雄英高校の入学試験から三日が経過した。
季節は春の訪れを告げようとしているが、窓の隙間から忍び込む風はまだ冬の冷たさを鋭く残している。
緑谷は薄暗い自室の学習机に向かい、ただ虚ろな瞳で壁を見つめていた。
そこには、満面の笑みを浮かべたオールマイトのポスターが貼られている。
かつては勇気を与えてくれたその笑顔が、今は無言の審判のように緑谷の心臓を締め付けていた。
机の上には難羽が作成してくれた分厚いファイル『雄英入試傾向と対策・改訂版』と、ボロボロになるまで書き込み、手垢に塗れた自作のノートが置かれている。
難羽によるスパルタ式の学習管理。
そして、それに食らいついた緑谷自身の血の滲むような執念。
その結果、筆記試験の手応えは完璧だった。
自己採点でも、合格ラインを余裕で超えている。
だが、実技試験は――。
(……0ポイント)
緑谷は膝の上で、まだ包帯の巻かれた掌を強く握りしめた。
傷の痛みが、あの時の無力感を鮮烈に呼び覚ます。
オールマイトから授かった聖火、ワン・フォー・オール。
その身に余る強大な力を、試験本番の極限状態で制御することは叶わなかった。
唯一放った一撃は0ポイントの巨大ヴィランロボを粉砕し、瓦礫に挟まれた女生徒を救うことには成功した。
しかし、それだけだ。
他のヴィランは一体も倒せず、自身の四肢を破壊し、行動不能になっただけで終わった。
試験後、オールマイトからの連絡はない。
当然だ。
期待に応えられなかったのだから。
君はヒーローになれると言ってくれた人に、最悪の結果で答えてしまった。
友人の指導も、オールマイトの信頼も、すべてを無駄にしてしまった。
部屋の空気が鉛のように重く淀んでいたその時、玄関のインターホンが軽快な電子音を奏でた。
「はーい」
階下で母、引子の慌てたような声がし、扉が開く音がする。
「あ、難羽くん! いらっしゃい」
「お邪魔します、お母さん。外はまだ冷えますね。これ、駅前の和菓子屋ひだまりの羊羹です。お茶請けにどうぞ」
「まあ、いつもすみませんねえ。なんて気の利く子なのかしら……出久なら部屋にいるわよ」
聞き慣れた、しかし今日は世界で一番合わせる顔がない声が近づいてくる。
足音が階段を上がり、ノックの音が二つ、規則正しく響いた。
「緑谷、入るぞ」
返事をする間もなくドアが開き、難羽が入ってきた。
彼は緑谷の部屋の惨状——散乱した参考書と、沈み込んだ家主——を一瞥すると、持参した鞄を置いて椅子を引き寄せ、慣れた様子で腰掛けた。
「顔色が悪いな。筆記の手応えは完璧だったはずだが」
難羽は緑谷を責めるでもなく、ただ事実を確認するように静かに問いかけた。
そのあまりにいつも通りの落ち着いた声音が、今の緑谷には逆に痛かった。
「……うん。筆記は難羽くんのおかげでできたと思う。でも……」
緑谷は俯いたまま、喉の奥から声を絞り出した。
「実技が……ダメだったんだ」
彼は試験中の出来事を語った。
ポイントを稼げなかった焦り、突如現れた巨大ロボの絶望的な威圧感、瓦礫に挟まれた女の子、そして身体が理屈を超えて勝手に動いてしまったこと。
結果として得られたのは破壊した腕と脚の激痛、そして「0ポイント」という絶望的なスコアだけだったこと。
「……ごめん、難羽くん。あんなに勉強を教えてもらったのに、僕、何もできなくて……君の時間を無駄にしちゃった」
緑谷の声は震え、ノートの上に涙が滲む。
難羽は腕組みをして、緑谷の懺悔を最後まで黙って聞いていた。
そして全てを聞き終えると、ふっと息を吐き、呆れたように、しかし確信に満ちた声で言った。
「……それで? お前は不合格を確信して、部屋の隅で腐っていたわけか」
「え……?」
緑谷は涙目のまま顔を上げた。
「だ、だって0点だよ!? 過去のボーダーラインを見ても、こんな点数じゃ絶対……」
「緑谷、お前が受けたのは何の試験だ?」
難羽は緑谷の言葉を遮り、冷徹な問いを投げかけた。
「建物の解体業者の採用試験か? それとも喧嘩の強さだけを競う地下格闘技の選抜か?」
「そ、それは……ヒーロー科の、入試……」
「そうだ。ヒーロー育成学校とは、その名の通りヒーローを育成するための機関だ」
難羽は指を一本立て、静かに、諭すように語り始めた。
「確かに、ヴィランに対抗するための武力は不可欠だ。だが、まだ公的な戦闘訓練を受けていない中学生の段階で敵を倒せるかだけで合否を決定する教育機関など、三流の傭兵養成所だ」
難羽は立ち上がり、窓の外、夕日に染まり始めた雄英高校の方角を指差した。
「あの入試には面接がない。もし、ロボットを壊したスコアだけで合否が決まるならば、極端な話、力はあるが人格が破綻した暴れん坊や協調性のないヴィラン予備軍ですら、数字さえ稼げば入学できることになる……平和の象徴を輩出し、この社会の秩序を担う雄英がそんな穴だらけの欠陥システムを採用していると思うか?」
緑谷は呆然とする。
合格か不合格かという結果に囚われすぎて、その制度の設計思想についてまで深く考えたことはなかった。
「それに0ポイントの大型ヴィラン。学校側はお邪魔キャラだから逃げろと説明したそうだが……本当に無価値な存在なら、そもそも試験会場に配置する意味がない。コストの無駄だ」
難羽の瞳に理知的な光が宿る。
「巨額の予算を投じて巨大ロボを用意し、あえて倒しても得点にならないと宣言する。それはつまり、受験生に対して無駄なリスクを前にした時、どう動くかを試しているということだ」
「試して……いる?」
「ああ。目の前に圧倒的な危機が迫り、助けを求める者がいる。だが、助けても自分の試験の点数にはならない。見捨てて逃げれば、自分の安全と合格の可能性は高まる……その極限状況で、損得勘定を捨てて飛び出せるかどうか。それこそが法や制度では縛れない、ヒーローという職業に最も必要な資質だ」
難羽は緑谷の正面に立ち、その潤んだ目を見据えた。
「君は自分の身を顧みず、女生徒を助けるために飛び込んだ。そして、あの巨大な脅威を粉砕した……それは、単なるヴィラン退治のスコアよりも遥かに重い、ヒーローとしての本質を証明する行動だ」
難羽はわずかに口元を緩めた。
それはシステムについて語る時の冷徹な顔ではなく、緑谷という人間を好ましく思う、年上の友人の顔だった。
「雄英の採点基準には、公表されていない裏の加点項目が必ず存在する。例えば救助への貢献や、自己犠牲を伴う勇気を数値化するものな……そうでなければ、あの試験はただの欠陥プログラムだ。私が設計者なら、間違いなくそう組む」
部屋の空気が変わった。
難羽の論理的な言葉によって、緑谷の瞳にわずかながら光が戻ってくる。
「君の行動は0点という数字以上に、雄英の教師陣に強烈なインパクトを与えたはずだ……安心しろ、緑谷。君が見せたその損得を無視した自己犠牲こそが、この試験のアンサーだ」
難羽は緑谷の肩に手を置いた。
その手は温かく、力強かった。
「君のような人間が報われないのなら、そんな学校には行く価値がない……だが、雄英はそこまで腐ってはいないはずだ」
その言葉は単なる慰めではなかった。
社会という巨大なシステムを理解し、その在り方を問う難羽だからこそ言える確固たる分析と信頼。
それが緑谷の胸に深く、温かく染み渡った。
自分は間違っていなかったのだと、肯定された気がした。
「難羽くん……ありがとう……」
緑谷が涙を拭い、顔を上げたその時。
階下から、引子の悲鳴にも似た興奮した声が響き渡った。
「い、出久ーーっ!! 来たわよ! 雄英から、手紙が……!!」
その声は、重苦しかった空気を一瞬で吹き飛ばす号砲のようだった。
難羽はフッと笑い、椅子から鞄を拾い上げた。
「……どうやら、答え合わせの時間のようだ」
彼はドアを開け、緑谷を促した。
「行ってこい、緑谷。お前の『正解』を確認してこい」
現在句点ごとに改行していますが、通常の文章の書き方に直したほうがいいですか?
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段落を使った普通の文章のほうが良い
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今の文章の方が良い