なセキュリティシステムと、24時間体制の監視ネットワーク。だからこそ限定的なエリアでの力の解放が許容されているのだ……これをそのまま、雑多で不確定要素の多い日本の街中に持ち込むのは不可能に近いし、リスクが高すぎる」

 

「なるほど……土地も狭いし、万が一事故が起きた時に警備が追いつかないか」

 

「それにだ」

 

  

難羽は言葉を続けた。

その声色が組織のボスから、少しだけ教育者のそれに変わる。

 

 

「私は抑圧された社会に個性を使える環境を作りたいと思っている。だがそれは『無制限な遊び場』を提供したいわけではないのだ」

 

「どういうことだ?」

 

 

それまで黙って聞いていた燈矢が、興味深そうに身を乗り出した。

 

 

「ガス抜きは絶対に必要だ……だが何も考えずに、ただの快楽として強力な個性を使い続けさせれば人間はどうなると思う?」

 

 

難羽は三人の顔を順番に見回した。

 

 

「『慣れ』だ……強大な力を行使することに慣れた人間

は、必ずこう思うようになる」

 

 

『なんで施設の入り口を一歩出ただけで、使っちゃダメなんだ?』

 

『俺は個性を完全に制御できている。だからちょっとコンビニに行く時くらい、空を飛んだり、炎で道を空けさせたりしてもいいはずだ』

 

 

抑制されていたタガが完全に外れ、それが常態化することへの懸念。

 

難羽が目指しているのは、ヒーローという特権階級がいなくても回る「法と秩序ある社会」であり、誰もが力を振り回す無法地帯ではない。

 

 

「あくまで個性によって日常生活に不便や窮屈さを感じている人間に、適度な呼吸をさせるための場所……それが私の目指す娯楽施設のあり方だ」

 

 

難羽の理念を聞き、燈矢は自嘲気味に鼻で笑った。

 

 

「……確かに、一理あるな」

 

 

燈矢は、綺麗になった自身の掌をじっと見つめた。

そこには火傷こそないが、かつて自分を焼き尽くし、家族を壊した炎の記憶が呪いのようにこびりついている。

 

 

「個性の特訓をしてるとよ、自分が強くなったような、世界で一番偉くなったような……変な万能感が出てくるんだよ……『俺ならできる』『もっと燃やせる』ってな。その熱に浮かされて、周りが何も見えなくなっちまう」

 

 

彼の言葉には血を吐くような実感がこもっていた。

その過信と力への執着が自身の体さえも消し炭に変えたのだから。

 

 

「力に酔うってやつか……怖え話だぜ、まったくよ」

 

 

分倍河原もハーフマスクの上からガシガシと頭を掻いた。

 

「俺も、自分を増やしすぎると、どれが本物の自分なのか分からなくなって頭がイカれちまうしな……個性ってやつは使うことに慣れすぎると、それはそれでデカいしっぺ返しが来るもんだ……最高だぜ!」

 

 

彼らは身をもって知っている。

個性がもたらすのは、恩恵や称賛だけではない。

 

一歩間違えれば、破滅や狂気とも隣り合わせの「呪い」であることを。

 

だからこそ、一般市民に安易に制限なく力を振るわせることの危うさを誰よりも深く理解できたのだ。

 

 

「……へぇ。みんな、意外と真面目に考えてるんですね」

 

 

伊口が、サンドイッチを飲み込んで感心したように言う。

 

 

「俺なんて、単に『ド派手なアトラクションがあった方が、お客さんが呼べて楽しそうだからいいじゃん』くらいにしか思ってなかったです」

 

「お前はそれでいい……その無責任とも言える素直な市民目線こそが、私が欲している最も重要な視点だからな」

 

 

難羽は伊口の率直さを肯定し、空になったティーカップをソーサーに置いた。

 

 

「さて、高尚な理念の話はこれくらいにしておこう……伊口、お前さっきから何か言いたげな顔をしているが、何かあるのか?」

 

難羽に水を向けられ、伊口は「あ、いや……」と少し言い淀んだ。

 

 

彼が抱えていたのは、世界を変えるような壮大な理念の話の後に切り出すにはあまりにも生活感に溢れた「ささやかな愚痴」だったのだ。

 

 

 

 

難羽に話を振られ、伊口は「うーん」と少し唸ってから、空になったグラスの氷をストローでつついた。

 

 

「いや、悩みっていうか……ちょっとした愚痴なんですけどね」

 

「聞こう……組織、あるいは会社の業務改善案かもしれん」

 

「いや、そんな大層なもんじゃなくて……」

 

 

伊口はTシャツから覗く自身の腕——緑色の鱗に覆われた皮膚をさすりながら話し始めた。

 

 

「こないだ、俺が住んでるボロアパートの風呂が壊れたじゃないですか。給湯器の故障で」

 

「ああ、そういえば先週の集会で言っていたな。修理業者はまだ来ないのか?」

 

「ええ、古い型なんで部品待ちだそうで。……で、直るまでの間、近所の銭湯に行ったんですよ。……まぁ、たまには広い風呂もいいかなって」

 

 

難羽が相槌を打ちながら真剣に話を聞いている。

ちなみに彼はよくスーパー銭湯に行く。

雄英で話した際にはお爺ちゃんみたいと言われたが。 

 

 

「でも、うっかり自分のシャンプーセットを忘れちゃって……で、しょうがないから番台の売店で買おうとしたんです。小さいボトルに入った一回用のやつ」

 

 

伊口はそこで言葉を切り、心底悲しげに、そして恨めしそうに深いため息をついた。

 

 

「……無いんですよ」

 

「あ?」

 

  

頬杖をついていた燈矢が怪訝そうに眉をひそめた。

 

  

「売ってない銭湯なんてあるか? 備え付けのない古いところなら、絶対売店にあるだろ」

 

「違うんです。普通のシャンプーセットはあるんです。でも……『俺が使える』のが無いんです」

 

「……どういうことだ?」

 

 

難羽が尋ねる。

 

 

「俺、見ての通り異形型じゃないですか……この鱗、普通の人間用の洗浄料だと、油分が取れすぎてお湯から上がった瞬間にバリバリに乾燥して、ひび割れそうになるんです。かといって、保湿力の高いボディソープで代用すると、今度はヌルヌルした成分が鱗の隙間に残って、後から死ぬほど痒くなるし……」

 

  

同じ異形を持つ者でないと絶対に分からない苦労を、彼は切実に訴えていた。

 

 

「俺が普段使ってるのは、爬虫類系異形専用のモイスチャー・スケール・ケアっていう、通販でしか買えないちょっと高いやつなんです……でも、そんなマニアックなもん、普通の銭湯の売店には絶対に置いてないんですよ」

 

「……なるほどな」

 

 

難羽は顎に手を当て、真剣な顔で頷いた。

 

 

「結局、その日はお湯に浸かるだけで我慢しましたけど……上がった後も最悪で、備え付けの百円のドライヤーじゃ風力が弱すぎて、俺の硬い髪の毛が全然乾かなくて……湯冷めして風邪ひくかと思いましたよ」

 

  

伊口の愚痴は一見すればただの日常生活の不満だ。

だが、その根底にある問題は、地味でありながらも極めて深刻だった。

 

この社会のインフラのほとんどは、「大半の人間(ヒューマンタイプ)」の規格に合わせて作られている。

 

異形型の人間は日常の些細な場面——入浴、衣服のサイズ、椅子の形状、ドアの大きさ、果ては市販の薬の成分に至るまで、常に小さな「排除」と「不便」を感じ続けているのだ。

 

事実、雄英に初めて訪れた緑谷は扉のサイズに驚いていた。

それが珍しいものであるが故の反応だ。

 

ヒーローになるわけでもヴィランとして暴れるわけでもない、一般社会でただ普通に暮らす彼は、日々その見えない不便さとひっそり戦っている。

 

 

 

「……俺は人間だ! ……トカゲじゃねぇ!」

 

 

 

伊口が思わず声を荒げた。

社会から向けられる「お前は規格外だ」という無言の圧力への反発だ。

 

  

「ああ、ヤモリだからな」

 

「いや、そうじゃなくて」

 

 

真顔で頷きながら別の点に着目している難羽に困惑する伊口。

その肩を分倍河原が同情するようにポンポンと叩いた。

 

 

「……くだらねぇ悩みだが、まあ、当人にとっちゃ死活問題か」

 

 

燈矢も鼻で笑うようなことはしなかった。

 

彼自身、培養皮膚の移植後のメンテナンスや、自身の炎で爛れた皮膚の痛みで顔が引き攣ることがあった。

自身の身体に合ったケア用品を探す苦労は、痛いほど理解できたからだ。

 

難羽はしばらく沈黙し、その後カツンとテーブルを指で叩く。

 

 

「……伊口。それは非常に有益な意見だ」

 

「え? そうですか? ただの風呂の愚痴ですけど……」

 

「ああ……『個性の解放』とは何もビームを撃ったり空を飛んだりすることだけではない」

 

 

難羽はサングラスの奥の瞳を鋭く光らせた。

 

 

「異形型の人間が誰に気兼ねすることなく、自分の身体の特性に合ったメンテナンスを受け、心身を癒やすこと。……これもまた、立派な『ガス抜き』であり、この社会に絶対的に不足しているインフラだ」

 

 

難羽は空中に指で図面を描くように動かし、次々とアイデアを口に出し始めた。

 

 

「作ろう……異形型対応・総合リラクゼーション施設を」

 

「えっ!? マジっすか!?」

 

「ああ……特殊な皮膚に対応した多種類の薬湯、甲殻の隙間を洗うための高圧洗浄ミスト、剛毛を一瞬で乾かす超大型ドライヤー完備……もちろん、多腕や巨体などの異形にも対応した、規格外に広々とした洗い場を設ける」

 

 

難羽の構想は止まらない。

彼の中の発明家としての血が騒いでいるのだ。

 

 

「シャンプーバーには、鱗用、甲殻用、粘液用、毛皮用……あらゆるタイプの専用アメニティをズラリと揃える。……マッサージコーナーも、ただの人体のツボだけでなく、異形の特殊な骨格や筋肉構造に精通した専門の整体師を雇おう」

 

「す、すげぇ……! それ、絶対流行りますよボス! ていうか俺、毎日通いつめます!」

 

  

伊口が目をキラキラと輝かせる。

それは彼が長年夢見ていた「究極の理想の風呂屋」そのものだった。

 

 

「名前はどうする? 『ショッカーの湯』か? 怪しすぎて誰も来ねェだろ」

 

 

燈矢が呆れたように茶化すが、難羽は至って真面目に答えた。

 

 

「いや、表向きはムゲンバンダイの関連事業とする……万能湯……いや、もっと親しみやすく、かつインパクトのある名前がいい………銭湯………神隠し……ちひろ」

 

「……え?」

 

「『ハイパー銭湯ちひろ』だ。どうだ、伊口」

 

 

伊口は言葉を失った。

 

あの冷徹で世界征服を企む秘密結社の首領が、大真面目な顔で某有名アニメ(ジブリ)のダジャレみたいなネーミングを自信満々に口にしている。

 

突っ込んでいいのか、笑っていいのか分からず、伊口の顔が引きつった。

分倍河原は「ダッセェ!! ……最高にクールだぜ!!」と一人で爆笑している。

 

 

「しかし……」

 

 

難羽は反応など気にも留めず、顎に手を当てて現実的なビジネスの壁に思考を巡らせた。

 

 

「異形型向けの総合施設となると、うちの会社の技術と設備だけでは無理があるな。我々はあくまでサポートアイテムや玩具のメーカーだ。日用品の化学成分には疎い」

 

この事業は確実に莫大な利益を生むブルーオーシャンだ。

しかし、異形種向けの洗浄料やスキンケア製品のノウハウを一から自社で開発していては時間がかかりすぎる。

 

別会社と協力し、ノウハウを共有して動くのが最も合理的だ。

 

 

「……しかし、異形種向け製品のノウハウにおいて、現在国内でトップシェアを誇っているのは……」

 

 

難羽はそこまで思考を進めたところで、ひどく嫌そうな顔をして深いため息をついた。

その企業の名を彼はよく知っている。

 

 

「デトネラット社、か……」

 

 

社長の四ツ橋力也が経営する異形型サポートアイテムの最大手企業。

 

そして同時に、彼らが「異能解放軍」という、ショッカーとは全く相容れない危険な思想を持った裏組織であることを難羽は把握していた。

 

 

(……異形型向けの商品開発の大手が、暗黒メガコーポとは)

 

「どうしたんですかボス?」

 

「いや、なんでもない……伊口、素晴らしいアイデアだった。帰ったら早速事業計画書の作成に入るとしよう。報酬は……施設が出来た際の年間パスにでもするか?」

 

 

難羽は優雅に紅茶を飲み干し、オープンテラスの海風に目を細めた。

 

 

ひとりの青年の「シャンプーがない」という小さな愚痴から始まったこの構想が、やがて裏社会の勢力図を巻き込む巨大なビジネスへと発展していくことをこの時の伊口はまだ知る由もなかった。

 

 

 





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