女王陛下の愛し方   作:頭オーロラ

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第3話

 

 

 

 

 

「では、あなたが私の夫ですね」

 

 

 

 私がそう告げた瞬間、召喚室の空気が凍りついた。

 

 傍らの少女――マシュ・キリエライトが息を呑む気配。管制室から漏れる困惑の声。それらを背景音として聞きながら、私は目の前の青年を観察していた。

 

 もちろん、この青年の事は知っている。

 

 妖精國で、敵として対峙しているのだから。

 

 藤丸立香。

 

 人理継続保障機関カルデアのマスター。人類最後の希望。

 

 そんな大層な肩書きを持つ割には、随分と平凡な見た目だ。黒髪に黒い瞳。特別な魔術回路を持つわけでもない、ただの人間。

 

 だが、その目だけは違った。

 

 怯えていない。媚びていない。敵意も、侮蔑もない。

 

 ただ真っ直ぐに、私を見つめている。

 

 面白い、と思った。

 

 普通、「夫」という言葉を投げつけられれば、何らかの反応を示すはずだ。

 

 怒り。困惑。拒絶。

 

 そのどれかが返ってくるのが当然だった。

 

 だからこそ、私はその言葉を選んだ。

 

 「夫」と呼んだのには、明確な意図があった。

 

 かつて妖精國ブリテンで、私にはベリル・ガットというマスターがいた。

 

 汎人類史から送られてきた異邦人。クリプターと呼ばれていたカルデアの一員。私は彼を「便宜上の夫」として傍に置いていた。

 

 だが、それは形だけのこと。

 

 あの男は道具に過ぎなかった。

 

 妖精國の統治に必要な駒。汎人類史の情報を持ち、利用価値があるから傍に置いていただけ。何の感情も、何の期待も抱いてはいなかった。

 

 今回のマスターも、同じ。

 

 召喚されたからには契約関係にある。私に魔力を供給し、私を使役する者。それ以上でも、それ以下でもない。ならば、かつてと同じ呼称を使うのが効率的だろう。

 

 だが、それだけではない。

 

 これは「当て付け」だった。

 

 人理を救うマスター。正義の味方。善なる者たちの希望。人類史を守護する英雄。

 

 そんな存在が、私を召喚した。

 

 妖精國の「悪女」を。

 

 妖精たちから恐れられ、憎まれ、「悪逆の女王」と呼ばれ続けた私を。

 

 その皮肉を、彼自身に突きつけてやりたかった。

 

 「お前は私の夫。つまり、共犯者なのだ」

 

 「お前は悪逆の女王と契約した。その事実から、逃れることはできない」

 

 「どう反応する? 私を拒絶するか? それとも、見て見ぬふりをするか?」

 

 そう、言外に伝えたかった。

 

 さあ、困るがいい。

 

 怒るがいい。

 

 私がどういう存在か、思い知るがいい。

 

 だが、予想外のことが起きた。

 

 

 

「……分かった」

 

 

 

 私は、自分の耳を疑った。

 

 分かった?

 

 今、この男は何と言った?

 

 

 

「モルガンがそう呼びたいなら、そう呼んでいいよ」

 

 

 

 彼は、まるで天気の話でもするように言った。

 

 

 

「呼び方は自由だ。俺は、それで構わない」

 

 

 

 私の中に、小さな困惑が生まれた。

 

 予想していた反応は三つ。

 

 怒り。困惑。拒絶。

 

 そのどれかが返ってくるはずだった。

 

 だがこの青年は、ただ頷いた。

 

 「分かった」と。

 

 何の衒いもなく。何の躊躇いもなく。

 

 私の目が、わずかに見開かれた。

 

 それは本当に一瞬のことで、すぐに元の冷静な表情に戻したが、彼はその変化を見逃さなかったようだった。

 

 この反応を、私は予想していなかった。

 

 

 

「ただ」

 

 

 

 青年は続けた。

 

 

 

「俺はまだ、あなたのことをよく知らない。女王としてのあなたも、サーヴァントとしてのあなたも」

 

「……それで?」

 

 

 

 私は、わずかに警戒しながら問い返した。

 

 次に何が来るのか、予測がつかなかった。

 

 

 

「だから、これから知っていきたい。あなたが何を望んでいるのか、何を大切にしているのか」

 

 

 

 青年は、一歩前に出た。

 

 

 

「それを知った上で、全力で支援するよ。召喚に応じてくれて、ありがとう」

 

 

 

 そして、彼は手を差し出した。

 

 

 

「よろしく、モルガン」

 

 

 

 支援。ありがとう。よろしく。

 

 その言葉たちが、私の中で反響した。

 

 この男は、何を言っている?

 

 サーヴァントは使い魔だ。マスターの命令に従い、戦う道具だ。それ以上の意味など、あるはずがない。

 

 だというのに、この男は「支援する」と言った。

 

 「ありがとう」と言った。

 

 まるで、私が対等な存在であるかのように。

 

 私は、差し出された手を見つめた。

 

 この手を取るべきか、拒むべきか。

 

 どちらが正解なのか、自分でも分からなかった。

 

 

 

「……変わった人間ですね」

 

 

 

 私は、かろうじてそう答えた。

 

 戸惑いはあるが、返答としては問題ない。

 

 

 

「そうかな」

 

「ええ。普通、この状況で『よろしく』などと言わないでしょう」

 

「じゃあ、俺は普通じゃないんだろうね」

 

 

 

 青年は、小さく笑った。

 

 その笑顔には、皮肉も嘲りもなかった。

 

 ただ、温かかった。

 

 私は、その笑顔から目を逸らしたくなった。

 

 だが、逸らさなかった。

 

 代わりに、彼の手を見つめた。

 

 やがて。

 

 私の手が、ゆっくりと動いた。

 

 白い指が、彼の手に触れる。

 

 温かい、と思った。私の冷たい手とは対照的な、人間らしい温かさ。

 

 

 

「……いいでしょう」

 

 

 

 私は、静かに言った。

 

 

 

「あなたをマスターとして認めます」

 

「ありがとう」

 

「礼には及びません。契約関係にあるのですから、当然のことです」

 

「私はバーサーカー、モルガン。妖精國ブリテンの女王にして――」

 

 

 

 言葉を切る。

 

 次の言葉が、出てこなかった。

 

 「あなたの伴侶」と言うつもりだった。

 

 当て付けとして。皮肉として。

 

 だが、なぜか、その言葉が喉に詰まった。

 

 

 

「――あなたのサーヴァントです」

 

 

 

 結局、私はそう言った。

 

 「伴侶」とは、言わなかった。

 

 自分でも、なぜそうしたのか分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ノウム・カルデアの廊下を歩きながら、私は自分の胸に手を当てた。

 

 心臓が、ほんの少しだけ速く打っている。

 

 何だ、これは。

 

 この感覚は、何だ。

 

 「夫」と呼んだのは、当て付けのはずだった。

 

 皮肉のはずだった。

 

 彼を困らせ、動揺させ、私という存在の「異質さ」を突きつけるためのものだったはずだ。

 

 なのに、彼は受け入れた。

 

 動揺はした。頬を赤らめもした。

 

 だが、拒絶はしなかった。

 

 「分かった」と言った。

 

 「知っていきたい」と言った。

 

 「支援する」と言った。

 

 「ありがとう」と――

 

 私は、首を振った。

 

 考えるな。

 

 深読みするな。

 

 この男の言葉に、大した意味などない。

 

 その場しのぎの社交辞令だ。誰にでも言う、空虚な言葉だ。

 

 そう思おうとした。

 

 だが、心のどこかで分かっていた。

 

 彼の目は、嘘をついていなかった。

 

 あの真っ直ぐな目。私を見つめるあの目には、虚飾がなかった。

 

 2000年の間、私は無数の嘘を見てきた。

 

 無数の裏切りを経験してきた。

 

 だからこそ分かる。

 

 あの目は、本物だ。

 

 彼は本気で、私を「知りたい」と思っている。

 

 その事実が、私の心に小さな波紋を起こしていた。

 

 

 

「モルガン」

 

 

 

 前を歩く青年が、振り返った。

 

 

 

「……何でしょう」

 

「部屋に着いたら、何か必要なものがあったら言ってね。できる範囲で用意するから」

 

「……」

 

 

 

 私は、黙って頷いた。

 

 この男は、どこまでお人好しなのだ。

 

 召喚されたばかりのサーヴァントに、わざわざそんなことを言うなど。

 

 

 

「あと」

 

 

 

 青年は、少し照れたように頬を掻いた。

 

 

 

「夫って呼ぶの、別に構わないけど……他のサーヴァントの前だと、ちょっと誤解されるかもしれないから、そこだけ気をつけてくれると助かるかな」

 

「……誤解?」

 

「うん。カルデアには色んなサーヴァントがいるから。中には、その……勘違いして暴れだす人がいるかもしれなくて」

 

 

 

 私は、わずかに目を細めた。

 

 なるほど。

 

 つまり、彼は「夫」という呼び方自体を拒否しているわけではない。

 

 ただ、面倒事を避けたいだけ。

 

 であれば――

 

 

 

「分かりました」

 

 

 

 私は、静かに答えた。

 

 

 

「では、二人きりの時だけ、そう呼ぶことにしましょう」

 

「え」

 

「何か問題でも?」

 

「いや、問題は……ないけど……」

 

 

 

 青年の顔が、再び赤くなった。

 

 その反応を見て、私は小さく笑みを浮かべた。

 

 面白い。

 

 この男、からかうと面白い反応をする。

 

 

 

「では、そういうことで」

 

 

 

 私は、彼の横を通り過ぎた。

 

 

 

「早く部屋に案内するように。我が夫」

 

「だから、二人きりの時って……今、マシュもいるんだけど」

 

「そうでしたね。では、訂正しましょう」

 

 

 

 私は、振り返らずに言った。

 

 

 

「案内してください。マスター」

 

 

 

 背後から、青年のため息が聞こえた。

 

 そして、少女の小さな笑い声も。

 

 

 

「……分かった。こっちだよ」

 

 

 

 その声には、呆れと、そしてどこか楽しげな響きがあった。

 

 私は、前を向いたまま歩き続けた。

 

 心臓の鼓動は、まだ少しだけ速いままだった。

 

 だが、不思議と不快ではなかった。

 

 この感覚が何なのか、私にはまだ分からない。

 

 分からないが――

 

 悪くはない、と思った。

 

 悪くは、ないと。

 

 

 

 

 

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