黄昏時。
株式会社ムゲンバンダイ本社ビルの最上階にある大会議室。
茜色の陽光が差し込むその部屋にはどこか異質な、しかし奇妙な連帯感を帯びた空気が流れていた。
なお、ムゲンバンダイは『楽しい時を繋ぐ企業』がスローガンの有名企業である。
有名ヒーローのコスチュームやサポートアイテムの販売を主としながらも、そんなヒーローを応援する子供たちのなりきりヒーローセットを販売する企業だ。
ホワイトボードには市内の詳細な地図と、行政文書のコピーが乱雑に貼り付けられている。
議題は『一般市民向け個性使用・訓練施設の要件定義』。
「……で、俺が言いたいのは耐久性の話だ。一般開放するなら、半端な壁じゃ意味がねえ」
継ぎ接ぎだらけの皮膚を持つ青年、轟燈矢が気怠げに足を組み、ホワイトボードの図面を顎でしゃくった。
その髪は父親であるエンデヴァーの赤ではなく、母親から受け継いだ純白に染まっている。
窓からの夕日を受け、その白い髪は儚げに透けて見えるが、彼が纏う蒼い炎の熱量は凶暴そのものだ。
「ガキの癇癪ならともかく、抑制の利かねえ個性をぶっ放す場所だろ? 生半可なコンクリじゃ、俺の火力で溶解して終わりだ。……作るなら徹底的にやれ」
「はいはい! 頑丈さは大事! でもメンタルケアも大事だろ! 鏡張りは絶対反対!いや、自分を見つめ直すには鏡が必要だろ!」
全身黒のボディスーツに身を包んだ
「自分の個性が怖い奴だっているんだ! 俺みたいにな! 最高の遊び場にしようぜ!」
窓際でライフルの手入れをしていた女、
彼女は公安の「裏の掃除屋」として手を汚す前に、その道から救い出された過去を持つ。
「設備の強度や内装もだけど、一番の問題は監視。公安は市民が勝手に力をつけるのを極端に嫌う。ここがテロリストの養成所じゃないって証明しつつ、同時に利用者の匿名性は守らなきゃいけない」
筒美はライフルのスコープを磨きながら、警戒心を露わにする。
彼女にとって公安は自分を人殺しの道具にしようとした忌むべき組織であり、今もなお警戒すべき敵だ。
「まあまあ、そこは俺がうまく書類を整えてますって」
大きな紅い翼を背負った青年、
「表向きは次世代サポートアイテムの体験型アトラクション。法的にはグレーゾーンを回避して、あくまで民間企業の私有地内でのレクリエーションとして申請を通す……公安のうるさい目は、俺が上手く逸らしますよ」
ホークスは現在、公安委員会からSHOCKERへ出向という形で移籍している。
表向きの条件は、公安の内部情報を漏らさないこと。
だが、その真意は別にある。
難羽は公安の裏事情など、とうの昔に把握している。
この条件は、ホークス自身がかつて公安のエージェントとして手を汚した事実を封印し、彼を一人のヒーローとして保護するための、難羽による配慮だった。
議論が白熱し、方向性が定まりつつあったその時。
重厚な扉が音もなく開き、室内の空気がふわりと動いた。
4人の視線が一斉に入り口へ集まる。
入室してきたのは、詰襟の学生服を着た14歳の少年——難羽輪太郎だった。
「……社長。お早いお着きで」
燈矢がニヤリと笑う中、火伊那だけは椅子から立ち上がり、少年に向かって恭しく、そして親愛を込めて頭を下げた。
「お待ちしておりました、お爺様」
14歳の少年に向かって放たれた、お爺様という言葉。
だがこの場にいる幹部たちにとって、それは何の違和感もない呼び名だった。
かつて公安の訓練生だった彼女が、最初の任務を命じられた雨の夜。
引き金を引いた彼女の弾丸を受け止め、ターゲットである汚職ヒーローを証拠と共に警察へ突き出し、震える彼女の手を取ったのは当時老人の姿をしていた難羽だったのだ。
難羽は遅れてきたことを詫びるでもなく、当然のように会議室の一番奥、窓を背にした上座へと歩を進め、深く腰を下ろした。
夕日を背負ったその姿は逆光で黒く潰れ、年齢不詳の支配者の風格を漂わせている。
「……報告は聞いている」
難羽は組んだ指の上に顎を乗せ、ホワイトボードの書き込みを一瞥した。
「物理的な強度、精神的な安全性、そして法的な隠れ蓑……火伊那、燈矢、仁、そして啓悟。君たちの懸念と対策は的確だ」
「で、本気なんですか? こんなジムを作って」
燈矢が白髪を掻き上げながら、試すような視線を向ける。
「ガキの遊び場にしては、金もリスクもかかりすぎだ。俺たちが動くなら、もっと効率的な破壊工作や、裏社会の掌握にリソースを割くべきじゃねえのか?」
難羽は燈矢の視線を正面から受け止め、静かに口を開いた。
「……お前らが議論していなかった、施設を作るべき理由を説明しよう」
彼は立ち上がり、ホワイトボードの隅に書かれた『個性=身体機能』というメモを指差した。
「現代の研究者たちは、口を揃えて『個性は身体能力と同じ』だと言う……だが、その言葉の本当の意味を理解している者は少ない」
難羽の声が低くなる。
それは数多の人生を繰り返し、個性のない時代からある時代への変遷を見てきた歴史の証人としての重みだ。
「個性とは生まれながらに備わった本能であり、逃れられない肉体の機能だということだ。使わなければ退化し、ストレスとなり、やがて精神を蝕む」
難羽は、背中の翼を畳んでリラックスしている鷹見に視線を流した。
「例えば、背中に翼を持って生まれた人間に一生空を飛ぶなと言うのは、鳥に歩いて生きろと強要するに等しい……啓悟、それは教育ではなく抑圧だと思わないか?」
鷹見がわずかに眉を動かす。
スナックを持つ手が止まった。
彼は幼少期から公安という鳥籠の中で飼われ、自由に飛ぶことを許されず、ただ速く飛ぶことだけを求められてきた。
難羽の言葉はその古傷に優しく、しかし確実に触れた。
「……社長は、相変わらず痛いところを突きますね」
「この社会には、確実にヒーローになりたいと願う人間がいる。だがその動機を深く掘り下げれば純粋な正義感だけでなく、『自分の個性を堂々と自由に使いたいから』という理由の者が少なからず存在する」
難羽は続ける。
「誰もがヒーロー学校に入れるわけじゃない。ヒーローになれない人間はどうする? 翼があるのに飛べない、火が出せるのに燃やせない……その行き場のないストレスは、どこへ行くと思う?」
難羽はホワイトボードに、二つの矢印を描いた。
一つは上向きの『HERO』へ。
もう一つは、下向きの『VILLAIN』へ。
「もっと簡単に、もっと手っ取り早く個性を使える場所を探すようになる……それが『ヴィラン』だ」
室内が静まり返る。
ここにいる全員が社会の枠組みから外れ、その下向きの矢印を辿りかけた、あるいは辿る寸前だった者たちだ。
「ヴィランの誰もが、生まれながらに邪悪というわけではない。ただ、自分の機能を使いたいという本能が社会の厳格なルールと衝突した結果、生まれながらの悪人というレッテルを貼られたケースがあまりに多い」
難羽は筒美を見た。
彼女もまた、自分の才能を国に利用され、心が壊れる寸前で難羽に拾われた。
もしあの日彼がいなければ、彼女は今頃冷たい監獄の中か、あるいはヴィラン連合の一員にでもなっていただろう。
「ヒーローだけが公然と個性を使えるという今の社会構造は、巨大な圧力釜のようなものだ。出口のない蒸気は溜まり続け、いずれ爆発する……我々が作ろうとしている施設は、そのガス抜きも含んでいるんだ」
「ガス抜き、か……」
筒美が低い声で呟く。
「ああ、お爺様の仰る通りだ。あの雨の夜、私がもし……ただ撃つことを許される場所を知っていたら、あんな泥沼にはまらずに済んだ」
「だろ? 俺も分裂したいだけなんだ! 誰にも迷惑かけずに! ……いや、世界中を俺で埋め尽くしてやる!」
仁が頭を抱えながら、切実な声で同意する。
「合法的に、安全に、自分の本能を解放できる場所。それがあれば路地裏に落ちる人間を減らせる……これは単なるトレーニングジムではない。社会の崩壊を防ぐための安全弁だ」
「さらに」と難羽は振り返り、ホワイトボードに貼られた市内の地図に赤いマーカーでいくつもの「×印」を書き加えていった。
それらは市内の公園、河川敷、そして人目につきにくい廃工場の跡地を示していた。
「……これが何かわかるか?」
難羽が問いかけると、燈矢が地図を睨みながら気怠げに答えた。
「警察の巡回ルートか? それとも、ガキどもがたむろする非行スポットか?」
「半分正解だ。ここは、ヒーロー志望の学生たちがコソ練を行っている場所だ」
難羽は地図を指の背で叩いた。
「毎年この時期になると、多くの学生がヒーロー科の入試に挑む。雄英を筆頭に、多くの学校が実技試験として『個性を使った戦闘や救助』を課しているからだ……だが、ここに致命的な矛盾がある」
難羽は冷ややかな声で続ける。
「彼らには、法的に許可された個性を使える練習場所など存在しない」
「……あー、なるほどね」
スナック菓子をかじりながら、鷹見が苦笑した。
「試験では個性を使えと言われる。でも、試験までの間に街中で個性を使えば違法使用で補導される……真面目な受験生ほど、隠れてコソコソ練習するしかないってわけだ」
「その通りだ。結果として彼らは人目のつかない河川敷や公園の奥で、見よう見まねの訓練を行う……制御も未熟な状態でな」
難羽は一枚の資料——河川敷で起きたボヤ騒ぎや、公園の遊具破損事故のレポート——を会議机に投げ出した。
「結果、事故が起きる。未来ある若者が試験を受ける前に器物破損や傷害で書類送検され、人生を棒に振る……あるいは、隠れて練習することに慣れすぎて、法を犯すことへのハードルが下がっていく。いるだろ? 危険だからすべきでないことを、ばれないから問題ないと言い出す奴は」
「正義の味方になるための試験勉強が、犯罪行為になっちまうってか……傑作だな」
燈矢が自嘲気味に鼻を鳴らす。
「法を守るヒーローを育てるシステムが、入り口の段階で法を破ることを強要している……我々が作ろうとしている施設は、この受験生たちの避難所でもあるということだ」
「だがお爺様、それだけではないだろう?」
ライフルの整備を終えた筒美が、静かに口を開いた。
「公的な事業申請さえ通せば、一般企業でも個性を使った業務は可能だ。建設業や運送業など、有資格者が個性を使っている現場はいくらでもある」
「ああ、その通りだ筒美。だが、そこにも大きな落とし穴がある」
難羽はホワイトボードに『一般人』と『有資格者』という二つの円を描き、その間に深い
「確かに、業務としての個性使用は認められている。……だが、そもそも『個性の正しい使い方』や『安全な制御方法』を、一般人はどこで学ぶんだ?」
室内が静まり返る。
「現状、体系的な個性のトレーニングを受けられるのは、ヒーロー科に入学した学生だけだ。つまり、ヒーロー学校に通った経験がない人間は一生素人のまま、体の中に爆弾を抱えて生きるしかない」
難羽は両手を広げた。
「これは自動車教習所がないのに、F1レーサーにならなければ運転を教えてもらえない世界と同じだ」
「……なるほど、わかりやすい! 何言ってんだ、全然わからん!」
分倍河原が頭を抱えて叫ぶ。
「一般企業だって事故を起こされたら困るから、採用するのは元ヒーロー科や引退したヒーローばかりになる……結果、普通の学校を出た人間はどんなに有用な個性を持っていても、それを磨く場所も、活かす職に就くチャンスもない」
難羽の言葉は、この社会の構造的な欠陥を鋭く抉り出していた。
「個性の使い方は、ヒーローになるためだけに必要なんじゃない。自分の肉体の一部と付き合っていくために、すべての人間が必要とする教養だ……なのに、この国はヒーロー教育にリソースを全振りして、一般人の教育を放棄している」
難羽は窓際に立ち、眼下に広がる街を見下ろした。
無数の光が灯る都市。
その中には自分の力を制御できずに怯える者や、使う場所がなく鬱屈している者が数え切れないほどいるはずだ。
「これがヒーローを前提とした社会の歪みだ。個性=武器としか捉えていないから、管理と規制ばかりが先行し、市民の自立を妨げている」
難羽は振り返り、4人の幹部たちを見渡した。
「我々が作るヘルパーズは、単なる娯楽施設ではない。……この社会に、初めて『一般人のための教習所』を作るという革命だ」
「革命か……」
燈矢の白髪が、空調の風に揺れる。
「ヒーローにならなくても、個性を学んでいい。自分の力を好きになっていい……そう教える場所があれば、ヴィラン予備軍なんて言葉自体が減るだろうな」
「ああ。公安が最も恐れるのは管理できない力だが……逆に言えば、市民が正しく力を制御できるようになれば、公安の過剰な介入も不要になる」
鷹見が真剣な眼差しで頷く。
「お爺様の言った通りだ。……誰もがヒーローになれるわけではない。けれど、誰もが自分の人生の主役にはなれるはずだ」
筒美が優しく微笑んだ。
「決まりだな」
難羽は力強く宣言した。
「この施設は、受験生の矛盾を解消し、一般人に教育の機会を与え、そして社会のガス抜きを行う……国がやらないなら、ショッカーがやる。それが世界征服の第一歩だ」
「了解です、社長! 最高にイカした教習所、作っちまいましょう!」
分倍河原が親指を立てる。
こうしてムゲンバンダイの最上階で、一つの巨大なプロジェクトが動き出した。
それは表向きには「アミューズメント施設の建設」だが、その本質はヒーロー社会という巨大なシステムのバグを修正する、歴史的なパッチの適用であった。