女王陛下の愛し方   作:頭オーロラ

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第9話

 

 

 

 

 

 ノウム・カルデアの夜は、いつになく静かだ。

 

 夕食を終え、藤丸立香は自室に戻る途中だった。廊下には人影もまばらで、足音だけが響いている。

 

 今日は、長い一日だった。

 

 モルガンの「布告」から始まり、管制室での会議、そして彼女との交渉。

 

 結果として、モルガンは譲歩してくれた。

 

 「我が夫の顔を立てて」と言いながら。

 

 あの言葉を思い出すと、藤丸の頬は自然と緩んだ。

 

 夫。

 

 相変わらず、その呼び方には慣れない。

 

 でも、嫌ではなかった。

 

 むしろ――

 

 

 

「あ」

 

 

 

 角を曲がったところで、藤丸は足を止めた。

 

 廊下の向こうに、見覚えのある白銀の髪が見えた。

 

 モルガンだ。

 

 彼女もまた、こちらに気づいたようだった。足を止め、藤丸を見つめている。

 

 

 

「モルガン」

 

 

 

 藤丸は、自然と笑顔になった。

 

 

 

「今日は、ありがとう。譲歩してくれて」

 

「礼には及びません」

 

 

 

 モルガンは、いつもの冷静な声で答えた。

 

 

 

「私が判断したことです」

 

「それでも」

 

 

 

 藤丸は、一歩近づいた。

 

 

 

「嬉しかったよ、話を聞いてくれて」

 

 

 

 モルガンは、少しだけ目を伏せた。

 

 その仕草が、藤丸には新鮮に映った。

 

 いつも堂々としている彼女が、わずかに視線を逸らす。

 

 そこに、何かが垣間見えた気がした。

 

 

 

「……一つ、聞いてもいいですか」

 

 

 

 モルガンが、静かに言った。

 

 

 

「何?」

 

「なぜ、あなたは私と『話し合おう』としたのですか」

 

 

 

 藤丸は、首を傾げた。

 

 

 

「え?」

 

「普通なら、一方的に断るか、あるいは従うかのどちらかでしょう」

 

 

 

 モルガンの目が、真っ直ぐに藤丸を見つめた。

 

 

 

「なぜ、わざわざ『交渉』などという面倒なことを」

 

 

 

 藤丸は、少し考えた。

 

 面倒。

 

 そう言われると、確かにそうかもしれない。

 

 モルガンの要求を全部断って、それで終わりにすることもできた。

 

 でも、そうしなかった。

 

 なぜだろう。

 

 

 

「面倒だとは思わなかったよ」

 

 

 

 藤丸は、正直に答えた。

 

 

 

「……」

 

「だって、モルガンにはモルガンの考えがあるんでしょ?」

 

「……考え?」

 

「城を建てたいとか、バーサーカーがどうとか。ただの我儘じゃなくて、何か理由があるんだと思った」

 

 

 

 モルガンの目が、わずかに見開かれた。

 

 

 

「だから、聞きたかったんだ。モルガンが何を考えてるのか」

 

 

 

 モルガンは、息を呑んだ。

 

 聞きたかった。

 

 私が何を考えているか。

 

 その言葉が、胸の奥に響いた。

 

 妖精國では、誰もそんなことを言わなかった。

 

 私の考えを聞こうとした者など、一人もいなかった。

 

 命令を下せば、従うか裏切るか。

 

 その二択しかなかった。

 

 なのに、この男は――

 

 

 

「……聞いて、どうするのですか」

 

 

 

 モルガンは、かすれた声で問うた。

 

 

 

「できることがあれば、やりたい」

 

 

 

 藤丸は、真っ直ぐに答えた。

 

 

 

「できないことは、正直に言う。それだけだよ」

 

 

 

 それだけ。

 

 彼にとっては、それだけのことなのだろう。

 

 でも、私にとっては――

 

 

 

「……変な人間ですね」

 

 

 

 モルガンは、小さく呟いた。

 

 

 

「また言われた」

 

 

 

 藤丸が、苦笑した。

 

 

 

「何度でも言います。あなたは、変な人間です」

 

 

 

 だが、その声には、昼間までの棘がなかった。

 

 むしろ、どこか――柔らかかった。

 

 自分でも驚くほどに。

 

 

 

「じゃあ、俺は変な人間でいいよ」

 

 

 

 藤丸が、笑った。

 

 

 

「モルガンと話ができるなら」

 

 

 

 モルガンは、一瞬、言葉を失った。

 

 モルガンと話ができるなら。

 

 その言葉が、胸の中で反響した。

 

 私と話すことを、彼は望んでいる。

 

 面倒だとは思っていない。

 

 むしろ、話ができることを喜んでいる。

 

 なぜ。

 

 なぜ、この男は――

 

 

 

「……勝手にしなさい」

 

 

 

 モルガンは、ふいと顔を背けた。

 

 見ていられなかった。

 

 彼の笑顔が、あまりにも眩しくて。

 

 

 

「うん。おやすみ、モルガン」

 

「……おやすみなさい」

 

 

 

 モルガンは、足早に歩き出した。

 

 自室に向かって。

 

 彼に背を向けて。

 

 逃げるように。

 

 

 

 

 

 

 

 自室のドアが閉まった後、モルガンはしばらくその場に立ち尽くしていた。

 

 胸が、騒がしい。

 

 確かめなくても分かるほどに、心臓が速く打っている。

 

 あの男の言葉が、頭の中で反響していた。

 

 「聞きたかったんだ。モルガンが何を考えてるのか」

 

 「モルガンと話ができるなら」

 

 誰も、そんなことを言わなかった。

 

 2000年の間、誰も。

 

 私が何を考えているか、知ろうとした者はいなかった。

 

 私と話すことを、望んだ者もいなかった。

 

 なのに、この男は――

 

 

 

「……っ」

 

 

 

 モルガンは、自分の頬に手を当てた。

 

 熱い。

 

 なぜだ。

 

 なぜ、こんなにも熱いのだ。

 

 窓の外を見る。

 

 白紙化を免れた彷徨海の夜景が、静かに広がっている。

 

 妖精國とは違う景色。

 

 妖精國では見ることのなかった、穏やかな夜。

 

 

 

「……分からない」

 

 

 

 モルガンは、小さく呟いた。

 

 この感覚が、何なのか。

 

 この胸の騒がしさが、何を意味するのか。

 

 分からない。

 

 いや、分からないと自分に言い聞かせているだけ、かもしれない。

 

 女王としての威厳を保つためだけに……

 

 藤丸立香。

 

 「我が夫」

 

 その存在が、私の中で少しずつ大きくなっていく。

 

 それが、何を意味するのか――

 

 今はまだ、分からないふりをしたまま。

 

 

 

 

 

 

 

 翌日から、モルガンは約束通り、藤丸の任務に同行するようになった。

 

 最初の任務は、北欧の特異点修正。

 

 それが、二人にとって初めての「共闘」となる。

 

 だが、それはまた別の話。

 

 今はただ、カルデアの夜が静かに更けていく。

 

 女王は、自分の中に芽生えた感情を持て余しながら。

 

 彼女の「夫」は、距離が縮まったことに気づかないまま。

 

 二人の物語は、ゆっくりと動き始めていた。

 

 

 

 

 

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