女王陛下の愛し方 作:頭オーロラ
第5話
召喚から一夜が明けた。
私は与えられた部屋で目を覚まし、しばし天井を見つめていた。
昨日の出来事が、まだ頭の中で反響している。
藤丸立香。
「全力で支援する」と言った男。
「一番頼りにしてる」と――いや、それはまだ言われていない。これから言わせるのだ。
私は身を起こし、窓の外を見た。
カルデアの朝は静かだった。妖精國のような喧騒も、陰謀の気配もない。
だが、静かすぎるのも居心地が悪い。
女王には、女王としての振る舞いがある。
このカルデアという場所でも、それは変わらない。
いや――変えてはならない。
私は、妖精國ブリテンの女王モルガン。
たとえ國を失おうとも、その矜持だけは失わない。
ならば、今日から始めよう。
この場所で、私がどういう存在であるか、示してやろう。
食堂に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
ざわめきが止み、視線が集中する。
サーヴァントたち。カルデアの職員たち。
彼らの目には、警戒と好奇心が入り混じっていた。
当然だろう。
昨日召喚されたばかりの、妖精國の女王。
「悪逆」と呼ばれた存在。
私の噂は、すでに広まっているに違いない。
だが、私は気にしない。
噂など、2000年の間、嫌というほど聞いてきた。
今さら、どうということはない。
私は堂々と歩を進めた。
食堂の中央を、まるで玉座への道を歩むように。
そして、見つけた。
藤丸立香。
彼は、あの少女――マシュと共に、テーブルについていた。
朝食を取りながら、何やら談笑している。
その姿を見て、私は足を止めた。
穏やかな光景だった。
平和で、温かくて、何の緊張感もない。
妖精國では、ついぞ見ることのなかった光景。
私の周りには、いつも緊張があった。恐怖があった。陰謀があった。
こんな風に、誰かと笑い合いながら食事を取ったことなど――
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
私は、彼に向かって真っ直ぐに歩いた。
「あ、モルガン」
私の姿を認めた藤丸が、椅子から立ち上がった。
その動作には、緊張が見て取れた。当然だ。昨日の「夫」発言の後だ。警戒するのは無理もない。
だが、彼の次の言葉は、予想外のものだった。
「おはよう。よく眠れた?」
私は、一瞬、言葉を失った。
おはよう。
よく眠れたか。
それが、彼の最初の言葉だった。
警戒でもなく、警告でもなく、ただの気遣い。
昨日、無茶な発言をした相手に対して、朝一番にかける言葉がそれか。
この男は、本当に――
「……ええ。悪くはありませんでした」
私は、努めて平静を装って答えた。
動揺を見せるわけにはいかない。
「そっか、よかった。朝ごはん、食べる? 今日のメニュー、結構美味しいよ」
彼は、当たり前のように椅子を引いた。
私のために。
「先輩、私の隣の席を……」
マシュが何か言いかけたが、藤丸は気にしていないようだった。
私は、その椅子を見つめた。
座れ、と言っている。
一緒に食事を取ろう、と。
まるで、私がここにいるのが当然であるかのように。
――違う。
私は、こんなことをしに来たのではない。
女王としての布告をしに来たのだ。
馴れ合いに来たのではない。
「それより」
私は、椅子に座ることなく、藤丸を真っ直ぐに見つめた。
「あなたに伝えることがあります」
食堂の空気が、張り詰めた。
周囲のサーヴァントや職員たちが、私たちに注目しているのが分かる。
ざわめきが止み、静寂が広がる。
いい傾向だ。
女王の言葉には、相応の重みがなければならない。
「私はこのカルデアにおいて、いくつかの法を布告します」
藤丸が目を瞬かせた。
「法……?」
「第一に――」
私は、声を張った。
この食堂にいる全員に聞こえるように。
「私の居住区には、城を建設すること」
沈黙。
「第二に、私以外のバーサーカークラスのサーヴァントは、解雇すること」
さらなる沈黙。
「第三に、私の法律は、カルデアのいかなる規則よりも優先されること」
完全な静寂が、食堂を支配した。
誰も、何も言えなかった。
私は、周囲の反応を観察した。
驚愕。困惑。呆れ。怒り。
様々な感情が、サーヴァントたちの顔に浮かんでいる。
当然だろう。
城を建てろ?
バーサーカーを解雇しろ?
カルデアの規則より優先?
彼らにとっては、正気の沙汰ではないに違いない。
だが、私にとっては当然のことだ。
私は女王だ。
女王には、相応の住居が必要だ。城があって当然だ。
女王は、唯一無二の存在であるべきだ。同じクラスの者が複数いては、権威が損なわれる。
女王の法は、すべてに優先する。それが、統治というものだ。
2000年、私はそうやって妖精國を治めてきた。
今さら、変えるつもりはない。
「えっと……」
藤丸が、困った顔で頭を掻いた。
「モルガン、それは……」
「異論がありますか?」
私は、彼を見下ろした。
さあ、どう出る。
怒るか。拒絶するか。それとも、言いなりになるか。
昨日、あれほど「支援する」と言ったこの男が、どこまで本気だったのか。
試してやる。
「異論っていうか……」
藤丸は、少し考え込むような顔をした。
そして、顔を上げた。
「ちょっと待ってて。これ、ちゃんと話し合いたいから」
「話し合い?」
「うん。モルガンの要求を、ちゃんと聞きたい。でも、ここじゃなくて、もう少し落ち着いた場所で」
私は、眉をひそめた。
予想外の反応だ。
即座に拒絶するでもなく、言いなりになるでもなく、話し合い?
「私の法律は絶対です。交渉の余地などありません」
「それでも、聞かせてほしいんだ」
藤丸は、真っ直ぐに私を見つめた。
昨日と同じ目だ。
怯えも、媚びも、敵意もない。
ただ、向き合おうとする意志。
「モルガンがなぜそう思うのか、知りたいから」
私は、言葉を失った。
知りたい。
また、その言葉だ。
昨日も言われた。「知っていきたい」と。
そして今日も、「知りたい」と。
この男は、本当に――
「……いいでしょう」
私は、ため息をつくように言った。
「では、後で話をしましょう。場所は、私の部屋で構いません」
「分かった。ありがとう、モルガン」
礼を言われる筋合いはない。
だが、その言葉を聞いて、私は妙な感覚を覚えた。
悪くない、と。
そう思ってしまった自分に、私は戸惑いを覚えた。
「では、後ほど。あまり待たせないように」
私は踵を返し、食堂を後にした。
背後から、ざわめきが再開するのが聞こえた。
「今の、何だったんだ……」
「城を建てろって、正気か?」
「バーサーカー解雇って、ヘラクレスやランスロットもか?」
「あの女王、やっぱりヤバいんじゃ……」
様々な声が、私の耳に届いた。
だが、私は振り返らなかった。
どう思われようと、構わない。
私は女王だ。
女王は、常に毅然としていなければならない。
たとえ、その胸の内で――小さな波紋が広がっていたとしても。
「先輩」
食堂を出ようとした時、マシュの声が聞こえた。
「あの……大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。話を聞いてくるだけだから」
藤丸の声が、穏やかに答える。
「でも、あの要求は……」
「うん、全部は無理だと思う。でも、モルガンなりの理由があるんじゃないかな」
「理由、ですか」
「そう。だから、ちゃんと聞きたいんだ」
私は、足を止めていた。
聞くつもりはなかった。
だが、彼の言葉が、耳に入ってしまった。
「モルガンなりの理由がある」
そう、彼は言った。
私の要求を、ただの我儘だとは思っていない。
何か理由があるはずだ、と。
そう考えている。
「先輩は、本当にお優しいですね」
「優しいっていうか……当たり前のことだよ。話も聞かずに断るなんて、失礼だから」
「そう、でしょうか」
「そうだよ。モルガンだって、ちゃんと話せば分かってくれると思うし」
私は、静かに歩き出した。
これ以上、聞いているわけにはいかない。
盗み聞きなど、女王のすることではない。
だが、彼の言葉は、胸に残った。
「ちゃんと話せば分かってくれる」
そんな風に、私のことを思っている。
信じている。
信頼している。
――馬鹿な男だ。
私は、2000年の間、裏切り続けられてきた女王だぞ。
分かってくれる?
そんな甘い期待、持つだけ無駄だ。
……なのに。
なぜだろう。
その言葉を聞いて、私は――嬉しかった。
ほんの少しだけ。
ほんの少しだけ、嬉しかったのだ。