バグのヒーローアルカディア   作:胡麻蝉あぶら

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番外編という扱いで、1話完結の話を少しの間投稿します。
本編開始までしばらくお待ちください。


7章 Curse of the Cloud Ninth
番外編2 九死に一生をキャット/ベストマッチを探せ


 

神野区の廃倉庫──ヴィラン連合の脳無保管庫から救出されたプッシーキャッツのラグドールこと、知床知子は、意識を取り戻した時には警察病院の真っ白なベッドの上にいた。

 

幸いにも彼女の肉体に致命的な外傷はなかった。

 

拉致された先で何らかの薬品を投与され、チューブに繋がれていた痕跡とそれに伴う衰弱はあったものの、命に関わるような大きな怪我は見当たらなかったのだ。

ヒーローとしての過酷な鍛錬を積んできた彼女の肉体は、数週間の静養を経れば、日常生活を送る上では全く問題のない水準にまで回復するだろうと見込まれていた。

 

しかし。

 

担当医から彼女に告げられた診断結果は、肉体の死よりも遥かに恐ろしく、残酷な事実であった。

 

 

「……知床さん。落ち着いて聞いてください。あなたの体から……個性因子が、完全に消失しています」

 

「……え?」

 

「個性を限界以上に酷使した結果、因子が損傷したり、一時的に機能不全に陥ったりする症例は過去にも存在します。しかし、あなたの場合は違う……まるで、最初から個性が存在しなかったかのように、因子そのものが消え去ってしまっているのです」

 

 

それはただの機能不全ではない。

完全なる個性の喪失。

ヴィラン連合の黒幕、オールフォーワンによる個性の略奪の事実を、医学的な数値が冷酷に証明していた。

 

 

知床の頭の中が、真っ白に染まった。

 

 

個性の喪失。

それは、プロヒーローにとって『戦闘手段と存在意義の喪失』を意味する。

 

ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツの中で、彼女は直接的な戦闘能力に長けているわけではない。

最大100人の位置と弱点を把握し続けるサーチという強力なサポート個性があったからこそ、彼女はチームの要として前線に立ち続けることができたのだ。

 

その個性がなければ、もはや仲間たちのサポートすらできない。

現場の足手まといになるだけだ。

 

 

 

それはすなわち、彼女が人生のすべてを懸けてきたヒーローという夢を今この瞬間に諦め、引退しなければならないという絶対的な死刑宣告であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後。

病室には悲痛な面持ちのマンダレイ、ピクシーボブ、虎の三人が見舞いに訪れていた。

 

 

「……心配かけちゃってごめんね! あちきはピンピンしてるよ!」

 

 

知床は患者衣の姿でいつもと変わらないハイテンションな笑顔を作り、猫の手のポーズを作ってみせた。

しかし傷のないはずの体の奥底で、ドロドロと何かが漏れ出ている気がしてならなかった。

 

 

「個性は無くなっちゃったみたいだけど、プッシーキャッツは不滅だよ! これからは事務所で、事務仕事やオペレーターとしてみんなを裏から全力でサポートするから! 覚悟しておいてよね!」

 

 

あまりにも気丈に振る舞う彼女の姿に虎は耐えきれずに大粒の涙を流し、マンダレイは唇を噛み締め、ピクシーボブは彼女の手を強く握りしめた。

 

知床は、彼らにこれ以上心配をかけたくない一心で、必死に作り笑いを浮かべ続けていた。

本当に涙を我慢できていたのか、声が震えていなかったのか、自分でもよく分からなかった。

 

ただ、大切な仲間たちの前でだけは、最後まで明るいラグドールでいたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仲間たちが病室を後にし、夕暮れの静寂が訪れた頃。

 

 

「知子……!」

 

 

病室のドアが開き、知らせを聞いて遠方から駆けつけてきた彼女の両親が、血相を変えて飛び込んできた。

 

 

「お父さん……お母さん……」

 

 

両親の顔を見た瞬間。

知床が必死に顔に張り付けていた猫の仮面が、ボロボロと音を立てて崩れ落ちた。

 

 

「う、あ……ああぁぁぁぁ……ッ!!」

 

 

いつもの猫語はそこにはなかった。

彼女は大粒の涙を堰を切ったように溢れさせ、子供のように顔を歪めて、声の限りに泣きじゃくった。

 

 

「怖いよ……悔しいよ……! 私の個性が……サーチが……! もう、ヒーローじゃ、なくなっちゃった……ッ!!」

 

 

ただ純粋に人を救いたかった。

仲間と一緒に、これからもずっと走り続けたかった。

 

その夢を、見ず知らずの悪意によって理不尽に奪い去られた悲しみと絶望。

 

 

「知子……! よく生きて帰ってきてくれた、それだけでいいんだ……!」

 

「個性が無くなったって構わないわ。……私たちにとって、あなたはいつだって、ずっと最高のヒーローよ……!」

 

 

両親は泣き叫ぶ娘を力強く抱きしめ、共に涙を流した。

母親のその優しすぎる言葉が、知床の胸をさらに締め付け、とめどない涙となってシーツを濡らし続けた。

 

 

病室の空気が、深い悲痛と家族の涙に沈み切っていた、その時だった。

 

 

ノックの音もなく、病室のドアが静かに開いた。

 

そこに入ってきたのは、病院の白衣を着た一人の医者であった。

年齢は二十代前半に見える若い男。

 

だがその風貌は、一般的な医師のそれとはあまりにもかけ離れていた。

 

頭の真ん中で、白と黒のツートーンにクッキリと分かれた奇抜な髪色。

顔に入った大きな手術痕。

 

そして、顔の半分を覆うような前髪の隙間から覗く、まるで刃物のように鋭く、すべてを見透かすような銀色の瞳。

 

異端の空気を纏ったその男は泣き崩れる知床と両親を見下ろし、ひどく芝居がかった、重々しい口調で問いかけた。

 

 

「彼女の個性を……奪われた力を、取り戻したいですか?」

 

 

その言葉は悲しみに暮れる家族に対する単なる願望を聞く質問ではなかった。

 

 

彼の持つ絶対的な自信が、それが治療可能であるという明確な事実を含んでいることを物語っていた。

 

 

「……え?」

 

 

知床が涙で潤んだ目を丸くする。

 

 

「ほ、本当ですか!? 娘の個性が、治るんですか!?」

 

 

両親が、藁にもすがる思いで男の白衣に縋り付いた。

日本最高峰の医師たちから、不可能と匙を投げられた絶望の淵に突如として垂らされた一本の蜘蛛の糸。

 

その医者は口角を吊り上げて不敵に微笑み、こう告げた。

 

 

「できますとも……だが、もし助かったら、三千万いただくが……」

 

 

あまりにも法外で、生々しい大金の要求。

 

しかし娘の夢と人生を取り戻せるのであれば、三千万という額は、両親にとって決して出せない額ではなかった。

 

 

「は、払います! 三千万!! だから、どうか娘の夢を終わらせな──」

 

 

父親が涙ながらに即答し、頭を下げようとした。

 

 

「……違う」

 

 

だが、男はスッと片手を上げて父親の言葉を静止させた。

猛烈に微妙な顔をして芝居がかった表情から真顔に戻る

そして、不思議そうな顔をする父親の耳元へ顔を寄せ、何かを耳打ちした。

 

怪訝そうな顔をしていた父親だったが、男に言われた通りの内容を戸惑いながらも必死に叫んだ。

 

 

「い、いいですとも! 一生かかっても、どんなことをしても払います! ……き、きっと、払いますとも!!」

 

 

その滑稽なまでに必死なセリフを聞いた瞬間。

白黒ツートーンの医者は心の底から満足そうに、ニヤリと悪魔のように笑った。

 

 

「──それを聞きたかった」

 

 

男は被っていた白黒のヅラを無造作に外し、ゴミ箱へと放り投げた。

 

現れたのは若い茶髪の男。

困惑の極みにある知床たちの前に立っていたのは、最近ご無沙汰だった20代ボディの難羽輪太郎であった。

 

 

「…………?」

 

 

知床が、目を白黒させる。

今のコントをなぜやったのかという困惑もあるが、彼の顔をどこかで見たことがあった気がしたからだ。

数日後、彼女はその顔と合致するニュースを見て思い出すのだが、それは別の話だ。

 

 

「余裕ができたからな、ちょっとやってみたかった。安心しろ、個性に関しては普通に治す」

 

 

難羽は悪びれる様子もなく肩をすくめ、懐から一枚のタブレット端末を取り出しながら、唖然とする家族に向けて治療方針の説明を開始した。

 

彼はタブレット端末の画面をスワイプし、ラグドールの精緻な肉体スキャンデータを空中にホログラムとして投影する。

 

 

「現在の彼女の肉体は、ただ個性が失われている状態というだけだ……それ以外の骨格、筋肉、臓器、そして脳の神経網に至るまで、何1つ欠損はない。事件に巻き込まれる前のプロヒーロー・ラグドールの肉体そのままだ」

 

 

難羽の言葉に、知床と両親は息を呑んで聞き入る。

 

 

「そのため、再度彼女の肉体に適合する個性因子を外部で培養し、それを彼女の体内に移植・定着させるというアプローチをとる」

 

「培養……?」

 

 

ラグドールが涙で濡れた顔を上げ、激しく困惑した声を漏らした。

 

 

「培養するも何も……先生。あちきの体から、個性因子はもう跡形もなく消え去っちゃってるんだよ? 種がないのに、どうやって増やすのさ……」

 

 

疑問はもっともだ。

失われたものを増やすことなど、物理的に不可能である。

 

 

「その疑問はもっともだ。この治療が必要なのはアレに関わった人間だけだから、治療技術も進んでいない」

 

 

難羽はこともなげに頷いた。

 

 

「種がないのなら、増やせない……ですので新たな個性因子の種を、一から作り出します」

 

「……な、新たな因子を作る!?」

 

 

母親が信じられないものを見るような目で叫んだ。

神の領域を侵すようなその言葉に、部屋の空気が凍りつく。

 

 

「そ、そんなこと……一体どうやって……!」

 

 

難羽は動揺する家族を落ち着かせるように、ゆっくりと手を前に出した。

 

 

「何も、魔法を使おうというわけではない。新たな個性因子の誕生……それ自体は生物学的に決して珍しいことではない……子供を産めば、両親の遺伝子が混ざり合った新たな個性が産まれるでしょう?」

 

 

それと同じだと難羽は、知床の両親を真っ直ぐに見据えた。

 

 

「ご両親。あなた方の体内から、それぞれ個性因子の細胞を採取させていただきます……そして、それらを私の研究施設で掛け合わせ、回収した知床さんの細胞の培地へと移植するのです」

 

 

この技術は手順や生成技術の面を見れば、ハイレベルな医療というわけではない。

しかし、この技術を必要とするのは必然的にオールフォーワンの被害者だ。

 

珍しい病気以上に対策がされないがゆえに、今この治療ができるのは難羽だけだった。

 

 

「ラグドールの身体は肉体的成長と長年のヒーロー活動によって、サーチという個性に完全に最適化された、いわば専用のハードウェアになっている……そこに、ご両親の因子を掛け合わせて創った新しい個性因子の種を、繰り返し移植し、適合テストを行っていく」

 

 

難羽のホログラム上で細胞が結合し、淘汰されていくシミュレーション映像が流れる。

 

 

「肉体はかつて宿していた能力の形を覚えている……無数の因子の中で彼女の肉体に最も定着度が高く、拒絶反応を示さない因子。それこそが、かつてのサーチの個性因子に最も近い性質を持った、新たな種となります」

 

 

難羽はラグドールの目をしっかりと見つめた。

 

 

「あとはその種を体内に完全に移植した状態で再びその個性を引き出し、使いこなすためのリハビリを行うだけ……肉体の記憶を頼りに、新しいエンジンのかけ方を学ぶようなものだ」

 

「…………」

 

 

その説明を受けた三人はあまりの衝撃に言葉を失い、完全に呆気にとられていた。

 

現代のヒーロー社会において、個性の喪失とは手足を失うこと以上の絶対的な治癒不能の絶望として認知されている。

 

それなのに。

 

目の前のこの男はその神をも恐れぬ喪失という絶望を。

まるで、少し複雑な骨折の手術とリハビリのプロセスを語るかのように、極めて論理的で、当たり前の医療行為として扱ってみせたのだ。

 

 

「……大体生成した個性因子の調査と培養、そして移植後のリハビリ期間を考えると……プロヒーローとしての完全復帰には一年。負担をかけないのがそのくらいだ」

 

 

難羽はタブレットの電源を切り、白衣のポケットから数枚の分厚い書類と黒い名刺を取り出した。

 

 

「こちらが手術内容に関する同意書と、私の連絡先です……三千万の支払い方法についてもそこに記載しています。ご家族でよく話し合って決めてください」

 

 

難羽はそれだけをベッドのサイドテーブルに静かに置くと。

呆然とする家族に背を向け、白衣の裾を翻して静かに病室のドアノブへと手をかけた。

 

 

「……あ、あの!」

 

 

ラグドールが震える声で彼を引き止めようとした。

だが、難羽は振り返ることなく、そのまま病室を後にした。

 

ガチャリ、とドアが閉まる。

 

 

 

「……お母さん! お父さぁぁぁんッ!!」

 

 

 

病室の奥から、先ほどまでの悲劇を嘆く重苦しい泣き声ではなく。

突然舞い降りた希望と、娘の夢が繋がったという途方もない幸運に家族三人で抱き合い、号泣して喜ぶ爆発的な歓喜の声が廊下まで響き渡ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

難羽は病室から漏れ聞こえるその歓喜の泣き声を聞きながら、一切の表情を変えることなく、冷たい病院の廊下を歩き続けていた。

 

今回、彼が彼女にこのような「奇跡」を施す理由。

それは彼なりの罪滅ぼしであった。

同意書にも治療費の記載は一切ない。

 

 

 

難羽は彼女を囮にした。

 

 

 

アットに林間合宿で接触するように頼んだ際、彼は発信器を付けることだけを頼んだ。

 

つまり、守れとは一言も言っていないのだ。

  

難羽は彼女を攫わせることでアジトの場所を把握し、オールフォーワンを引きずり出すことを目的としていた。

ワープの個性がある以上、単純に探すだけでは逃げられる可能性がある。

そのため、彼女の希少な個性を餌にした。

 

オールフォーワンが個性を奪う際に物理的な接触を必要とする関係上、彼女の場所が奴がいる場所となるからだ。

 

彼女は見事その役割を果たした。

 

故に、難羽は感謝される理由を持っていなかった。

確かに治療できるのは難羽しかない。

 

 

しかし、贄にしたのは難羽自身なのだから。

 

 

────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——というわけで。ラグドール様は一年後の完全復帰になりますわ。リハビリの進捗次第では、もっと早まるかもしれませんわね」

 

 

ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツの事務所。

 

応接室のソファにちょこんと座り、出された熱い緑茶を音を立てて啜りながら、極めて重大な事実を昨日の夕飯のメニューでも語るかのように軽く報告したのは、金色の縦ロールを揺らすメイド姿のアンドロイド——アットであった。

 

 

「…………は?」

 

 

そのあまりにもあっけらかんとした報告を聞いた、マンダレイ、ピクシーボブ、そして虎の三人は。

見事に口をぽかんと半開きにしたまま、呆気にとられて固まっていた。

 

 

「……あ、あのね、アットちゃん。ラグドールの個性は完全に消失したって、警察病院の偉いお医者様から言われたのよ?」

 

 

マンダレイが信じられないものを見るような目で、恐る恐る確認する。

 

 

「ええ、存じておりますわ。ですから、マスターがご両親の細胞から新たな個性因子を培養し、彼女の肉体の記憶を頼りに再定着させる手術を行ったのですわ」

 

 

アットはティーカップをコトリと置き、こともなげに頷いた。

 

 

「いやいやいや! なんでそんな神の奇跡みたいな手術が、盲腸散らしたくらいのテンションでサラッと終わってんのよ!?」

 

 

ピクシーボブがたまらずツッコミを入れる。

 

 

「あの日……個性とお別れして、もう二度とヒーローには戻れないって……みんなで泣いて抱き合った、あの数日前の悲しみに暮れた時間は、一体何だったんだ……!」

 

 

虎に至ってはあまりの展開の早さと状況の落差に、両手で顔を覆ってワナワナと震えている。

 

彼らが覚悟を決めて受け入れたはずの絶望は、難羽の手によって文字通りあっさりと覆されてしまった。

 

 

「フフッ。難羽の手にかかれば、その程度の欠損など造作もないことですわ」

 

 

アットはどこか誇らしげに胸を張った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても」

 

 

アットは視線をマンダレイからピクシーボブへと移した。

 

 

「ピクシーボブ様も、お顔に傷が残らなくて本当によかったですわ」

 

 

林間合宿の襲撃の際、ピクシーボブはヴィランの強烈な攻撃を頭部に受け、重傷を負って倒れた。

 

命に別状はなかったものの、プロヒーローとして、そして一人の女性として、顔に目立つ傷が残ることは避けられないと思われていた。

だが、現在の彼女の顔には傷痕は残っていない。

 

 

「……ええ。本当に、綺麗に治してもらったわ」

 

 

ピクシーボブは自身の頬を撫でながら、ふぅと安堵の息を吐いた。

 

彼女は現在、31歳。

プロヒーローという危険と隣り合わせの激務の中で、彼女は自身の婚期という抗えない現実の壁に、並々ならぬ焦りを感じ始めていたのだ。

 

ただでさえ出会いが少なく、特殊な職業であるヒーロー。

その上、顔に大きな傷が残ってしまえば、ただでさえ遠のいている結婚への道のりがさらに険しくなることは想像に難くない。

 

 

「……ねえ、アットちゃん」

 

 

ピクシーボブは身を乗り出し、猫撫で声でアットにすり寄った。

 

 

「そんなに凄腕で、お金持ちで、インテリなあなたのご主人様だけど……実際のところ、年齢はおいくつくらいなのかしら? 独身よね?」

 

 

ピクシーボブの瞳が、狩りをする肉食獣のようにキラリと光る。

彼女の頭の中では、難羽という超優良物件へのアプローチの計算が弾き出されていた。

 

 

アットは一切の表情を消した。

 

 

そして、無言のまま、右手で自身の首を掻き切るハンドサインをピクシーボブの目の前でゆっくりと提示した。

 

 

「ぶっ殺しますわよ、泥棒猫」

 

「ヒェッ」

 

 

アットから放たれた純度100%の殺意に、ピクシーボブが思わず悲鳴を上げてソファの端まで後ずさる。

 

 

「……そもそも。ピクシーボブ様と難羽様は年齢の次元が離れていますわ。釣り合いませんことよ」

 

 

アットは虫を見るような冷ややかな目で、ピクシーボブをバッサリと切り捨てた。

 

 

「ま、まだ31よ!! ……心はいつだって、ピチピチの18歳なんだからッ!!」

 

 

ピクシーボブが涙目で抗議するが、アットは完全に無視を決め込んだ。

 

そもそも難羽にとって彼女は若すぎる(・・・・)

彼女は逆の意味で受け取ったようだが。

 

 

(……とはいえ)

 

 

アットは腕を組みながら内心で深く考え込んでいた。

 

アット自身は恋愛という感情や機微について、決して得意なわけではない。

彼女のベースとなっている少女の影響で、少女漫画やサブカルチャーの知識に基づく愛の定義についてなら、小一時間でも早口で語り続けることはできる。

 

だが、それはあくまでデータベース上の知識であり、彼女自身が恋愛を経験したわけではないのだ。

 

 

(難羽様から与えられた任務の傍ら、ヒーローたちのメンタルケアも重要なサポートの一環……ならば、婚期に焦るこの痛々しい猫様のために、わたくしのデータベースからちょうどいい殿方を検索して差し上げるのが、有能な秘書というものですわね)

 

 

アットの電子頭脳が、超高速でマッチングを開始する。

 

結婚を前提とした誠実な恋愛ができること。

プロヒーローという特殊で危険な活動に、深い理解があること。

年齢が近く、できれば身元のしっかりした知り合いであること。

 

 

 

 

【候補検索:雄英高校 男子生徒】

 

 

却下。

 

いくら心が18歳と嘯こうが、リアルな15歳の少年たちを31歳の女性に勧めるのは、倫理的にも絵面的にも双方にためらわれる。

犯罪の匂いがする。

即除外。

 

 

【候補検索:ショッカー幹部 男衆】

 

 

論外。

燈矢や分倍河原に恋愛などさせたら、精神崩壊に巻き込まれるのがオチだ。

彼らは恋愛の前に、まず精神的な安定と社会復帰のリハビリが先である。

 

 

では、鷹見は? 

 

彼は一見、飄々としていて誰とでも仲良くなれる愛嬌がある。

顔も良く、No.3ヒーローという地位もある。

だが、アットは彼の本質を見抜いていた。

 

彼は逆なのだ。

 

表面的には誰とでも距離を詰められるが、その実、己の心の一番深い奥底には、絶対に他人を簡単に踏み込ませないタイプだ。

デート数回で付き合って、トントン拍子に結婚、などという平凡な幸せの選択を取れる男ではない。

除外。

 

 

【候補検索:難羽】

 

 

わたくしのもの。

却下。

 

それに、彼自身も恋愛感情の分析や他者の心理誘導には長けているが、自分に向けられた好意には絶望的に疎い、典型的な朴念仁タイプだ。

あの方と付き合うまでにどれほどの百年単位の時間がかかるか、誰にも分からない。

 

問題なのは年齢の壁が存在しないことだ。

老婆だろうとその愛が本物なら、改造して若返らせかねない。

 

 

「…………」

 

 

アットは頭を悩ませた。

顔の知っている男性を片っ端から並べてみたが、見事にちょうどいい男性が見つからない。

 

そもそもプロヒーローという仕事は世間的には大人気だが、極めて特殊だ。

 

世間の人間がヒーローとしての彼らの活躍や華やかさを好んでも、一人の人間としての彼らの泥臭さ、いつ死ぬか分からないリスク、不規則な生活のすべてを愛し、受け入れられるとは限らない。

 

だからこそ、ヒーロー同士の職場結婚が多いのだ。

 

誠実で、ヒーローに理解があり、年齢が近い。

 

そんな都合のいい人間が、そうそういるはずが——

 

 

 

「…………あっ!」

 

 

 

その瞬間。

 

アットの金色の頭頂部から、光り輝く裸電球がニュッと生えた。

 

 

「……えっ!? ひらめくと、頭から物理的に電球が出るの!?」

 

「どんな機能搭載してんのあなたの主人!!」

 

 

ピクシーボブとマンダレイが、揃って激しいツッコミを入れる。

 

 

「……見つけましたわ」

 

 

アットは頭に電球を生やしたまま、キラキラと輝かせてピクシーボブの方を指差した。

 

 

 

「ピクシーボブ様にピッタリの、最高に誠実で、実直で、ヒーローへの理解が海よりも深い……超優良物件を!!」

 

 

 

─────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アットのひらめき電球が引っ込んでから、数日後のこと。

プッシーキャッツの事務所の応接室に、パリッとしたスーツを着こなす一人の長身の男性が訪れていた。

 

 

「——こんにちは! 以前はインゲニウムと名乗っておりましたが……改めまして。インゲニウム・リスタ、飯田天晴です!!」

 

背筋をピンと伸ばし、体育会系の爽やかさと実直さを掛け合わせたような、あまりにも誠実すぎるお辞儀。

 

その声と姿を見て、ピクシーボブは勿論、マンダレイや虎も、信じられないものを見るように目を丸くしていた。

 

 

「イ、インゲニウムって……保須市でヒーロー殺しに襲われて、下半身不随の重傷を負ったって……!?」

 

 

虎が震える声で尋ねる。

 

ヒーロー社会に激震を走らせた、ステインによるインゲニウム襲撃事件。

彼の脊髄は決定的な損傷を受け、現代の医療では二度と歩くことはおろか、ヒーローとして復帰することは絶対に不可能だと、大々的に報道されていたはずだった。

 

だが、目の前に立つ彼は自身の二本の足でしっかりと大地を踏み締め、力強く立っている。

 

 

「はい! 実は……ある人から特別な治療を受けまして。最近、ようやく自分の足で走れるまでに回復したんです!」

 

 

天晴は自身の脚をポンポンと叩き、太陽のように眩しい笑顔を向けた。

 

現在、彼は自身のヒーロー事務所で事務仕事をこなしつつ、所属するサイドキックたちに的確な指示を出す司令塔として活動している。

 

まだ前線でフル稼働するには少しリハビリが必要だが、身体が完全に本調子に戻れば、彼は新たなヒーロー名『インゲニウム・リスタ(Re:start)』と共に、再び全力を尽くして現場に復帰するつもりであった。

 

 

「……あの、特別な治療って、もしかして」

 

 

ピクシーボブが、ソファの端で優雅に紅茶を飲んでいるアットに視線を向ける。

 

 

「ええ。難羽様による治療ですわ」

 

 

難羽の人工個性移植による治療は見事成功。

天晴の脊髄は修復していないが、彼は問題なく走ることができる。

 

実はそんな彼だが、ある種の異形とも呼ぶべき肉体を得ている。

難羽は身体能力の個性による副作用を伝えていないため、その事実を彼は知らない。

 

あの個性は本来、動かなくなった下半身を動かすために移植したものである。

しかし、あの個性は身体能力を付与させるものであり、下半身だけに限定されない。

 

 

全身の骨が砕けようとも、痛みを無視すれば個性を使って立ち上がれるのだ。

 

 

無論いずれ気付くだろうが、リミッター解除のノリで使いそうな彼の様子を見て、自分で気付くまで言わないことにしたのだ。

  

 

なお、この天晴という男の誠実さは難羽の予想を遥かに超える、ある意味で厄介な代物であった。

 

 

通常、あれほどの絶望から奇跡の回復を遂げたならば、家族には治ったと報告し、どんな治療を受けたか説明して喜び合うのが普通だ。

 

しかし、天晴はそうしなかった。

 

難羽が犯罪者であることは理解していたが、悪人でないことも理解していた。 

彼を困らせるわけにはいかない。

 

そう固く決意した天晴はあろうことか、同居している弟や両親にすら、自分が完治する見込みのある治療を受けたことを一切秘密にしていたのだ。

 

結果としてどうなったか。

 

弟の天哉は、兄が治る見込みなど全くないのに、絶望の中で無理をして過酷なリハビリを続けているのだと壮絶な勘違いをし、兄の姿を見るたびに病室の陰でボロボロと涙を流すようになってしまった。

 

 

『馬鹿かテメー』

 

 

事の顛末を天哉の言動から察知した難羽は、すぐさま天晴に電話をかけ、受話器越しに雷を落としておくことにした。

 

『そんなに秘密にしたければ勝手にお前の身体をいじっている。伝達不足のすれ違いは一生後悔するから絶対やめろ』

 

 

良くも悪くも、飯田天晴の折り紙付きの誠実さと不器用なまでの真っ直ぐさを象徴する、嘘のような本当のエピソードであった。

 

 

「……というわけで」

 

 

アットが、スッと天晴の背後から現れ、彼をピクシーボブの正面へと押し出した。

 

 

「年齢は30歳。ピクシーボブ様のたった一つ下。性格は見ての通り、嘘がつけない超優良物件……どうです? わたくしの検索能力、完璧でしょう?」

 

「え? マッチング? なんの話ですか?」

 

 

天晴が不思議そうにキョトンとする中。

 

 

そんな彼と相対するピクシーボブの心臓は、かつてないほどの早鐘を打っていた。

 

 

ピクシーボブ——土川流子は、ベテランヒーローとして、この12年間、常に猫モチーフのテンションの高いキャラクターを貫いて頑張ってきた。

 

 

年齢を重ねるにつれ、フリルのついた猫のコスチュームや語尾に、内心ちょっとキツいかもと思い悩む夜もあった。

それでも彼女はプロとしての矜持を持ち、羞恥心に負けることなく、最前線で泥にまみれて戦い続けてきたのだ。

 

だからこそ、彼女は出会う男性に対して、常に強いプロヒーロー・ピクシーボブとしての仮面を被って接してきた。

ガツガツと婚活をアピールし、肉食系を装うことで、本当の女性としての自分を見られることから無意識に逃げていた部分もあった。

 

しかし。

いざ、目の前に。

すべてを真っ直ぐに受け止めてくれそうな、自分の中で本気で「有り」だと思える誠実な男性と、一対一で向き合ってしまった時。

 

十二年間被り続けてきた、分厚いベテラン猫の仮面が崩れ落ちてしまった。

 

 

「あ、あの……」

 

 

ピクシーボブはモジモジと指先を絡ませ、顔を真っ赤に熟れたリンゴのように染め上げた。

そして、上目遣いで天晴を見つめると、いつもの威勢のいい挨拶とは似ても似つかない、びっくりするほどか細く、控えめな声で呟いたのだ。

 

 

「こ、こんにちわ……」

 

 

そんなあまりにも可愛らしい完全なる乙女の姿に。

 

横で見ていたマンダレイは持っていたバインダーを取り落とし、虎は「流子が……普通の女の子に……!」と感動のあまりハンカチの端を噛み締めて号泣し始めた。

 

 

「あ、はい! ピクシーボブさん! 弟がお世話になりました!!」

 

 

天晴は、彼女の乙女心など微塵も気づいていない様子で、眩しいほどの純度100%の笑顔で、深く、礼儀正しくお辞儀を返した。

 

 

 

 

そんなこんなでアットの物理的なひらめきから始まった、突拍子もないお見合い(?)。

 

 

出会った二人がドラマのようにすぐさま恋に落ち、良い仲へと劇的に発展した……かと言われれば、流石にそこまで甘くはなかった。

 

 

天晴は極度の真面目人間であり、ピクシーボブもいざ本命を前にすると途端に奥手になってしまう不器用な女性だ。

 

それでも二人は少しずつ、確かな関係性を築き始めていた。

 

休日になると、二人はお互いの事務所の合間を縫って、カフェで向かい合い、ゆっくりと話をするようになったのだ。

最も、その会話の内容の八割方はこれからのヒーロー社会のあり方についてや後進の育成方法、あるいはリハビリの進捗といった、ひどく真面目で仕事熱心なものばかりなのだが。

 

 

「天晴さん、この間の作戦指示、すごく的確だったわね」

 

「いえ! 現場でピクシーボブさんが土流を完璧にコントロールしてくれたおかげです! 本当に素晴らしい個性と技術だ!」

 

 

ケーキを前にして、顔を真っ赤にしながら照れる流子と、どこまでも真っ直ぐに彼女のヒーローとしての生き様をリスペクトし、賞賛する天晴。

 

彼らがこれから、プロヒーローの同志から、生涯のパートナーへと歩みを進めていくのかどうか。

それはまだ、誰にもわからない。

 

だが、不器用な二人の背中にはこれから始まる新しい未来への、温かく、確かな希望の光が差し込んでいた。

 

 





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