81話 我々は
林間合宿を襲撃したヴィラン連合が闇夜に消えてから、一夜が明けた。
凄惨な戦いの舞台となった森には有毒ガスの微かな残滓、そして取り返しのつかない重い絶望だけが残されていた。
夜明けと共に駆けつけた警察と救急隊によって、被害の全容が冷酷な数字となって弾き出されていく。
合宿に参加していたヒーロー科1年A組・B組の生徒、計40名。
その内、ヴィランが散布した催眠および有毒ガスを大量に吸い込み、意識不明の重体に陥った者が15名。
刃物による裂傷、打撲、火傷など、戦闘によって重・軽傷を負った者が11名。
恐怖と混乱の中、奇跡的に無傷で済んだ者はわずか13名。
そして。
暴走した己の個性に苦悩し、それを仲間と共に乗り越えようとした矢先、ヴィランの鮮やかな手品によって闇の彼方へと攫われてしまった行方不明者が1名——常闇踏陰。
被害は未来ある生徒たちだけにとどまらない。
彼らを守るために死闘を繰り広げたプロヒーロー、プッシーキャッツの面々のうち、ピクシーボブが頭部を強打され重体。
そしてラグドールは森の奥で闇夜に消え、生死も分からぬまま行方不明となっていた。
対して、ヴィラン側の被害はどうだったか。
現行犯で逮捕され、警察の厳重な拘束下に入ったのは、血に狂ったマスキュラーと、死刑囚ムーンフィッシュの2名のみ。
首謀者である死柄木弔や、ガスの元凶であるマスタード、奇術師コンプレスをはじめとする残りのヴィラン達は警察の網をすり抜け、完全に姿をくらませていた。
圧倒的敗北。
誰の目から見ても、それは雄英高校という絶対的な安全神話の崩壊を示す絶望的なスコアであった。
翌日。
夏休みに入り、本来ならば静まり返っているはずの雄英高校の正門前には夥しい数のマスコミが詰め掛け、異様な熱気と狂騒に包まれていた。
「雄英高校の責任者を出せ!!」
「生徒が攫われたというのは本当か!! ヒーローは何をしていたんだ!!」
「安全管理の不備について説明を求めます!!」
テレビ局の中継車が列を成し、カメラのフラッシュが絶え間なく瞬く。
マイクを握りしめたリポーターたちが血走った目で正門の奥へとカメラを向けている。
彼らは真実を知りたいわけではない。
日本一のヒーロー校が泥にまみれ、権威が失墜していく様を一番の特等席で消費しようと群がるハイエナの群れだった。
最も恐るべき真実である、ヒーローの完全敗北の意味に目を背けているわけではない。
彼らはヒーローが負けるわけがないという常識を持っているのだ。
なぜなら、ヒーローがヴィランに負けるわけがないのだから。
だが、彼らがどれほど騒ごうとも、雄英の敷地内に足を踏み入れることはできない。
正門には強固な雄英バリアーが展開されており、物理的にもシステム的にも彼らを冷酷にシャットアウトしていた。
しかしその分厚い鉄の壁は、マスコミの波から学校を守るための盾であると同時に、今の雄英が世間の激しい批判から逃げるために引きこもっている檻のようにも見えた。
マスコミの怒号が微かに漏れ聞こえる、雄英高校本校舎の奥深くにある会議室。
窓のない密室には重苦しく、胃が捻じ切れるような沈痛な空気が立ち込めていた。
長い長方形の会議用テーブルを囲むように根津校長をはじめ、プレゼントマイク、ミッドナイト、スナイプ、ハウンドドッグ、そしてオールマイトといった雄英の主要な教師陣が顔を揃えている。
なお、1年A組・B組の担任であり、現場で直接生徒たちの保護と死闘に当たった相澤消太とブラドキングの二人は現在警察署に留まり、今回の事件の詳細な聴取と状況説明に追われているためこの会議室には不在である。
「……事態は、我々の想定を遥かに超える速度で悪化しているね」
根津校長が手元の被害報告書から視線を上げ、静かに口を開いた。
その瞳にはいつもの愛らしい知性の光はなく、冷徹な危機感だけが宿っていた。
「今回の周到な奇襲、そして複数の凶悪なヴィランたちの連携……これらは、単なるゴロツキの集まりによる思いつきのテロではない。彼らヴィラン連合は既に水面下で組織的な準備を整え、このヒーロー社会そのものを根本から崩壊させるための具体的な活動を始めていると見るべきだ」
根津の言葉に教師たちの顔がさらに険しくなる。
「いつか来るかもしれない脅威に『備えなければいけない』という段階は、とうの昔に過ぎていたんだ。我々は既に戦争の真っ只中に立たされている」
「……その通りだな」
スナイプがテンガロンハットの鍔を深く下げながら低く唸った。
「USJでの襲撃を踏まえて、これで二度目だ……いくら対策を練ろうが、結果として生徒たちを危険に晒し、大量の重傷者を出し、あまつさえ常闇という一人の生徒を奪われた……雄英の安全に関する社会からの信頼は、完全に地に落ちたと言っていい」
生徒を守れなかった。
プロヒーローとして、教師として、これ以上の屈辱と罪はない。
不在の相澤やブラドキングの胸中を思えば、ここにいる教師たちも身を引き裂かれるような思いだった。
重い沈黙が会議室を支配する中。
普段は陽気なDJとして振る舞うプレゼントマイクが、トレードマークのサングラスの奥の目を鋭く光らせ、静かに、しかし確かな怒りを込めた声で口を開いた。
「世間からの信頼がどうのって話も大事だがよ。……俺たちは、もっと根本的なことから目を逸らしちゃいけねェんじゃねえか?」
マイクの言葉に全員の視線が集まる。
「合宿の行き先はUSJの反省を活かして、当日の朝まで完全に伏せられていた。知っていたのはここにいる俺たち教師陣と、プッシーキャッツの連中だけだ……それなのにヴィランどもはピンポイントであの山奥の施設を狙って、完璧なタイミングで奇襲を仕掛けてきやがった」
マイクはテーブルの上に置かれた自身の拳を強く握りしめた。
「これはもう、偶然だとか尾行されたなんてチャチな理屈で誤魔化せるレベルじゃねェ……限られた人員しか知らないはずの極秘情報が、正確にヴィラン側に漏れていた。つまり……」
「……この雄英内部に、情報を流している
ミッドナイトがマイクの言葉を引き継ぐように囁いた。
内通者。
それはUSJ襲撃の直後から教師陣の胸の奥で燻り続けていた、最も触れたくない最悪の疑惑だった。
仲間の中に、あるいは守るべき生徒の中に敵と通じている裏切り者がいる。
その疑心暗鬼は組織を内側から腐らせる猛毒だ。
その時だった。
『私が来た! 私が来た! 電話が来たー!!』
重苦しく、一触即発の空気が漂っていた会議室に、突如として間の抜けたダサい着信音が陽気に響き渡った。
「あ、あわわ……! す、すみません!!」
オールマイトが慌ててポケットから携帯電話を取り出し、ペコペコと頭を下げた。
「塚内くんからだ……! す、少し外します!」
オールマイトは冷や汗を拭いながら、逃げるように会議室の扉を開けて廊下へと出て行った。
平和の象徴という最大のストッパーが、物理的にこの空間から退室した。
それは会議室に残された者たちにとって、遠慮なく「本題」に切り込むためのスイッチが押されたことを意味していた。
パタン、と。
オールマイトが退室し、会議室の扉が閉まった瞬間。
その場にいた全ての教師たちの刺すような視線がまるで示し合わせたかのように、テーブルの一番端へと集まった。
その視線の先に座っていたのは。
最近、政府上層部からの強烈な
最近行方不明になった疑惑の生徒と名字が同じ。
顔の皺や骨格をよく見れば、その生徒がそのまま年老いたような不気味な類似性がある。
そして何より今回の事件において、彼がクロであるという最大の状況証拠が存在していた。
事務手続きの不備を理由に林間合宿には同行していなかった彼だが、彼の秘書であるあのアンドロイド——アットは、誰にも教えられていないはずの合宿所に当たり前のように先回りし、生徒たちに料理を振る舞っていたのだ。
偶然ピクニックに来たなどという彼女の言い訳が通用するはずもない。
難羽は雄英の極秘情報を完全に把握し、意図的に自分の駒をあの山奥へと送り込んでいたのだ。
それはもう疑惑などという生ぬるいものではない。
洗剤のCMで謳われる99.9%除菌の逆。
彼は限りなく100%に近いクロの存在だった。
だが。
それだけの凄まじい敵意と疑惑の視線を一身に浴びながらも。
難羽は
その視線を当たり前のものとして受け入れていた。
動揺も、焦りも、言い訳の素振りすら見せない。
そのあまりにも堂々とした老紳士の佇まいは、糾弾しているマイクたちの方にこそ何か見落としがあるのではないかと錯覚させてしまうほどの、圧倒的な威圧感を放っていた。
「……なぁ、新任のガイツ先生よ」
プレゼントマイクが鋭い目つきで難羽を睨み据えた。
「あんたのお抱えの秘書が、伝えられていないはずの合宿所に先回りしていた件……そしてこの雄英に潜む内通者の件……あんた、何か知ってんじゃねェのか?」
息を呑む教師たち。
もし彼がここで正体を現し敵対行動をとれば、この密室は一瞬にしてプロヒーローたちによる死闘の場と化す。
だが難羽は、銀色の鋭い瞳でマイクを真っ直ぐに見据え、一切の感情を交えずに、さらりとこう答えたのだ。
「——ああ。私は内通者を知っているよ」
難羽のその一言は極度に張り詰めていた会議室の空気に、決定的な亀裂を走らせた。
息を呑む音すら聞こえるほどの静寂。
全員の筋肉が硬直し、臨戦態勢へと移行する。
その沈黙を破ったのはプレゼントマイクだった。
彼はサングラスの奥で目を細め、机に身を乗り出して難羽に詰め寄った。
「……そりゃあ、どういう意味だ? あんた自身が、俺たちの情報をヴィランに売った内通者だってことの自白と受け取っていいのか?」
マイクの鋭い追及。
この場でイエスと答えれば、難羽は即座にヴィランとしてプロヒーローたちに拘束されることになる。
相澤とブラドキングが不在であっても、この密室にはトップクラスのプロが集結しているのだ。
だが、難羽はスーツの襟を僅かに正し、全く悪びれることなく首を横に振った。
「いいや。私は内通者ではないし、今回のヴィラン連合の襲撃にも一切関与していない……それは断言しよう」
「じゃあ、どうやってあの合宿所を特定したって言うんだ!」
マイクがバンッ! とテーブルを叩いて声を荒らげる。
「あんたがヴィランと繋がっていないのなら、なぜ誰にも教えていないあの山奥の宿泊施設に、自分のアンドロイドを先回りさせることができた! 偶然なんて言い訳は通用しねェぞ!」
「偶然などという下らない嘘を吐くつもりはないよ。答えは非常にシンプルだ」
難羽はまるで出来の悪い生徒に方程式の解き方を教える老教授のように、淡々と、そして残酷なまでに論理的に答えを提示した。
「合宿に向かう生徒たちが乗ったバス……あれが雄英を出発する前に、私が追跡用の小型発信機を仕掛けたのだよ。あとはその信号を後からゆっくりと追っていけば、普通に辿り着けるだろう?」
「……待っていただこうか」
それまで静かに事態を見守っていた根津校長が、鋭い声で難羽の発言に待ったをかけた。
「我々を素人扱いしないでいただきたい。バスに発信機の類いが付けられていないかどうかのチェックは、出発前に専用の機器で念入りに行っている。それに出発してからも後続車両や上空からの追跡に対する警戒は怠っていなかった……バスを追う不審な車などの類は、絶対に無かったはずだ」
根津の主張は正しい。
プロヒーローとしての警戒網は完璧だった。
現にヴィラン連合は追跡ではなく、事前に得ていた座標」 に直接ワープして奇襲をかけてきている。
しかし難羽は根津校長の反論を意に介さず、静かに指摘した。
「根津校長。君たちは生徒たちを魔獣の森の入り口の崖で降ろし、そこから宿泊施設まで自分の足で歩かせたね。……その間、およそ8時間だ」
難羽の銀色の瞳が根津を真っ直ぐに射抜く。
「場所さえ特定できていれば、出発と同時に尾行する必要など全くない。お前たちが崖の上に到着し、生徒たちを森へ突き落とした後……その8時間の猶予を使って、後から悠々と追跡すればいいだけのことだ」
「だが、あの山奥は電波の届かない場所も多い! 発信機の信号が途切れる可能性だって……!」
スナイプが思わず口を挟む。
「仮に山の中で信号が途切れたとしても、最終的な進行方向と進入ルートさえ割り出せれば問題ない。そこから先に存在する宿泊可能な施設など、ネットの地図情報や登記簿を調べれば容易に特定できる」
反論の余地のない、極めて合理的な追跡のプロセス。
だが、根津校長にはどうしても解せない最大の矛盾が残っていた。
「……百歩譲って、後から追跡したというのはいいとしましょう。だが、我々の発信機発見のチェックをどうやってすり抜けたのです? バスの中も、車体の底も、全てくまなく調べたのですよ!」
根津の必死の問いに対し。
難羽は、憐れむようなため息を一つこぼした。
「……お前たちはセキュリティのチェックにおいて、最も重要で、最も盲点となりやすい一つを見落としている」
「見落とし、だと……?」
「そうだ。バスの車体は調べた……が、あのバスの『運転手』の内部までは調べなかっただろう?」
「……運転手?」
根津校長の顔色が変わった。
マイクやミッドナイトも、怪訝な顔を見合わせる。
雄英高校では近年、情報漏洩のリスクを極限まで減らすため、生徒の移動時の運転手や物資の運搬などに人工知能を搭載した自律型ロボットを積極的に採用している。
タクシー運転手や運送業者を外部から雇い入れれば、そこから情報が漏れる可能性がある。だ
からこそ人間を排除し、プログラムに従って動くだけの機械を運転席に座らせる。
それは雄英が誇る「絶対に裏切らない完璧なセキュリティ」の一環であるはずだった。
「……人間を排除すれば機密は守られる。確かに、一般的なヴィランやマスコミ相手ならそれで十分な防壁だ」
難羽はテーブルの上で両手の指を組み、悠然と語った。
「しかし……私のような人間からすれば、感情や予測不能な行動原理を持つ人間よりも、機械の方が遥かに御しやすいのだよ」
「な……!」
「簡単なことだ。雄英の車庫に忍び込み、あの運転手ロボットの装甲を一度分解する。そして、その胸部のコアネットワークの中に発信機を仕込んで、元通りに組み直せばそれで終わりだ」
難羽の恐るべきハッキングと工作技術。
だが、それでは雄英の電波探知に引っかかるはずだ。
根津がそう反論しようとした口を、難羽の次の言葉が塞いだ。
「あの運転手はロボットだ。自律稼働し、常に雄英のメインサーバーと現在地や車両状況のデータ通信を行っている……ロボットが常に電波を発信している以上、私の仕込んだ発信機の微弱な電波など、ロボット自身の通信の中に完全にカモフラージュされる……お前たちは機械が発する電波を正常なものと思い込み、そこに注意を向けなかった」
「……ッ」
根津校長は絶句した。
自身の構築した完璧なはずのセキュリティ。
その最大の盲点——機械そのものを改造され、電波を偽装されるという物理的かつ技術的なハッキングで突破されたことに戦慄を隠せなかった。
「……話を戻そうか」
難羽は自分が雄英のバスを追跡したという事実であり違法行為を一切否定しなかった。
その上で、雄英の教師陣が完璧だと自負していたセキュリティの甘さ、システムの綻びを淡々と論理で指摘し、叩き潰していた。
生徒を攫われ、世間の信頼を失い、さらに内通者の存在に怯え、精神的に追い込まれていたプロヒーローたち。
彼らはこの得体の知れない老人を糾弾し、ペースを握ろうとしていたはずだった。
しかし、現実は全く逆だった。
老人の顔には、動揺など微塵も無かった。
逆に彼を囲んでいたプロヒーローたちの方が、彼の圧倒的な知と技術の前に完全に沈黙させられ、手も足も出ない状態に陥っていた。
難羽はたった一人で、この地下会議室の空気を完全に支配していた。
難羽からすればこの結果に疑問は湧かない。
彼らは善良なヒーローであり、教師。
仕事量を考えれば綻びが出てくるのは無理もない話だ。
それよりも、彼らのような人間の善良さにかまけている社会に苛ついていた。
公安には暗殺の類を行わせないように動いたものの、内偵などに関しては関与していない。
今こそお前らの出番だろと、この会議室の中で全く違う怒りを持っていた。
「私の追跡方法の種明かしはこれで十分だろう……本題だ」
難羽は組んでいた指を解き、静かに、しかし絶対的な重みを持って、絶望に沈む教師たちに告げた。
「内通者は居る……ただし、見つけても我々ができることはない」
難羽のあまりにも冷酷で淡々とした宣告。
それを聞いたプレゼントマイクはついに堪忍袋の緒が切れ、バンッ! と鼓膜を劈くような勢いで会議室のテーブルを叩いて立ち上がった。
「ふざけんな!! 雄英の情報を売り渡し、生徒を危険に晒した裏切り者が身内にいるんだぞ! そいつを野放しにしておけって言うのか! あんた、自分が何を言ってるか分かって——」
マイクの怒声が響き渡るのとほぼ同時。
会議室の分厚い扉が開き、先ほど電話に出るために中座していたオールマイトが慌ただしく戻ってきた。
「す、すまない皆! 少し長電話に……」
部屋に入ったオールマイトは言葉を途中で切った。
彼が部屋を出る前と今の空気が、明らかに違っていたからだ。
怒りに肩を震わせるマイク、絶句している根津校長、冷や汗を流すミッドナイトやスナイプ。
そして、その中心で一人だけ、ティータイムのように優雅に座っている難羽。
空間を満たす空気がただの疑惑や疑心暗鬼から、全く得体の知れないものへと変質していることにオールマイトは激しい困惑を覚えた。
だが、そんなオールマイトの困惑を置き去りにして。
難羽は騒ぎ立てるマイクを一瞥すらせず、入室してきたばかりのオールマイトに向かって、ひどく穏やかな声でこう尋ねた。
「——八木……オール・フォー・ワンについて、彼らに話すつもりはないのか?」
その言葉を聞いた瞬間、オールマイトの心臓が、肋骨を突き破らんばかりに激しく跳ね上がった。
「だ……大師匠……?」
大きく見開かれた青い瞳が恐怖と驚愕に震える。
オールマイトは先ほどの電話で、警察の盟友である塚内警部から極秘の報告を受けていた。
『オールマイト……ヴィラン連合のアジトの場所を、突き止めたぞ』
そして彼は、常闇の救出およびヴィラン連合の掃討作戦に、平和の象徴としての力を貸してくれと頼み込んできたのだ。
『これは極秘事項だ。絶対に情報を漏らさないと信頼できる君だからこそ、真っ先に話している』
塚内は確かにそう言った。
オールマイトも誰にも聞かれない廊下の隅で電話を受けていた。
それなのに。
目の前の老人はまるでその電話のやり取りを最初から隣で聞いていたかのように。
いや、警察の動きも、この先の展開も、すべてを高い場所から俯瞰して見透かしているかのように、その禁忌の名を口にしたのだ。
「オールフォーワン……?」
マイクが、聞き慣れない単語に眉をひそめる。
難羽は動揺のあまり言葉を失っているオールマイトから視線を外し、会議室の教師たちをゆっくりと見渡した。
「安心しろ。先ほども言った通り、この会議室の中に内通者はいない」
それは疑心暗鬼に囚われていた彼らに対する、確かな保証だった。
「……八木。お前がこれまで周囲に隠し続けてきた理由も分かるがな。もはや、彼らにオールフォーワンの存在を聞かせることによる被害など、何一つ発生しない」
難羽は残酷な真実を突きつける。
「なぜなら、雄英は既に奴から致命的な被害を二度も受けているのだからな」
その言葉の響きには絶対的な事実だけが持つ重みがあった。
先ほどまで、一切信用ならない「敵」だと思っていたはずの男の言葉。
それなのに、マイクも、ミッドナイトも、スナイプも。
その場にいた教師たちは皆、難羽の「この部屋に内通者はいない」という断言を聞いて、心の底で一瞬安心してしまった。
得体の知れない悪魔のような老人に対して、不思議な安堵と信頼を抱いてしまった己の弱さ。
プロヒーローたちはそれを激しく恥じ入り、ギリッと奥歯を噛み締めた。
(……大師匠の言う通りだ)
オールマイトは痛む脇腹をそっと押さえながら、静かに目を閉じた。
この場において、巨悪『オール・フォー・ワン』の存在と真実を知っているのは、根津校長と自分。
そして、かつてオールフォーワンと対峙した大師匠である難羽だけであった。
当初、オールマイトはあの男の存在をひた隠しにしてきた。
オール・フォー・ワンを知るということは、あの底知れぬ悪意と闇に直接晒されることを意味する。
関係のない周囲の人間を巻き込まないために、彼は平和の象徴としてたった一人でその闇を背負い続けてきたのだ。
しかし、事態は変わった。
USJ襲撃、そして今回の林間合宿襲撃。
もはや、奴の魔の手は明確な殺意を持って二度も雄英高校を襲っている。
こうなっては、雄英は無関係などという理屈は通用しない。
これからも雄英の生徒と教師たちは、あの巨悪の影と血みどろの戦いを繰り広げていくことになる。
(内通者がこの部屋にいないと断言したということは、大師匠が調べてくれたのだろう……)
オールマイトは会議室の末席に座る老紳士を見つめた。
彼は難羽という男の極端な性格をよく知っていた。
常人には到底理解できないほどの圧倒的な天才。
それゆえに、彼は「誰も辿り着いていない遥か先の結論」から逆算して行動を起こす。
過程をすっ飛ばすため、周囲からは常に誤解され、狂人や悪党のように見られてしまう。
正直なところ、オールマイト自身も、難羽がなぜ秘書を合宿所に送り込んだのか、なぜあのように人を食った態度をとっているのか、その真意の全ては分からなかった。
ただ。
共に巨悪に立ち向かった『仲間』として、オールマイトは理屈を超えた魂のレベルで深く信頼していた。
「……皆。どうか、落ち着いて聞いてほしい」
オールマイトはゆっくりと目を開き、覚悟を決めた声で教師たちに向き直った。
「ヴィラン連合……その表向きのリーダーは、死柄木弔という男だとされていますが……私は、彼の後ろ、その遥か深い裏に控えている真の黒幕の正体を知っています」
会議室の空気がさらに一段階、冷たく重いものへと変わった。
オールマイトは自身の過去の傷跡を晒すように、一つ一つ、重い口を開いていった。
かつて、この国が個性の発生によって無秩序に陥った時代から生き続ける、不死身の魔王がいること。
他者の個性を奪い、他者に与えるという、神をも恐れぬ『オール・フォー・ワン』という異常な個性を持つ男であること。
「……数年前、私が負ったこの致命傷も……私が倒したはずの、その男につけられたものです」
オールマイトの告白に教師たちは息を呑んだ。
あの無敵の平和の象徴を、引退の危機にまで追い込んだヴィラン。
「そして、USJや今回の合宿に投入された脳無という改造人間。あれは、複数の個性を人為的に与えられた存在です……そんな真似ができるのは、この世でたった一人しかいない……奴が、ヴィラン連合を裏で操っているのは、もはや疑いようのない事実です」
教師陣の反応は様々だった。
オールマイトと対等に渡り合うほどの力を持つヴィランが、未だに闇に潜んでいることに対する恐ろしさ。
複数の個性を同時に使いこなすという、ヒーロー社会の前提を覆す異常性への戦慄。
そしてその強大な正体を知ったことによる、底知れぬ疑問と不安。
「……ちなみにだが」
重苦しい絶望が沈殿しそうになった会議室に、難羽が涼やかな声が響いた。
彼はオールマイトの深刻な話を補足するように口を開いた。
「そのオール・フォー・ワンという男の本来の名字は、死柄木という」
「死柄木……!?」
「リーダーの死柄木弔と、同じ……!」
マイクとミッドナイトが、同時に声を上げた。
「その通り。死柄木弔と裏に潜む巨悪との間に、極めて密接な関係があるのは間違いないだろう。単なるパトロンや黒幕というだけではない、もっと深い執着の繋がりが」
難羽は自分のことを完全に棚に上げて、他人事のようにそう分析した。
だが、もはや教師たちの中に彼に食ってかかろうとする気力は残っていなかった。
疲労と、次々と明かされる絶望的な事実。
そして何より彼らは理解しかけていた。
難羽解次という男は、自分が怪しまれるような真似をしていることを一切隠そうとしていない。
彼は『自分が疑われることなど最初から分かった上で、言う必要のないことは話していないだけ』なのだと。
この男は敵ではない。
だが味方と呼ぶにはあまりにも異質で、高次元すぎる存在。
信用は出来ても信頼出来ない典型だった。
「……さて。今の八木の話で、我々が対峙している本当の敵の輪郭が分かったわけだが……」
難羽は再び冷徹な論理の目で教師たちを見据えた。
「そのうえで言うが、我々が学内に潜む内通者を必死に見つけ出したところで出来ることなどない」
完全に難羽のペースに飲まれていた。
先ほどまで「裏切り者を野放しにするのか」と激昂し、声を荒げていたプレゼントマイクは。
今度は、まるで巨大な講堂で老教授の講義を受ける一人の学生のように、先ほどとは比べ物にならないほど小さな、震える声で問い返した。
「それは、なんでだ……?」
「……簡単で最悪な理由だ」
難羽は教師たちを静かに見渡した。
「そのオール・フォー・ワンという男……アレは、強大な力を持ったガキなんだよ」
「ガキだと……?」
スナイプが眉をひそめる。
「ああ。アレは目的のためには手段を選ばないように見えて、その実、極めて回りくどい手段を好む……例えば、私が既に内通者の正体に辿り着いていることには気付いていない。だが、もしここで内通者を公に暴き、切り捨てた場合……どう動くと思う?」
難羽は自分の思考の道筋をトレースさせるように、ゆっくりと語り始めた。
「奴は今、自分で作った複数のルートから目的に辿り着くように動いている。雄英の情報を抜き取り、生徒を狙い、社会の信頼を揺るがす……闇のフィクサーがゲームの盤面を裏から操作するような行動だ」
そこで難羽は言葉を一度区切った。
「しかし、だ。現在雄英にいる内通者はたった一人。奴ほどの巨悪が雄英という強固な組織の情報を得るために、たった一人の駒に依存し過ぎているとは思わないか?」
マイクが息を呑む。
内通者が1人だという新事実そのものではなく、自身がイメージする巨悪の情報源が内通者一人であることの不自然さが理解できたからだ。
「通常、国家レベルのテロや組織的なスパイ活動においてこのような情報の取り方をする場合、駒が潰された時のために必ず第二、第三の
難羽の銀色の瞳が、冷たく細められた。
「……つまりだ。奴は本質的には、雄英の情報を内通者から盗むこと自体を絶対の目的とはしていない」
「……では、何のために、わざわざ内通者などという回りくどい真似を?」
ミッドナイトが信じられないものを見るように問いかけた。
難羽は、こともなげに頷いて答えた。
「遊びだからだ……結局のところ、自分の思い通りにヒーロー社会の綻びを作って楽しむ、『ごっこ遊び』の範疇を出ていない」
「ごっこ遊び……だと!?」
これだけの大惨事を引き起こしておいて、それが遊びに過ぎないというのか。
教師たちの顔に再び怒りの色が浮かびかける。
「では、質問を変えよう」
だが、難羽は全く意に介さず、さらに恐ろしい問いを投げかけた。
「オールマイトと痛み分けをするほどの絶大な暴力を持ったヴィランが今もどこかで生きているとしたら……お前たちは、そのヴィランに何をされるのが一番嫌だ?」
「……!」
オールマイトがビクッと肩を震わせ、教師たちは一斉に沈黙した。
情報漏洩か。
生徒の誘拐か。
社会的な信用の失墜か。
「……あ」
その答えに真っ先に気付いたのは、音という物理的な波動を扱うプレゼントマイクだった。
彼の顔から、一瞬にしてすべての血の気が引いていく。
「……力による、ゴリ押しだ」
マイクの喉から掠れた声が漏れ出た。
「そうだ」
難羽は短く肯定した。
「突然、この雄英高校にオールマイトが殺意を持って突っ込んできたと想定しよう……潜入作戦だの、情報の撹乱だのといった小細工よりも。ただ正面から歩いてきて、超範囲の物理的破壊を無差別にバラ撒かれることこそが我々にとって最も恐ろしく、そして最も防ぎようのない最悪の事態だろう?」
雄英高校は日本中の誰もが知る場所に堂々と建っている。
場所が完全に公開されているのだ。
正門には強固な雄英バリアーがある。
しかし全盛期のオールマイトと同等、あるいはそれ以上の力を持つ化け物が、もし上空から、あるいは地下から力任せに攻め込んできたとすれば。
いかに雄英の防壁が厚かろうと、一瞬で消し飛ばされ、何百人という生徒たちが瓦礫の下敷きになる。
「……つまり」
マイクはカタカタと震える自身の膝を手で押さえつけながら、絶望的な事実を口にした。
「そいつは……盤面をひっくり返すちゃぶ台返しが、その気になればいつでも出来るってことか……?」
「その通りだ」
難羽は残酷な真実を突きつけた。
「内通者がいる内は……奴の思い通りに情報が入り、ゲームの盤面が成立している内は、敵であるオール・フォー・ワンはあくまでフィクサーとして、裏から駒を動かしてくる」
難羽の言葉は、彼らが内通者を見つけても何もできないという最大の理由を、鋭利な刃物のように解き明かしていく。
「だが、我々が内通者を暴き出し、それを逆手にとって偽の情報を流そうとしたり……あるいは、内通者からの情報を完全に断たれ、奴がゲームの
「……面倒な裏工作を放棄する」
スナイプが呻くように言った。
「そうだ。下手をすれば……ゲームに飽きた奴自身が、大破壊をもたらす究極の移動ユニットとして、この雄英に直接やってきかねない……お前たちにそれを防ぐ手立てはあるか?」
誰も答えられなかった。
オールマイトは既に活動限界が短く、あの時のように戦える保証はない。
もしオール・フォー・ワンが直接雄英を強襲すれば、ここにあるすべてが塵と化す。
内通者の存在は、雄英にとって毒であると同時に。
巨悪をゲームの枠内に留めておくための、皮肉なストッパーとして機能してしまっているのだ。
「それと、もう一つ補足しておこう」
難羽は絶望に打ちひしがれる教師たちに向かって、さらに深く、倫理的な抉りを入れた。
「そもそもお前たちは、内通者が『雄英を憎む悪意』を持っていること前提で話しているが……奴の性格を考えれば、大切な家族を人質に取られるなどして、無理やり裏切りを強要されている可能性も勿論あるからな」
「……う、ウウゥゥゥッ!!」
プレゼントマイクが両手で頭を抱え、獣のように怒りと無力感で唸り声を上げた。
難羽は先ほど、この会議室に内通者はいないと断言した。
そして彼の口調からして、ランチラッシュやリカバリーガールなどの教員も含まれない。
そして今、この会議室にいない雄英の人間と言えば、聴取を受けている相澤とブラドキング、そして他ならぬ『生徒たち』である。
相澤たちが裏切るはずがない。
だとするならば、内通者は十中八九、1年A組かB組の生徒の誰かということになる。
もし自分たちの生徒の中に、家族の命を盾に取られ、毎晩泣きながら震え、仲間を売ることを強要されている子供がいたとしたら。
その内通者を突き止めたとして、プロヒーローである彼らは、その生徒に向かって「人質のことは無視しろ」「諦めてヴィラン側の情報を渡せ」と、果たして言えるだろうか?
逆に内通者であることを突き止めた上で、何も知らないフリをしてその生徒を受け入れ続けたとしたら。
それはその子供に対して、バレる前とは比べ物にならないほどの、地獄のような苦しみと罪悪感を背負わせることになる。
お前が裏切っていることは知っているが、黙ってそのまま泳いでいろと、大人の都合でより重くなった十字架を背負わせるのだ。
「……手も、足も出ないのか。俺たちは……」
マイクがテーブルの上に力なく突っ伏した。
根津校長も、目を伏せて沈黙するしかない。
戦っていないにも関わらず。
刃を交えることすら許されないまま。
初めてその正体と真の恐ろしさを知らされた『オール・フォー・ワン』という巨悪の底知れぬ悪意の前に。
雄英高校のプロヒーローたちは既に盤上の遥か手前で、完全に一つ目の敗北を喫していたことがわかったのだった。
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