バグのヒーローアルカディア   作:胡麻蝉あぶら

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79話 闇に呑まれる者

 

 

林間合宿の拠点であるマタタビ荘前の広場は、突如として阿鼻叫喚の戦場と化していた。

 

 

「大人しくアタシたちに道を譲りなさいな!!」

 

 

ヴィラン連合開闢行動隊の一員、マグネが野太い声とオネエ言葉を混じらせながら、自身の身の丈ほどもある巨大な鈍器を豪快に振り回す。

 

その鈍器は巨大な磁石の柱であると同時に、打撃の威力を底上げする凶悪な質量兵器であった。

空気を切り裂く重低音が響き、横薙ぎに一閃する。

 

 

「くっ……!」

 

 

プッシーキャッツのマンダレイは猫のようにしなやかな身のこなしで後方へと跳び退き、間一髪でその一撃を躱した。

 

彼女の個性テレパスは、広範囲の索敵や味方への情報伝達においては無類の強さを誇るが、直接的な戦闘力や身体強化をもたらすものではない。

そのため、この筋骨隆々で凶悪な質量を振り回すマグネとの直接対決において、彼女の役割は必然的に相棒のフォローへと回ることになる。

 

 

「虎! 右下から来るわ!」

 

 

マンダレイは自身の動体視力でマグネの予備動作を読み取り、背後で構える巨漢の相棒に向かって叫んだ。

 

 

「承知!!」

 

 

マンダレイの声に呼応し、プッシーキャッツの肉体派、虎が猛然と前へ出る。

 

 

「フッ!!」

 

 

虎は個性『軟体』による人間離れした関節の柔軟性で、下段から振り上げられたマグネの鈍器の軌道をヌルリと躱し、そのまま懐へと潜り込んだ。

 

鍛え上げられた分厚い大胸筋と、武闘家としての鋭い踏み込み。

放たれた強烈な正拳突きが、マグネの胴体を正確に捉えようとする。

 

 

「甘いわね、猫ちゃん!!」

 

 

だがマグネもまた、裏社会の泥沼を生き抜いてきた百戦錬磨のストリートファイターだ。

彼女は鈍器を振り切った反動をそのまま利用し、空いた強靭な脚を跳ね上げ、迫り来る虎の腹部へと強烈な前蹴りを叩き込んだ。

 

 

「ガハッ……!」

 

 

巨体の虎が、その一撃の重さにたまらず後方へと数メートル突き飛ばされ、土煙を上げる。

 

 

「虎!!」

 

 

マンダレイが悲痛な声を上げる。

 

 

「隙ありッ!!」

 

 

マグネは不敵に笑い、突き飛ばされて空中に浮いた状態の虎に向かって、自身の個性を全開で発動させた。

 

目に見えない強烈な磁場の力が虎の肉体を捉え、マグネの持つ巨大な鈍器の方へと凄まじい速度で引かれ始めた。

 

 

(……来る!)

 

 

だが、虎の顔に焦りはなかった。

 

ヴィランの個性が磁力であることは、ここまでの短い攻防で既に把握している。

相手が自身を強制的に引き寄せて攻撃してくるのであれば、その引き寄せられる勢いそのものを利用すればいい。

 

 

(敵の懐に飛び込む絶好の機会……! 力に逆らわず、この加速を利用して渾身の一撃を叩き込む!!)

 

 

空中で体勢を立て直した虎は、引き寄せられながらも両腕に限界まで力を込め、マグネの顔面を粉砕するための完璧なカウンターの構えをとった。

 

相手が鈍器を振りかぶる隙に、こちらの拳が先に届く。その確信が虎の武闘家としての直感にあった。

 

 

 

 

 

しかし。

 

 

 

 

 

そんな虎の覚悟と戦術をあざ笑うかのように、マグネの口元が三日月の形に歪んだ。

 

 

「……だから、甘いって言ってんのよ」

 

 

マグネがニヤリと笑った次の瞬間。

 

 

「……なッ!?」

 

 

虎の目が見開かれた。

自分を猛烈な速度でマグネの元へと引っ張っていた磁力の引き寄せが、突如として弱まったのだ。

 

マグネは虎を引き寄せる個性を、途中で意図的に解除したのである。

 

武術において、最も恐ろしいのは威力の高さではない。

タイミングをずらされることだ。

 

カウンターを放つために筋肉を硬直させ、激突の瞬間に意識を集中させていた虎の身体は、空中で急に引力を失ったことで完全にバランスを崩した。

 

 

「しまっ……!」

 

 

行き場を失った虎の巨体はマグネの懐に届くよりも手前で、まるで糸の切れた操り人形のように重力に従って落下し不格好に地面を滑っていった。

 

完璧に計算されていた虎のカウンターのタイミングと体勢は、この一瞬の個性のオンオフによって無惨にも破綻させられたのだ。

 

 

「フフッ、アタシの磁力は押して引くだけじゃないのよ? 恋の駆け引きと一緒……引くと見せかけてフッと力を抜くのが、一番相手を狂わせるのさ!」

 

 

地面に墜落し、無防備な背中を晒してしまった虎の頭上にマグネの巨大な影が落ちる。

彼女は磁石型の巨大な鈍器を両手で高く振り上げ、狂気と愉悦に満ちた声を張り上げた。

 

 

引力微弱(いんりょくびじゃく)……色恋営打(いろこいえいだ)ァッ!!!」

 

 

容赦のない質量が虎の分厚い背中へと無慈悲に振り下ろされた。

地面がクレーター状に陥没し、凄まじい土煙が舞い上がる。

 

虎の口から血の混じった悲鳴が吐き出された。

 

どれほど鍛え抜かれた肉体であっても、まともに受ければ内臓が破裂しかねない致命的な一撃。

マグネの個性の真髄は磁力そのものの破壊力ではなく、こうして相手のタイミングを完全に支配し、自慢の凶器を確実に叩き込むための極悪な連携にあった。

 

 

「虎ァァァッ!!」

 

 

マンダレイが絶叫し、相棒を助けようと飛び出そうとする。

 

 

「アンタは後回しよ、先にこっちのデカブツを確実に仕留めるわ……!」

 

 

マグネは地面に這いつくばって呻く虎の頭を完全に砕くため、再び鈍器を高く振り上げた。

血に飢えたヴィランの瞳が、虎の命を刈り取ろうと細められる。

 

マンダレイの足が間に合わない。

虎の意識が遠のく。

巨大な鈍器が死の宣告と共に振り下ろされようとした、まさにその刹那だった。

 

 

 

 

突如として、広場の暗闇を切り裂くように緑色の稲妻が閃いた。

 

 

 

 

それは森の奥から一直線に地を蹴り、木々を蹴り、凄まじい速度で飛来した一筋の流星。

 

 

「……ッ!?」

 

 

マグネがその異常な気配に気づき、視線を横に向けた時には、もう遅かった。

 

 

 

「スマァァァァァァッシュ!!!」

 

 

 

怒号と共に空を裂いて飛び込んできた小柄な影が、マグネの振り下ろした巨大な鈍器の側面に強烈な蹴りを叩き込んだ。

全身の身体能力を極限まで引き上げた乱入撃である。

 

 

「なッ……重ッ!?」

 

 

マグネの両腕に強烈な痺れが走る。

彼女が全体重を乗せて振り下ろしたはずの巨大な質量が、たった一人の少年の推進力によって弾き飛ばされ、その軌道を大きく逸らされたのだ。

 

鈍器は虎の頭を掠め、すぐ横の地面を深く抉り取った。

 

 

「君……」

 

 

土煙が晴れた先。

地面に両足で着地し息を荒げながらマグネを睨みつけていたのは、ボロボロに傷つき右腕を赤黒く腫れ上がらせた緑谷だった。

左腕はガントレットと盾で隠れているが、中で大きく腫れ上がっている。

彼の姿は先ほどまでマスキュラーという絶望的な暴力と死闘を繰り広げてきた証として、血と泥に塗れていた。だがその瞳に宿る光だけは、決して消えることのないヒーローのそれだった。

 

 

「クッ……! よくもアタシの獲物を!」

 

 

マグネが巨大な鈍器を引き抜き、忌々しげに舌打ちをする。

 

だが、緑谷はマグネに構うことなく、背後のマンダレイに向かって喉が裂けんばかりの声を張り上げた。

 

 

「マンダレイさん!! 洸汰くんは無事です!! 施設の方に届けました!!」

 

「……洸汰ッ!」

 

 

その報告を聞いた瞬間、マンダレイの顔に浮かんでいた絶望の色が希望へと変わった。

 

最も心配していた甥の安全が確認された。

その事実だけで、彼女の心に再び戦うための強い活力が満ちていく。

 

 

「それから、もう一つ!!」

 

 

緑谷は油断なくマグネの動きを警戒しながら、先ほど合流した相澤から託された最重要のメッセージを告げた。

 

 

「相澤先生からの伝言です! あなたのテレパスで、この森にいる全員に伝えてください!!」

 

 

緑谷の切羽詰まった声に、マンダレイがハッと息を呑む。

 

それは雄英高校の生徒たちを縛る、厳格なルールの解除宣言。

ヴィランの奇襲という未曾有の事態において、生徒たちの命を守るため、相澤消太の苦渋と覚悟の決断だった。

 

 

「……ッ、分かったわ!!」

 

 

マンダレイは即座に自身の個性を全開にし、森の各地でヴィランの強襲に逃げ惑い、個性の使用を躊躇っていた生徒たちの脳内へその反撃の狼煙を直接送信した。

 

 

『全員聞いて! イレイザーヘッドからの伝言よ!! 敵との交戦、および個性の使用を許可する!! 自分の命を守るために、戦いなさい!!』

 

 

暗い森の中で毒ガスに巻かれていた者、刃を向けられていた者、血を流していた者たち。

彼らの心に、その通信は生き残るための明確な指針として深く突き刺さった。

 

 

「あと、もう一つ!!」

 

 

緑谷はマグネを強く睨み据えながら、マスキュラーとの死闘の末に掴み取ったヴィランの真の目的を叫んだ。

 

 

「ヴィランたちの標的は、生徒です!! かっちゃん……爆豪勝己が狙われています!! みんなに、かっちゃんを守るように伝えてください!!」

 

「爆豪くんが……!? 了解!!」

 

 

マンダレイが再びテレパスを起動し、その事実を全員に共有する。

 

それを聞いていたマグネの顔から、余裕の笑みがスッと消え失せた。

 

 

(……おいおい、ちょっと待ちなさいよ)

 

 

マグネは巨大な鈍器を構えたまま、目の前のボロボロの少年を値踏みするように見つめた。

 

 

(洸汰ってのは、あの崖にいたガキのことよね……あそこにはあのマスキュラーが向かっていたはず。アタシたちの中で一番の武闘派で、純粋な殺戮マシーンのあいつが)

 

 

マグネの脳内で恐るべき推論が組み上がっていく。

この少年はマスキュラーが向かった場所から、ガキの無事を確認して戻ってきた。

そしてヴィラン側の狙いが爆豪という目的まで知っている。

 

ということは。

 

 

(……まさか、この血まみれのガキが。あのマスキュラーを、たった一人で単独撃破してきたっていうの……!?)

 

 

マグネの背筋に薄ら寒いものが走った。

ただの平和ボケした学生ではない。

この緑髪の少年はヴィラン連合の計画を根底から覆しかねない、あまりにも危険な存在だ。

リストにあったのは伊達じゃないわねと、マグネは優先対象を変更する。

 

 

「……マンダレイさん、虎さん! 僕は、かっちゃんのところへ向かいます!」

 

 

緑谷が地を蹴り、爆豪のいる森の奥へと走り出そうとする。

これ以上、彼を自由に動かせるわけにはいかない。

 

 

「逃がすわけないでしょォッ!!」

 

 

マグネが咆哮し、凄まじい踏み込みで緑谷の背後へと迫った。

そして逃げようとする緑谷の足に向かって、強烈な磁力を発生させた。

 

 

「……ッ!?」

 

 

緑谷の身体が見えない磁場の力によって強引に引き戻される。

バランスを崩した緑谷の足首を、マグネの太く屈強な腕がガッチリと掴み取った。

 

 

「アンタみたいなの、このまま野放しにして行かせるわけにはいかないのよ……! ここでアタシが、確実に潰す!!」

 

 

マグネは緑谷を起点にすることで自身の武器を引き寄せた。

もう片方の手で掴んだ鈍器を緑谷の頭上へと振り上げる。

 

空中で足を掴まれた緑谷には回避する術がない。

両腕も既に限界を超えており、迎撃のスマッシュを打つことも難しい。

 

 

「……危ないッ!!」

 

 

だが、マグネの鈍器が緑谷に届くよりも早く、横から凄まじい質量のタックルがマグネの巨体を弾き飛ばした。

 

 

「ガハッ!?」

 

 

マグネの手から緑谷の足が離れ、二人は地面に転がる。

 

 

「……出久くん! 大丈夫か!?」

 

「虎さん……!」

 

 

血まみれになりながらもマグネにタックルをかまして緑谷を救い出したのは、先ほど攻撃を喰らって倒れていたはずの虎であった。

 

 

「フン、プロヒーローの意地を舐めるなよ……これくらいの打撃で、我がくたばると思ったかヴィラン!」

 

 

虎は口から血を流して息を荒げながらも、不屈の闘志で再び立ち上がったのだ。

 

 

「虎! 無理しないで!」

 

「マンダレイ! 生徒を守るのが我らの仕事だ、出し惜しみはなしだぞ!!」

 

 

マンダレイも情報伝達の任務を終え、両手の鋭い爪を構えてマグネの前に立ち塞がった。

 

 

「チッ……しぶとい猫ちゃん達ね」

 

 

マグネが巨大な鈍器を拾い上げ、忌々しげに舌打ちをする。

 

緑谷は痛む腕を庇いながらも、フラフラと立ち上がった。

 

 

「僕も……戦います。かっちゃんのところへ行くには、ここを突破するしかない……!」

 

 

ヴィラン連合の凶悪な磁力使い、マグネ。

対するは満身創痍の緑谷出久と、プロヒーローのマンダレイ、そして不屈の武闘家・虎。

 

林間合宿の入り口である広場で決して退くことのできない3対1の激しい死闘が、再びその火蓋を切って落としたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

鬱蒼と生い茂る木々が月明かりすらも遮断する深い森。

その暗闇の中で不気味な金属音と、肉を断ち切る鋭い音が連続して響き渡っていた。

 

 

「あァ……お肉……いい、肉……綺麗な肉……見せて……!」

 

 

異常な音の震源地は、黒いレザーの拘束衣で全身を固く縛られた異形の男、ムーンフィッシュだ。

 

彼の両腕は拘束され一切動かすことはできない。

 

しかし、彼にとって手足など不要だった。

 

大きく開かれた口から異常なまでに長く、そして鋭く研ぎ澄まされた無数の歯が、まるで生き物のようにうねりながら伸びてくるのだ。

 

硬い歯は空中で枝分かれし、森の大木を豆腐のように容易く切り刻む。

さらにそれを足場にして空中の移動すら可能にしている。

 

 

「チィッ……! 気色ィ野郎だ!!」

 

 

爆豪は飛来する歯の刃をギリギリのステップで躱しながら、苛立ちに満ちた声を上げた。

 

彼の隣には背中に気を失ったB組の生徒を背負い、自身のの個性で防戦に回っている轟の姿があった。

 

 

「爆豪、下手に動くな! 奴の射程と手数は異常だ!」

 

 

轟は右腕から猛烈な冷気を放ち、分厚い氷の壁を幾重にも展開してムーンフィッシュの歯を防ごうとする。

 

だが、ムーンフィッシュの歯はその絶対零度の氷壁すらも、まるで熱したナイフがバターを切るかのように切り裂き、時には破壊して飛び込んでくるのだ。

 

 

「肉……! その背中の肉、柔らかそう……!」

 

「させるか……ッ!」

 

 

轟が後退し、さらに氷の波を放つ。

だが、戦況は圧倒的に彼らにとって不利であった。

 

その最大の原因は彼ら自身の強力すぎる個性にある。

 

 

「クソが……ッ!!」

 

爆豪は掌に汗を滲ませながら、ギリッと奥歯を噛み締めた。

 

今の彼ならば最大火力の爆破を放ち、この気味の悪い化け物ごと周囲を吹き飛ばすことができる。

 

しかし、ここは乾燥した木々が密集する夏の夜の森だ。

 

下手に大規模な爆発や轟の炎を起こせば、一瞬にして広範囲に延焼を引き起こしてしまう。

森全体が燃え上がれば、有毒な煙によってまだ逃げ遅れている他のクラスメイトたち全員を焼き殺すことになりかねない。

 

 

「タイミングが悪ぃな……!!」

 

 

爆豪の脳裏に、難羽から渡された籠手の姿が()ぎる。

あれを使えば爆風を広げずに攻撃出来し、延焼のリスクなく対象だけを貫くことができる。

だが、まさか合宿中にヴィランが強襲してくるなど思いもよらず、爆豪はそれを宿舎の部屋に置いてきてしまっていた。

 

自分の最大の武器である爆破を封じられ、ただ逃げ回ることしかできない。

その圧倒的な無力感と焦燥が、爆豪のプライドをゴリゴリと削り取っていく。

 

さらにそんな極限のストレスに追い打ちをかけるように、彼らの脳内にマンダレイのテレパシーが響き渡った。

 

 

『……爆豪くんが狙われています!!』

 

「あァ!?」

 

 

緑谷からの伝言を受けたマンダレイの必死の警告。

だが爆豪にとって、その言葉は「お前は狙われている弱い存在だから、大人しく守られていろ」という、この上ない屈辱の宣告に他ならなかった。

 

 

「……誰に、指図してやがる!! 俺を、勝手に護衛対象扱いしてんじゃねェェェッ!!」

 

 

爆豪の怒りが頂点に達する。

 

だが怒りで火力を上げれば森が燃える。

周囲には紫色の有毒ガスまで漂い始めている。

 

明らかな縛りだらけの絶望的な状況下で、爆豪と轟は狂気と刃の雨を降らせるムーンフィッシュを前に、ジリジリと後退を余儀なくされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、爆豪たちのいるエリアから少し離れた、さらに木々の密度が濃い闇の底。

そこでは血の匂いと、この世のものとは思えない恐ろしい咆哮が響いていた。

 

 

「……はぁっ……はぁっ……!」

 

 

障子は巨体を丸めるようにして、暗い森の中を必死に駆け抜けていた。

 

彼の息は荒く、足取りは重い。

そして何より、彼の個性によって増やされた複数の腕の先端は、鋭い刃物のようなもので切断され、そこからボタボタと生々しい鮮血を滴らせていた。

 

ムーンフィッシュによる攻撃によるものだ。

複製腕は再生可能だが、あくまで腕。

痛みは確かに鈍く、熱い。

 

 

「くそっ……! 早く光、爆豪達の元へ……!」

 

 

障子が逃げているのは、ヴィラン連合の刺客ではない。

 

背後の暗闇で木々をへし折り、周囲の地形そのものを粉砕しながら暴れ狂っている巨大な黒い影。

 

 

『ガァァァァァァァァッ!!!』

 

 

それは闇夜に溶け込むような漆黒のオーラを纏い、無数の赤い目を爛々と輝かせた、巨大な魔物。

 

その中心で苦痛に顔を歪め、自身の個性に飲み込まれそうになりながら必死に抵抗している少年の姿があった。

 

 

「障子……! 逃げろ……!! 俺に、近づくなァッ!!」

 

 

常闇踏陰である。

彼の個性である黒影は、暗闇が深ければ深いほどその攻撃力と凶暴性を際限なく増大させるという特性を持っている。

 

夜の森という絶対的な暗闇。

さらに突如として襲撃してきたヴィランの奇襲によって引き起こされた怒りと恐怖。

 

それらの負の感情がトリガーとなり、黒影は常闇自身の制御を完全に離れ、暴走状態へと突入してしまったのだ。

 

 

『ニク……! チギル……!! コワスゥゥゥッ!!』

 

 

暴走した黒影はもはや宿主である常闇の命令を聞くことはない。

周囲で動くもの、音を立てるもの全てを敵と見なし、その圧倒的な暴力で無差別に排除しようとする純粋な破壊の権化と化していた。

 

障子は常闇を助けようと手を伸ばしたが、その代償として複製した腕を容易く引きちぎられてしまったのだ。

 

 

(このままでは、常闇自身が黒影に完全に飲み込まれ、自我を失ってしまう……! いや、それだけじゃない。この暴走した黒影が他の生徒たちと遭遇すれば、大惨事になる!)

 

 

敵の襲撃という外的脅威の中で、身内であるはずの強大な個性が、最悪の脅威となって彼らに牙を剥く。

 

光のない絶望の森で、障子は親友を救うための手段を求めて、血を流しながらひたすらに走り続けた。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゴホッ、ゲホッ……!!」

 

「鉄哲! マスクのフィルターが持たないわ、あまり息を深く吸い込まないで!」

 

 

森の広範囲を覆い尽くしている、紫色の不気味な煙。

その毒ガスの領域の中心を目指して、B組の鉄哲徹鐵と、拳藤一佳がひたすらに歩を進めていた。

 

二人の顔には、A組の八百万が自身の個性『創造』で咄嗟に作り出してくれた本格的なガスマスクが装着されている。

しかし周囲のガスはあまりにも濃度が高く、少しでも隙間ができれば一瞬で意識を刈り取られかねないほどの致死量を誇っていた。

 

 

「……分かってる! でもよォ、拳藤!」

 

 

鉄哲は全身を自身の個性『スティール』で鋼鉄化させながら、前を睨みつけた。

彼の心にはB組の生徒たちが次々と毒ガスに倒れ、あるいはヴィランの凶刃に傷ついていく姿が焼き付いていた。

 

 

「俺たちB組は……いっつもA組の連中の後塵を拝してばかりだ! 体育祭でも、期末テストでも……!」

 

 

鉄哲の拳がギリッと強く握り込まれる。

 

 

「こんな時くらい……俺たちがみんなを守らねェで、何がヒーロー科だ!! この胸糞悪いガスの元凶は、俺が絶対にぶっ飛ばす!!」

 

 

鉄哲の熱い、不器用なまでの真っ直ぐな意志。

拳藤は彼のその背中を見つめながら、冷静に周囲の状況を分析していた。

 

 

「……頼もしいけど、闇雲に突っ込んでも体力を消耗するだけよ。発生源の場所を特定しないと」

 

 

拳藤は自身の個性『大拳』を発動させ、両手を巨大化させた。

そしてその巨大な手でうちわのように周囲の紫色のガスを大きく仰ぐ。

 

突風が生まれ、周囲のガスが一時的に晴れる。

拳藤の目的はガスを消すことではない。

 

ガスの流れを見ることだ。

 

 

「……見つけた」

 

 

巨大な手で仰いだことによって生じた空気の乱れ。

 

しかし、それらが再び集束し、一際濃い紫色の煙を吐き出し続けている渦の中心が、風下の方角に確かに存在していた。

 

 

「あの方角から、新しいガスが供給され続けてる! 間違いない、あそこにガスの元凶がいるわ!」

 

「よし! 行くぞ拳藤!!」

 

 

鉄哲が鋼鉄の体を軋ませながら、ガスの渦の中心へ向かって猛烈な勢いで駆け出した。

 

木々の隙間を抜け、毒の霧を切り裂いた先。

 

小高い崖の上に立つガスマスクと学ラン姿の少年——マスタードの姿が、二人の視界にハッキリと捉えられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

マスタードは毒の霧の向こうから突進してくる二つの足音に気づき、ため息をついた。

 

 

「やっぱ学歴だけかぁ……近付けばガスの濃度が高まるのは分かっているのに、ね」

 

 

マスタードは学ランの懐から黒光りするリボルバーを引き抜き、躊躇いなく発砲した。

火薬の破裂音が森に響き、鉛の弾丸が毒ガスを切り裂いて飛んでいく。

 

だが、弾丸を正面から受けた鉄哲は歩みを止めなかった。

彼の個性によって鋼鉄と化した肉体が、弾丸をガキンッ! と甲高い音を立てて弾き返す。

 

 

「銃……!? 気をつけて鉄哲! 個性だけじゃなく、本物の武器を持ってるわ!!」

 

 

背後からついてくる拳藤が叫ぶ。

 

 

「弾き返せるけどよ……流石にちょっと痛ェな!!」

 

 

鉄哲は顔を顰めながらも、さらに歩を速めた。

 

 

「ふーん、まぁ別にいいけどね」

 

 

マスタードは冷笑を浮かべ、連続で引き金を引いた。

 

 

「単純だからこそ、動きが読みやすい。僕のガスはね……ただ毒を撒き散らすだけじゃない。ガスの揺らぎでお前たちがどこにいてどう動くか、手に取るように分かるんだ」

 

 

マスタードの放った次弾が鉄哲の顔面——正確には彼の口元を覆っているガスマスクのプラスチック部分を、正確に撃ち抜いた。

 

 

「ガッ!?」

 

 

ガスマスクにヒビが入り、フィルター部分が破損する。

 

鋼鉄化している鉄哲の顔面自体は無事だが、マスクが壊れればこの高濃度の毒ガスの中で呼吸ができなくなる。

致命的な弱点を突く、冷徹な射撃だった。

 

 

「鉄哲!!」

 

「……息を、止めて突っ込む!! このまま一気に距離を詰める!!」

 

 

鉄哲は息を止め、両腕で顔を庇いながらマスタードの元へ一直線に突撃した。

 

だが、マスタードは慌てることなく、残りの弾丸を鉄哲の足元や関節といった鋼鉄化が甘くなりやすい部位へと的確に撃ち込んでいく。

ガスの揺らぎが彼の感覚を拡張し、突撃する鉄哲の動きに合わせ、空中に置くように弾丸を放っているのだ。

 

 

「いい的だ……雄英だか何だか知らないけどさ、世間にちやほやされて、ルールに守られたお遊びのケンカしかしてこなかった連中が……殺意を持った人間に勝てるわけないだろ!」

 

 

マスタードの言葉には、エリート校の生徒に対するドス黒いルサンチマンが込められていた。

 

故に彼が選んだ武器は、サポートアイテムでもない単なる銃。

ヒーロー同士の戦闘訓練では使われることのない、由緒正しい鉄と火薬の暴力。

 

 

「……ウダウダと、理屈っぽいんだよォ!!」

 

 

鉄哲は被弾の衝撃で体勢を崩しながらも、決して倒れなかった。

彼はB組の仲間たちがガスで苦しんでいる姿を思い出し、限界を超えた気力で踏みとどまる。

 

 

「お前らみたいな、コソコソ隠れて他人を傷つけるだけのクズに……俺たちの何が分かるってんだ!!」

 

「……バカが。届かないよ」

 

 

マスタードが最後の一発を装填し、鉄哲の眉間へと銃口を定めた、その瞬間だった。

 

 

「鉄哲!! 合わせるわよ!!」

 

 

鉄哲の背後から拳藤が大きく前に踊り出た。

 

彼女の個性によって両手が彼女の身体の何倍ものサイズにまで膨れ上がる。

 

 

「なっ……」

 

 

マスタードの目がその巨大な質量に驚愕で見開かれた。

 

 

「私の手で……この毒ガスごと、アンタのレーダーを吹き飛ばす!!」

 

 

拳藤は大きく振りかぶった両手を、凄まじい筋力で正面に向かって激しく打ち下ろし、扇いだ。

 

 

森の木々が大きくしなり、暴風が巻き起こる。

拳藤が人為的に生み出した巨大な旋風が、周囲に立ち込めていた紫色の毒ガスを一瞬にして彼方へと吹き飛ばしたのだ。

 

ガスの揺らぎで相手の動きを読んでいたマスタードの感覚が、強風によって完全に掻き消され、無効化される。

 

 

「な……ッ!?」

 

 

視界とレーダーを同時に奪われ、マスタードの射撃の狙いが完全に狂う。

 

 

「行けェェェッ! 鉄哲!!」

 

 

拳藤の叫びと共に、ガスの晴れたクリアな視界の中を鋼鉄の巨漢が猛然と突破してきた。

 

 

「くそっ……!」

 

 

マスタードが慌てて引き金を引くが、銃弾は鉄哲の肩を掠めるのみ。

 

鉄哲はマスタードの懐に完全に潜り込み、怒りと意地を込めた鋼鉄の右拳を、背中が反り返るほど大きく振りかぶった。

 

 

 

「俺たちを……舐めんじゃねェェェェッ!!!」

 

 

 

鉄哲の渾身のストレートが、マスタードの顔面を覆っていたガスマスクのフィルターごとその顔面にクリーンヒットした。

 

 

「ガハァッ……!?」

 

 

強烈な衝撃にマスタードの身体は宙に浮き、後方の木に激突して、ドサリと地面に崩れ落ちた。

完全に意識を刈り取る、見事な一撃。

 

B組の意地と連携が、見事にヴィランの凶弾を打ち破った瞬間であった。

 

 

 

 

 

「はぁっ……はぁっ……!」

 

「やった……! やったわ、鉄哲!」

 

 

鉄哲の強烈な一撃が決まり、マスタードが地面に倒れ伏す。

それを確認した拳藤は自身の大拳を解除し、元のサイズに戻った両手を膝について荒い息を吐いた。

 

拳藤が吹き飛ばしたおかげで、彼らの周囲に充満していた紫色の毒ガスは完全に霧散し、夏の夜の空気が森に戻ってきていた。

 

 

「ぷはぁっ……!」

 

 

拳藤は息苦しかったガスマスクのバンドを外し、顔から乱暴にもぎ取った。

そして新鮮な森の空気を胸いっぱいに吸い込み、ゆっくりと深呼吸をする。

 

 

(……勝った。これで、ガスはもう出ない。みんなを助けられる……!)

 

 

安堵と達成感が、彼女の胸を満たしていく。

彼女はボロボロになりながらもヴィランを打ち倒したクラスメイトを労うため、笑顔で振り返った。

 

 

「本当に無茶するんだから……でも、よくやったわ、鉄哲——」

 

 

だが。

拳藤のその言葉は、途中でピタリと止まってしまった。

 

 

「……鉄哲?」

 

 

おかしい。

違和感があった。

先ほどまであんなに大声で叫び、被弾しながらもアドレナリンを全開にしてフルパワーで戦っていた鉄哲が。

 

今は、信じられないほど静かだったのだ。

 

 

「鉄哲……どうしたの?」

 

 

拳藤が歩み寄ると、鋼鉄化を解いた鉄哲は立ったままフラフラと前後に揺れていた。

 

そして彼の口からは、規則正しい寝息のようなものが漏れている。

 

 

「え……?」

 

 

ドサリ。

次の瞬間鉄哲は糸が切れた操り人形のように、地面に顔から突っ伏して倒れ込んでしまった。

 

撃たれた傷のせいではない。

彼は完全に脱力し、まるで強力な睡眠薬を嗅がされたかのように、深い眠りに落ちていたのだ。

 

 

「鉄、哲……!? ちょっと、しっかりして……!」

 

 

拳堂が慌てて駆け寄ろうと一歩を踏み出した、その時。

 

 

 

今度は拳藤自身の視界が激しく明滅し、ぐるぐると回転し始めた。

 

 

 

「……ぇ?」

 

 

膝の力が抜け、立っていられなくなる。

指先から感覚が消失し、頭の奥に強烈な泥のような睡魔が押し寄せてくる。

 

 

(嘘……私、ガスがないこと……確認して……)

 

 

その行動が致命的なトリガーだったことに気づいた時には、もう遅かった。

 

 

「あ……」

 

 

拳藤は鉄哲の横に、ばたりと崩れ落ちるように倒れ込んだ。

意識が急速にブラックアウトしていく。

 

 

 

 

 

 

「……ふふっ」

 

 

静まり返った森に、くぐもった笑い声が響いた。

鉄哲の鋼鉄の拳をまともに喰らい、完全に気絶したと思われていたマスタードであった。

 

彼は地面に倒れ伏したまま、割れたガスマスクの隙間から切れて血のにじむ唇を三日月の形に歪め、ニヤリと笑っていた。

 

 

(……痛い。流石に、脳が揺れた……でも、やっぱり……)

 

 

マスタードは地面で眠りに落ちた鉄哲と拳藤を見つめながら、心の中で深く、彼らを嘲笑った。

 

 

(やっぱり、学歴だけの馬鹿だ。……偏差値が高くたって、実戦の殺し合いの定石なんて、これっぽっちも分かっちゃいない)

 

 

マスタードの個性は紫色の毒ガスを発生させるものである。

 

だが、拳藤たちは根本的な部分で致命的な勘違いをしていたのだ。

 

 

(僕の個性で出している紫のガスはただの個性の発現であって、可燃性の化学物質じゃない……だから、あんな高濃度のガスの中で火花が散っても引火爆発なんてしない)

 

 

マスタードは自身の背中に背負っている『二つのタンク』に意識を向けた。

 

一つは、彼自身の呼吸を確保するための純粋な酸素ボンベ。

 

そしてもう一つは。

 

 

彼が個性のガスとは全く別に用意し、放出していた、特殊なガスシリンダーである。

 

 

(馬鹿なヒーロー志望ども……知ってる? 工場や市販で使われているような危険なガスっていうのはね……漏れた時に人間がすぐに気づけるように、わざと色や臭いを付けてあるんだ。安全のためにね)

 

 

彼の個性が生み出していた紫色の毒ガス。

それは、吸えば意識を奪う効果のある武器であると同時に、目に見える(・・・・・)強烈な脅威である。

 

 

(僕がその紫色のガスに紛れ込ませて、背中のタンクから密かに放っていた本当の切り札……それは完全に無色無臭、軍用レベルの高濃度催眠ガスだよ)

 

 

拳藤は目に見える紫色のガスを吹き飛ばしたことで「脅威は去った」と誤認した。

 

そして勝利を確信して自らガスマスクを外し、マスタードの背中から放出され続けていた無色無臭の催眠ガスを、胸いっぱいに深呼吸して吸い込んでしまったのだ。

 

鉄哲も同じだ。

彼はガスマスクのフィルターを撃ち抜かれていたため、乱戦の中で知らず知らずのうちに無色のガスを吸い込み続け、限界を迎えて眠りに落ちた。

 

 

「……勝った」

 

 

マスタードは地面に倒れたまま、静かに勝利の優越感を噛み締めた。

 

個性という力でもなく。

学歴という(くらい)ではなく。

 

純粋な知略によって、世間が持て囃す雄英高校のエリートたちを完膚なきまでに叩き潰してやったのだ。

 

学歴だけが優秀さの証明ではない。

 

路地裏の泥水を啜ってきた自分たちの方が、生き残るための術を熟知している。

その事実が彼のねじ曲がった自尊心をこの上なく満たしてくれた。

 

 

「……死柄木、さん」

 

 

マスタードは薄れゆく意識の中で、自分たちに居場所を与えてくれたリーダーの顔を思い浮かべた。

 

役目は果たした。

 

これだけ広範囲に混乱とガスを撒き散らし、ヒーロー候補生たちの戦力を削いだのだ。

あとはコンプレスやマスキュラーたちが、本命の標的を攫ってくれるはずだ。

 

 

「……後は、頼みます……」

 

 

割れたマスクの奥で、マスタードの瞳がゆっくりと閉じられる。

鉄哲の拳が与えた脳震盪のダメージは、やはり致命的だった。

 

 

彼は満足げな笑みを唇に残したまま、静かに、深い意識の底へと沈んでいった。

 

 





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