I・アイランドの華やかな商業エリア。
世界中から集まった観光客が歩き回るメインストリートの一角に、海風を感じられるお洒落なオープンテラスのレストランがあった。
煌びやかなイルミネーションが輝く夜の街並みを眺めながら、分倍河原と轟燈矢、そして伊口の三人は遅めの夕食をとっていた。
数時間前、ホテルで黄金の装備を回収した後、難羽は彼らに夜まで待機とだけ言い残し、単独でどこかへ姿を消してしまったのだ。
「あーあ、ボスはああ言ったけどよ、なんだかんだもう夜だぜ? やっぱり何事も起きないんじゃねえの? ……絶対なんかヤバいこと起きるに決まってるだろ!」
分倍河原は鉄板の上でジュージューと音を立てる分厚い400グラムのステーキを豪快に切り分け、口いっぱいに頬張りながら、いつものように真逆の言葉を同時に叫んだ。
「馬鹿か、お前」
向かいの席で上品に海鮮パスタを巻いていた燈矢が、呆れたように鼻を鳴らした。
「よく周りを見てみろよ。ここに来るまで街中でプロヒーローの姿を一人でも見たか? あの馬鹿デカい塔でエキスポのメインイベントパーティーをやるって大々的に宣伝してたからな。ネームバリューのあるプロヒーローは全員そっちに行っちまってる……つまり、今この外のエリアでまともに警備をやってるヒーローは一人もいねェってことだ」
燈矢の冷徹で的確な分析に隣でサイコロステーキを食べていた伊口がとむせ返り、慌てて水を飲んだ。
「そ、それ、やばくないですか!? もし今、ヴィランが暴れたりしたら……」
「いや、でもよぉ」
分倍河原がステーキを飲み込んで反論しようとする。
「いくらヒーローがいなくても、この島のセキュリティは世界一で万全だって……」
言いかけて、分倍河原の動きがピタリと止まった。
数時間前、ホテルの部屋で難羽が口にしていた言葉が脳裏に蘇ったのだ。
『世界を裏で牛耳ろうとしている私たちが正式にとはいえ、やすやすと入り込めている時点でこの島のセキュリティの絶対性など微妙なものだ』
「……マジで?」
分倍河原の顔から、血の気が引いた。
その直後だった。
『——I・アイランド管理システムがお知らせします。警備システムにより、I・エキスポエリア内に爆発物が仕掛けられたという情報を入手しました。I・アイランドは現時刻をもって、厳重警戒モードに移行します』
街頭の巨大ビジョン、レストラン内のテレビモニター、そして街中に設置された無数のスピーカーから、無機質な合成音声のアナウンスが同時に響き渡った。
「なんだ!?」
「爆発物だって!?」
テラス席の客たちが一斉に立ち上がり、悲鳴とざわめきが波のように広がっていく。
「……ステーキはお預けだな」
燈矢はちょうど最後の一口だったパスタを食べ終わると、口元をナプキンで拭い、荷物を持ってスッと立ち上がった。
分倍河原と伊口はまだ半分以上残っている極上のステーキを恨めしそうに一瞬だけ見つめたが、諦めて燈矢の後に続き、足早に店の外へと飛び出した。
外のメインストリートはパニックに陥った群衆で溢れかえっていた。
だが、事態はただの爆弾騒ぎでは済まなかった。
どこからともなく湧き出してきた無数の警備ロボットたちが、本来守るべきはずの一般客たちの周囲を、まるで羊の群れを柵に追い込むようにジリジリと取り囲み始めていたのだ。
『今から10分後以降にいる外出者は、警告なく身柄を拘束します。速やかに屋内へ退避してください』
ロボットたちから無機質な警告がリピート再生される。
「おいおいおい!! どこに爆弾が仕掛けられてるのかも分からないのに、無理やり建物の中に閉じ込めようとするなんて絶対におかしいだろ!?」
分倍河原が頭を抱えて叫んだ。
爆弾があるなら屋外の開けた場所へ避難させるのが定石だ。
明らかにシステムを掌握した何者かが動いている。
「だから言ったろ……全部、ボスの予想通りだ」
燈矢はニヤリと好戦的な笑みを浮かべ、ポケットから何の変哲もない小さなキーホルダーを取り出した。
「構えろ、分倍河原……いや、トゥワイス。ボスは多分、もう違う場所でド派手に戦い始めてるぜ」
燈矢がキーホルダーのスイッチを押し込むと、圧縮機能が瞬時に解放される。
手のひらサイズの金属塊が、身の丈ほどもある無骨な戦闘用の杖へと変形した。
『警告。無断での武器の展開および移動を確認。直ちに身柄を拘束します』
警告アナウンスを無視して杖を構えた燈矢に対し、最も近くにいた二体の警備ロボットがターゲットを絞り、捕縛用のワイヤーロープを射出してきた。
「邪魔だ、ポンコツ」
燈矢は杖の先端、グリップに触れる。
その瞬間、彼の腕から迸った蒼炎が、杖の先端部のみ恐るべき密度で圧縮・蓄熱される。
超高温の熱源となった青く光る杖の先端で、彼は飛来するワイヤーを空中で正確に焼き切った。
そのままの勢いで踏み込み、ロボットの装甲の隙間、駆動系が集中する関節部の一点に蒼炎を帯びた杖を叩きつける。
たった一撃で内部の回路が完全に破壊され、警備ロボットは爆発を起こして火を噴きながら崩れ落ちた。
杖をくるりと手元で回すと、空中に青い炎の美しい軌跡が描かれる。
自らの体を焼く無駄な面の火力を極力抑え込み、正確無比な杖術と点の超熱量で敵を穿つ。
それが難羽によって洗練された轟燈矢の現在の戦闘スタイルだった。
「あーもう! ふざけんなよマジで!! ……最高に燃えてきたぜ!!」
分倍河原は着ていたジャケットを脱ぎ捨て、懐から取り出した見慣れた黒と白のハーフマスクを頭からすっぽりと被った。
ショッカー幹部トゥワイスの顕現である。
「来いよ、俺たち!!」
彼が両手を前方に突き出すと、手の平からどろりとした泥のような液体が大量に噴き出した。
泥は瞬く間に人間の形を構成し、二つの新たな分身を生み出す。
一体は筋肉が肥大化し、純白のスーツに身を包んだ戦闘特化型の分身——『トゥワイス・ホワイト』。
もう一体は細身でスーツをスマートに着こなし、知的な黒いマスクを被った知性特化型の分身——『トゥワイス・ブラック』。
「オオッ!!」
生み出されたホワイトは凄まじい脚力で地面を蹴り、迫り来る警備ロボットの胴体を素手で掴み上げた。
そのまま自身の怪力だけでプロレス技のようにもう一体のロボットへと力任せに投げつけ、二体まとめて粉砕する。
一方、
失敗作の脆い泥のブロックがロボットたちの足元に大量に発生し、ローラーで移動する彼らを次々とスリップさせて転倒させていく。
「す、すげぇ……!!」
伊口は幹部たちの圧倒的な戦闘力を前に、ただオロオロと立ち尽くすことしかできなかった。
自分には戦う力もない。
足手まといになるだけだ。
そこへ、知性特化の分身であるブラックが鎮圧用ゴム弾を避けるように滑り込み、伊口の背後に回ってその耳元で何かを素早く囁いた。
「えっ……? あ、はい! わ、わかりました!」
伊口はブラックの指示に大きく頷くと、パニックになって逃げ惑う一般客たちに向かって、腹の底から声を張り上げた。
「みなさん、聞いてください!! 悪質なヴィランに、この島の警備システムが乗っ取られたそうです!!」
そのヴィランという強烈なワードが、人々の恐怖と注目を一瞬にして惹きつけた。
「今あそこでロボットと戦ってくれているのは、たまたま居合わせた『休暇中のプロヒーロー』です!! 彼らは、皆さんがここに居ると巻き添えになって全力で戦えません!! お願いです、今は急いで近くの建物の中に戻って、彼らの邪魔をしないようにしてください!!」
ブラックが伊口に行わせたのは群衆誘導だった。
「ヴィランによるシステム乗っ取り」という事実を端的に伝え、異常な状況に納得させる。
そして自分たちの代わりに異常な警備ロボットを破壊している燈矢たちを「頼もしいヒーロー」だと一般人に誤認させる。
その上で、「ヒーローの邪魔をしないため」という最もらしい大義名分を与え、被害が出ないように彼らを安全な屋内へと自発的に避難させるのだ。
(完璧な誘導だ……)
ブラックは自身の策が見事にはまったことを確認し、伊口の背後でマスク越しにニヤリと黒い笑みを浮かべた。
伊口秀一という一般市民が必死に叫ぶからこそ、この嘘は群衆にすんなりと受け入れられたのだ。
所詮は暴力。
たった今破壊行為をしている人間ではこうもすんなりとはいかない。
燈矢とホワイトが、群衆を逃がすための壁となって次々とロボットを破壊していく。
だがシステムの乗っ取りによるロボットの数は尋常ではなく、倒しても倒しても、路地の奥から無限に補充されてくるようだった。
「チッ……キリがねェな」
燈矢が背後に回り込んできたロボットを杖で殴り飛ばそうとした、その時。
燈矢の後ろにいたロボットの胴体に、何処からか飛んできた透明なテープのようなものが幾重にも巻き付き、その動きを完全に封じ込めた。
「なんだ?」
燈矢が驚いて振り返る。
さらに別の場所ではホワイトが拳を振り上げるよりも早く、巨体のロボットが真上にふっ飛び宙を舞っていた。
そのロボットの分厚い装甲には、人間の拳が深々とめり込んだ痛々しい跡が残っている。
「一般人の避難誘導、ありがとうございます!」
「俺たちは雄英高校ヒーロー科の者です! 微力ですが、俺たちも戦います!」
街灯の上からテープを射出しながら飛び降りてきた、さっぱりとした顔立ちの少年。
そして口の周りに砂糖をつけ、異常にパンプアップした筋肉を誇示する大柄な少年。
雄英高校1年A組、瀬呂範太と砂藤力道だった。
彼らもまたエキスポの観光中にこの異常事態に巻き込まれ、プロヒーロー不在の中で戦う決意をしたのだ。
「……はっ」
燈矢は自分たちをプロヒーローだと信じて疑わない彼らの真っ直ぐな瞳を見て、思わず吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
社会を裏から動かす秘密結社と、社会を守ろうとするヒーロー候補生が肩を並べて共闘する。
この歪な社会が生み出した、あまりにも滑稽で、皮肉な構図だった。
「足引っ張るんじゃねェぞ、ヒーローの卵ども!!」
「はいっ!!」
乗っ取られた夜の箱庭で、奇妙な連携戦が幕を開けた。
商業エリアで燈矢や分倍河原たちが陽動と破壊を行っていた頃。
島内の居住エリアおよびホテルが立ち並ぶリゾートエリアでは、事態はさらに深刻な様相を呈していた。
『警告。今から10分後以降の外出者は警告なく身柄を拘束します。直ちに屋内へ退避してください』
無機質なシステムアナウンスが響き渡る中、多くの観光客や研究者たちはパニックに陥りながらも、近くのホテルや商業施設の内部へと逃げ込んでいた。
だが、巨大な人工島においてアナウンスからたった10分以内に、全員が安全な屋内へ避難を完了することなど物理的に不可能である。
道に迷った観光客、逃げ遅れた子供を探す親、足の不自由な老人。
そうした避難指示に従えなかった一般人たちは、無情にも街路に取り残されていた。
「ひっ……!」
「こ、こっちに来ないで……!」
ホテルの堅牢な外壁を背にして、数十人の一般人たちが身を寄せ合い、震えていた。
彼らの周囲を、赤い警戒ランプを点滅させた無数の警備ロボットたちが半円状に隙間なく取り囲んでいる。
ロボットたちのメカニカルな駆動音が夜の静寂に不気味に響く。
彼らはもはや、島の治安を守るガイドロボットではない。
暴徒鎮圧用のスタンガンや捕縛用ワイヤーを構え、一切の感情を持たずに「標的」を見下ろしていた。
逃げ遅れた人々は壁際へとジリジリと追い詰められながら、ようやくこの状況の異常性に気づき始めていた。
これは爆発物から市民を保護するための避難誘導などではない。
システムを乗っ取った何者かが、この島にいる人間を効率よく確保するための冷酷な狩りだ。
「誰か……助けて!」
「ヒーロー……ヒーローはいないのか!?」
絶望に満ちた悲鳴が上がる。
だが皮肉なことに、この島で最も頼りになるはずのネームバリューを持ったプロヒーローたちは、島の中心にそびえ立つセントラルタワーでの華やかなエキスポ・パーティーに招待され、全員がそちらに集結してしまっていた。
さらに、彼らも一般人を人質にされて動けない状態である。
街路の隅で怯える彼らを助けに来るヒーローは、ただの一人も存在しない。
否。
ヒーローは、いなかったわけではない。
誰もが絶望し警備ロボットの一体が容赦なく捕縛用のワイヤーを射出しようとアームを振り上げた、その時だった。
『——フハハハハハハハッ!!』
突如として、システムの無機質なアナウンスを掻き消すような恐るべき高笑いが夜空に響き渡った。
それはマイクを使った放送ではない。
圧倒的な肺活量と、空気を震わせるような深いバリトンボイス。
底知れぬ自信と威圧感を内包したその笑い声は、聞く者の本能に強烈な畏怖を植え付ける、「彼がやってきた」ことを伝える合図だった。
「え……?」
恐怖にすくんでいた人質たちも、プログラムに従って動いていたはずの警備ロボットたちも、その異様な声に一瞬だけ動きを止めた。
直後。
夜空の彼方から、一筋の黄金の流星が超高速で飛来した。
凄まじい衝撃波と共にアスファルトの地面がクレーター状に陥没し、もうもうと土煙が舞い上がる。
巻き起こった突風に人質たちは思わず悲鳴を上げて顔を覆った。
「な、なんだ……!?」
「隕石……!?」
土煙がゆっくりと晴れていく。
そこに広がっていたのは物理法則を無視したかのような、あまりにも非現実的な光景だった。
人質たちを先頭で脅かしていた、全高2メートルを超える分厚い装甲の警備ロボット。
その頑強な鋼鉄のボディが、まるでアルミ缶を踏み潰したかのように、上から下へと縦にひしゃげ、完全にスクラップと化していたのだ。
潰れたロボットの頭頂部には超高速で落下してきた何者かの腕が、容赦なく深々と押し込まれていた。
たった一撃。
純粋な運動エネルギーと絶望的な質量の暴力が、最新鋭の警備マシンを地面と一体化させていた。
『ギ……ガガ……ッ!』
周囲にいた他の警備ロボットたちが一斉にセンサーをその乱入者へと向け、警戒音を鳴らす。
だが、乱入者は周囲の敵意など意に介する様子もなく、潰れたロボットに沈み込んでいた腕をゆっくりと引き抜いた。
夜の闇の中、街灯の光がその姿を照らし出す。
ベースとなっているのは、光を一切反射しない漆黒のアンダースーツ。
その上から、人体の骨格を模したような流線型の黄金の外骨格が、重厚に、そして美しく纏われている。
背中には、彼がまとう漆黒の夜そのものを切り取ったかのような、漆黒のマントが海風に煽られてバサバサと靡いていた。
威厳。
恐怖。
そして、圧倒的なまでの強者の風格。
『警告。所属不明の武装個体を確認。直ちに排除——』
最も近くにいた警備ロボットが乱入者に向けてスタンガンを突き出し、突進した。
だがその機動は、黄金の装甲を纏った男にとっては止まっているに等しかった。
一切の予備動作なく、恐るべき速度で一歩を踏み込んだ。
男が横薙ぎに放った拳が、突進してきたロボットの極厚の胸部装甲をまるで薄い紙を破るように易々と貫通した。
「……ッ!?」
人質たちがその圧倒的な破壊力に言葉を失う。
バチバチと火花を散らし、完全に機能停止したロボット。
男はその残骸から無造作に拳を引き抜いた。
ガコンッ、という重たい金属音と共に装甲が崩れ落ち、ロボットの胸部にぽっかりと巨大な穴が開く。
そして、その破壊された装甲の穴の向こう側——。
男の顔が人質たちの視界に鮮明に映し出された。
そこにあったのは冷酷に赤く光る二つの双眸を備えた、威圧的な黄金の
「あ……あ、あなたは……!?」
人質として囲まれていた群衆の中に、一人の初老の男性がいた。
彼はこのI・アイランドが設立された初期の段階から、第一線の研究者としてこの島で働いてきた古株の技術者だった。
彼はその黄金の髑髏を見た瞬間、恐怖ではなく、信じられないものを見たという驚愕と歓喜で全身を震わせた。
忘れるはずがない。
今から十数年前。
この島の最も優秀な技術者によって極秘裏に開発され、ヒーロー社会の闇を砕くために絶対的な力を振るった、あのオーバーテクノロジーの結晶。
圧倒的な暴力でヴィランを恐怖のどん底に陥れ、そしてある日突然、社会から忽然と姿を消した伝説。
「まさか……生きて、いたのか……!」
初老の研究者は震える指で、漆黒のマントを靡かせるその背中を指差した。
「その昔、この島の技術によって生み出され、日本で活動していた伝説のヒーロー……!」
研究者の呟きは静まり返った夜の街路に、確かな熱を帯びて広がっていった。
周囲の若者や観光客たちは、その名を知らない。
だが、目の前に立つ黄金の背中が決して自分たちを傷つけるヴィランではなく、闇夜の悪意から自分たちを救い出しに来てくれた『ヒーロー』であることだけは、本能で理解できた。
赤い双眸を光らせた黄金の髑髏が、ゆっくりと首を巡らせ、群れをなす警備ロボットたちを見据える。
一切の感情を排したその立ち姿は、まさに死神そのものだった。
「——ガイツ……!!」
研究者の口から絞り出されたその名前は絶望に支配されていた箱庭に、希望という名の楔を打ち込んだ。
かつて、多くのヴィランが震え上がった死神。
個性というギフテッドによって生まれる超人たちとは異なる、技術によって生まれた黄金の暴力。
難羽が子の超人社会に立ち向かうために選んだ、最強を示す輝きの威光。
社会の理不尽を焼き尽くすための復活の儀式が、今、世界的頭脳が集まるこのI・アイランドの夜空の下で、誰よりも劇的に、誰よりも力強く果たされたのだった。