女王陛下の愛し方   作:頭オーロラ

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第4話

 

 

 

 

 

 与えられた部屋は、思いのほか広かった。

 

 ベッド、デスク、クローゼット、小さな書棚。人間が生活するのに必要なものは一通り揃っている。窓からは、ノウム・カルデアの無機質な内部構造が見える。妖精國の城とは何もかもが違う。

 

 私はベッドの端に腰を下ろし、静かに息をついた。

 

 一人になったのは、召喚されてから初めてだった。

 

 あの青年――藤丸立香は、部屋まで案内した後、「何かあったら呼んで」と言って去っていった。傍らの少女、マシュも同様に。

 

 丁寧な対応だった。

 

 召喚されたばかりのサーヴァントに対して、あれほど気を遣う必要などないはずなのに。

 

 

 

「……」

 

 

 

 私は、自分の手を見下ろした。

 

 さっき、彼の手に触れた。

 

 契約の成立を告げる時、差し出された手を取った。

 

 温かかった。

 

 私の手とは対照的な、人間らしい温もり。

 

 あの瞬間、私は何を感じたのだろう。

 

 今日の出来事を、頭の中で反芻する。

 

 召喚の光。見知らぬ空間。そして、目の前に立っていた一人の青年。

 

 

 

「俺が、あなたのマスターです」

 

 

 

 真っ直ぐな目だった。

 

 怯えも、媚びも、敵意もない。ただ純粋に、私という存在と向き合おうとする意志。

 

 私は、彼を試した。

 

 

 

「では、あなたが私の夫ですね」

 

 

 

 当て付けのつもりだった。

 

 皮肉のつもりだった。

 

 人理を救う正義の味方が、妖精國の悪女と契約した。その事実を、彼自身に突きつけてやりたかった。

 

 怒るか、困惑するか、拒絶するか。

 

 そのどれかが返ってくると思っていた。

 

 だが。

 

 

 

「……分かった」

 

 

 

 彼は、ただそう言った。

 

 

 

「モルガンがそう呼びたいなら、そう呼んでいいよ。呼び方は自由だから、俺はそれで構わない」

 

 

 

 まるで、天気の話でもするように。

 

 私は、面食らった。

 

 こんな反応は、予想していなかった。

 

 

 

「ただ、俺はまだ、あなたのことをよく知らない」

 

 

 

 彼は続けた。

 

 

 

「女王としてのあなたも、サーヴァントとしてのあなたも。だから、これから知っていきたい。あなたが何を望んでいるのか、何を大切にしているのか」

 

 

 

 知りたい。

 

 その言葉が、私の中で反響した。

 

 妖精國で、そんなことを言った者がいただろうか。

 

 私を「知りたい」と思った者が。

 

 私が何を望んでいるか、聞こうとした者が。

 

 

 

「それを知った上で、全力で支援するよ」

 

 

 

 支援。

 

 その言葉を、彼は真っ直ぐに口にした。

 

 目を逸らさずに。嘘の気配もなく。

 

 

 

「召喚に応じてくれて、ありがとう」

 

 

 

 ありがとう。

 

 私を召喚できたことに、彼は礼を言った。

 

 妖精國の悪女を。2000年にわたり恐れられ、憎まれ続けた女王を。

 

 その召喚に、感謝した。

 

 

 

「……なぜだ」

 

 

 

 私は、小さく呟いた。

 

 なぜ、あの男はあんなことを言ったのだろう。

 

 妖精國では、誰もそんなことを言わなかった。

 

 私に向けられる言葉は、常に三種類だった。

 

 恐怖。

 

 

 

「女王陛下、どうかお慈悲を」

 

 

 

 震える声。跪く姿。私の顔を見ることすらできない者たち。

 

 服従。

 

 

 

「御意のままに、女王陛下」

 

 

 

 感情のない声。私の命令に従うだけの、操り人形たち。

 

 裏切り。

 

 

 

「もう我慢できない。あの女王を殺すんだ」

 

 

 

 影で囁かれる陰謀。何度も、何度も繰り返された反逆。

 

 2000年の間、私が聞いた言葉はそれだけだった。

 

 支援する?

 

 知りたい?

 

 ありがとう?

 

 そんな言葉を、真正面からぶつけてくる者がいるとは思わなかった。

 

 私は、窓の外を見た。

 

 ノウム・カルデアの内部は、どこまでも無機質だ。金属と石とガラスで構成された、人工的な空間。

 

 妖精國とは、何もかもが違う。

 

 あの國には、森があった。湖があった。妖精たちの営みがあった。

 

 そして、私の城があった。

 

 私が2000年かけて築き上げた、孤独の王座。

 

 誰も寄り付かず、誰も理解せず、ただ私一人が座り続けた玉座。

 

 今、その玉座は失われた。

 

 妖精國は滅び、私はこの場所に召喚された。

 

 新しい主の下で、新しい戦いに身を投じるために。

 

 それでいい、と思っていた。

 

 サーヴァントなど、所詮は使い魔だ。

 

 召喚されたからには戦う。命じられたことをこなす。それだけのこと。

 

 だというのに。

 

 あの男は、「支援する」と言った。

 

 

 

「……当て付けのつもりだったんだがな」

 

 

 

 私は、小さく呟いた。

 

 「夫」と呼んだのは、皮肉だった。嘲笑だった。

 

 「お前は悪女の共犯者なのだ」と、烙印を押してやるつもりだった。

 

 なのに、あの男は真っ直ぐに受け止めた。

 

 怒りもせず、拒絶もせず、ただ「分かった」と。

 

 そして、手を差し出した。

 

 

 

「よろしく、モルガン」

 

 

 

 あの笑顔を、私は思い出す。

 

 皮肉も、嘲りも、計算もない。

 

 ただ、温かかった。

 

 

 

「……変な人間だ」

 

 

 

 その呟きには、困惑が混じっていた。

 

 そして、もう一つ。

 

 自分でも名前をつけられない、微かな感情。

 

 2000年の間、私の心は凍土のようだった。

 

 何者も踏み入れず、何者も根を張らず、ただ冷たく広がるだけの荒野。

 

 感情を持つことは、弱さだった。

 

 期待を持つことは、愚かさだった。

 

 誰かを信じれば、裏切られる。

 

 誰かに心を開けば、傷つけられる。

 

 だから、私は心を閉ざした。

 

 氷の壁で自分を覆い、誰にも触れさせないようにした。

 

 それが、女王として生きる唯一の方法だった。

 

 2000年もの間、私はそうやって生きてきた。

 

 だが今、その凍土に一滴の水が落ちた。

 

 たった一言。

 

 

 

「全力で支援するよ」

 

 

 

 その言葉が落ちた場所から、小さな波紋が広がっている。

 

 私は、自分の胸に手を当てた。

 

 心臓が、まだ少しだけ速く打っている。

 

 この感覚は、何だ。

 

 名前がつけられない。

 

 不快ではない。だが、心地よいわけでもない。

 

 ただ、落ち着かない。

 

 胸の奥で、何かが揺れている。

 

 

 

「……」

 

 

 

 私は、目を閉じた。

 

 考えても、分からない。

 

 あの男が何者なのか。

 

 あの言葉に、どんな意味があったのか。

 

 そして、私がなぜこんなにも動揺しているのか。

 

 何も、分からない。

 

 だが、一つだけ確かなことがある。

 

 私は、あの男に興味を持ち始めている。

 

 藤丸立香。

 

 人類最後のマスター。

 

 私に「夫」と呼ばれても動じず、むしろ「知りたい」と言った男。

 

 彼は、一体何者なのだろう。

 

 私は、ベッドに横たわった。

 

 天井を見上げる。無機質な白い天井。妖精國の城とは、何もかもが違う。

 

 だが、不思議と不快ではなかった。

 

 この場所で、これから何が起きるのだろう。

 

 あの男と、どんな関係を築いていくのだろう。

 

 「夫」と呼んだのは、当て付けだった。

 

 だが、彼はそれを受け入れた。

 

 ならば、私も受け入れよう。

 

 この奇妙な関係を。

 

 この予測不能な状況を。

 

 少なくとも、退屈はしなさそうだ。

 

 

 

「……ふん」

 

 

 

 私は、小さく笑った。

 

 明日から、何をしてやろうか。

 

 女王として、どんな要求を突きつけてやろうか。

 

 城を建てろ、とでも言ってみようか。

 

 あるいは、他のバーサーカーを解雇しろ、と。

 

 あの男が、どんな顔をするか見ものだ。

 

 困るだろう。頭を抱えるだろう。

 

 それでも、逃げないだろうか。

 

 「分かった」と、また言うだろうか。

 

 ……確かめてみたい、と思った。

 

 彼が本当に、私と向き合い続けるつもりなのかどうか。

 

 その覚悟が、本物なのかどうか。

 

 

 

 

 

 

 

 夜が、静かに更けていく。

 

 カルデアの照明が落とされ、廊下からの物音も途絶えた。

 

 サーヴァントに睡眠は必要ないが、現界に必要な魔力を多少なりとも削減できる。

 

 そのため夜のカルデアは、人間もサーヴァントも基本的に体を休めるらしい。

 

 私もそれに倣って、目を閉じた。

 

 眠りに落ちる直前、ふと思った。

 

 明日、あの男は何と言うだろう。

 

 私の無茶な要求に、どう応えるだろう。

 

 それを想像すると、なぜか口元が緩んだ。

 

 楽しみだ、と。

 

 そう思っている自分に気づいて、私は少しだけ驚いた。

 

 2000年ぶりだ。

 

 いや、もしかしたら初めてかもしれない。何かを「楽しみ」だと思ったのは。

 

 その感情が何を意味するのか、私にはまだ分からない。

 

 

 

 

 

 彼女はまだ、それが「好意の種」だとは気づかない。

 

 だが、物語は確かに始まった。

 

 女王と、彼女の「夫」。

 

 二人の物語は、こうして幕を開けたのだった。

 

 

 

 

 

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