さぁ、開幕でございます
その日に、特別な出来事はなかった。
朝は早い時間に起き、準備中の娘とお弁当を作る妻に
「行ってきます」と伝え、見送られる。
車で職場に行き、同じような顔ぶれの同僚と
同じような仕事をこなす。
書類は増え、昇進するにつれ責任は重くなり、
夢と呼べたものはいつの間にか
「現実的ではない」
という言葉で片づけられていた。
代わり映えのない日常でも、
愛に溢れた幸せな家庭と暮らしだと思う。
衣食住に困ることはなく、
会社で理不尽に怒鳴られることも減り、
休日には家族みんなでドライブに行ったり、
娘が気分じゃない日は妻だけ連れて心安らぐ場所に
行ってみたり。そうすると大抵後で娘が拗ねるので、
そんな時は買っておいたお土産を一緒に食べた。
とても、満たされていた。
若い頃に何かを願った記憶はある。
例えばサッカー選手だったり、社長だったり。
遠い遠い距離の願いだ。
けど、願いはどんどん距離が近くなっていく。
公務員になりたい。
この会社に就きたい。
結婚したい。
愛し合いたい。
子どもがほしい。
美味しいご飯が食べたい。
部長になりたい。
そして、また遠くなる。
死にたい。
また驚くほど近くなる。
生きたい。
その繰り返し。
身近に愛しい人が出来て
『仕事ではミスばかり』
昇進して給料が増えて
『上からの圧力と下からの期待に押し潰されて』
愛しい子が増えて
『子育ても上手くいかなくて』
自分の精神にも余裕ができて
『親が死んで』
仕事も順調になってきて
『嫌がらせも増えて』
娘が健やかに成長して
『反抗期になって』
あぁ、苦しい。
生きることは、本当に苦しい。
願いが叶わない可能性を引き受ける覚悟がいる。
大人はそれを知ってしまう。
だから今日も、淡々と一日を終えるはずだった。
帰り道、もうとっくに日が暮れた真っ暗な交差点。
信号が変わる。
人の流れに身を任せ、一歩踏み出す。
その瞬間――
キキッ
ドンッ
甲高い車のブレーキ音と鈍く何かを打ち付けた
ような音が聞こえた。
さぁ、これまで長々と話してきた。
思い出も振り返った。
なるほど、これが走馬灯なのか。
神様も優しいものだな、これだけ長く気持ちを
整理する時間をくれるだなんて。
全身が痛い、今から死ぬのかと心の底から
震えが止まらない。
ああ、と。 最後に思ったのは、
「……妻と娘が、幸せに生きられますように…」
これが、人生最期の願い。
神様、どうか叶えてくれよ。
次に意識が浮かび上がったとき、 俺がいたのは
暗闇でも、光でもない。 上下も、時間も、
輪郭すら曖昧な場所だった。
――ここは、どこだ?
問いは声にならず、思考だけが漂う。
すると、不意に「視線」を感じた。
誰かに見られている。
不意に空間が鏡のように俺の顔を反射した。
奥でなにか蠢いている。
低く、それでいて高く。とても人の声とは
思えないような声が響く。
《ああ……愛しい我が君
気高く麗しい悪の華
貴方こそが世界で一番美しい
──鏡よ鏡、教えておくれ
この世で一番………
──闇の鏡に導かれし者よ
汝の心の望むまま、
鏡に映る者の手をとるがいい
明月(ほし)をも灰にする焔炎(ほのお)
刹那(とき)をも封じ込める凍氷(こおり)
蒼穹(そら)をも飲み込む大樹(たいじゅ)
闇の力を恐れるな
さあ──力を示すがよい
私に 彼らに 君に
残された時間は少ない
決してその手を離さぬよう────》
「なにを、」
言いたいんだ、その先は声にならず、
次の瞬間、 意識は引き裂かれるように、
急激に「形」を与えられた。
熱。 圧迫。 そして、強烈な――始まり。
「おぎゃあ!おんぎゃあぁ!」
泣き声が、響く。
それは紛れもなく自分の喉から発せられていて。
眩しい光。ざわめく声。聞いたことがない言葉。
ぼやけた視界一面に映る影。
生まれたのか、俺は。
赤子から、人生をやり直せと?
はは、何が優しい神様だ。
とんだ我儘だ!
魔法が存在し、 鏡が運命を運ぶ場所。
ツイステッドワンダーランド。
ただの会社員だった男は、 捻れた世界へと
生まれ落ちた。
――それが、 マグニ・ウィシュアイアの
始まりだった。
マグニフィコ王モチーフのキャラを
書いてみたくての衝動書き。
まあ前世持ち主人公がいるのなら監督生は…
なんなら成り代わりだっているかもしれない。
捻れたリズムで踊るマグニフィコ王が
いたっていい