林間合宿、3日目の夜。
マタタビ荘から少し離れた鬱蒼とした森の中では、厳しい特訓を乗り越えた生徒たちへのささやかな「お楽しみ」として、肝試し大会が開催されていた。
ルールは簡単だ。
A組とB組で脅かす側と脅かされる側に分かれ、どちらのクラスが相手からより多くの悲鳴を引き出せたかを競い合うというもの。
暗い森の中に響き渡る生徒たちの悲鳴や笑い声はいかにも夏休みの合宿らしい、平和で賑やかな空気を醸し出していた。
だが、そんな楽しい喧騒から完全に隔離された場所が一つだけあった。
窓のブラインドが下ろされ、蛍光灯が煌々と点く無機質な補習室である。
「……お前ら、手が止まってるぞ。赤点ギリギリだった連中には、肝試しの時間すら惜しいはずだ」
教卓に座るA組担任の相澤が、気怠げな声でハッパをかける。
机に向かい、泣きそうな顔で分厚いテキストと格闘しているのは、期末テストで結果を残せず、無惨にも補習組に回されたA組の面々——上鳴、芦戸、切島、瀬呂、そして砂藤の五人だ。
記述テストの結果よりも、教師陣との戦闘訓練で結果を出せなかったことが補修の原因である。
「あぁ〜……外からみんなの楽しそうな声が聞こえる……俺も脅かしたかった……」
上鳴が鉛筆を転がしながら机に突っ伏す。
「自業自得だ。文句を言う暇があるなら手を動かせ」
相澤が冷たく切り捨てた、その時だった。
「クハハハハハ!! いやぁ、奇遇だねA組の諸君!! まさかこの僕が、君たちと同じ空間で補習を受ける羽目になるとは!」
部屋の隅の席からひどく芝居がかった、そして人を食ったような笑い声が響いた。
B組の生徒、物間寧人である。
彼はA組を嘲笑うという目的のためだけに、わざわざ自分の席を彼らの近くに移動させていた。
「A組は優秀だと聞いていたけれど、まさか5人も赤点予備軍がいるなんて! しかもよりによって僕と同じ部屋で……痛ッ!?」
物間の頭をB組担任のブラドキングの巨大な拳が軽く小突いた。
「物間。お前も補習組だということを忘れるな。静かに課題をやれ」
「ぐぬぬ……」
物間が渋々テキストに視線を戻した直後。
相澤の背筋に、微かな悪寒が走った。
長年プロヒーローとして死線を潜り抜けてきた直感が、周囲の空気が一変したことを告げていた。
『……皆、聞こえる!? プッシーキャッツの、マンダレイよ!』
突如として、補習室にいる全員の脳内に直接声が響き渡った。
マンダレイの個性テレパス。
指定した複数の人間に、一方的にメッセージを送信できる強力な通信能力だ。
だが、その声のトーンはいつもの溌剌としたものではなく、極度の緊張と焦燥に満ちていた。
『落ち着いて聞いて! 今、森の中でヴィラン一人と遭遇したわ! そのヴィランの様子や規模からして、単独犯じゃない! 複数のヴィランがこの合宿所を標的にして攻めてきている可能性がある!』
「ヴィラン……だと!?」
ブラドキングが立ち上がり、補習組の生徒たちも顔を見合わせて息を呑む。
『動ける生徒は、すぐに施設へ移動して! 敵と遭遇しても、絶対に交戦しないで! 撤退のみを行って、先生たちと合流するのよ!!』
通信が一方的に切れる。
「……ブラド。ここは任せた」
相澤はすぐさま立ち上がり、自身の首元に巻かれた捕縛布を手に取った。
「相澤、お前は!?」
「俺は外へ向かい、逃げ遅れた生徒の保護と、敵の迎撃を行う。……ここの防衛はお前が頼りだ」
「分かった。任せておけ!」
相澤は補習室の扉を開け、廊下を小走りで玄関へと向かった。
その脳裏には、数秒の間に無数の疑問と最悪の推測が渦巻いていた。
(……ヴィランの強襲。行き先を完全に秘匿していたはずのこの場所に、どうやって連中は辿り着いた?)
真っ先に浮かぶのは、内通者疑惑の最有力候補——難羽の存在だ。
だが、もし難羽がヴィラン連合と繋がっていて、この場所の情報を売ったのだとしたら。
なぜ彼は自分が送ったとわかる秘書を、わざわざ襲撃の標的となるこの合宿所に送り込んでいたのだ?
(アットという存在を送っている時点で、奇襲を仕掛けるつもりはなかったということか? それとも、今回の襲撃は難羽とは全く無関係の、別口のヴィラン組織による犯行なのか?)
あるいは。
(難羽は、別のヴィラン組織がここを襲撃することを事前に予期していて……生徒たち、あるいは彼自身の利益を守るための護衛として、あの規格外のアンドロイドを先回りさせていたのか……? しかし、奴は戦うつもりはないと言っていた……)
点と点が繋がらない。
だが、確かなことは一つだけだ。
今この瞬間、生徒たちの命が致命的な危険に晒されているということ。
「……ッ!」
相澤がマタタビ荘の玄関のドアを蹴り開け、外の広場へと飛び出した、その瞬間だった。
「……はぁ、はぁ……」
相澤はマタタビ荘の前庭で、ピタリと足を止めた。
暗闇の中、玄関の灯りに照らされた広場の中央に一人の男が立っていたからだ。
両腕にガントレットをつけ、顔には奇怪な虫のキメラマスクを付けた男。
忘れもしない。
USJ襲撃事件の際、ヴィラン連合を率いていたリーダー。
チンピラのようなヴィランを連れて来たにしては冷静な奴の攻撃にはあの時対応出来なかった。
「……死柄木、弔」
相澤が低く名を呼ぶと、男はビクッと肩を震わせ、ゆっくりと振り返った。
だが。
その死柄木の様子は相澤がUSJで対峙した時のような、ヴィランの首領のそれとは全く異なっていた。
「あ……ああ……」
死柄木の顔はマスクをしていて分からないが、どこか虚空を彷徨うように見つめている。
その両腕は自身の首を掻きむしり、全身が小刻みにガタガタと震えていた。
「なぁ……新しいヒーローが、雄英に来たんだろ……?」
死柄木は相澤に向かってではなく、自分の内なる恐怖に向かってブツブツと呟き始めた。
「テレビで見た……あの姿……間違いない……ガイツっていう、ヒーロー……」
その名を聞いた瞬間、相澤の心臓が大きく跳ねた。
なぜヴィラン連合のリーダーが、つい先日I・アイランドに現れ、そして雄英の臨時講師となったガイツの名前を、これほどまでに怯えた声で口にするのか。
「……爺ちゃん……難波、爺ちゃん……」
死柄木の口からこぼれたその呼称に、相澤は己の耳を疑った。
「難羽、爺ちゃん……俺を、殺しに来たのか……? 約束を、守れなかったから……俺が、壊しちゃいけないものを壊す、悪い奴だから……?」
死柄木はマスクを外して放り投げた。
マスクの下にあったのは狂気に染まった目と白く長い髪だ。
彼はまるで親に見捨てられた幼い子供のように、ボロボロと涙を流しながら虚空に縋り付こうとしていた。
「いやだ……爺ちゃんはそんなことしない……俺を、見捨てたりしない……!」
(どういうことだ……!? こいつはあの難羽と過去に面識があるのか!?)
相澤の脳内でバラバラだったピースが、最悪の形で繋がりそうになっていた。
過去、USJ襲撃のリーダーである死柄木を保護し、あるいは育てた人間が、難羽解次だとしたら。
難羽がヴィラン連合を裏で操っている真の黒幕だったとしたら。
いや、だが死柄木のこの怯えようは異常だ。
彼はガイツの存在を知って、完全に錯乱状態に陥っている。
それは単純な恐怖による支配に怯えるものではない。
迷子になった子供のような喪失の恐怖だ。
「……おい、死柄木。お前とあのジジイはどういう関係だ」
相澤は捕縛布を構えたまま、慎重に死柄木に問いかけた。
だが、死柄木の耳にはもう相澤の声は届いていなかった。
「教えてくれよ……!」
死柄木は首を掻きむしっていた手をダラリと下げ、ゆっくりと、ふらつくような足取りで相澤の方へと歩み寄ってきた。
殺意や敵意をぶつけてくるのではない。
ただ、答えを求めて縋り付くように。
「爺ちゃんは……俺の敵になったのか……!? なぁ、雄英の教師なら知ってるだろ!!」
「……ッ、来るな!!」
相澤は、死柄木の崩壊の個性の恐ろしさを知っている。触れられれば一瞬で肉体が崩れ去る。
不用意に近づくわけにはいかない。
相澤は大きく後退しながら、マタタビ荘の玄関に向かって声を張り上げた。
「ブラド!! 出てこい!! 本星が玄関前にいる!!」
「なんだと!?」
ドンッと凄まじい音を立てて玄関の扉が開き、巨躯のブラドキングが飛び出してきた。
「相澤、無事か! こいつがUSJの……!」
ブラドの登場に死柄木の視線がブレる。
「……邪魔だ。俺は、答えを知りたいだけなのに……」
死柄木の目から怯えの色がスッと消え、代わりに剥き出しの狂気と苛立ちが顔を出した。
混乱の極致にあった彼の感情が、目の前に立ち塞がる
「なぁ、教えてくれよォォォォッ!!」
死柄木は血まみれになった拳を強く握り締め、奇声を上げながら相澤とブラドキングに向かって一直線に襲いかかってきた。
その手首からは全てを塵に変える崩壊の力が、黒い靄のように漏れ出している。
「ブラド、触らせるな!! 俺が個性を消す!!」
「承知だ!!
相澤の目が赤く光り、死柄木の個性を封殺する。
同時にブラドキングが自身の腕から放出した血液を硬化させ、死柄木を拘束しようと動く。
林間合宿の拠点前でプロヒーロー二人と、錯乱したヴィランのリーダーによる死闘の幕が切って落とされた。
相澤とブラドキングがマタタビ荘の前庭で錯乱した死柄木と対峙していた頃。
肝試しが行われていた広大な森の各所では、恐るべき奇襲が同時多発的に幕を開けていた。
「な、なんだこれ……!? 煙……!?」
「ゲホッ、ゴホッ! 息が、できない……ッ!!」
暗い森の中を歩いていたB組の生徒たちや、A組の八百万、耳郎たちの周囲に、突如として紫がかった不気味なガスが立ち込めた。
ただの煙幕ではない。
吸い込めば意識を刈り取られ、最悪の場合は死に至る毒の霧だ。
「吸うな! 毒ガスだ!! 息を止めて風上に走れ!!」
B組の鉄哲徹鐵が叫ぶが、広範囲に散布されたガスは逃げ場を塞ぐように森全体を覆い尽くそうとしていた。
そのガスの発生源である森の奥深く。
ガスマスクを被り、学ランを着た小柄な少年——マスタードが、持参した拳銃を弄りながら冷笑を浮かべていた。
「……雄英生だからって、なんだっていうんだ。学歴だけの平和ボケした馬鹿ばっか」
彼はヒーロー社会のエリートたちに対する強い劣等感とルサンチマンを抱えていた。
自身の個性によって発生させたガスの流れを感知することで、パニックに陥る生徒たちの動きを正確に把握しながら、彼は静かに、確実に獲物を仕留めるタイミングを図っていた。
一方、別のルートを進んでいた爆豪と轟の前にも、異様な狂気が立ち塞がっていた。
突如二人の真横にあった巨大な大木が、まるで鋭利な刃物で一刀両断されたかのように斜めに切断され、轟音を立てて倒れ込んだ。
「なんだァ!?」
爆豪が即座に掌を構え、轟が氷結の準備をする。
「あァ……肉……いい肉……!」
暗闇の奥から、黒い拘束服に身を包んだ異形の男が姿を現した。
男の口からは異常な長さに伸びた無数の歯が鋭い刃の連なりのように伸び、うねり、木々を切り刻んでいた。
死刑囚にして、肉の切断と捕食に異常な執着を持つ快楽殺人鬼——ムーンフィッシュである。
「綺麗な、肉……断面、見たいなぁ……!」
「チッ、気持ち悪ィ野郎だ……!」
爆豪の手のひらで爆破の光が瞬き、轟の右腕から冷気が立ち上る。
暗闇の森で狂気と才能が激突する死闘が始まろうとしていた。
「キャアアアアッ!!」
また別の場所では、麗日と蛙吹の二人が木々の間を縫うように飛び回る影に翻弄されていた。
「お茶子ちゃん!?」
蛙吹が腕から血を流す麗日に駆け寄る。
「私、トガ! トガヒミコっていうの! ねぇ、あなたたち、とっても可愛いねぇ!」
木の上から軽やかに飛び降りてきたのは、セーラー服の上にブカブカのカーディガンを羽織った、一見すると普通の女子高生のような少女だった。
だがその手には禍々しい注射器のようなナイフが握られ、彼女の頬は興奮で赤く染まり、瞳は歪んだ愛と狂気に満ちていた。
「血を流してる子って、すっごく可愛くて、綺麗だよねぇ……! だからね、私も、あなたのこと……もっともっと、チュウチュウしたいの!!」
トガは恋愛の話でもするかのような満面の笑みで、麗日の首元へと鋭いナイフを振り下ろした。
「……ッ!!」
麗日は間一髪で回避するが、トガの動きは恐ろしく俊敏で、全く隙がない。
そんな地上のパニックの中。
森の遥か上空、木の枝から木の枝へとスマートに飛び移りながら見下ろしている男がいた。
シルクハットにトレンチコート、そして顔を隠す不気味なマスク。
「おや、あちらもこちらも大盛り上がりだ……だが、俺たちの今夜のターゲットはあと1人」
奇術師を名乗るヴィラン、Mr.コンプレスである。
彼は今回の襲撃の目的である生徒の拉致を果たすべく、空から獲物の品定めを行っていた。
「さあ、見事なマジックで、舞台の主役を頂くとしようか」
コンプレスは爆豪と轟が交戦しているエリアへと向かって、闇夜を滑空していった。
森の入り口付近の開けた場所。
生徒たちの避難誘導を行おうとしていたプッシーキャッツのマンダレイと虎の前に、巨大な磁石の柱を持った大柄な男が立ち塞がっていた。
ヴィラン連合開闢行動隊の一員、凶悪犯罪者マグネである。
「アタシたちの邪魔をしないでくれるかしら? 今、お仲間たちが狩りを楽しんでる最中なのよ」
筋骨隆々の巨体にサングラス。
そして女言葉で話すマグネは、巨大な磁石を軽々と肩に担ぎながら不敵に笑った。
「ヴィラン連合か……! 目的は何だ!」
虎が低く構え、マンダレイが戦闘態勢をとる。
「教えるわけないじゃない。それに、そっちのアンタの
マグネの個性『磁力』は、周囲の人間に強力な磁極(N極とS極)を付与し、強制的に反発・吸引させる。
自身から半径4〜5メートル以内限定だが、故に近接戦で無類の強さを誇る。
「行くわよッ!!」
マグネが巨大な磁石を振り回し、猛烈な勢いで虎へと突進する。
「オオッ!!」
虎もまた、自慢の剛腕でそれを迎え撃つ。
そしてマグネの強烈な一撃を軟体動物のように躱し、懐に潜り込んで強烈なカウンターを叩き込もうとする。
だがマグネもまた、裏社会で生き抜いてきた百戦錬磨の猛者だ。
磁力によるトリッキーな移動と、見た目にそぐわぬ体術で虎と互角に渡り合う。
「マンダレイ! ここは俺が引き受ける! お前は生徒たちのサポートと、情報の共有を!」
「分かったわ、虎! 気をつけて!」
マンダレイは後方に下がり、再びテレパスで全生徒への指示と、現在の敵の情報を送り続けた。
そして。
合宿所のパニックの中心から少し離れた、崖の中腹にある洸汰の秘密基地。
洸汰は遠くの森から立ち上る奇妙な色の煙を震える目で見下ろしていた。
「煙? ……火事か何か!?」
何かが起きている。
それも取り返しのつかない、恐ろしい事件が。
「おや、こんな所に子供が一人……はぐれちまったのか?」
背後からひどく野太く、そして血の匂いがする声が響いた。
洸汰が振り返ると、洞穴の入り口を塞ぐように一人の巨大な男が立っていた。
黒いタンクトップ。
左目には義眼。
そして凶暴なニヤついた笑みを浮かべる姿。
洸汰の心臓が恐怖で凍りついた。
忘れるはずがない。
あの日、自分の両親を惨殺し、洸汰から全てを奪い去った仇敵。
殺戮を楽しむだけの狂人——マスキュラーだった。
「いい帽子被ってんな……俺のもってるダサェマスクと交換してくれよ」
マスキュラーは残忍な笑みを浮かべ、筋繊維を異常増殖させた巨大な腕を振り上げた。
「悪いが、俺は血が見てぇんだ。ガキだろうが関係ねェ……死ねや」
圧倒的な暴力が無力な洸汰へと振り下ろされようとした、その瞬間。
「——洸汰くんから、離れろォォォォッ!!」
フルカウルの緑色の稲妻を全身に纏わせた緑谷が、崖の下から凄まじい跳躍で飛び込んできた。
緑谷の強烈なスマッシュがマスキュラーの腕を弾き飛ばし、洸汰の前に立ち塞がる。
「……お前、なんで……」
洸汰は震える声でその背中を見上げた。
昨夜、自分があれほど酷い言葉で拒絶し追い返した相手。
それなのに彼は自分の命の危険を顧みず、一直線にここまで助けに来てくれた。
「遅くなってごめん、洸汰くん」
緑谷は左腕の腕時計に触れながら、強大な殺気を放つマスキュラーを真っ直ぐに睨みつけた。
腕時計が解けていき、円盾とガントレットが形成されていく。
「……僕が必ず
理不尽な暴力を前に、少年はヒーローとしての覚悟を固めた。
狂気の開闢行動隊と生徒たちとの血みどろの死闘が、ここに全面的な開戦を迎えたのだった。
ちなみに期末テストで緑谷と爆豪は喧嘩しませんでしたが、オールマイトと戦えるチャンスは今しかないとテストを無視して2人で突っ込んだので赤点になるとこでした。
現在句点ごとに改行していますが、通常の文章の書き方に直したほうがいいですか?
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段落を使った普通の文章のほうが良い
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今の文章の方が良い