書いてて、何故学生以外が主人公の作品が少ないのかわかりました。
雄英生、全然外に出てこない!(健全)
74話 地獄を先に見た者達
I・アイランドを未曾有のパニックと熱狂の渦に巻き込んだテロ事件から数日後。
黄金の死神が1年A組の生徒たちに絶望を運んでくる、まさにその前日の出来事である。
雄英高校、防音設備の整った厳かな応接室。
そこには重苦しい沈黙が立ち込めていた。
ソファーに腰を下ろしているのは、雄英高校校長である根津、1年A組担任の相澤消太、そして平和の象徴オールマイト(トゥルーフォームの八木俊典)の三人。
彼らの視線の先、対面のソファーには一人の老人が静かに腰掛けていた。
「それで……貴方は、本校のヒーロー科の臨時教師になりたいと」
「はい。次代のヒーローを育成するため、私の残りの人生と知識を捧げたいと考えております」
根津校長の問いかけに対し、老人は低く、しかしよく通る声で淀みなく答えた。
老人は仕立ての良い高級スーツを完璧に着こなしていた。
白髪交じりの髪をオールバックに撫でつけ、顔には深い皺が刻まれている。
しかし老齢であるにも関わらず、その背筋は鋼の棒が入っているかのようにピンと伸びており、スーツの上からでも分かるほど首や腕の筋肉が太く隆起していた。
何より恐ろしいのはその眼光だ。
皺の奥から覗く鋭い銀色の瞳は、まるで天空から獲物を狙う鷹のように、対面する三人の思考を全て見透かしているかのような冷徹な知性を放っていた。
(……あのヒーローの中身が、これかよ)
相澤は手元のホットコーヒーのマグカップを見つめながら、内心で深く、そして呆れたようにぼそりと呟いた。
相澤もI・アイランドでの事件の映像は何度も確認している。
過去の彼に関しての映像もチェックした。
夜空に響き渡る『フハハハハハハ!』という通常のヒーローとは異なる傲慢極まる高笑い。
圧倒的な力でヴィラン達を瞬く間に叩き潰し、マントを翻して高らかに声を上げながら次の獲物を狙う、あの派手でハイテンションな黄金の死神ガイツ。
それに対して、今目の前で紅茶のカップを優雅に傾けているのはまるで英国の歴史ある大学の厳格な名誉教授か、あるいは裏社会を牛耳る老マフィアの首領のような静かで重厚な老紳士なのだ。
とてもではないが、同一人物とは思えない凄絶なギャップだった。
相澤は机の上に置かれた一枚の履歴書に視線を落とした。
記載されている経歴は非の打ち所がないほどに完璧だった。
長年海外の研究機関でサポートアイテムの基礎理論の構築に携わり、ヒーローとしての実戦経験も豊富。
先日、十数年ぶりに日本のヒーローライセンスの更新手続きを正規のルートで完了しており、さらに教員免許に相当する資格まで持ち合わせている。
実績、能力、そして法的な身元確認。
どれを取っても、教育委員会や政府上層部が「ぜひ雄英に」と
だが。
履歴書に書かれた名前。
そして、その顔つき。
つい先日まで雄英高校のサポート科に在籍し、保須市でのヒーロー殺しステイン事件を機に突如として行方不明となった男子生徒——
名字が全く同じであるだけでなく、学生とは思えない人を食ったような冷徹な目つきが、あの不気味な生徒の面影を強烈に想起させるのだ。
どう見ても、全身から怪しさを放っているとしか言えない存在だった。
いや、そもそも似ているなどと探りを入れる以前の問題があった。
「……何か私の顔についているか? 相澤先生」
「……いえ」
相澤はソファーに座る難羽ではなく、その背後——応接室の部屋の隅に、壁際で直立不動のまま控えている「一人の少女」をジト目で睨みつけていた。
フリルのついたメイド服を着た、可憐な少女。
見事な金髪縦ロール。
彼女は難羽の専属秘書として、当然のような顔をしてこの応接室まで付き従い、紅茶のおかわりを淹れるために待機しているのだ。
行方不明になった生徒の傍らに、常に影のように引っ付いていたあのアンドロイドそっくりな存在である。
というか確認したら、そうですわと返答したので同一人物であった。
(……隠す気、ゼロじゃねぇか)
相澤は頭痛を堪えるようにこめかみを揉んだ。
行方不明の生徒の秘書が、なぜかポッと出の老人の後ろに控えている。
これで「私は難羽輪太郎とは何の関係もありません」などと主張されたところで通るはずがない。
雄英の教師陣を馬鹿にしているのか、それとも「分かった上で何もできないだろう」という挑発なのか。
彼女の存在が、難羽解次という男と、難羽輪太郎という生徒が同一の組織に所属している、あるいは同一人物であることを完全に証明してしまっているのだ。
当然、雄英側もただ黙ってこの怪しい老紳士を受け入れたわけではない。
面接の直前。
根津校長は『高齢の方ですので、念のため本校の設備で簡単な健康診断を』という尤もらしい理由をつけ、リカバリーガールの保健室で難羽解次の血液と細胞組織を採取させていた。
目的はただ一つ。
行方不明の生徒の難羽が残していったDNAデータとの照合である。
もし完全に一致していれば、「生徒が何らかの個性で老化、あるいは変装をして雄英に潜入しようとしている」という確たる証拠になり、即座に尋問、場合によっては公安に突き出すことができる。
仮に一部が一致したとしても、難羽輪太郎の親戚であると断定でき、ヴィラン内通者疑惑の糸口として彼を尋問できる。
だが、数十分前にリカバリーガールから根津の端末に送られてきた検査結果は、三人の予想を完全に裏切るものだった。
『DNAの型、完全不一致。親族関係を示す遺伝子の繋がりもゼロ……生物学上、この難羽解次という老人は、難羽輪太郎という少年とは赤の他人だよ』
その報告を見た時、相澤は思わず舌打ちをした。
どういう理屈かは分からない。
だが目の前の老人は、難羽輪太郎と「全く同じ中身」でありながら、生物学的には「全く別の肉体」を持っているのだ。
証拠がない。
法治国家である以上、DNAが別人で、かつ経歴が完璧な政府推薦のヒーローを「生徒と顔と名字が似ていて、同じ秘書を連れているから」という状況証拠だけで拒絶することは、日本トップのヒーロー校であっても極めて困難だった。
「……素晴らしい経歴と、情熱ですね。我が校としても、ガイツ先生のような伝説的な実績を持つ方を特別講師としてお迎えできるのは、大変光栄なことです」
根津校長は動物特有の愛らしい笑顔を顔に貼り付けながら、両手をポンと合わせた。
「採用の手続きを進めさせていただきます……ですが」
根津の黒い瞳の奥が、一切の感情を排した純粋な知力の光を帯びる。
「直近で予定されている、1年生の林間合宿……これについては誠に申し訳ありませんが、ガイツ先生には学校でお留守番をしていただきます」
「……えっ?」
声を上げたのは難羽ではなく、隣に座っていたオールマイトだった。
難羽は、そもそも「生徒たちの戦闘面の強化と、実戦における生存能力の向上」を名目に、特別講師を志望してきたのだ。
であるならば大規模な実戦訓練が行われる林間合宿に彼を同行させないというのは、彼の採用理由と完全に矛盾する。
「お言葉ですが、校長」
難羽は紅茶のカップをソーサーに置き、銀色の目を細めた。
「私の技術と指導は現場でこそ活きるものです。なぜ、私を置いていくのですかな?」
「簡単な理由さ」
根津校長は、全く悪びれることなく嘘で誤魔化した。
「ガイツ先生はまだ雄英に入られたばかりです。特別講師とはいえ、生徒の引率として野外活動に参加していただくには、教育委員会や関係各所への煩雑な申請手続きや、保険の切り替えなどが必要になります……合宿の出発日までにその事務処理がどうしても間に合わないのですよ」
にこやかに笑う校長。
だが、そのテーブルの下で、相澤とオールマイトの背筋には冷たい汗が流れていた。
書類の不備、手続きの遅れ。
表向きの理由としては完璧だ。
政府上層部からの推薦でねじ込まれた特任講師であっても、学校の事務規則という物理的な壁を盾にされれば、無理に押し通すことは難しい。
だが教卓を挟んで座る相澤は、その言葉の裏にある本当の理由を誰よりも深く理解していた。
(……連れて行けるわけがない。この男だけは、絶対に)
相澤はマグカップを持つ手に僅かに力を込めた。
現在、雄英高校の教師陣が極秘裏に抱えている最大の懸念事項。
それは、USJ襲撃事件の際にカリキュラムが漏洩していた事実から導き出された『雄英内部にヴィランへの内通者がいる』という疑惑だ。
そしてその内通者の最有力候補として現在マークされているのが、他でもないサポート科の行方不明生徒——『難羽輪太郎』なのである。
入学直後から異常なまでの技術力を持ち、USJ事件当日には
その少年と全く同じ名字を持ち、同じ顔つきをし、おまけに彼が連れ歩いていたアンドロイドの秘書をそのまま引き継いで堂々と現れたこの老紳士。
DNAが一致しないとはいえ、両者に何らかの強固な繋がりがあることは明白だ。
(今年の1年生の林間合宿はUSJでの反省を踏まえ、ヴィランへの情報漏洩を徹底的に防ぐために、当日の朝まで行き先を伏せる完全秘匿状態で行われる……そんな最重要機密の場所へ、内通者と繋がっている可能性が極めて高いこの男を連れて行くなど自殺行為に等しい)
だからこそ根津校長は笑いながら「お留守番」を命じたのだ。
これ以上生徒たちをヴィランの脅威に晒すわけにはいかない。
雄英の教師としての、そして大人としての、譲れない絶対の防衛線だった。
相澤は張り詰めた空気の中で、ふと隣に座る同僚——オールマイトへちらりと視線を向けた。
自分や校長と同じように、彼もこの不気味な老紳士に対し、さぞ強い警戒心を抱いているだろうと思ったからだ。
だが。
「……ッ、うぅ……」
相澤の視線の先で、オールマイトは信じられないほど気まずそうな顔をしてソファーの上で小さく丸まっていた。
個性を無理に使った後でもないというのに、彼はシャツの上から自分の腹を両手でギュッと押さえ込み、滝のような脂汗をダラダラと流しているではないか。
(どうした、オールマイト? 傷が痛むのか……?)
相澤が怪訝に思うのも無理はない。
だがオールマイトが激しい胃痛に苦しんでいる理由は、過去の古傷などによる物理的なものではなかった。
純粋な精神的ストレスと罪悪感が、彼の胃壁をゴリゴリと削り取っていたのだ。
(あああ……大師匠ぉぉ……ッ!!)
オールマイトは内心で血の涙を流していた。
相澤や根津は知らない。
目の前に座る怪しげな老人が、ヴィランの内通者どころか、かつてオール・フォー・ワンと死闘を繰り広げた先代継承者・志村菜奈の盟友であり、あのグラントリノですら頭が上がらない
少なくともオールマイトにとっては絶対に信頼出来る相手の1人であった。
結果としてオールマイトは今。
自分が誰よりも尊敬し、頭の上がらない大恩人に向かって、まるで「お前はヴィランのスパイだろうから、生徒には近づけるな」と疑って排除しようとする根津校長と相澤の横で、一緒になって『信用できないというアピール』に加担させられているのだ。
(も、申し訳ありません大師匠……! 私には、どうすることも……ッ!!)
大恩人を疑いの目で睨みつけなければならないという、あまりにも心苦しい状況。
正義感と義理堅さの塊であるオールマイトにとって、それはどんなヴィランとの死闘よりも過酷な、胃に穴が開くような地獄の面接だった。
「……なるほど。事務手続き上の問題であれば、致し方ありませんな」
三者三様の重苦しい空気が漂う中。
難羽はあっさりと、拍子抜けするほど静かにそれを受け入れた。
彼は根津校長の『嘘』など、最初から百も承知だった。
自分の存在が雄英からどれほど警戒されているかも、背後にアットを控えさせていることがどれほど露骨な挑発になっているかも理解している。
逆に彼は、学生の時点で接触してこいよと思っていた。
雄英高校の教師はヒーローを兼任している非常に善良な人間ばかりだ。
故に
難羽からすれば、生徒が最も内通者の可能性があると考えていたのだが。
毎年一回、入試という
「分かりました。林間合宿の同行は辞退いたしましょう」
難羽はカップの残りを飲み干し、優雅な所作で立ち上がった。
「その代わり、生徒たちが合宿から帰ってくるまでの間に、彼らをどう育成するか……彼らの思考の転換、個性の応用、サポートアイテムの改良案などについて資料の作成を行っています」
銀色の瞳が最後に相澤と、そして胃を押さえて震えるオールマイトをスッと見据えた。
その視線には、怒りも不満もない。
オールマイトへの視線には若干の罪悪感のようなものが含まれていたが。
ただ純粋に、これから始まる教育に対する冷徹な熱意だけが宿っていた。
「では、本日はこれで……アット」
「はい、難羽様」
背後に控えていた少女が優雅に一礼し、老紳士の後を追って応接室の扉を出て行く。
重厚な扉が閉まり、足音が完全に遠ざかる。
それまで、室内の三人は誰一人として口を開くことができなかった。
「……行きましたね」
根津校長がようやく強張っていた頬の筋肉を緩め、紅茶に口をつける。
「オールマイト、大丈夫か。顔色が最悪だぞ」
相澤が心配そうに声をかけると、オールマイトは「だ、大丈夫です……ただの、胃痙攣でして……」と消え入りそうな声で答えた。
相澤は深く、この日一番の重いため息をついた。
裏のドロドロとした事情は抜きにしても、だ。
(……あの、フハハハハ! ってテンションで暴れ回ってた黄金のヒーローの中身があんな理詰めで隙のない老紳士だなんてな)
I・アイランドの夜空の下を駆けるあの傲慢で派手なヒーローの姿。
そして今、目の前で静かに論理的な会話を交わしていった、冷酷な教授のような姿。
そのあまりにも激しいギャップに相澤は自身の常識が揺らぐのを感じていた。
「……とんでもない劇薬を招き入れちまったかもしれないな」
相澤のその直感は、翌日のホームルームにおいて、黄金の髑髏が教室のドアを蹴り破った瞬間に、最悪の形で実証されることになる。
最強にして最恐の教師が、雄英高校に降り立った日。
それはヒーロー社会の崩壊と再生に向けた、新たな歯車が回り始めた瞬間でもあった。