神野区の表通りにあるヴィラン連合のアジト。
プロヒーローたちの電撃的な急襲によって壁を粉砕され完全に制圧されたかに見えたその場所は、今や不気味なほどの静けさに包まれていた。
「……逃げられたか」
オールマイトは木っ端微塵になったバーカウンターの残骸を見下ろし、ギリッと奥歯を噛み締めた。
死柄木弔をはじめとするヴィラン連合の主要メンバーたちは突入のほんの一瞬の隙を突き、黒霧のワープゲートによって完全にこの場から姿を消してしまった。
だが、オールマイトの心を最も苛立たせ、焦燥させているのは彼らの逃走そのものではなかった。
彼の網膜にはつい先ほどの光景が焼き付いて離れなかった。
(……常闇少年が、黒霧のワープとは全く別の個性によって転移させられた……!)
警察の捜査とこれまでの交戦データから、ヴィラン連合のメンバーの素性や個性は粗方確認されている。
あのような転移の個性を持つ者は、表の連合メンバーの中には存在しない。
その上であのような転移の個性が常闇に対して直接使われたということは。
(奴だ……オールフォーワンが、個性を発動させて転移させたんだ!)
なぜ常闇だけを別の手段で転移させたのか。
単純にアジトから逃がすだけなら、死柄木たちと同じように黒霧のワープゲートに放り込めばいいはずだ。
わざわざ別口で転移させたということは奴にとって、常闇踏陰という少年の存在を利用したい計画があるのだろう。
「……待っていろ、常闇少年。今、必ず助け出す……!!」
オールマイトは足の筋肉に限界以上の力を込め、アジトの崩れた壁から夜の神野の空へと、まるで砲弾のように跳躍した。
奴が潜伏している可能性がある場所はもう一つある。
自分が攻め込んだこのアジトとは別の場所。
単純な戦闘力を持ったヴィランではなく、拘束や捕縛に特化したプロヒーローが集中的に派遣されている、脳無の格納庫の方だ。
オールマイトが自身の強靭な脚力だけで夜空を飛び、一直線に工業地帯へと向かいながら思考を巡らせていた、まさにその瞬間だった。
眼下の工業地帯——彼が目指していた廃倉庫のあたりから、夜空を焦がすような凄まじい爆発の閃光と地響きが巻き起こった。
「なんだ……!? ジーニストたちが、敵の抵抗に遭っているのか!?」
オールマイトが目を凝らすと、工業地帯の街の外れで、プロヒーローたちが巨大な漆黒の怪物と死闘を繰り広げているのが見えた。
だが、オールマイトの視線はすぐに、そこから離れたもう一つの爆心地へと釘付けになった。
「……あ、あれは……!」
倉庫群のさらに奥深く。
地面がクレーターのように抉れ、コンクリートの残骸が宙を舞う激戦のグラウンド・ゼロ。
そこで二つの人影が、人間の限界を超えた次元の殺し合いを繰り広げていた。
一人は黒いマスクとスーツに身を包んだ、巨大な異形の腕の男、オール・フォー・ワン。
そして、もう一人。
あの因縁の宿敵とたった一人で互角に渡り合っているのは、オールマイトの知るプロヒーローの誰でもなかった。
漆黒の装甲服を着込み、黄色いマフラーをなびかせる、飛蝗の死神——仮面アクターであった。
両者が激突していたのはもはや地上ではなく、重力を無視した空であった。
仮面アクターの漆黒の拳が、空気を切り裂いてオール・フォー・ワンの顔面を捉えようとする。
打撃そのものは個性の障壁で防がれる。
しかしその途方もない運動エネルギーが、痛打を与えずともオール・フォー・ワンの巨体をさらに上空へと強引に押し込んだ。
「……素晴らしい力だね」
オール・フォー・ワンは自身の個性によって宙にふわりと浮いたまま、地を蹴って再び突撃してくる仮面アクターを見下ろし、その太い右腕を前方に突き出した。
「『空気を押し出す』+『
いくつもの凶悪な個性が紡がれると同時に、彼の右腕の筋肉が異常なまでに膨張し、バネのように圧縮される。
複数の個性の複合が、彼の腕を超強力な圧縮空気を放つ大砲へと変貌させた。
空間そのものを削り取るような、巨大な空気の爆弾が仮面アクターへと放たれる。
だが、死神は止まらない。
ベルトの三連風車が激しく回転し、マスクの奥の複眼が鋭く発光する。
『ジャンプ・ホッパー』
仮面アクターの肉体が、瞬間的に超高速の世界へと突入した。
その原理は、彼がかつてガイツの姿で使用していた加速装置と全く同じものである。
ただしガイツの加速装置は、高速移動による衝撃波や風圧で周囲の一般人や建物を破壊しないようにするため。
発生する余剰エネルギーをすべて自身のスーツ内部で吸収するという、安全装置のプロセスを挟んでいた。
それこそが、あの機能を使用した際に激しい消耗と反動を伴う最大の原因であった。
しかし。
復讐と殺戮のためだけに特化した仮面アクターのシステムに、周囲を守るための反動吸収機能は搭載されていない。
加速の機能は、より瞬間的に、より暴力的で、より攻撃的な刃となってその真の姿を現したのだ。
超高速の世界で放たれた、漆黒の飛び蹴り。
ただでさえ超人的なサイボーグの身体能力を、さらに極限まで底上げして加速させたその一撃は通り道の空気を強烈に押し込み、断裂させた。
それはさながら、巨大な見えない空気の斬撃。
周囲の建物を消し飛ばそうと迫っていたオールフォーワンの空気の爆弾は、仮面アクターの脚から放たれた空気の斬撃と正面から激突し、互いの威力を完全に相殺して空中で大爆発を起こした。
『ホバー・ドラゴンフライ』
爆風を突き抜け、仮面アクターの背中から、まるでトンボの
それはヘリコプターのローターのように空気を捉え、彼の身体を重力から解放して宙に留まらせた。
「……本当に素晴らしいね、君は。僕にはわかるよ。その背中の翅も、さっきの加速も……個性じゃない。すべて、極限まで突き詰められた科学と技術だけで、この僕と戦っているんだね」
オールフォーワンが、心底感心したように拍手を送る。
そしてそのままの笑顔で、自身の指先から
指先から伸びた黒く鋭い鋼鉄の管が、無数の槍となって仮面アクターの全身を貫こうと殺到する。
仮面アクターは背中の翅の推力を利用し、空中を凄まじい速度で縦横無尽に飛び回りながら、その必殺の管を紙一重で回避していく。
そして、自分に向かって真正面から突っ込んでくる一本の太い管を漆黒のブーツで強く蹴り上げ、軌道を逸らした。
その一瞬の隙。
彼は空中で体勢を立て直し、オール・フォー・ワンの心臓へと明確な殺意の狙いを定めた。
彼の左腕の装甲が音を立てて複雑に変形していく。
瞬く間に形成されたのは、腕そのものが一体化した禍々しい紫色のスナイパーライフルであった。
『ショット・スコーピオン』
銃口から放たれた紫色のエネルギー弾丸が空気を切り裂き、回避不能のタイミングでオールフォーワンの右腕に深々と突き刺さった。
「……おや?」
オールフォーワンが首を傾げる。
瞬間、弾丸が刺さった点から、彼の太い右腕の皮膚がドス黒く変色し、筋肉が麻痺し、ズタズタに溶けるように腐食していく。
「……なるほど、高濃度の毒か。生物的なアプローチも忘れないとは実に厄介だ」
オールフォーワンは自身の腕が溶け落ちていくのを極めて冷静に観察すると、左手の指先から個性による骨の槍を出し、毒に侵された自分自身の右腕の付け根に容赦なく打ち込んだ。
彼自身の右腕が根本から大きく抉れ、毒に侵された肉塊が地上へと落下していく。
だが次の瞬間には、彼の個性の一つである超再生が発動し、抉れた断面から肉の繊維が蠢き、まるで映像を巻き戻したかのように、真っ新な右腕が瞬時に再生・復元されてしまったのだ。
「……君が科学でパワーアップしたように、僕も自分の肉体を守るために強力な個性を集めたんだ。もっとも、この超再生の個性はオールマイトに顔を潰された後に手に入れたものだから、あの時の傷は治せないんだけどね」
オールフォーワンが皮肉げに笑う。
「……結局は他人の個性の寄せ集めだな。技でなく、学びがなく、次がない」
仮面アクターは冷たく吐き捨てると、空中で両腕を大きく交差させた。
ベルトの風車が限界を超えて回転し、莫大なエネルギーが彼の両腕へと集中していく。
彼の両腕の装甲が大きく肥大化し、さらに禍々しい形態へと形を変えていく。
瞬く間に形成されたのは仮面アクターの本体よりも遥かに巨大な、漆黒の金属アーム。
拳の部分は隕石をも砕く重厚な黄色いガントレット。そして肘の部分からは、天に向かって鋭く伸びるヘラクレスオオカブトを模した長大で凶悪な黒い角。
『ダブルアーム・ヘラクレス』
「ハァッ!!」
仮面アクターが上空から一気に降下する。
握り込まれた巨大な両腕が大質量のハンマーとなって、まるで落下する隕石のようにオールフォーワンの頭上へと叩き込まれた。
「……ッ!」
流石のオールフォーワンも、この純粋な物理的超質量の直撃を完全に防ぎ切ることはできなかった。
防御の個性を展開したがその圧倒的な衝撃に耐えきれず、彼の巨体は弾き飛ばされ、地表に向かって凄まじい速度で落下していく。
だが、地表へと落下していくオールフォーワンに焦りは全くなかった。
(……彼のあの重武装の攻撃。確かに凄まじい質量だが、僕の衝撃反転や超再生の許容範囲を超えるものではない。弾き飛ばされはしたが、決定的なダメージはない)
オールフォーワンは、落下しながら冷静に仮面アクターの戦力を分析していた。
(そして彼の武装は強力だが、遠距離攻撃の手段が多くないようだ。さっきの毒の狙撃も単発に過ぎなかった……おそらく周囲の一般人や建物への被害を考慮した結果、広範囲用の殲滅兵器を搭載していないのだろう。甘い男だ)
オールフォーワンの基本戦術は複数の個性を掛け合わせた理不尽な遠距離・広範囲攻撃である。
地表に着地してから距離を取り、上空に向かって無数の個性の複合攻撃を浴びせ続ければ、いずれ相手の防御は崩れる。
そう確信していた。
だが。
上空で巨大な腕を構えたまま、落下していく魔王を見下ろす仮面アクターの複眼も極めて冷静だった。
「……悪いが、こちらには『友』がいる……友達が居ない、可哀想な奴とは違ってな」
その言葉の意味をオールフォーワンが理解するよりも早く。
「──スマァァァァァァッシュッッッ!!!」
落下していくオールフォーワンの斜め下、地上の死角から。
黄金の闘気を纏った超高速の影が、ロケットのように接近してきた。
「……オールマイト!!」
オールマイトの怒りに満ちた渾身の右拳が、落下してくるオールフォーワンの無防備な腹部を完璧に捉え、そのままの勢いで彼を地中深くへと叩き込んだ。
工業地帯の大地が大きく陥没し、凄まじい土煙が天を衝く。
土煙が舞う中、地面に力強く着地するオールマイト。
そしてその横で翅のエネルギーを解除し、静かに降り立つ漆黒の仮面アクター。
オールマイトは横に並び立つこの黒い死神の正体が、自身の大師匠であることを、今はまだ知らない。
だが、なぜだろうか。
彼の隣に立っていると、心の底から不思議な勇気と、絶対的な安心感が湧き上がってくるのを感じていた。
それはこれまで己一人だけで孤独に担ってきた、『平和の象徴』という重すぎる十字架を隣で一緒に背負い、共に死地に立ってくれる本物の仲間がそこにいるような、温かくも力強い感覚だった。
「……行くぞ、八木」
仮面アクターが前を向いたまま低く呼びかける。
「ああ、行こう! ……仮面アクター!!」
オールマイトが応え、拳を強く握り締める。
土煙の奥からオールフォーワンがゆっくりと姿を現す。
オールマイトのスマッシュをまともに喰らいながらも、超再生と衝撃吸収の個性によって致命傷は免れており、依然として元気そうだ。
だがそのマスクの奥の気配は、これまで見せていた余裕のそれとは違い、二人の規格外の存在が完全に揃ってしまったことに対する、明確な不機嫌さと苛立ちを隠しきれていなかった。
「……今夜は、私とお前でダブルヒーローだ」
仮面アクターが構えをとり、オールマイトが闘気を極限まで高める。
ヒーロー社会の歴史上、最も苛烈で、最も熱い、魔王討伐の最終決戦が、今ここに本格的な幕を開けた。
工業地帯の廃倉庫群からさらに街の外れへと戦場を移したグラウンド・ゼロ。
トリガーによって限界を突破し、暴走状態に陥った巨大な黒影の姿は、まさに悪夢が受肉したかのような、手におえない圧倒的な脅威であった。
『ガァァァァァァッ!! 壊ス……! ゼンブゥゥッ!!』
「くそっ……! 押し負ける……!」
No.4ヒーローであるベストジーニストの、鋼線のごとき強靭なデニムの繊維。
本来であれば強大なヴィランであろうとも、一瞬にして四肢を雁字搦めに縛り上げ、無力化することができる必殺の捕縛術だ。
しかし、彼の個性は人類が服を着るという文化を持っている前提に成り立つものである。
目の前で暴れ狂うこの怪物は服を着ていない。
それどころか実体のある肉体ですらなく、ただ純粋な闇そのものを纏っているのだ。
繊維をどれだけ絡みつかせようとも、形を持たない暗黒の靄が形を変えてすり抜けてしまい、自身の衣服だけでは物理的に捕縛することが困難であった。
パワーも凄まじい。
巨大化しているマウントレディよりも一回り小さいとはいえ、その凝縮された質量と暴力性の前には、巨大な彼女ですら完全に押し負け、防戦一方に追い込まれていた。
さらに形が定まらない異形であるがゆえに、関節を極めたり、投げ技をかけたりといった物理的な抑え込みも通用しない。
ギャングオルカが超音波を放ち、虎が肉弾戦で決死の攻撃を仕掛けているが、正直に言って時間稼ぎ以上の効果があるとは到底言えなかった。
今のところ、この理不尽な怪物に対する明確な攻撃として通用しているのは、乱入してきた白髪の青年、燈矢の放つ超高温の青い炎くらいであった。
「……ッ、下がれ機動隊!! 奴を刺激するな!!」
ギャングオルカが叫ぶ。
個性の特徴を聞きつけた警察の機動隊が、装甲車の強力なサーチライトを黒影に向けて一斉に照射したのだ。
だが、トリガーによって活性化した怪物は、光を恐れるどころか、鬱陶しそうに巨大な漆黒の腕を薙ぎ払った。
「うわあああっ!!」
「チッ……!」
暴風と共に吹き飛ばされる機動隊員たち。
ジーニストが間一髪で彼らの制服の繊維を操り、空中で回収して地面への激突を防ぐ。
だが、強烈な打撃の余波を受けた彼らの傷は深く、これ以上の戦闘継続は不可能だった。
ジーニストは負傷者を後方へ逃がしながら、前線で一人、死神のように蒼炎を振るう燈矢の背中をちらりと見た。
(……あの青年の炎。規格外の威力だが……)
ジーニストの視界の先で、燈矢が蒼炎を纏わせたメイスを大きく振りかぶり、黒影の胴体に叩き込もうと踏み込む。
その瞬間、黒影の巨大な右腕が、燈矢をハエのように叩き潰そうと横薙ぎに迫ってきた。
「……ッ!」
燈矢が回避を諦め、相打ち覚悟でメイスを振り抜こうとした、その刹那。
夜の闇を切り裂き、遥か遠方のビルの屋上から放たれた謎の弾丸が、黒影の右腕の関節部分に正確無比に着弾した。
『グォッ!?』
着弾の衝撃で黒影の右腕が弾かれ、軌道が大きく逸れる。
それによって燈矢の蒼炎の一撃を遮るものはなくなり、爆発するかのようにメイスが黒影の胴体に叩き込まれた。
瞬間的に超高温の青い炎が黒影の身体に燃え広がり、怪物が苦痛の悲鳴を上げる。
だが、それもすぐにジュワッと音を立てて消え去ってしまう。
通常時の黒影にとって光と熱は明確な弱点であったが、トリガーで暴走した彼は、その弱点となる光すらも力任せに飲み込みつつあったのだ。
ジーニストは燈矢を絶妙なタイミングでサポートした狙撃手の存在から、彼らが空で戦っていた仮面アクターの仲間であることに気づいていた。
立場上、身元の分からない彼らをプロヒーローとして完全に信用しきることはできない。
だが、彼らが今、一般人を守るために一生懸命に戦ってくれていることだけは事実だった。
しかし。
ジーニストの研ぎ澄まされたプロの観察眼は、燈矢という青年の致命的な欠陥に気づいてしまっていた。
(……おかしい。あれほど強力な炎の個性を持つ者であれば、自らの炎をメインウェポンにするのが普通だ。サポートアイテムを使うにしても、あくまで威力の調整や、攻撃範囲を絞るための射出機程度)
だが、あの青年は違う。
彼は炎そのものを放って攻撃するのではなく、あくまで物理的な武器に炎を纏わせることをメインの攻撃手段としている。
まるで、自分の身体から直接炎を出し続けることを極力避けているかのように。
そして何より、ジーニストの鼻腔を突く吐き気を催すような異臭。
(……先ほどから漂う、肉が焦げるような嫌な臭い。これは黒影からの臭いじゃない……彼自身の身体が焼けている臭いだ!)
ジーニストは戦慄した。
あの青年の放つ蒼炎は彼自身の肉体を容赦なく蝕んでいる。
炎を使えば使うほど彼自身が焼け焦げ、死に近づいていくのだ。
このまま黒影との長期戦にもつれ込めば、敵を倒すよりも先にあの青年自身が灰となって崩れ落ちてしまう。
それはあまりにも危険で、悲壮な戦い方だった。
「……ハァッ……ハァッ……!」
燈矢の息は上がり、視界は熱と痛みのせいでグラグラと揺れていた。
ジーニストの推測通り、燈矢の蒼炎はあまりにも強力すぎる。
故に普段の戦闘であれば、長期戦になる前に一瞬で相手を焼き尽くして決着がつく場合がほとんどだ。
もし長期戦になったとしても、相手が蒼炎の威力に恐れをなして回避に専念するため、彼自身がダメージを受けるリスクは減る。
だが、目の前の怪物は違う。
理性を失った巨大な闇は、どれだけ焼かれようとも痛みを無視して突進してくる。
これほどまでに攻撃的で、すべてを焼き尽くす火力に特化した個性であるがゆえに、燈矢の防御面は致命的に脆かった。
自身の身体を燃やしてしまう炎の性質上、炎の壁を作って防御に回ることもできない。
敵の攻撃を炎で突破できなければ、彼自身の身を守るものは何一つないのだ。
「オラァッ!!」
燈矢が再びメイスを振り下ろす。
だが学習した黒影は、燈矢の動きの隙を突き、先ほど狙撃で弾かれたのとは逆の腕で強烈な裏拳を放った。
「……チッ!」
燈矢の腕に強烈な痺れが走り、彼が頼りにしていた炎のメイスが真っ二つにへし折られて砕け散った。
丸腰になり、無防備な身体を晒すことになった燈矢。
限界を超えて個性を使いすぎたせいで、脳の酸素が欠乏し、意識が朦朧としてくる。
(……くそが。氷があれば……)
薄れゆく意識の中で、燈矢の脳裏に自身の弟——焦凍の操る氷の個性が浮かんでいた。
炎で攻め、氷で守り、己の熱を冷ます。
あいつのような半冷半燃の体質であれば。
いや、自身の奥底に眠ると言われた冷気を防御に使えれば、こんな怪物の打撃など容易く防ぐことができるのに。
(……ふざけるな。誰が……ッ!!)
燈矢は血の滲む唇を強く噛み破り、朦朧とする意識を強引に現実に引き戻した。
自分の奥底にある力。
それは彼にとって、自身を失敗作として生んだ
エンデヴァーへの復讐を誓った自分が死に直面したからといって、あの女の力に縋って生き延びるなど、絶対に許されない。
そんなことをするくらいなら、ここで灰になった方がマシだ。
「……ナメんじゃねェぞ、化け物が……!!」
燈矢は砕けたメイスの柄を投げ捨て、全身から血を噴き出すように、自身の個性のリミッターを完全に解除した。
ここでこいつを止めるには、これしかない。
彼は自身の皮膚が黒く焼け焦げ、肉が爆ぜる音を無視し、全身を太陽の表面のような超高温の青い炎で包み込んだ。
もはや防御も回避も捨てた、自身の命そのものを燃料とする、特攻の構え。
「……一緒に灰になりやがれェェェッ!!」
狂ったような笑みを浮かべ、青い火ダルマとなった燈矢が、巨大な黒影へと飛び込もうと地面を蹴り飛ばした。
──―まさに、その瞬間だった。
「──
燈矢が突撃するよりも一瞬早く。
夜の闇を、そして黒影が放つ絶望の暗黒を完全に塗り潰すほどの、圧倒的な爆炎の奔流が横合いから一直線に突き刺さった。
「……なッ!?」
地獄の底から響き渡るような、重く、そして圧倒的な威圧感を持った咆哮。
放たれた超高密度の炎の一閃は暴走する巨大な黒影の胴体にクリーンヒットし、その理不尽な質量をまるで紙屑のように後方へと大きく吹き飛ばしたのだ。
「……ッ!!」
特攻の直前で動きを止めた燈矢の瞳孔が、極限まで収縮する。
彼の顔を横から突き抜けた凄まじい熱波が照らしていた。
単純な炎の温度だけで言えば、蒼炎を操る燈矢の方が上である。
しかし、今放たれたこの巨大な炎は違った。
技の洗練さ、炎の圧縮率、放出されるエネルギーの密度、そして何より、長年の死闘によって鍛え抜かれた純粋な威力と圧力において、燈矢の蒼炎を遥かに凌駕するまさに完成された業であった。
「……遅れてすまない、ジーニスト」
燃え盛る炎の軌跡の先。
吹き飛んだ黒影を見据え、アスファルトを溶かしながらゆっくりと歩みを進めてきたのは巨大な体躯を持つ一人の男。
顔と身体に消えることのない猛火の髭を蓄え、圧倒的な強者のオーラを全身から立ち昇らせている炎の化身。
「エンデヴァー……!!」
ジーニストが安堵と驚愕の入り混じった声を上げる。
ジーニストたちの緊急の連絡を受け、ヴィラン連合のアジトから最速で駆けつけてきた日本社会のNo.2ヒーロー。
轟炎司——エンデヴァーである。
「……ハッ。最高に胸糞悪ィ、横槍だぜ」
燈矢は自身と因縁ある男の広大な背中を前に、全身の蒼炎を燻らせながら、狂気と憎悪に満ちた笑みを歪ませた。
暴走する影の怪物。
命を燃やす青き炎の長男。
そして、すべてを焼き尽くす煉獄の父親。
神野区の地上においてもう一つの、あまりにも残酷で熱い宿命の炎の死闘が交差しようとしていた。