女王陛下の愛し方   作:頭オーロラ

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第2話

 

 

 

 

 

 ノウム・カルデアの召喚室は、厳粛な緊張感に包まれていた。

 

 円形の広間の中央には召喚陣が刻まれ、淡い青白い光を放っている。周囲の壁面には無数の計器が並び、魔力濃度や召喚成功確率を示す数値が絶え間なく変動していた。

 

 藤丸立香は、召喚陣の正面に立っていた。

 

 傍らにはマシュ・キリエライト。彼女は盾を構え、いつでも対応できる体勢を取っている。その表情には緊張と、そしてかすかな期待が入り混じっていた。

 

 管制室からは、複数の声が通信越しに響いている。

 

 

 

『魔力充填完了。召喚シークエンス、開始準備よし』

 

 

 

 ダ・ヴィンチちゃんの声だ。彼女の声はいつも通り明るいが、その奥に真剣さが滲んでいる。

 

 

 

『触媒との共鳴率、良好。この数値なら、高確率で目的のサーヴァントを召喚できるはずです』

 

 

 

 続いて、シオン・エルトナム・ソカリスの冷静な分析。

 

 

 

『ふむ。妖精國の女王か。異聞帯の存在を召喚するのは、いつ見ても不思議な気分だな』

 

 

 

 新所長、ゴルドルフ・ムジーク。彼の声には、わずかな緊張が混じっていた。異聞帯の王を召喚するという行為に、思うところがあるのだろう。

 

 

 

『彼女の召喚が成功すれば、カルデアの戦力は大幅に向上するでしょう。だが、同時に注意も必要だ』

 

 

 

 シャーロック・ホームズの声が、冷静に告げる。

 

 

 

『モルガンは妖精國ブリテンを2000年にわたり統治した女王でもある。その能力は折り紙付きだが、プライドもまた相当なものだろう。対応には細心の注意を払いたまえ』

 

「分かってる」

 

 

 

 藤丸は短く答えた。

 

 昨夜、何度も考えた。彼女とどう向き合うべきか。どんな言葉をかけるべきか。

 

 結論は、シンプルだった。

 

 真っ直ぐに向き合う。それだけだ。

 

 

 

「先輩」

 

 

 

 マシュが、そっと声をかけてきた。

 

 

 

「どうしたの?」

 

「……あの、頑張ってください」

 

 

 

 その言葉に、藤丸は小さく微笑んだ。

 

 

 

「うん。じゃあ、始めるよ」

 

 

 

 藤丸は右手を掲げ、召喚陣に向かって構えた。

 

 詠唱が、召喚室に響き渡る。

 

 

 

「――素に銀と鉄。礎に石と契約の大公」

 

 

 

 言葉が紡がれるたびに、召喚陣の輝きが増していく。

 

 

 

「祖には我が大師シュバインオーグ。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 

 

 室内の空気が変質した。魔力の密度が上がり、肌を刺すような緊張感が広がる。

 

 

 

「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 

 

 

 召喚陣から立ち上る光が、激しく渦を巻き始めた。

 

 

 

「――告げる」

 

 

 

 藤丸の声に、力が籠もる。

 

 

 

「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。この意、この理に従うならば応えよ」

 

 

 

 光が臨界に達しようとしていた。白銀の輝きが、視界を塗り潰していく。

 

 

 

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 

 

 

 心の中で、藤丸は祈った。

 

 どうか、応じてくれ。

 

 あなたと、話がしたい。

 

 

 

「――されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者」

 

 

 

 光が極限まで膨れ上がった。

 

 

 

「サーヴァント、バーサーカー! 召喚に応じ、ここに顕現せよ!」

 

 

 

 爆発的な光が、召喚室を満たした。

 

 誰もが目を細め、あるいは腕で顔を覆う。マシュは盾を構え、藤丸を庇う姿勢を取った。

 

 やがて、光が収束していく。

 

 渦巻いていた輝きが、一点に集約されていく。人の形に。女性の形に。

 

 藤丸は、息を呑んだ。

 

 光の中から、一人の女性が姿を現した。

 

 最初に目に入ったのは、白銀の髪だった。

 

 長く、美しく、召喚の残光を受けて淡く輝いている。まるで月の光を紡いで織り上げたかのような、神秘的な銀髪。

 

 次に、肌。白磁のように滑らかで、その上に刻まれた紋様が妖しい光を放っていた。

 

 纏っているのは黒を基調とした衣装。大胆に肌を露出しているが、それが淫靡さではなく、むしろ圧倒的な威厳を際立たせている。

 

 そして――

 

 彼女の瞳が、ゆっくりと開かれた。

 

 水色。

 

 水のように澄んだ瞳が、召喚室を見渡した。

 

 その目が藤丸を捉えた瞬間、彼は理解した。

 

 美しい、という言葉では足りない。

 

 冷たい、という言葉では正しくない。

 

 彼女はただ、そこにいるだけで「女王」だった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 他者を従わせるために生まれてきたかのような存在感。2000年の時を超えて君臨し続けた者だけが持つ、絶対的な威厳。

 

 これが、妖精國ブリテンの女王。

 

 これが、モルガン。

 

 モルガンは、周囲をゆっくりと見回した。

 

 召喚室の構造。壁面の計器。天井の照明。そして、自分を取り囲む人間たち。

 

 彼女の瞳が、すべてを把握していく。

 

 

 

『召喚成功……! バイタル安定、霊基固定完了。問題なし!』

 

 

 

 ダ・ヴィンチちゃんの歓喜の声が響いたが、モルガンはそれに反応しなかった。

 

 彼女の視線は、一人の青年に固定されていた。

 

 藤丸立香。

 

 黒髪の、平凡な容姿の青年。魔術師としての気配は薄く、戦士としての威圧感もない。

 

 だが、その目だけは違った。

 

 真っ直ぐに、モルガンを見つめている。怯えも、媚びも、敵意もない。ただ純粋に、彼女という存在に向き合おうとする意志が、その瞳に宿っていた。

 

 一瞬の沈黙が、召喚室を支配した。

 

 マシュが息を詰め、管制室からの通信も途絶えたように静まり返る。

 

 モルガンが、口を開いた。

 

 

 

「――私を召喚したのは、あなたですか」

 

 

 

 低く、涼やかな声。感情を読ませない、けれど耳に残る声音だった。

 

 藤丸は、一度だけ呼吸を整えた。

 

 逃げるな。真っ直ぐに向き合え。

 

 

 

「はい」

 

 

 

 彼は、モルガンの視線を正面から受け止めた。

 

 

 

「俺が、あなたのマスターです」

 

 

 

 モルガンは、わずかに目を細めた。

 

 値踏みするように、藤丸を見つめる。上から下まで、隅々まで。

 

 その視線は、まるで宝石を鑑定する職人のようだった。価値があるかないか。使えるか使えないか。そういった冷徹な計算が、その瞳の奥で行われているのが分かった。

 

 藤丸は、目を逸らさなかった。

 

 見られるなら、見ればいい。隠すことなど、何もない。

 

 長い沈黙。

 

 そして、モルガンの唇が、わずかに弧を描いた。

 

 それは笑みと呼ぶには冷たすぎた。皮肉、あるいは嘲笑に近い何か。

 

 

 

「そうか」

 

 

 

 彼女は、静かに言った。

 

 

 

「では、あなたが私の夫ですね」

 

 

 

 静寂。

 

 完全な、静寂。

 

 召喚室の空気が、凍りついた。

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 最初に声を漏らしたのは、マシュだった。彼女は目を丸くして、モルガンと藤丸を交互に見ている。

 

 

 

『……今、何て言った?』

 

 

 

 ダ・ヴィンチちゃんの声が、困惑に満ちていた。

 

 

 

『夫? 藤丸くんが? この女王様の?』

 

『おおおお待て待て待て!』

 

 

 

 ゴルドルフ新所長の悲鳴じみた声が響く。

 

 

 

『今、夫と言ったか!? 召喚されて最初の言葉が夫だと!? どういうことだ、これは一体どういう状況なのだ!?』

 

『……予想外の展開ですね』

 

 

 

 シオンの声は、かろうじて冷静さを保っていたが、それでも戸惑いは隠せていなかった。

 

 

 

『バーサーカークラスの影響でしょうか。それとも、彼女独自の価値観……?』

 

『興味深い』

 

 

 

 ホームズだけは、むしろ面白がっているようだった。

 

 

 

『妖精國では、彼女にはベリル・ガットという「便宜上の夫」がいた。その延長線上の発言かもしれないね。あるいは――』

 

『あるいは、なんて言ってる場合じゃない! これは緊急事態だ!』

 

 

 

 ダ・ヴィンチちゃんが叫ぶ。

 

 管制室が騒然とする中、藤丸は立ち尽くしていた。

 

 顔が、熱い。

 

 耳まで赤くなっているのが、自分でも分かる。

 

 夫。

 

 この人は今、俺のことを夫と呼んだ。

 

 召喚されて、最初の言葉で。

 

 ありえない。普通、ありえない。

 

 だが、モルガンの表情は変わらなかった。当然のことを言っただけ、という顔で藤丸を見つめている。

 

 いや、違う。

 

 その瞳の奥に、藤丸はかすかな光を見た。

 

 挑発。

 

 彼女は、試している。

 

 この言葉に対して、藤丸がどう反応するかを見ている。怒るのか、困惑するのか、否定するのか、逃げるのか。

 

 それによって、自分の扱い方を決めようとしている。

 

 ならば。

 

 藤丸は、深呼吸をした。

 

 

 

「……分かった」

 

 

 

 静かに、藤丸は言った。

 

 

 

『『『は?』』』

 

 

 

 管制室から、ホームズ以外の三人の声が重なった。

 

 

 

「せ、先輩!?」

 

 

 

 マシュが、信じられないものを見る目で藤丸を見ている。

 

 

 

「分かったって、どういう……!?」

 

「モルガンがそう呼びたいなら、そう呼んでいいよ」

 

 

 

 藤丸は、モルガンの目を真っ直ぐに見つめたまま続けた。

 

 

 

「呼び方は自由だ。俺は、それで構わない」

 

 

 

 モルガンの目が、わずかに見開かれた。

 

 それは本当に一瞬のことで、すぐに元の冷静な表情に戻ったが、藤丸はその変化を見逃さなかった。

 

 彼女は、この反応を予想していなかった。

 

 

 

「ただ」

 

 

 

 藤丸は続けた。

 

 

 

「俺はまだ、あなたのことをよく知らない。女王としてのあなたも、サーヴァントとしてのあなたも」

 

「……それで?」

 

 

 

 モルガンの声に、わずかな警戒が混じった。

 

 

 

「だから、これから知っていきたい。あなたが何を望んでいるのか、何を大切にしているのか」

 

 

 

 藤丸は、一歩前に出た。

 

 

 

「それを知った上で、全力で支援するよ。召喚に応じてくれて、ありがとう」

 

 

 

 そして、彼は手を差し出した。

 

 

 

「よろしく、モルガン」

 

 

 

 沈黙が、召喚室を包んだ。

 

 管制室からの通信も、途絶えたように静まり返っている。

 

 モルガンは、差し出された手を見つめていた。

 

 その瞳に、複雑な感情が渦巻いている。困惑。驚き。そして、ほんのわずかな――名前のつけられない何か。

 

 長い沈黙の後。

 

 モルガンは、ふっと息をついた。

 

 

 

「……変わった人間ですね」

 

「そうかな」

 

「ええ。普通、この状況で『よろしく』などと言わないでしょう」

 

「じゃあ、俺は普通じゃないんだろうね」

 

 

 

 藤丸は、小さく笑った。

 

 その笑顔を見て、モルガンの表情がわずかに揺らいだ。

 

 彼女は藤丸の手を見つめ、それから彼の顔を見た。そしてまた、手を見た。

 

 迷っているのだと、藤丸には分かった。

 

 この手を取るべきか、拒むべきか。

 

 どちらが正解なのか、彼女自身にも分かっていないのだろう。

 

 だから、藤丸は待った。

 

 急かさず、引かず、ただ手を差し出したまま。

 

 やがて。

 

 モルガンの手が、ゆっくりと動いた。

 

 白い指が、藤丸の手に触れる。

 

 冷たい、と思った。氷のように冷たい手だった。

 

 だが、それは不快な冷たさではなかった。むしろ、どこか心地よい冷たさ。月の光のような、静謐な冷たさ。

 

 

 

「……いいでしょう」

 

 

 

 モルガンは、静かに言った。

 

 

 

「あなたをマスターとして認めます」

 

 

 

 契約の成立を告げる言葉だった。

 

 

 

「私はバーサーカー、モルガン。妖精國ブリテンの女王にして――」

 

 

 

 彼女は一度言葉を切り、藤丸を見つめた。

 

 

 

「――あなたのサーヴァントです」

 

 

 

 伴侶、とは言わなかった。

 

 だが、契約を拒否もしなかった。

 

 その微妙な距離感に、藤丸は何かを感じ取った。

 

 彼女は、まだ測りかねている。

 

 自分という人間を、どう扱うべきか。

 

 それは逆に言えば、まだ何も決まっていないということだ。これからの関係は、これからの自分次第で変わる。

 

 

 

「うん」

 

 

 

 藤丸は、モルガンの手を軽く握り返した。

 

 

 

「よろしく、モルガン」

 

『……ふう』

 

 

 

 ダ・ヴィンチちゃんの、安堵とも呆れともつかない声が響いた。

 

 

 

『とりあえず、召喚は成功……ってことでいいのかな、これ』

 

『成功は成功でしょう。契約も成立しました』

 

 

 

 シオンの声が答える。

 

 

 

『ただ、夫云々の話は追って確認が必要ですね。バーサーカーの狂化による影響なのか、それとも別の意図があるのか』

 

『意図、ねえ……』

 

 

 

 ダ・ヴィンチちゃんが唸る。

 

 

 

『まあ、藤丸くんがうまく対応したみたいだし、今は様子見でいいかな』

 

『うまく対応、というより、なし崩しに受け入れたように見えたが……』

 

 

 

 ゴルドルフ新所長の困惑した声。

 

 

 

『いいのか? あれで本当にいいのか?』

 

「いいのではないでしょうか」

 

 

 

 意外にも、マシュが答えた。

 

 

 

「先輩は、ああいう方ですから」

 

 

 

 その声には、どこか誇らしげな響きがあった。

 

 藤丸は、モルガンの手を離した。

 

 

 

「ひとまず、カルデアを案内するよ。モルガンの部屋も用意してあるんだ」

 

「……そうですか」

 

 

 

 モルガンは短く答えた。

 

 その表情は相変わらず読めなかったが、先ほどまでの鋭さは幾分か和らいでいるように見えた。

 

 

 

「では、案内するように」

 

 

 

 モルガンは一歩を踏み出し、そして付け加えた。

 

 

 

「我が夫として、それくらいの務めは果たしてもらわないと困ります」

 

「だから、夫って……」

 

「異論は認めません。私の法律です」

 

 

 

 藤丸は、小さくため息をついた。

 

 前途多難だ。間違いなく。

 

 だが、不思議と嫌な気持ちはしなかった。

 

 彼女がなぜ「夫」と呼ぶのか。その言葉に込められた真意は何なのか。

 

 今はまだ分からない。

 

 でも、いつか分かる日が来るかもしれない。

 

 その日まで、向き合い続けよう。

 

 

 

「……分かったよ。じゃあ、行こうか」

 

「ええ」

 

 

 

 モルガンが歩き出す。その歩みは堂々としていて、まさに女王のそれだった。

 

 藤丸は、その後ろ姿を見ながら思った。

 

 妖精國ブリテンの女王。

 

 2000年の孤独を背負った存在。

 

 彼女との日々は、きっと平穏ではないだろう。

 

 でも、それでいい。

 

 平穏じゃなくても、向き合い続ける。

 

 それが、召喚に応じてくれた彼女への誠意だから。

 

 

 

「先輩」

 

 

 

 マシュが、小走りで追いついてきた。

 

 

 

「大丈夫ですか……?」

 

「大丈夫だよ。たぶん」

 

「たぶん、ですか……」

 

 

 

 マシュの表情が複雑になる。

 

 

 

「あの、夫、という話は……」

 

「追々、整理するよ。今はまだ、よく分からないし」

 

「そう、ですね……」

 

 

 

 マシュは、前を歩くモルガンの背中を見つめた。

 

 

 

「モルガンさんは、何を考えているのでしょうか」

 

「それは、これから分かるんじゃないかな」

 

 

 

 藤丸は、静かに答えた。

 

 

 

「マシュも、一緒に知っていこう」

 

「……はい。そうですね」

 

 

 

 マシュは、小さく微笑んだ。

 

 三人の足音が、カルデアの廊下に響いていく。

 

 女王と、彼女の「夫」と、その従者。

 

 奇妙な組み合わせだが、それがこれからの日常になる。

 

 藤丸は、そんな予感を抱いていた。

 

 

 

 

 

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