ドブカス(本物)のヒーローアカデミア (前作) 作:むめい。
教室の前の方で、女の声が弾んでいた。
「今日って、式とかガイダンスだけかな?」
「先生って、どんな人なんだろうね。緊張するよね」
どっちも、同じ女が喋っとる。
丸い顔で、表情がころころ変わるやつや。
その横で、緑の髪のそばかす男が、耳まで赤くしながら、もごもご頷いとる。
(……ああいうの、見とるだけで疲れるわ)
会話というより、一方的な投げつけや。
受け止める側は、ただの壁やな。
その時、教室の外、廊下の方から、だるそうな声が聞こえた。
「……お友達ごっこがしたいなら、他でやれ」
扉の向こうを見た瞬間、教室中の視線が一斉にそっちに向いた。
廊下に、寝袋に包まれた小汚いおっさんが、転がっとる。
無精ひげ。ぼさぼさの髪。死んだ魚みたいな目。
「ここは……」
一拍置いて、低い声が続く。
「ヒーロー科だぞ」
教室の空気が、一気に冷えた。
「……なんか、いるぅぅ」
クラス中が小さく呟いた。
(あれが先生か?)
正直、見た目だけなら、ホームレスと区別つかん。
けど、逆に言えば、見た目と中身は一致せんっちゅうことや。
(やっぱ、発動型は見た目だけじゃ個性分からんな)
おっさんは、寝袋から体を起こしながら言った。
「ハイ、静かになるまで八秒かかりました」
「時間は有限。君たちは、合理性に欠くね」
淡々とした口調やのに、妙に刺さる言い方やった。
「担任の相澤消太だ」
誰も拍手せん。
誰も歓迎せん。
ただ、全員が様子を窺っとる。
相澤先生は、どこかから体操服を取り出した。
「早速だが、これ着てグラウンドに出ろ」
ざわっと、教室が揺れた。
***
グラウンドに出た瞬間、さっきまでの教室より、さらに騒がしくなった。
「え、なにこれ!」
「まさか……」
クラスが叫ぶ。
「個性把握テストぉ!?」
その声に被せるように、さっきの丸顔の女が前に出た。
「入学式は? ガイダンスは!?」
相澤先生は、だるそうに目を細める。
「ヒーローになるなら、そんな悠長な行事に出てる時間はないよ」
その言葉に、何人かが息を呑んだ。
「雄英は、自由な校風が売り文句だ」
「そしてそれは、先生側も然り」
そう言いながら、手元の紙を見て...
「ソフトボール投げ、立ち幅跳び、五十メートル走、持久走……」
「中学の頃からやってるだろ。個性禁止の体力テスト」
(……なるほどな)
入学式も、歓迎も、建前だけ。
ここは最初から、“使えるかどうか”を見る場所や。
(嫌いやない。むしろ、話が早い)
俺は、軽く首を回しながら、周りを見渡した。
緊張しとるやつ。
はしゃいどるやつ。
自信満々なやつ。
不安で顔が引きつっとるやつ。
その全部が、これから数字で並べられる。
(さて……)
この“個性把握テスト”で、
誰が上で、誰が下か。
相澤が、名簿みたいなもんを手元でめくった。
「……禪院」
呼ばれて、少しだけ顔を上げる。
「中学の時、ソフトボール投げは何メートルだった?」
正直、そんなもん覚えとらん。
「いちいち覚えてへんよ」
相澤先生は、そうか、という顔で頷いた。
「……まあ、平均は五十メートルくらいだ」
「禪院、個性使ってやってみろ」
ボールを手渡されながら、内心で舌打ちする。
(手の内、晒すつもりはないんやけどな)
けど、この場の空気を見て、すぐ判断を変えた。
ここで半端にやったら、舐められる。それだけは許せん。
(……ここは、本気でやった方が良さそうや)
ボールを握る。
指に、軽く力を込める。
まず、呪力を体の内側に巡らせる。
筋肉の奥、関節、骨の芯。
重さと張りを、全身に行き渡らせる。
次に、術式。
足。
腰。
肩。
腕。
手首。
それぞれの動きを“区切って”、理想の動作に合わせる。
投げる、という一瞬の動きを、何十ものコマに刻む。
(速さと、重さ。両方乗せたら……)
踏み込む。
地面が、少しだけ沈んだ気がした。
腰が回る。
肩が開く。
腕が走る。
手首が、弾ける。
次の瞬間、ボールは視界から消えた。
音が遅れて来た。
「バンッ」と、空気が裂ける音。
クラス中が、ぽかんと空を見上げとる。
誰も、ボールの軌道を追えてへん。
相澤先生は、手元の端末を操作して、クラスの方に向けた。
画面に表示されていたのは――
【1268m】
一瞬、静かになって、次の瞬間、爆発みたいに声が上がった。
「なんだこれ!? スゲー!」
「面白そう!!」
「個性、思いっきり使えるんだ!」
「さすがヒーロー科!!」
……やかましい。
相澤先生は、少しだけ眉をひそめた。
「面白そう……か」
ざわつきが、少しだけ収まる。
「ヒーローになるための三年間を、そんな腹づもりで過ごすつもりか?」
声は低い。
さっきより、少しだけ重い。
「よし」
「トータル成績、最下位の者は“見込みなし”と判断する」
全員が息を止めた。
「――除籍処分としよう」
一拍置いて、教室と同じくらい、いや、それ以上に空気が凍った。
「はあぁぁ!?」
悲鳴みたいな声が、あちこちから上がる。
「いきなりそんな!」
「入学初日なのに!?」
相澤は、まったく動じない。
「ここは、ヒーローを育てる場所だ」
「遊びに来た奴の席は、最初から用意してない」
その言葉を聞きながら、俺は軽く肩を回した。
(……なるほどな)
競争。
序列。
切り捨て。
ようやく、話が“分かる場所”になってきた。
周りが焦って、ざわついて、顔色変えてる中で、俺は一つだけ言った。
「俺は、パスさせてもらうわ」
相澤先生が、ちらっとこっちを見る。
「……どういう意味だ?」
「興味ないだけです。それに俺の強さ、相澤先生もよう知ってるんちゃいます?」
その一言が落ちた瞬間、空気がまた一段、重くなった。
相澤は、少しだけ目を細めて俺を見る。
「……時折いるんだよ」
声は低く、眠そうなのに、芯だけはやたらはっきりしている。
「お前みたいに、“自分が一番強い”って本気で思ってる馬鹿がな」
クラスのあちこちから、小さく息を飲む音がした。
視線が、一斉に俺に集まる。
俺は、ちょっとだけ口角を上げた。
「馬鹿で結構やわ」
「賢く負けるくらいなら、アホみたいに勝つ方が性に合うねん」
わざと、軽い調子で言ってやる。
「先生の言う“強い”が、どの程度かは知らんけどな。少なくとも、ここにおる中じゃ、俺より上は見当たらへん」
相澤の眉が、ほんのわずか動いた。
「……なるほど。それは俺も含めて言ってんのか?」
相澤先生が一歩、前に出る。
「よし。こういうのも、俺の役目だ」
「模擬戦としよう、なんならクラス全員対俺だけでもいい」
クラスが、どよっと揺れた。
「え、戦うの!?」
「いきなり先生と!?」
相澤は、後ろも振り向かずに言う。
「お前らも見とけ。プロのヒーローってのが、どういうもんか」
その言葉で、完全に“やる流れ”になった。
俺は一瞬、前に出ようとして――そこで、止まった。
そして、少しだけ苦笑いみたいな顔をして言った。
「……相澤先生、意外と冗談通じへんのやね」
相澤が、ぴたりと動きを止める。
俺は、肩をすくめた。
「別に、今ここで殴り合いたいわけちゃうねん」
内心では、別のことを考えていた。
(ここでやってもええけど……正直、面倒やわ)
勝てるかどうか、やない。
戦わんでええ戦いは避ける、単純にダルいからや。
(手の内をこれ以上、無駄に晒す意味もないし)
(負けた腹いせに成績下げられてもダルいし、目つけられんのも面倒や)
俺は、軽く手を振った。
「今日は、テストしに来たんやろ」
「先生とケンカしに来たわけちゃうねん」
相澤は、しばらく俺を見ていた。
さっきまでの“試す目”と違って、今は“測る目”や。
やがて、小さく息を吐いた。
「……逃げた、とは言わない」
そう言って、視線をクラス全体に戻す。
「だが、覚えておけ」
「ヒーロー同士は連携も大事だ、手の内晒さないのも結構だが...それじゃいつか足元すくわれるぞ」
俺は、心の中で鼻を鳴らした。
(なんや、バレとったか)
勝つために隠す。
上に立つために隠す。
ドブカス共に俺の動きなんて読めへん。
けど、それを今ここで言うほど、ガキでもなかった。
「……はいはい。覚えときますわ」
そう言いながら、元の位置に戻る。
クラスの視線が、まだちらちらと刺さるけど、どうでもええ。
(そのうち分かるやろ)
俺が“どの位置”に立つ人間なのか。
「じゃあ禪院も戻ったことで、始めるぞ」
相澤の一言で、個性把握テストが本格的に動き出した。
以降の流れは、正直言って退屈やった。
立ち幅跳び、五十メートル走、反復横跳び、握力、持久走。
やることは中学の頃と大差ない。
ただ一つ違うのは――“個性を使っていい”って点だけや。
俺は、術式も呪力も封じた。
使ったのは“個性”だけ。
これまでに保存してきた、一番無駄がなくて、一番速くて、一番安定した“動き”だけを再生する。
跳ぶときは、最適な踏み切り角度。
走るときは、最小のロスで前に進むフォーム。
曲がるときは、減速を最小限に抑える重心移動。
全部、“成功した瞬間”だけを繰り返す。
結果、数字はそこそこ。
飛び抜けてもない。
沈みもしない。
上位でもなく、下位でもない。
(……まあ、こんなもんでええ)
目立ちすぎると面倒。
埋もれると、それはそれで腹が立つ。
“まずまず”って位置が、今の俺にはちょうどよかった。
途中、少しだけ空気が変わった場面があった。
ソフトボール投げの番で、あのそばかすの男――緑谷出久の順番になった時や。
最初は、例によってどんくさそうに構えていた。
腕も細いし、構えも不安定。
このそばかす君、入試の時みたいな超パワー使ったら動けんなるみたいやし、まさに木偶の坊やな。
(どうするんやろ)
このまま行ったら確実に最下位、ここで使って後を捨てるか、使わず運に任せるんか。
緑谷はボールを握って、肩をすくめるみたいに息を吸った。目が一瞬だけ鋭くなって、体の内側で何かを“点火”しようとするのが分かった。あの感じ、入試の時と同じや。無理やり火力をねじ込む直前の、変な決意の顔。
(やる気か、そばかす)
――と思った瞬間。
ボールは、普通に飛んだ。
拍子抜けするくらい普通。中学生でも出せるような距離で、勢いも音も地味やった。クラスの連中も「あれ?」って顔をして、ざわつきが中途半端に引っ込んだ。
緑谷だけが、投げた手を見下ろして固まっていた。唇が動く。
「……今……確かに、使おうって……」
その小声に、相澤が淡々と答える。
「個性を消した」
一瞬、頭が止まった。
いや、止まったのはクラス全体や。さっきまで騒いでた連中が、全員まとめて黙った。
(個性を……消した?)
言葉の意味は分かる。分かるけど、納得はできへん。そんなもん、ルールとして成立してもうたら、何でもありになる。
(なんやねんそれ。チートやろ)
視線だけで相澤を見る。首の周りに巻いた布みたいなんが、少しだけ揺れとる。あれが武器か。個性か。どっちにせよ、気に入らんタイプの“便利さ”や。
俺は、表情を変えずに心の中だけで計算した。
(これ、術式にも効くんか?)
もし“個性だけ”を消すならまだマシや。
けど、相澤の能力が「相手の“超常”を止める」方向なら、呪力や術式にまで手が伸びる可能性がある。
(適応されるんやったら……ちょっと厄介やな)
別に今ここで全部晒すつもりはない。けど、目の前に「封じる」って概念を持ったやつがいるなら話は変わる。勝つための選択肢が減るってことやからな。
緑谷は、明らかに動揺していた。けど、それでも諦めへん。あいつ、どんくさいくせに、変な粘りだけはある。歯を食いしばって、もう一回ボールを握り直す。腕を上げて、息を整えて、今度は“全身”じゃなく“指先”だけに何かを集めようとしているのが見えた。
(ああ……そういうタイプか)
無茶の仕方を変えることで、なんとか形にする。
不器用な正攻法。好きにはなれんけど、嫌い切れもしない。たぶん、そういう種類の人間や。
次の投球。
今度は、ほんの一瞬だけ空気が鳴った。爆発みたいな派手さはないけど、さっきより明らかに伸びる。緑谷は投げ終わった瞬間、指を押さえて顔をゆがめた。痛みをこらえてるのが丸分かりで、見てるこっちが腹立つ。
(結局数回使ったら木偶になるんは変わらんやんけ)
数字は、ギリギリ“最下位回避”ってところ。クラスがまたざわつき始める。すげーだの、怖いだの、よく分からん歓声が混じる。
結局、それから先は淡々と続いた。俺は俺で“複写”だけを使って、目立たず、沈まず、必要な点だけ確保していく。相澤の視線が時々こっちに刺さるのは分かるけど、刺さったところで何も落ちへん。俺は、落ちる側に回る気がない。
(ま、今日はこんなもんでええわ)
ただ一つだけ、頭に残った。
個性を消す。
便利で、卑怯で、面倒な能力。
(先生ってのは、ほんま碌な力持っとらんな)
口には出さん。出したら余計に面倒が増える。
けど、心の中ではちゃんとメモった。
あの目。
あの布。
あの「消した」の一言。
もしおれがまけるようなことがあれば...。
その可能性だけは、最初から潰し方を考えとかなあかん。