バグのヒーローアルカディア   作:胡麻蝉あぶら

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番外編4 卓上バトルロワイヤル

 

 

夏休みが明け、1年A組の生徒たちは目前に迫る「プロヒーロー仮免取得試験」に向けて、各々が自身の必殺技の考案や個性の新たな応用方法の模索に没頭していた。

今日の午後の授業も、当然のように訓練施設であるTDL(トレーニングの台所ランド)へ移動し、実技訓練を行うものだと生徒の誰もが信じて疑っていなかった。

 

しかし、チャイムが鳴り終わったA組の教室の教壇の前に立っていたのは担任の相澤ではなく、新任教師である難羽解次であった。

 

しかも、彼はいつものスーツ姿でもなければ、ヴィランを蹂躙したあの黄金の骸骨(ガイツ)漆黒の死神(仮面アクター)の姿でもない。

どこにでもいる体育教師が着るようなごくありふれた紺色のジャージ姿で、チョークを片手に教壇に立っていたのである。

 

 

「……あの、難羽先生」

 

 

飯田が戸惑いを隠しきれない様子で真っ直ぐに手を挙げた。

 

 

「今日は必殺技の考案に向けた特訓ではないのですか? なぜ我々は教室に留め置かれているのか、そして……なぜ先生は、ヒーローコスチュームを着ておられないのでしょうか?」

 

 

雄英高校において、根津校長を除く教員たちは全員が現役のプロヒーローである。

 

その結果として、彼らは座学の通常の授業を行う場合であっても、自身のアイデンティティたるヒーローコスチュームを身に纏って教壇に立つのが半ば暗黙のルールとなっていた。

 

しかし、その飯田の極めて真面目な質問に対し、難羽は心底からの困惑を顔に浮かべた。

 

超常黎明期以前、まだ個性などという概念が存在しなかった時代から数百年を生きてきた難羽からすれば、飯田のその質問自体が意味不明の極みであった。

 

 

(……座学の授業で、なぜ戦闘服を着る必要があるんだ?)

 

 

難羽は内心で深くため息をついた。

 

ヒーローが学校の教室で戦闘服を着るのが常識だというのなら、歴史を教える教師は授業中に頭に戦国武将の兜鎧でも被らなければならないのか。

数学の教師はアインシュタインのコスプレでもするのか。

 

常在戦場という言葉を使えば聞こえはいい。

いつ敵が襲ってきても対応できるように、という理屈なのだろう。

 

だが難羽から言えば、そもそも雄英高校の敷地内、しかも教室にまでヴィランの襲撃を許している段階で、それは常在戦場などという生易しいものではない。

完全に防衛線が崩壊した詰みの段階である。

 

そんな状況下でコスチュームを着ていようがジャージであろうが、結果は同じことだ。

 

 

「……私が何を着ていようと、君たちの学びの本質には何の影響も与えない」

 

 

難羽は飯田の質問を淡々と受け流し、チョークを黒板の溝に置いた。

 

 

 

「はい……今日は皆さんに、ちょっと殺し合いをして貰います」

 

 

 

難羽の口から放たれた、あまりにも物騒で唐突な爆弾発言。

教室内が水を打ったように静まり返り、生徒たちの顔に緊張と動揺が走る。

 

 

「あァ!?」

 

その静寂を真っ先に破ったのは、眉間に深いシワを寄せた爆豪であった。

彼は机の上に足を乗せたまま、鋭い眼光で難羽を睨みつけた。

 

 

「殺し合いだァ? だったらこんなちまちました机の前に座らせてねェで、さっさと教室から出せや!! 全員ぶっ飛ばしてやるからよ!!」

 

 

血気盛んな爆豪の怒鳴り声。

それに対し難羽は一切動じることなく、ゆっくりと爆豪の方へ顔を向けた。

 

 

「……バクゴウ、この野郎。ふざけたこと言ってんじゃねェぞ、バカヤロウ!」

 

 

それは、かつて昭和から平成にかけて一世を風靡した伝説のコメディアンにして映画監督の模倣であった。

 

しかも本人の真似というよりは、彼をモノマネする芸人の特徴をさらに極端にデフォルメした、いわばモノマネのモノマネである。

誇張しすぎて顔の引き攣り方が凄いことになっていた。

 

 

「…………」

 

 

爆豪の怒りの導火線が、予想外すぎる角度からの奇行によって湿り気を帯びて消沈した。

 

他の生徒たちもどう反応していいか分からず、教室全体が完全に訳が分からないというカオスな空気に包み込まれた。

ダダ滑りである。

 

難羽は神野区の事件でオールフォーワンを殺し、自分の中で一つの区切りがついた。

結果として過去の自分が徐々に顔を出してきていたのだ。

 

 

それが伝わらなくとも昔のネタでボケてしまう、親父ギャグのようなタチの悪いボケ方である。

 

 

知っていることを前提としたモノマネ。

そもそも彼らにとって超常黎明期以前の俳優や芸人は歴史上の人物である。

今から織田信長のモノマネをしますと言っているようなものだった。

 

ひとしきり首を傾げた後、難羽はスッと真顔に戻り、何事もなかったかのように話を続けた。

本人は長い時を生きても精神の歪みが出ていないと思っているが、彼はこういった面でショッカー幹部からも心配されている。

 

 

「……冗談はさておき。説明を始めよう」

 

 

難羽は手元のタブレット端末を操作しながら、冷静声で語り出した。

 

 

「超人社会に生まれ育ち、いずれプロとして世界を背負って立つヒーローの卵たち、あるいはプロヒーロー達。彼らは自身の個性というものを、あまりにも絶対的で特別なものだと考えすぎている」

 

 

難羽の言葉に緑谷をはじめとする生徒たちの顔が引き締まる。

 

 

「物心ついた時からその能力と付き合い、自分だけの武器として磨き上げてきた……その結果、個性の使い方を自己完結させ、他者の視点から自身の能力を客観視して取り入れることを完全に忘れてしまっている」

 

 

難羽はタブレットをタップする。

そして画面にランダムに表示された2人1組の組み合わせを、黒板に次々と書き込んでいった。

 

 

「そこで今回、お前たちから個性を強制的に切り離す。今から黒板に表示されたペアで向かい合い、『相手の個性をもし自分が持っていたら』という前提の下で、互いの必殺技や戦術について徹底的に討論しろ」

 

「……相手の個性を、自分が持っていたら?」

 

 

麗日が黒板に書かれた自身の名前とペアの相手を確認しながら、不思議そうに呟いた。

 

 

「そうだ」

 

 

難羽は教壇から降り、生徒たちの間をゆっくりと歩きながら説明を続ける。

 

 

「これは全く異なる人生を歩み、全く異なる能力の使い方をしてきた人間から経験値と視点を取り入れるための訓練だ。自分では思いつかないような新たな個性の運用方法や、将来、他者と協力・連携を取る上での戦術的視野を広げるために極めて役立つ」

 

 

難羽は真剣な表情で話を聞く緑谷の机の横で立ち止まった。

 

 

「……戦闘訓練や雄英体育祭のような場では、能力の全容を隠した初見殺しが通用しただろう。だが、プロヒーローとなれば話は別だ。個性の詳細、戦闘の癖、そして弱点は、メディアの報道やヴィラン同士のネットワークを通じて瞬く間に裏社会へと広まっていく」

 

 

対してヴィランは初見殺しが基本だと、難羽の銀色の瞳が教室全体を鋭く射抜く。

 

 

「自身が気付いていない、あるいは無意識に目を背けている能力の死角を把握することは、生死を分ける絶対条件だ……思う存分、現実であれば死ぬ初見を知れ。生き残るための机上の殺し合いだ」

 

 

論理としては極めて理にかなっている。

確かに自分の能力の弱点を自分自身で見つけるのには限界があるし、他人の真っ新な視点からアイデアを貰うことは必殺技考案の大きなブレイクスルーに繋がるかもしれない。

生徒たちも頭ではその重要性を理解していた。

 

しかし、今は「自分の必殺技を身体を動かして編み出そう!」と意気込んでいた絶好のタイミングである。

 

体育館ではなく教室に座らされ、他人の個性のことについて話し合えと言われた彼らの心境は複雑だった。

出鼻を完全にくじかれ、どこか腑に落ちない、もどかしい感覚を抱きながら。

 

 

「……まあ、やってみるしかないか」

 

 

切島が苦笑いしながら席を立ち、指定されたペアの相手のもとへ向かう。

それを合図に、A組の生徒たちは渋々といった様子で机を動かし、それぞれ全く異なる能力を持つクラスメイトとの討論を開始したのである。

 

 

 

 

 

 

2人1組ののペアリングによって、A組の教室内は奇妙な熱気と困惑に包まれていた。

他人の能力を自身が持っていたら、どう戦うか。

 

その難題に最も頭を悩ませていたのは、クラス随一の秀才であり、創造の個性を持つ八百万百であった。

 

彼女の向かいの席には峰田が座っている。

八百万は自身の顎に手を当て、深刻な表情で視線を落としていた。

 

 

「……峰田さんの個性を、わたくしが持っていたとしたら」

 

 

八百万の優秀すぎる頭脳が、超高速で演算を繰り返す。

 

峰田の個性は頭から粘着性の球体を生み出し、対象を拘束するという極めて限定的なものだ。

 

八百万の創造と比較すれば、自身の脂質を激しく消費しないというエネルギー効率の面では優れている。

しかし状況に応じてあらゆる物質を生み出せる彼女からすれば、戦術の選択肢が「粘着球を投げるだけ」という一点にまで極端に狭められてしまう感覚に陥っていた。

 

 

「ダメですわ……どうしても広範囲を制圧するような決定的な戦術が思い浮かびません。峰田さんの個性をどう応用すれば……」

 

 

八百万が深い泥沼の思考に沈んでいく中。

対面の席で腕を組んでいた峰田が、突如として鼻息を荒くし、身を乗り出してきた。

 

 

「逆に俺が八百万の創造を持ってたら、やることは一つしかねえな!」

 

 

峰田の瞳にはヒーローとしての使命感とは全く異なる、ギラギラとした純度百パーセントの欲望が燃え盛っていた。

 

 

「自分の記憶と理解で何でも作れるんだろ? だったら俺は、自分好みのプロポーションの超リアルなエロフィギュアを創造するね! それも等身大のやつをな!!」

 

 

峰田が放ったあまりにも俗物的で、欲望に忠実すぎる最低な発言。

八百万の顔が瞬時に羞恥と怒りで真っ赤に染まった。

 

 

「は、破廉恥ですわ!!」

 

 

八百万は机を両手で叩き、声を荒げた。

 

 

「神聖なる個性の訓練中に、何を不純なことを考えているのですか! どんな状況でも万物を生み出せる至高の能力を、そのような低俗な欲求を満たすために浪費するなど、ヒーローとして言語道断です!」

 

 

峰田は自身の発言が招いた当然の叱責に対し、肩をすくめて言い訳をしようと口を開きかけた。

 

だが、その峰田の背後からいつの間にか近付いていた難羽が、静かに口を挟んだ。

 

 

「いや。今の峰田の発言は極めて理にかなっている」

 

 

「……え?」

 

 

八百万が目を丸くし、峰田自身も怒られるどころか肯定されたという事実に、完全に困惑した表情を浮かべた。

 

難羽は峰田の横に立ち、腕を組みながら八百万を冷徹に見下ろした。

 

 

「八百万。お前は知識が豊富で、どんな状況にも対応できる個性を持っている……しかし、恵まれた環境で育ってきた裕福なお嬢様という立場は、一般的な学生としての経験の少なさを意味する。つまり、お前は思考の幅が狭い」

 

 

難羽の直球の指摘に、八百万は息を呑んだ。

彼女の創造は、構造さえ理解していれば何でも作れる。

 

だからこそ、彼女は常に教科書通りの最適解を選ぼうとしてしまう。

 

敵が火を使えば耐火シートを、毒を使えば特定の解毒薬を、物理で押してくれば大砲を。

相手の能力や状況に合わせて、百点満点の完全な対策を練り上げようとするあまり、戦闘という極限状態の中で致命的な長考に陥ってしまうのだ。

 

 

「峰田の言うフィギュアを創るという発想。それを戦いのフィルターに通せば、どうなるか分かるか?」

 

 

難羽は言葉を紡ぎながら、彼女の固定観念を解体していく。

 

 

「等身大のダミーだ。煙幕を張った直後に、軽量のガスを詰めた自分そっくりの風船ダミーを設置しておく……相手がどんな個性を持ったヴィランであろうと、一瞬の隙を作ることができる極めて有効な動きだ」

 

 

八百万の瞳に雷に打たれたような光が宿った。

 

大砲や絶縁シート。

そういった特定の状況下でしか使えない百点の解答を、その都度頭を悩ませて創り出す必要はない。

 

ダミー人形の創造であれば、必要な脂質の消費量も少なく、構造も単純ゆえに瞬時に創り出すことができる。

それはどんな敵に対しても通用する『八十点の汎用的な動き』である。

 

 

「手元にあるありふれたもので代用する、一つあれば便利な十徳ナイフのような物の発想……学ぶべきは常に百点の解答をひねり出すことではない。思考を省略し、どんな相手にも最低限通用する八十点の手札をどれだけ即座に切れるかということだ」

 

 

最適解という呪縛からの解放。

難羽は彼女にプリセットの概念を与えた。

 

峰田から始まった発想のブレイクスルーに、八百万は全身の震えが止まらなかった。

 

 

「……素晴らしいですわ! 峰田さん!」

 

 

八百万は先ほどの怒りなど完全に忘れ去り、尊敬と感謝の眼差しで峰田の両手をきつく握りしめた。

 

 

「わたくし、完璧を求めるあまり、最も身近で効率的な手段から目を背けておりました。あなたの自由な発想のおかげで、わたくしの創造はさらに上の次元へと進化できますわ!」

 

「お、おう……どういたしまして……」

 

 

峰田は彼女に手を握られて喜ぶべき状況でありながら、ひどく申し訳なさそうな、引き攣った笑いを浮かべることしかできなかった。

 

なぜなら、彼は戦術的なダミー人形のことなど一切考えておらず、本当にただ純粋に、エッチなフィギュアを創りたかっただけなのだから。

 

勘違いと偶然が生み出した戦術の進化。

これもまた異なる視点の交差がもたらした奇跡の形であった。

 

 

 

 

 

 

教室の別の場所では、轟と瀬呂のペアが静かに、しかし熱を帯びた議論を交わしていた。

 

氷と炎という、圧倒的な殲滅力と広範囲制圧能力を誇る轟。

対して、両肘から射出するテープを用いた立体的な移動と、敵の捕縛に特化した瀬呂。

 

 

「俺が、轟の個性を持っていたら……」

 

 

瀬呂は自身の顎を撫でながら、これまでの己の経験則に轟の圧倒的な火力を当てはめて思考を巡らせていた。

 

 

「俺だったら……氷の力でいきなり敵を凍らせるんじゃなくて、まずは敵の周囲に分厚い氷の壁を創り出して逃げ道を完全に塞ぐ、かな」

 

 

瀬呂の頭脳には常に相手の自由を奪い、誘導するという罠師の思考が根付いていた。

 

 

「敵が動ける方向を一本道に限定して、袋小路に追い込んだところを……炎の力で、逃げ場のない一直線の火炎放射で狙い撃ちにする。広範囲にぶっ放すんじゃなくて、確実に仕留めるための誘導コンボだ」

 

 

その発想を聞いた轟は微かに目を見開いた。

轟はこれまで強力な氷の波を広範囲に放って一網打尽にするか、炎の熱量で圧倒するという自身の出力の高さに依存した直線的な戦い方しかしてこなかった。

 

 

退路を限定し、自身の攻撃を確実に当てるための地形の構築。

それは圧倒的な力を持つがゆえに大雑把になりがちだった轟の視点には無い、罠の概念をもたらした。

 

 

「なるほどな……俺にはない発想だ」

 

 

轟は素直に頷き、今度は自身の視点から瀬呂の個性について語り始めた。

 

 

「俺がお前のテープを持っていたら……空を飛び回ってアクロバティックに動くのはあんまりイメージ出来ねぇな」

 

 

轟の言葉に瀬呂も黙って聞き入る。

 

 

「だが、テープの粘着力と長さを活かして、戦場全体に見えないようにテープを張り巡らせておくことはできるな……いわば、昔の忍者が使っていた鳴子(なるこ)みたいなトラップ」

 

 

轟は机の上で指を交差させ、見えない糸が張り巡らされた戦場を図示してみせた。

 

 

「敵が移動してテープに触れた瞬間、その張力で敵の現在地を正確に把握する。捕縛するためじゃなく、索敵と早期警戒のためのセンサーとしてテープをばら撒くんだ」

 

圧倒的な広範囲攻撃を持つ轟だからこそ、敵の位置さえ正確に把握できれば姿を見ずとも壁越しに仕留めることができる。

 

それはテープを自身が動くための命綱や武器として捉えていた瀬呂にとって、戦場全体を支配する感覚器官へとテープを昇華させる新しい運用思想であった。

 

圧倒的な火力を持つ者の視点が、移動用だった個性を戦略レベルの索敵網へと進化させる。

異なる経験値を持つ人間同士が、ただ言葉を交わすだけで、これまで思いもよらなかった個性の新しい考え方が、教室のあちこちで次々と産声を上げていた。

 

 

 

 

 

 

教室の隅では、葉隠と青山のペアが互いの特性を活かしたコンビネーション技の模索に花を咲かせていた。

 

 

「私の透明化って、要は光の屈折を操ってるんだよね! だから、青山くんのネビルレーザーの光を私の身体で反射させたり、曲げたりできないかな!?」

 

 

姿の見えない葉隠の制服が興奮したように身振り手振りを見せる。

 

 

「素晴らしいアイデアさ! 僕の直線的な美しきレーザーが、君という見えないプリズムを通ることで、予測不能の全方位レーザーショーへと変貌を遂げるわけだね! まさに、死角なき輝き!」

 

 

青山が自身のブロンドの髪をかき上げながら、ポーズを決めて同意する。

 

光を放つ個性と、光を曲げる個性。

互いの能力を単体で考えるのではなく、二人で一つの新しい兵器として運用するという発想。

 

教室を歩き回りながら彼らの議論に耳を傾けていた難羽は、密かに満足げな笑みを深めていた。

固定観念の破壊。

それこそが超人社会という停滞した枠組みから一歩抜け出し、生き残るための絶対条件である。

 

 

 

 

 

 

だが、この机上の殺し合いにおいて。

 

最も劇的で、最も根源的な自己の能力の転換を迎えようとしていたのは、教室の中央で向かい合っている、一組のペアであった。

 

 

緑谷と砂藤の2人である。

 

 

砂藤は自身の持つ個性シュガードープに対して、心の奥底で常に微かな劣等感を抱いていた。

 

糖分を摂取することで三分間だけ自身の筋力を五倍に引き上げるという、極めて分かりやすいパワー型の個性。しかし、その代償として脳の思考能力が著しく低下し、時間が過ぎれば強烈な疲労と睡魔に襲われるという明確なデメリットが存在する。

 

翻って、目の前に座る緑谷の個性はどうか。

 

自らの身体を破壊するほどの異常な出力とはいえ、そのパワーの天井は砂藤のそれを遥かに凌駕している。

砂藤から見れば、緑谷の能力は自身の完全なる上位互換のように思えてならなかったのだ。

 

ゆえに、砂藤がもし自分が緑谷の個性を持っていたらと想像した時、その思考はあの圧倒的な超パワーをいかにして連続で叩き込むかという、純粋な出力の暴力性を活かす方向へと進んでいた。

 

しかし、対する緑谷の思考回路は、砂藤のそれとは全くの逆を向いていた。

 

緑谷は生まれつき個性に恵まれた人間ではない。

無個性から始まり、後天的に譲り受けた強大すぎる力を制御する。

自身の指を一本ずつ犠牲にして残弾としながら戦うという、特異すぎる戦闘経験を持っていた。

だからこそ、緑谷は砂藤の3分間パワーが5倍になるという能力を単純なステータス強化として見ていなかった。

 

『180秒という限られたリソースを、いかにして分割・運用するか』という、緻密なエネルギー管理の視点で捉えていたのである。

 

緑谷は手元のノートにびっしりと書き込まれた砂藤の個性の分析結果を指差し、身を乗り出した。

 

 

「砂藤くん……シュガードープって、糖分を摂取してパワーアップするわけだけど。その力が発動するタイミングは自分の意志で選んでいるはずだよね?」

 

 

緑谷の問いかけに、砂藤は不意を突かれながらも頷いた。

 

もし糖分を摂取した瞬間に強制的に能力が発動してしまうのであれば。

甘党である砂藤は、日常生活でケーキやチョコレートを口にするたびに理性を失って筋肉を膨張させ、暴走してしまうことになる。

そうならないということは、能力を起動するための明確なスイッチが彼の意識の中に存在しているということだ。

 

 

「つまり……全身に常時力を巡らせて戦うフルカウルの戦い方とは、完全に逆のアプローチを取るべきなんだ」

 

 

 

緑谷の瞳に強い光が宿っていた。

 

この授業の「もしあの人の個性を自分が持っていたら」という想定は、彼が無個性時代にひたすら頭の中で続けていたことである。

彼がぶつぶつと呟きながらする研究は、常に今の自分と過去の自分、ワンフォーオール継承前後の異なる視点を持って行っていたのだ。

 

 

「砂藤くんは今まで能力を発動させた後、その3分間を使い切るまでずっと筋肉を五倍に強化した状態で戦い続けてきた……でも、それでは脳の糖分が急速に枯渇して、思考力が落ちてしまう」

 

 

緑谷はノートの余白に時間とパワーのグラフを描き出した。

 

 

 

「もし、力を出しっぱなしにするんじゃなくて……敵の攻撃を防御する瞬間、地面を蹴ってジャンプする瞬間、渾身の拳を敵に叩き込むインパクトの瞬間にだけ、シュガードープのスイッチを一瞬だけオンにする戦い方に切り替えたらどうなるかな?」

 

 

 

その言葉の意味を理解した瞬間、砂藤の背筋に強烈な電流のような衝撃が走った。

 

砂藤の個性は、使用して3分経過すると強制的に個性が使えなくなるという性質のものではない。

 

あくまで糖分10gの摂取につき、3分間だけ通常時の5倍の身体能力を発揮する、というものである。

継続使用により、摂取した糖分以上の急速消費が脳の思考能力を奪い、事実上の戦闘不能に陥るだけなのだ。

 

 

もし緑谷の言う通り、必要な瞬間の一秒未満だけ個性を点火するような運用が可能になれば。

一度の戦闘におけるトータルの個性発動時間は大幅に圧縮され、脳への負担は劇的に軽減される。

 

結果として3分という短い活動限界は撤廃され、長時間の継続戦闘が可能となる。

そして活動限界が来ても、思考を必要としない乱打で敵を追い込むこともできる。

 

砂藤は自身の両手を見つめ、愕然とした。

 

砂藤はこれまで5倍のパワーを使って敵を殴り続ける連続攻撃のパワースタイルこそが、自分の個性の最適解だと信じて疑わなかった。

 

しかし、そうではなかったのだ。

 

思考が低下するというデメリットを抱える彼に最もふさわしい戦術は、無闇に攻撃を振り回すことではなく。

 

相手の動きを冷静に観察し、決定的な隙に合わせて一瞬の超火力を叩き込む、一撃必殺のカウンタースタイルであったのだ。

 

 

「……その通りだ。おめでとう、緑谷、砂藤」

 

 

二人の白熱した議論を背後で聞いていた難羽が、ゆっくりと歩み寄り、静かに拍手を送った。

その表情には教師としての純粋な称賛の念が浮かんでいる。

 

 

「これこそが個性を自己から切り離すことによって得られる、真の視点の転換だ……人間は自分の持っている能力について、自分が一番よく理解していると無意識に思い込んでしまう」

 

 

難羽は教室全体を見渡すように声を張った。

 

 

「だからこそ、これまでの自分が培ってきた戦闘スタイルが最も自分に合った最適な選択だと錯覚してしまう……だが、現実は違う。個性は成長過程で全く別の性質だと判明する事例があるように、明確に己の能力の全容を理解しきっている人間などこの世界には存在しない」

 

 

自身の能力を客観視し、他者の視点というメスを入れることで最適化の罠から抜け出す。

己の弱点を他者の目で暴き出し、それを補うための新しい発想を柔軟に取り入れること。

 

それこそが難羽がこの奇妙な机上の授業を通じて、生徒たちに最も教えたかった核心であった。

 

 

「す、すげえよ緑谷! 俺、全く気付かなかった……! なあ、他にも何か思いつくことあるか!? 食う糖分の種類によって、瞬発力とか持続力が変わるとか……!」

 

「う、うん! 実は血糖値の上昇速度を考えると、ブドウ糖のタブレットよりも……」

 

 

興奮を抑えきれない砂藤が、ノートを広げて緑谷に次々と意見を求め始める。

他のペアたちもこの緑谷と砂藤の劇的なブレイクスルーに触発され、さらに熱を帯びた議論を再開させていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教室に満ちる、若きヒーローたちの成長の熱気。

自らの手で彼らに新たな視点を与え、その才能が開花していく様を見届けること。

それは教育者として喜ばしいことであるはずだ。

 

しかし、教壇に寄りかかり、活気づく生徒たちを静かに見つめる難羽の脳内では、その穏やかな光景とは対極に位置する極めて冷酷で、悪意に満ちた思考の歯車が回り始めていた。

 

 

(……素晴らしい成長だ。彼らは強くなる。どのようなヴィランを相手にしても柔軟な発想で活路を見出す、厄介なヒーローになるだろう)

 

 

難羽は表情の筋肉を微塵も動かすことなく、思考を深く沈めていく。

彼は自身の正義を信じて善のために動く性格である。

 

しかし、本質は黒く鋭い鋼であった。

 

 

(ならば……私がもしヴィランとして彼らと相対した時……この強固に成長したヒーローたちをどうすれば最も効率よく、そして確実に追い詰め、絶望させることができるか)

 

 

それは彼が超常黎明期から数え切れないほどの戦場を生き抜いてきた、兵法者としての根源的な思考実験であった。

 

敵の強さを知れば、それをどう崩すかを考える。

 

正面からの戦闘では、もはや彼らの意志を折ることは難しい。

ならば、どうするか。

答えは考えるまでもなく明白であった。

 

 

(ヒーローを敗北させるには、彼らの肉体を破壊する必要はない……彼らが守りたいものを破壊すればいいのだ)

 

 

難羽の銀色の瞳に、氷のような冷酷な光が走る。

 

ヒーローとヴィランの勝利条件は互いに異なり、さらにヒーローは敗北条件も多い。

人々を守れない、街を守れない、ヴィランを逃す、ヴィランを殺す、不適切な行動をメディアに晒される。

 

ヴィランはヒーローに勝つ必要はない。

ヒーローに敗北を与えればいいのだ。

 

その中でも最も致命的なヒーローにとっての最大の弱点。

 

それは彼らが命を懸けて守ろうとしている社会の平和であり、何より、彼らを無条件で愛し、帰りを待っている家族である。

 

 

(私ならば、迷わず彼らの家族を人質に取る……戦闘の最中に、愛する両親や兄弟の命が自らの手の中にあると告げられれば、彼らはどれほど強大な個性を持っていようとも、抵抗を諦め、地に膝を突くしかなくなる)

 

 

メディアを通して、家族を見捨てたというレッテルを貼るという方法もあるなと難羽が心の中で呟く。

 

ヒーローの最も尊い利他精神こそが、彼らを死に至らしめる最大の急所となる。

 

それが盤外戦術を極めた者の、最も醜悪で、最も確実な必勝法であった。

 

 

「…………」

 

 

難羽は熱心に議論を交わす緑谷たちの姿を眺めながら、内心で冷たく決定を下した。

 

 

(……この先の戦いにおいて、オールフォーワンの残党や他のヴィラン組織が、その最悪の手段に出ないという保証はどこにもない)

 

 

ならば、先手を打つ。

難羽は自身の懐にある端末を通じ、秘密結社ショッカーのネットワークに密かな命令を送信する準備を整えた。

 

 

(A組、およびB組の生徒たちの家族の生活圏内。警備用ロボットの配備数を現状の3倍に増やすか)

 

 

最も残酷なヴィランの思考回路を持つからこそ、誰よりも強固な守りを敷くことができる。

 

若きヒーローたちが教室で未来の戦術を語り合うその裏側。

彼らの帰るべき日常は死神が張り巡らせた見えない鉄壁の盾によって、密かに、そして絶対的に守護されようとしていたのである。

 

 

 





佐糖くんは脳無の素体にピッタリだと思います。

現在句点ごとに改行していますが、通常の文章の書き方に直したほうがいいですか?

  • 段落を使った普通の文章のほうが良い
  • 今の文章の方が良い
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