バグのヒーローアルカディア   作:胡麻蝉あぶら

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91話 俺達の邪魔ァすんなら死ね

 

暗く淀んだ廃倉庫の空気の中に、張り詰めた殺意が満ちていく。

 

何にも縛られずに生きたい。

ただ自分らしく在るためだけに、社会の枠組みから弾き出された彼らはこの裏社会で肩を寄せ合って生きているのだ。

 

それにも関わらず、どこからか現れた時代遅れの極道が、傲慢にも彼らを自らの支配下に置こうと見下している。

彼らを支配していた魔王が死んでようやく手に入れたはずの自由を、再び何者かに奪われることなど到底受け入れられるはずがない。

 

 

「……私たちの場所は、私たちで決めるわ!!」

 

 

マグネの喉の奥から、心の底からの自由への渇望と、それを脅かす者への激しい怒りが咆哮となって吐き出された。

 

彼女は自身の背丈ほどもある巨大な磁石の鈍器を両手で力強く構え、オーバーホールに向けて自身の個性を発動させた。

彼女の能力は対象に強力な磁力を付与し、人間を巨大な磁石へと変えるものだ。

 

オーバーホールの肉体に引力の磁場が強制的に付与され、彼の身体が目に見えない強大な力によってマグネの正面へと容赦無く引き寄せられる。

抵抗する間もなく宙を滑るように引き寄せられたオーバーホールの頭部へ向けて、マグネは渾身の力を込めて巨大磁石の鈍器を叩きつける。

重い衝撃と共に分厚い鉄の塊がオーバーホールの頭部を捉える。

 

しかしその痛烈な一撃を頭部に浴びたにも関わらず、オーバーホールの身体は微塵も揺らがなかった。

彼の瞳には苦痛の色すら浮かんでおらず、ただ路傍の虫を見るような冷酷な光だけが宿っている。

 

彼は頭部への打撃を気にも留めず引き寄せられた勢いをそのまま利用し、革手袋に包まれた自身の右手をマグネの腕へと伸ばした。

 

彼の個性は触れた対象を瞬時に分解し、任意で再構築するという神の如き破壊の力。

彼の名はオールフォーワンと同じく、個性の力そのものが由来だ。

 

マグネの腕に触れ、彼女の上半身を無惨に分解して血の雨へと変える。

それが彼の描いた冷酷な反撃のシナリオであった。

だが、オーバーホールの指先がマグネの腕に触れようとしたその刹那。

 

 

伸びた彼の手は、マグネの肉体に触れる直前で見えない壁に弾かれた。

不自然な軌道を描いて外側へと歪に逸らされたのである。

 

 

オーバーホールは自らの腕が強引に押し流される感覚に、初めてその瞳に驚愕の色を浮かべた。

彼の能力は対象の構造を理解し、触れることさえできれば絶対的な破壊をもたらす。

しかし、今彼の手を阻んだのは物理的な装甲ではない。

 

まるで彼の手そのものがマグネの腕から逃げるように反発したのだ。

 

 

「……そういうことか」

 

 

体勢を立て直して距離を取ったオーバーホールは、マグネの両手首に視線を向けた。

 

彼女の手首には分厚い金属製のブレスレットが装着されていた。

一見すればただの無骨な装飾品に見えるが、よく観察すれば、バッテリーの役割を果たす小型の蓄電装置と精緻な機械的パーツが組み込まれているのが分かる。

 

彼女のブレスレットは、内蔵された電力を消費することで強力な「電磁石」へと変化する特殊なサポートアイテムであった。

 

力を込める予備動作もなくただ不用意に触れようとしてきたオーバーホールの挙動から、直接触れることを発動条件としている危険な個性であると見抜いたマグネは、打撃の瞬間にその装置を起動したのだ。

そして自身の個性でオーバーホールの全身に磁力を付与した状態から、彼の手のひらにだけ同じ極の磁力を集中させ、電磁石の強烈な同極反発によって彼の手を物理的に弾き飛ばしたのである。

 

 

(厄介だな……)

 

 

オーバーホールは内心で舌打ちをした。

 

彼は触れた有形の物体を分解することはできるが、磁力や引力といった実体のないエネルギーそのものに触れることはできない。

エネルギーの反発によって生じる不可視の壁を前にしては彼の分解の力は対象の全体へと伝播せず、その絶対的な致死性は封じられてしまう。

 

その一瞬の攻防を見たコンプレスが、個性の発動条件が対象への物理的な接触であると完全に理解した。

ならばオーバーホールが再び体勢を整える前に、自身の個性で彼を小さなビー玉の中に圧縮して封じ込めるのが最善手である。

 

コンプレスは流麗な身のこなしでオーバーホールの死角へと滑り込み、その肩を掴もうと右手を伸ばした。

だが、その直前に乾いた破裂音が廃倉庫の空間を引き裂き、コンプレスの左肩に何かが深く突き刺さった。

 

 

「…………!?」

 

 

コンプレスの瞳が限界まで見開かれる。

 

 

 

(個性が出ない……!?)

 

 

 

彼の左手は確かにオーバーホールの衣服に触れている。

しかしどれだけ意識を集中させても、対象を圧縮するあの特有の感覚が全く湧き上がってこない。

彼の中に満ちていた個性という名のエネルギー回路が、まるで完全に遮断されたように機能不全に陥っていた。

 

 

「……気安く触るな」

 

 

オーバーホールの声が、地の底から這い出るような低さと嫌悪を帯びて響いた。

 

他者に直接触れられることに対する異常なまでの潔癖症とストレス。

コンプレスに触れられたその瞬間、オーバーホールの白い肌に無数の赤い発疹が斑点のように浮かび上がり、彼の理性を怒りで塗り潰していく。

 

極度の嫌悪感に突き動かされるまま、オーバーホールはコンプレスの左腕を自身の素手で乱暴に弾き飛ばした。

 

その刹那、絶対的な破壊の力が解放される。

 

コンプレスの左腕はまるで内部から爆薬を仕掛けられたかのように凄まじい勢いで破裂し、赤い血しぶきと肉塊の雨となって完全に分解され、虚空へと消し飛んだ。

 

 

「コンプレス……!!」

 

 

仲間の左腕が一瞬にして消滅した凄惨な光景に、マグネの悲鳴に近い叫びが上がる。

彼女は即座に激痛に悶えるコンプレスの身体に引力の磁場を付与し、手首の装置の極性を切り替えて彼を自身の背後へと強引に引き寄せた。

 

コンプレスを逃がしたオーバーホールは、苛立ちを隠せない様子で周囲を睨みつける。

自身の射程圏内に強引に引き込まれれば即座に分解できるが、あの強力な引力と反発力を操るマグネのサポートがある以上、彼らを完全に自身の支配下に置くのは骨が折れる。

 

そう判断した彼の背筋に、突如として氷のような悪寒が走った。

背後に明確な死の気配が立ち込めていた。

 

 

「……ふざけるなよ」

 

 

オーバーホールが振り返るよりも早く。

 

そこには赤紫色の影、巨大な蛇が鎌首をもたげていた。

 

否、それは蛇ではない。

濃密な毒ガスが大蛇のような形で一か所に集まり、彼一人を完全にロックオンして包み込もうとしていたのだ。

 

学生服にガスマスクを身につけた少年、マスタード。

彼はこれまで自身の生み出す毒ガスをただ放出する事しかできなかった。

しかし、彼は死柄木たちと共に戦うためにコントロールを極限まで鍛えた。

 

それによって生まれた鋭い殺傷性と点を進む毒煙。

 

味方である連合のメンバーを微塵も巻き込むことなく、致死性の猛毒の霧をオーバーホールの周囲だけに局所的に圧縮し、彼の退路と呼吸を完全に奪い去ろうとしていたのだ。

 

毒の壁によって身動きが取れなくなったオーバーホール。

そこを暗闇の中から死柄木弔が凄まじい速度で弾き出されるように強襲を掛けた。

 

オールフォーワンという重い呪縛から解放され、彼の高まった身体能力と技が完全に連動したその動きはかつての彼とは別次元の鋭さを誇っている。

死柄木の怒りに満ちた拳が、オーバーホールの顔面を捉えようと空気を引き裂いた。

 

 

「盾!」

 

 

オーバーホールの短く鋭い命令が飛ぶ。

 

その瞬間、どこからともなく現れた鳥の嘴を模した黒いガスマスクを被った巨漢の男が、死柄木の拳とオーバーホールの間に強引に割り込んだ。

 

死柄木の放った重い打撃は巨漢の胸板に深く突き刺さり、その衝撃の勢いのまま廃倉庫の脆いコンクリートの壁へと激突した。

壁が崩落する轟音の中で死柄木は体勢を立て直し、涼し気な顔のオーバーホールを忌々しそうに睨みつけた。

 

 

「てめェ……自分の部下を身代わりにしやがったな」

 

 

死柄木がその言葉を吐き捨てた直後。

崩れ落ちた倉庫の壁の向こう側からさらに複数の影が土煙を切り裂いてなだれ込んできた。

 

全員がオーバーホールと同じ鳥の嘴のような黒いペストマスクやガスマスクを装着した異様な集団である。

 

コンプレスの優秀な隠密技術をもってしても、彼らの尾行に一切気付くことができなかった。

死柄木は彼らの組織の中には、気配を完全に殺して空間を移動する、あるいは特定の対象を認識の外から運搬することに特化した個性を持つ者がいると理解する。

 

 

「穏便に済ましたかったよ、ヴィラン連合……お互いの冷静な判断のために、また後日話し合いの場を設けたいところだが」

 

 

オーバーホールは駆けつけた自身の部下たち——八斎衆を背後に従え、ペストマスクの奥で冷たく目を細めた。

 

 

「どうやら、交渉は完全に決裂したみたいだな」

 

 

オーバーホールのその言葉を合図にするかのように、ヴィラン連合の側も一切の容赦のない臨戦態勢へと移行する。

 

トガヒミコは普段愛用している小ぶりのナイフを両手で構え、柄の部分の特殊なスイッチを押し込んだ。

金属の擦れる冷たい音と共にナイフの刀身が限界まで伸び、柄の形状が変形していく。

 

彼女の手の中に現れたのは鍔のない、血を吸うためだけに特化した白刃の日本刀であった。

 

いつもならば狂気的な笑みを浮かべて血を求める彼女だが、今の彼女の瞳に笑みは一切ない。

ただ仲間を傷つけられたことへの静かで底知れぬ怒りだけが、その見開かれた瞳孔の奥で鋭く敵を射抜いていた。

 

 

仲間を無惨に傷つけられた。

 

自分たちが手に入れた自由と誇りを、時代遅れの極道に侮辱された。

 

 

ならば、徹底的に殺す。

 

 

一触即発の空気が廃倉庫を支配する。

 

オーバーホールは連合の面々が放つその異様な気迫と、互いをカバーし合う洗練された連携の姿勢を見て密かに自身の評価を改めていた。

烏合の衆と侮っていたが、彼らの根底に流れるその絶対的な結束と仲間を傷つけられたことに対する純粋な報復の意志。

それは現代の損得勘定で動く浅薄なヴィランたちのそれとは異なっていた。

 

どちらかと言えば、かつて自分が生きてきた古き時代の極道——義理と人情、そして絶対的な身内意識で結ばれた『こっち側』の組織の匂いに、ひどく酷似しているように感じられたのだ。

 

 

「お前ら……本当にただのヴィランか? それにしては随分と鋭すぎる。まるでこっち側だ」

 

 

オーバーホールが微かな警戒を込めて問いかける。

その問いに対し、死柄木は姿勢を低くして地を蹴る準備を整えながら、どこか晴れやかな声で言い放った。

 

 

「ああ。ヴィランなら、最近やめたんだ」

 

 

その予期せぬ言葉に、オーバーホールだけでなく周囲の八斎衆の面々も怪訝な表情を浮かべた。

 

 

「やめる……?」

 

「俺たちは、最初から悪であろうとしてここに来たわけじゃない……ただ、この社会から弾き出されてここに流れ着いただけだ」

 

 

死柄木は自身の両腕に装着されたサポートアイテム──強靭な蜘蛛の糸を射出する特殊なガントレットの銃口を真っ直ぐにオーバーホールへと向けた。

 

オールフォーワンという絶対的な存在が死に、これまで彼らに指示を出し、彼らをヴィラン連合という社会の敵として形作っていた巨悪の意志は永遠に失われた。

 

オールフォーワンの掌の上で、彼が用意したヴィランという役割を演じさせられていたに過ぎない。

しかしその首輪が外れた今の彼らがこの社会で生きるため、誰かが決めた悪の組織という看板を背負い続ける義理などどこにもないのだ。

 

 

「俺たちは誰の指示も受けない。ただ俺たちのやり方で、自由に生きる」

 

 

死柄木の赤い瞳が、深い闇の中で燃え盛るように輝いた。

 

 

 

「俺たちの新しい名前は、『ロシナンテ』だ……俺たちの前に立ちはだかろうとする者は、それが時代遅れのヴィランだろうが、偽善に塗れたヒーローだろうが、全部残さずぶっ壊す」

 

 

 

ロシナンテ。

それは狂気的な騎士の妄想に取り憑かれた男を乗せ、終わりのない夢の旅へと付き従った、痩せこけた駄馬の名前。

 

その決意に満ちた死柄木の宣言が響き渡ると、廃倉庫の空間に一瞬の深い静寂が舞い降りた。

 

トガの切っ先が僅かに下がり、マスタードの毒ガスがその場に停滞し、マグネの巨大磁石の唸り声だけが低く響く。

 

オーバーホールはその静寂の中で死柄木の目を見つめ返し、小さく息を吐いた。

この男の目には損得や権力欲を超えた、破滅すらも受け入れる狂気的な自由への渇望が宿っている。

このような獣の群れを力と恐怖だけで完全に自らの支配下に置くことは不可能に近い。

無駄に血を流し、計画の前に戦力を消耗するのは彼の理にかなっていなかった。

 

 

「……なるほどな。お前たちを俺の下に付けるのは思っていた以上に面倒そうだ」

 

 

オーバーホールはペストマスクに手をやり、背後に控える八斎衆に向けて短く顎を振った。

 

 

「今日は引くぞ……お前たちのその自由な夢がいつまで続くか、高見の見物をさせてもらおう」

 

 

その言葉を最後に、オーバーホールとその部下たちは崩れた壁の隙間から音もなく暗闇へと消えていった。

残されたたのは血の匂いと、コンプレスの痛みに耐える荒い呼吸の音だけだ。

 

死柄木はガントレットを下ろし、仲間たちを静かに見回した。

 

彼らは知っている。

自分たちがこの社会で生きられない獣であり、いつまでもヒーローたちや公安が自分たちを逃がしてくれるわけがないということを。

いつか必ず、決定的な破滅の足音が彼らを追い詰め、この仲間たちとも散り散りになる日が来るだろう。

 

だが、だったらそれまでの間。

その確実な破滅が訪れる最後の日まで、彼らは夢を見ようと決めたのだ。

 

 

社会の底辺から見上げる、まるで自分たちが真に自由な人間であるかのような儚くも美しい夢を。

 

 

ロシナンテという名を背負い、彼らは新たな、そして終わりの定められた旅へと静かに足を踏み出していった。

 

 





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