女王陛下の愛し方 作:頭オーロラ
「モルガンを、一番頼りにしてる」
その言葉が、まだ耳の奥で響いている。
私は、窓の外に視線を向けたまま、彼の言葉を反芻していた。
一番頼りにしている。
妖精國では、誰もそんなことを言わなかった。
私に向けられた言葉は、常に決まっていた。
「女王陛下、どうかお慈悲を」
恐怖に震える声。
「御意のままに」
感情のない服従の言葉。
「あの女王を殺せ」
影で囁かれる裏切りの計画。
2000年の間、そういった類の言葉しか聞いてこなかった。
「頼りにしている」
その言葉の響きを、私はほとんど知らなかった。
なのに、この男は――
真っ直ぐに私を見て、そう言った。
嘘の気配は、なかった。
「……一つ、聞かせなさい」
私は、窓の外を見たまま言った。
「何?」
「なぜ、嘘をつかないのですか」
少しの沈黙。
そして、彼は答えた。
「嘘をついても、いいことないから」
「……」
「嘘をつけば、その場はごまかせるかもしれない。でも、いつかバレる。バレた時、信頼は失われる」
信頼。
その言葉が、私の中で反響した。
「俺は、モルガンとちゃんとした関係を築きたい。だから、嘘はつかない。できないことは、できないって言う」
「……ちゃんとした関係」
「うん。マスターとサーヴァント、っていう関係だけじゃなくて。もっと……なんていうか」
彼は、言葉を探しているようだった。
「信頼し合える関係、かな。お互いに、本音で話せるような」
私は、ゆっくりと振り返った。
「……本音で話せる関係」
その言葉を、口の中で転がす。
「妖精國では、そんな関係は一度もありませんでした」
「……」
「誰もが私を恐れ、従い、そして裏切った。本音を話す者など、一人もいなかった」
彼の目が、私を見つめていた。
同情ではない。
憐れみでもない。
ただ、真っ直ぐに。
私という存在を、理解しようとする目。
「だから、約束する」
彼は、言った。
「俺は、モルガンに嘘をつかない。できないことは、できないって言う。でも、できることは、全力でやる」
「……」
「それが、俺にできる精一杯の誠意だから」
誠意。
その言葉を聞いて、私は自分の中に奇妙な感覚が生まれるのを感じた。
胸の奥が、少しだけ温かくなるような。
それでいて、どこか落ち着かないような。
名前をつけられない、不思議な感覚。
私は、自分の中に生まれたその感情を持て余していた。
なぜ、こんな気持ちになるのか。
分からない。
分からないが――
「……いいでしょう」
気づけば、私はそう言っていた。
「え?」
彼が、目を瞬かせた。
「今回は、我が夫の顔を立てて譲歩します」
「本当に?」
その声には、驚きが滲んでいた。
当然だろう。
私自身、なぜ譲歩しようと思ったのか、よく分かっていないのだから。
私は妖精國の女王だ。
譲歩など、するべきではない。
2000年の間、私は誰にも譲歩しなかった。
自分の法を曲げることは、一度もなかった。
なのに、この男の前では――
「我が夫の顔を立てて」
自分で言っておきながら、その言葉の響きに驚いた。
言い訳だ。
これは、ただの言い訳だ。
本当の理由は、別にある。
でも、その「本当の理由」が何なのか、私にはまだ分からなかった。
「ただし、条件があります」
私は、姿勢を正した。
「私だけのシミュレーター。それは、必ず用意するように」
「うん、約束する」
「そして――」
私は、彼を真っ直ぐに見つめた。
「あなたが『一番頼りにしてる』と言った以上、それを証明してもらいます」
「証明?」
「今後、重要な任務には必ず私を同行させなさい」
彼は、少し驚いた顔をした。
そして――笑った。
「分かった。約束する」
あっさりと。
何の躊躇いもなく。
「……本当に、あっさり承諾するのですね」
「だって、俺もそうしたかったから」
「……」
私は、言葉を失った。
彼もそうしたかった?
つまり、私と一緒に任務に行きたかった、ということなのか?
「モルガンと一緒に戦えるの、楽しみだな」
彼は、無邪気にそう言った。
楽しみ。
私と戦うことが、楽しみ。
その言葉の意味を、私は理解するのに少し時間がかかった。
「……あなたは」
私は、小さく息をついた。
「本当に、変わった人間ですね」
「また言われた」
「何度でも言います。あなたは、変わっています」
だが、その言葉には、もはや棘がなかった。
むしろ、どこか――
「じゃあ、俺は変な人間でいいよ」
彼は、笑った。
「モルガンと一緒に戦えるなら」
私は、ふいと顔を背けた。
見ていられなかった。
その笑顔が、あまりにも――
「……勝手にしなさい」
「うん。じゃあ、また後で。シミュレーターの件、ダ・ヴィンチちゃんに話してくるね」
「ええ」
彼は、扉に向かって歩き出した。
その背中を見ながら、私は思った。
なぜ、譲歩したのだろう。
なぜ、この男の前では、自分の法を曲げてしまうのだろう。
分からない。
分からないが――
「モルガン」
扉の前で、彼が振り返った。
「何ですか」
「ありがとう。話を聞いてくれて」
「……礼を言われる筋合いはありません」
「それでも、ありがとう」
彼は、もう一度笑って、部屋を出て行った。
一人になった部屋で、私は窓辺に佇んでいた。
彼の足音が、廊下の向こうに消えていく。
静寂が、部屋を満たす。
私は、自分の胸に手を当てた。
やはり、昨日と同じだ
心臓が、ほんの少しだけ速く打っている。
「……何だ、これは」
この感覚は、何だ。
「一番頼りにしてる」
「モルガンと一緒に戦えるの、楽しみだな」
「ありがとう」
彼の言葉が、頭の中で反響している。
どれも、妖精國では聞いたことのない言葉ばかり。
どれも、私の胸を揺さぶる言葉ばかり。
2000年の間、私の心は凍土のようだった。
何者も踏み入れず、何者も根を張らず、ただ冷たく広がるだけの荒野。
だが今、その凍土に――
何かが、落ちた。
一滴の水のような、小さな何かが。
その場所から、かすかな波紋が広がっている。
私は、その波紋の正体を知らない。
この感覚が何を意味するのか、まだ分からない。
だが、一つだけ確かなことがある。
私は、あの男に興味を持ち始めている。
藤丸立香。
「我が夫」
その言葉の意味が、少しだけ変わり始めているような気がした。