I・エキスポを楽しんでいた難羽一行。
だが彼らの第一の目的は、難羽がかつてこの島で研究者として活動していた時代に開発し、そのまま隠蔽してきた「ある装備」の回収である。
そんな彼らが歩を進めていたのは、島の中心部にそびえ立つ巨大なメイン研究施設群ではなく、海沿いのリゾートエリアに建つクラシカルな外観の老舗有名ホテルだった。
「……おいボス。研究施設に行かなくていいのかよ? 完全な逆方向だぜ! ……こっちで大正解だな!」
ヤシの木の並木道を歩きながら、分倍河原が首を傾げつつ矛盾したツッコミを入れる。
その隣でポケットに両手を突っ込んだ燈矢も気怠げに同意した。
「全くだ。てっきり、あの馬鹿デカい研究タワーの地下にでも隠してあるのかと思ったぜ。こんな観光客向けのホテルに、あんたの求めるような装備があるとは思えねェが」
彼らの疑問はもっともだった。
島で開発された超高度なサポートアイテムならば、当然、万全のセキュリティが敷かれた研究施設に保管されていると考えるのが普通だ。
だが難羽は海風にコートの裾を揺らしながら、歩みを止めることなく淡々と答えた。
「考えが浅いな、二人とも。……だからこそ、研究施設には置いていないのだ」
難羽は遠くに見える巨大な研究タワーをサングラスの奥で一瞥した。
「あのタワーのセキュリティは、確かに世界最高峰だ。そう、部外者が入れないようにな。私は戸籍上あの施設に所属していない。そんな部外者が、正面から堂々と過去の開発物を引き出しに行けばどうなる?」
「あー……止められるか、怪しまれるわな」
「それに、あそこはスポンサーである企業上層部や特許庁の権力が極めて強い」
難羽は冷く鼻を鳴らした。
「個人的に開発していたものとはいえ、私が突然『行方不明』や『死亡扱い』になった。あの研究所のロッカーに放置されていれば、十中八九、島の運営側に没収・解析されていたはずだ……自分の最高傑作を、他人の手の届く場所に保管しておくほど私は不用意ではない」
「なるほどねぇ……。で、このホテルってわけか」
燈矢が目の前にそびえる豪華なエントランスを見上げた。
セキュリティでガチガチに固められた施設よりも、金の力で完全なプライバシーが確約される超一流ホテルの私室の方が、秘密の隠し場所としては安全。
いかにもこの計算高いボスが考えそうなことだ。
「ようこそおいでくださいました、難羽様」
顔パスに近いVIP待遇でチェックインを済ませ、彼らは最上階の特別フロアへと案内された。
重厚なマホガニーの扉を開けると、そこには目を見張るほど広大で豪華なスイートルームが広がっていた。
「うわぁっ……すっげぇ……! 映画でしか見たことないような部屋だ……!」
一般人である伊口はふかふかの絨毯と、海を一望できる巨大なガラス窓、そしてアンティーク調の高級家具の数々に目を丸くして感嘆の声を上げた。
だが、彼の驚きはそれだけでは終わらなかった。
「伊口。はしゃぐのは構わんが、ここは共有のラウンジだ。君たちの部屋はそれぞれ別にとってある。カードキーを渡しておこう」
「えっ!? このレベルの部屋を、一人一部屋ですか!?」
ムゲンバンダイの社長としての圧倒的な財力を前に、伊口は戦慄すら覚えた。
一泊いくらするのか、想像するだけでも恐ろしい。
旅費はただと聞いていたが、このレベルだと逆に物怖じしそうなくらいである。
「へぇ……大層な部屋じゃねェか」
燈矢はソファーにどかっと腰を下ろし、部屋の奥にある重厚な木製のクローゼットを見やった。
「で? あんたのことだから、この部屋の中身を丸ごと秘密の研究所にでも改造してんだろ?」
冗談めかして笑う燈矢に対し、難羽はフッと口角を上げた。
「あながち間違ってはいないぞ、燈矢」
難羽はそう言うと、部屋の奥にある何の変哲もない巨大なクローゼットの前に立ち、その木製の扉の表面に、素手でペタリと触れた。
ピーッ、という微かな電子音が部屋に響く。
すると、ただの木目だと思われていたクローゼットの表面が難羽の指紋と生体反応を認識したかのように、青白い幾何学模様の光を帯びて発光し始めた。
「おっ……?」
燈矢がソファーから身を乗り出す。
ハンガーが数本かかっているだけの平凡なクローゼットの内部が駆動音と共に奥へとスライドし、複雑な機械構造を露わにしながら変形していく。
「すげぇ……サポートアイテムの圧縮技術の応用か」
燈矢が呟いた通りだった。
折り畳まれ、質量を圧縮するコンデニウムの性質。
それがこのホテルのクローゼットそのものに組み込まれていたのだ。
変形が完了して現れたのは、重厚な金属製の武装格納ケースだった。
プシュウウ……とドライアイスのような冷却ガスが吐き出され、ケースの扉がゆっくりと開く。
そこに鎮座していたのは数十年もの間、一切の劣化なく保管されていた「一組の装甲」だった。
ベースとなるのは、光を吸い込むような漆黒のアンダースーツ。
そしてその上から纏うように配置されているのは、黄金に輝く骨をモチーフとした流線型の装甲。
中央には強烈な威圧感を放つ黄金の
「——これが昔の私。黄金の
難羽がそう宣言した瞬間、ケースの中の髑髏の瞳の奥が主人の帰還を歓迎するかのように、不気味な赤い光を瞬かせた気がした。
それはかつて裏社会を恐怖のどん底に陥れ、15年前に行方不明となった伝説のヒーローが、再びこの世界に顕現した瞬間だった。
「ひゅー! カッケェじゃねぇか! ……趣味悪りぃな!」
分倍河原が興奮したように口笛を吹く。
難羽は黄金のマスクを手に取りながら、彼らに今回の作戦をもう一度説明した。
「今回のI・アイランド訪問の主目的は、このガイツの装備の回収と、復活の演出だ」
先日の保須市でのステイン事件において、難羽は仮面アクターの中身の顔を世間に晒してしまった。
秘密結社の首領として活動を続ける上で、不用意に素顔を知られているのは不都合が多い。
だからこそ、かつて死んだ(行方不明になった)とされている、この黄金の死神の姿を再び世に知らしめる必要がある。
素顔を晒した後に捻り出したのが過去の自分の再利用だった。
なお、やらかしたのは自分だが、難羽は若干面倒だと思っていた。
「元々の計画ではこのエキスポの盛り上がりの最中、分倍河原の個性『二倍』を使って擬似的なヴィランを複数作り出し、この島でちょっとした騒ぎを起こす……そこへこのガイツの姿で私が颯爽と登場し、敵を瞬殺する。そうして、大々的に黄金の死神の復活をメディアにアピールするつもりだった」
自作自演のマッチポンプ。
だがプロパガンダにおいて、これほど効果的な手段はない。
しかし——と、難羽はサングラスの奥の目を細め、声のトーンを落とした。
「その計画だが……少々、懸念事項が発生した」
「懸念? なんだよ、この島は世界一セキュリティが安全なんじゃねぇのかよ? ……誰でもウェルカムだぜ!」
分倍河原が首を傾げる。
その楽観的な言葉に、難羽は呆れたように息を吐いた。
「本当にウェルカムなんだよ……そもそも、世界を裏で牛耳ろうとしている私たちが、正式にとはいえ、やすやすと入り込めている時点でこの島のセキュリティの絶対性など微妙なものだ」
「……あっ。そりゃそうか。ハハハハッ!」
燈矢が腹を抱えて笑い出した。
非合法組織の人間が「ここは安全だ」と信じていること自体が、最大の矛盾にして皮肉である。
だが難羽が警戒しているのは、自分たちのようなコソ泥まがいの侵入者のことではない。
もっと巨大で、破壊的な「純粋な悪意」の介入だ。
「笑い事ではない。……実は先ほど、エキスポの会場で『雄英高校1年A組』の生徒たち……緑谷や爆豪、飯田たちの姿を目撃した」
「A組? あの体育祭で暴れてたガキどもか。それがどうしたんだよ」
燈矢が不思議そうに問う。
「緑谷出久がいるということは……その背後には、彼を招待したであろうオールマイトがこの島に来ている可能性が極めて高いということだ」
その名が出た瞬間、部屋の空気がピンと張り詰めた。
平和の象徴、オールマイト。
ヴィランたちが最も憎み、そして最も殺したがっている男。
難羽の脳裏に、一つの過去の事件の構造が鮮明にフラッシュバックしていた。
(……絶対的なセキュリティによる隔離空間。雄英高校A組の生徒たち。そして、オールマイト)
それは数ヶ月前、難羽が監視していたあの『USJ襲撃事件』と全く同じ条件の羅列だった。
当時、難羽は雄英のシステムに侵入する際にカリキュラムのデータを手に入れていた。
そこで隔離され警備が薄くなるUSJでの授業のタイミングが狙われると思い、準備できていたから仮面アクターとして参戦できた。
しかし今回は奇しくも、あの最悪の密室環境がこの海上の要塞で再び完璧に揃ってしまったのだ。
もし、この強固な防衛システムが外部から乗っ取られれば、島は一瞬にして逃げ場のない巨大な鳥籠へと反転する。
そしてその中で本物のヴィランがオールマイトを襲撃すれば、島全体が地獄の戦場と化すだろう。
USJ事件の際、人質と言えるのは言ってしまえばクラス一つ分であった。
しかし、今回は戦えない一般人が山ほどいるのだ。
いくらオールマイトが強いと言っても、守りきることの出来る範囲には限りがある。
「……私の自作自演などやっている場合ではなくなるかもしれん。ヴィランがこの絶好の機会を狙って襲撃してくる可能性がある」
難羽は装甲を持ってきたコスチュームケースの方へ移動させながら、二人に振り返った。
「燈矢、分倍河原。警戒を怠るな……最悪の場合、我々もこの鳥籠の生存競争に巻き込まれることになるぞ」
難羽の警告に、燈矢はニヤリと好戦的な笑みを浮かべ、分倍河原は「マジかよ、最悪じゃねぇか……最高だぜ!」と頭を抱えた。
難羽は部屋の奥で持ち込んだ荷物の整理を粛々と進めている。
コスチュームケースに移動させたガイツのスーツもチェックしていた。
人体改造によって出力の上がった大人の難羽がそのまま着るには、スーツの強化機能はむしろ邪魔なのだ。
そのスーツの機能をオフにしたり、放置していたことによる劣化はないか確認していた。
そんな彼の後ろ姿を見ながら、この島で戦闘があると言われて少し緊張し手持ち無沙汰になった分倍河原。
彼はケースの底に無造作に放置されているある物を見つけて声を上げた。
「なんだこれ? ボス、すっげぇデカい銃があるぜ! ……ラッパみたいだな!」
分倍河原が両手でよっこいしょと持ち上げたのは、
砲身が大きくラッパ状に開き、鈍い光を放っている。
しかしその重量とサイズ感は、明らかに通常の人間が扱えるような代物ではない。
「このデカブツ、今回は装備しないのか?」
分倍河原が尋ねると、難羽は手を止めることなく淡々と返した。
「置いていけ。それは失敗作だからな」
「使えないのかよ?」
ソファーに座ってその様子を眺めていた燈矢が、興味深そうに口を挟む。
「使えないわけではない」
難羽は装甲のジョイント部分の駆動を確認しながら説明を始めた。
「名前はトランペッター。見ての通り、増強型レベルの力を持った人間専用に設計されている。機構としては実弾の射出と、圧縮空気の射出という二つのモードを備えている。実弾の威力は言わずもがなだが、圧縮空気のモードは弾切れの心配がない。さらに空気の塊を射出するため対象や現場に証拠が残らず、純粋な打撃に近い衝撃を与えられるのが最大の利点だ」
「へえ。なら、兵器としては十分に使えはするんだろ?」
分倍河原の問いに難羽は一つ頷いて、言葉を続けた。
「ただし……当時は明確なアウト判定を喰らってな」
「アウト判定?」
「ああ。私が開発したこの強化スーツまでは審査を通過し、実戦投入が許されたが……このトランペッターに関しては過剰な破壊力と運用上の危険性から、当時の上層部から認可が下りなかった」
最終的なガイツの装備仕様は、出力強化を物々しい外装ではなく、スーツ内部の人工筋肉に行う形に落ち着いた。
そうしないと色々誤魔化せないというのもあった。
AFOの戦闘時には強化サイボーグとなった難羽が強化装甲服を着るという案が使われ初期スーツからかなりの出力向上を実現していたが、それでも勝つことは出来なかった。
「それに伴い、メインウェポンである銃も、このデカブツではなく、実弾を主軸とした大型ハンドガン『シルバーバット』となったわけだ」
「却下されたのに、結局勝手に作ってんのかよ」
燈矢は茶化すように笑った後、ふと疑問を口にした。
「でもよ、その『空気砲』のアイデア自体は悪くねェだろ。そっちの機能は完全にダメになったのか?」
「不採用だ」
難羽のサングラスの奥の瞳が一瞬だけ鋭く細められた。
「かつて戦った敵……オール・フォー・ワンが、空気を押し出すという上位互換の個性を持っていたことが大きな理由だ。中途半端な空気の射出で張り合っても勝ち目はない。加えて、圧縮空気は一発ごとのチャージに時間がかかること、そして何より、状況に応じて特殊弾を使い分ける柔軟な運用ができなくなることから、実戦兵器としては不採用となった」
難羽の言葉には過去の死闘で得たシビアな教訓と、極限の合理主義が刻まれていた。
「ふーん……そう言えば、今ここにあるこのガイツのスーツは、その頃の初期モデルなんだっけか」
分倍河原が、重たいラッパ銃をケースの底に戻しながらポツリとこぼした。
そしてふと思い当たることがあり、彼は難羽の背中からスッと視線を外し、隣の燈矢に向かって声を潜めてこそこそと話し始めた。
「……おい、轟」
「あ?」
「俺たちは、ボスが昔やってたヒーローの姿なんて今日初めて知ったけどよ……あの子は、最初から知ってたよな?」
あの子。
それはムゲンバンダイの社長秘書であり、難羽の身の回りの世話から組織のデータ管理までを完璧にこなすアンドロイドの少女——アットのことだ。
「……確かに」
燈矢は目を細めて頷いた。
難羽解次が死んだ、あるいはヒーローを引退して行方不明になったのは今から15年前の話だ。
ここ数年の間に難羽に拾われた燈矢や分倍河原が、その姿を知るはずもない。
現在ショッカーの幹部の中で最も古株なのは、17年前に難羽に公安から救い出されたレディ・ナガン筒美火伊那である。
だがそのナガンでさえ、酒を飲んだ時にポツリとこぼしていた。
『アタシがボスのところに転がり込んだ時、既にあの小娘はボスの隣にすまし顔で立ってたよ……生意気にも女の顔してボスの世話を焼いてたから、どんなタマかと思って、思い切り殺気当てて威嚇してやったんだけどね』
つまりあの中学三年生か高校一年生くらいにしか見えない可憐なアンドロイドの少女は、少なくとも17年以上前から「今の姿のまま」難羽の傍にいるのだ。
彼女がいつ製造され、どれだけの年月を難羽と共に過ごしてきたのか、幹部の誰も正確なところを知らない。
「それにさ」
分倍河原がさらに声を潜める。
「あの子、組織の中じゃすげぇ特殊な立ち位置にいるよな」
アットはショッカーの幹部ではない。
かといって、伊口のように裏の事情を知りながら自発的に協力している一般組でもない。
彼女はショッカーという組織に所属している存在ではないのだ。
ただ純粋に、難羽輪太郎の隣にいるだけである。
「ボスはあの子のこと出来のいい娘みたいに見てるっぽいけどよ……あの子自身のボスを見る目、時々マジでヤバいよな」
分倍河原の言葉に燈矢はふと、自身の過去の記憶を思い出した。
あれは燈矢が難羽の与えた武器の特訓に明け暮れ、仮想敵として毎日のように難羽をトレーニングルームに呼び出し続けていた頃のことだ。
ある日、地下のトレーニングルームに普段のすました態度とは全く違う、ひどく荒っぽい雰囲気のアットが単身で乗り込んできたのだ。
『——難羽はわたくしのものですわ!! ぶっ殺しますわよ!!』
彼女はそう叫ぶなり、燈矢の顔面に向かって純粋な物理のグーパンを叩き込んできた。
さらに彼女の手にはまるでおもちゃのような、
燈矢は未だに、あれが何の用途の道具だったのか分かっていない。
あの時の彼女の態度はふざけた雰囲気もあるいつものメイド然としたものではなかった。
難羽に付き従うものとしてではなく、彼が自分のものであると言わんばかりの乱暴さ。
そこにあったのは、明確に「難羽輪太郎という男を独占したい」というひどく生々しい欲求だった。
アンドロイドにプログラミングされた忠誠心などというチャチなものではない。
あまりにも人間臭く、狂おしいほどの情念。
だからこそ、燈矢は未だに疑っているのだ。
あいつは本当にただの機械なのかと。
「……あァ。あいつは、怒らせねェ方がいい」
燈矢は深くため息をつき、コーラのグラスを傾けた。
底知れぬ魔王の傍らには、底知れぬ独占欲を持つ少女が寄り添っている。
それが難羽輪太郎という男のパーソナリティなのだと、改めて実感しながら。
「…………」
轟燈矢は記憶の整理をして、あることに気付いた。
地下室に篭り続けるだけではわからなかったことかもしれない。
彼がショッカーに来たのは7年前である。
その当時、難羽は現在の仮面アクターとは違う姿でやって来ていた。
あれも恐らく初期のモデルであり、それから今のデザインに変わっていったのであろうことは分かっている。
しかし。
(今……16歳の身体で、大人の姿になれる)
難羽輪太郎の大人としての姿を、ショッカーに来た時に彼は見ている。
当時、難羽本来の肉体年齢は9歳ほどである。
しかし、大人の姿は一切変わっていないのだ。
それどころか現在は老人の姿になることも出来る。
難羽の特殊な個性のことは聞いている。
しかし、それではあの肉体はなんなのか。
人体改造によってこの身体を得たといっているが、では若い身体が残っているのは何故なのか。
ガイツの存在やこの島で戦闘があることよりも、その謎に燈矢は混乱していた。
一方、その頃。
I・アイランドから遠く離れた日本の地上、ムゲンバンダイ本社の広大な資料室。
「はい、鷹見様。コーヒーをお持ちしましたわ」
「お、サンキュー……うん、この甘さ、最高っすね」
鷹見は書類仕事の合間に差し出されたコーヒーを一口飲み、満足げに息を吐いた。
彼は甘党であり、缶コーヒではマックスコーヒーを好んで飲んでいる。
アットは彼の好みを完璧に把握し、その要求通りのコーヒーを淹れてきてくれたのだ。
だがコーヒーの味は完璧でも、それを淹れてくれたアット自身は、銀色のお盆を胸に抱いたままぷりぷりと露骨に怒っていた。
「……マスターが、あのI・アイランドに赴かれるというのに。なぜ、この私がお留守番ですの。私の方が荷物持ちとしても、護衛としても遥かに有能だというのに……!」
「まぁまぁ、落ち着いてよ」
ホークスは激甘のコーヒーを啜りながら、不満げな彼女を宥めた。
「ボスも言ってたでしょ。今回はあくまで装備の回収だって。あそこにアットちゃんみたいな超絶オーパーツなアンドロイドを連れて行ったら、島の研究者たちが目の色変えて調べに来るかもしれないから、お留守番頼んだんじゃないの?」
「……マスターが私を案じてくださったと? ふふっ、それなら仕方ありませんわね!」
ホークスの適当だが理にかなったフォローに、アットは一瞬で機嫌を直し、花が咲いたような笑顔を浮かべた。
普段アットを雑に扱っているような難羽だが、実際には彼女が傷付く可能性を避けているのを幹部全員が知っていた。
しかし本当に、彼女の感情のメーターは難羽の存在だけで上下している。
ホークスは疲れた脳に染み渡る砂糖の甘さを堪能しながら、ふと、分倍河原たちと同じような疑問を抱いた。
(……そういえば、この子っていつからいるんだ?)
見た目は中学三年生か高校一年生くらい。
肌の質感も表情の変化も人間そのもので、言われなければアンドロイドだとは絶対に気づかない。
ホークスは書類から顔を上げ、何気ない雑談を装って尋ねた。
「そういえばさ、アットちゃん……アンドロイドとはいえ女の子に年齢を聞くのもアレかもしれないけど、いくつなの?」
すると機嫌を直していたアットは、ふいっと顔を背け、少しツンとした態度をとった。
「失礼ですわね、鷹見様。レディに年齢を聞くなんて、野暮の骨頂ですわ……これだから最近の若いヒーローはデリカシーがないとマスターに嘆かれるのです」
「いやいや、ごめんって。別に深い意味はないんだけどさ。ただ、ちょっと気になっただけっすよ」
ホークスが苦笑して謝ると、アットはふんっと可愛らしく鼻を鳴らし、お盆を持って資料室の出口へと向かった。
だが、部屋のドアノブに手をかけて部屋から出る前。
彼女は振り返り、ホークスに向かってひどく誇らしげな顔を見せた。
「仕方ありませんわねぇ……特別に教えて差し上げますわ」
「お、マジで?」
「ええ」
アットはくるりと優雅にターンをして、フリルのついたスカートをふわりと揺らした。
そして、顔の前で可愛らしく人差し指を立てて、パチリと完璧なアイドルスマイルでウインクを決める。
「100から先は覚えていませんわ」
えへへっ、といたずらっぽく笑うと、彼女は鼻歌交じりの軽やかな足取りで資料室を出て行った。
パタン、と静かにドアが閉まる。
「…………」
残されたホークスは持っていた万年筆をポトリと落とし、完全に動きを止めていた。
『100から先は覚えていない』
一般人が聞けば、「100歳以上ってこと? 流石に冗談でしょ」と笑い飛ばすようなセリフだ。
そして裏社会の人間や漫画好きが聞けば、それは凄腕の殺し屋が「自分が手にかけて殺した敵の数」を誇示する時によく使う、古典的なセリフである。
ホークスの頭脳は数秒のフリーズの後、彼女の言葉の真意を正確に理解した。
「……嘘だろ」
ホークスは誰もいなくなった資料室で、冷や汗を流しながら呟いた。
あの中高生にしか見えない、可愛らしいアンドロイドの少女。
彼女が本当に製造から100年以上経っているアンティークだとしたら。
彼女を作った、あるいは彼女を傍に置いている難羽という男は、一体いつの時代から生きているというのか。
「……アットさんって呼んだほうがいいのかな」
難羽という男の深淵。
彼が連れ歩いている、人間臭すぎるアンドロイドの恐ろしい歴史に触れ、No.2ヒーローは震える手で甘いコーヒーを喉に流し込んだ。
書類仕事の果てに見える空は、まだまだ底知れない闇に包まれているようだった。