報告書の最後の一行を、私はなかなか書き終えられずにいた。
『一部信徒については、引き続き指導を要する』
間違いではない。けど、随分と都合のいい書き方だと思う。
あの日、病を抱えた子どもと母親が参道で追い返されかけてから、私は教団内の問題を洗い直した。
苦情を申し出た人々へ直接謝罪し、必要な相談窓口を整え、職員には信徒かどうかで対応を変えないよう徹底した。
信徒に向けた説明会も開いた。
幸い、多くの人は分かってくれた。
あの親子にも改めて来ていただいて、お子様の診察と面談の手配をした。今日は教祖様がお越しになる。お身体の状態を確認いただければ、きっと救いの道が開けるはずだ。
それでも、問題は残った。
「......斉藤様。例の方々が、また別の信徒を集めているそうです」
扉の外から、職員が控えめに声をかける。
「どなたですか」
「以前から入信の有無で人を選別すべきだと主張している、あの3人です。今朝も、教祖様に救っていただく資格があるのは信仰を示した者だけだと......」
「分かりました。ありがとうございます。これ以上、他の方を巻き込まないよう見守ってください」
職員が去ったあと、私はそっと額を押さえた。
3人とも、教団の設立当初から熱心に活動してきた信徒だ。
寄付も惜しまず、人手の足りない仕事を率先して引き受けてくれた。だからこそ、周囲への影響力がある。
私も何度も話した。
病人を追い返すことも、入信を強要することも、教祖様のご意思ではないと。
しかし彼らは、私の説明を『信徒を増やすための建前』だと受け取った。
『斉藤様はお優しすぎる。教祖様の本当のお考えを理解しておられない』
そう言われたとき、怒りよりも先に、情けなさがこみ上げた。
教祖様にお仕えする身でありながら、その教えを信徒へ正しく伝えられない。私は、まだまだ未熟なのだろう。
「斉藤様、そろそろお時間です」
「......はい」
私は報告書を揃え、執務室を出た。
教祖様は本日、説法のため総本部にお越しになる。
いつものようにお迎えして、いつものようにご予定をお伝えする。そして、今回の件を報告しなければならない。
お叱りを受ける覚悟はしていた。
それ以上に、あの方のお名前を掲げた場所で、あのような振る舞いを許してしまったことが恥ずかしかった。
「なるほどなぁ」
報告を終えると、教祖様はソファに背を預けた。
目の前には私がまとめた資料がある。入信を迫った信徒への注意、被害者への謝罪、職員の再教育。解決した事案も、解決できていない事案も、隠さずに記した。
「大半は収まったんやね」
「はい。ですが、未だに3名の信徒が指導に従わず......申し訳ございません」
私は頭を下げた。
「どれほど言葉を尽くしても、自分たちの考えこそ教祖様の真意だと主張しておりまして。私の力不足です」
「なんで謝るん?」
思わず顔を上げた。
教祖様は不思議そうに首を傾げている。
「君、ほとんど収めたんやろ?被害を受けた人にも謝って、相談も再開させて、職員の対応まで見直した。そこまで出来たなら充分やん」
「ですが......」
「全員を一言で納得させられるんやったら、僕かて苦労せぇへんよ」
教祖様は資料を机に置き、柔らかく笑われた。
「ようやったなぁ、斉藤。ちゃんと任せてよかったわ」
胸の奥が、熱くなった。
あの日、電話越しに頼りにしていると言ってくださった。
今度は、私のした仕事をひとつひとつ見て、認めてくださっている。
「......ありがとうございます」
声が震えた。情けない。泣いている場合ではないのに。
「残った3人のことは、もう君ひとりで抱えんでええ。今日の説法で僕から話すわ」
「教祖様が、直々に......?」
「そ。僕の名前を勝手に使われとるんやから、僕が言わなあかんこともあるやろ」
私は深く頭を下げた。
「どうか、よろしくお願いいたします」
教祖様の口元に浮かんだ笑みは、どこまでも穏やかだった。
だから私は、安心していた。
この方がお言葉をくだされば、きっとすべてが良い方向へ向かうと、信じていた。
「......ほんま、面倒やなぁ」
斉藤が出ていった扉を眺めながら、僕は資料をもう一度めくった。
ようやっとる。これは本心や。
問題が起きたんは斉藤の失策ちゃう。僕が教団を作った以上、いつかは起こることやった。
信仰心いうのは便利や。勝手に金も人も集まるし、教祖が適当に口を開けば、ありがたいお言葉として受け取ってくれる。
その代わり、勝手に教祖の代弁まで始めよる。
しかも厄介なことに、本人たちは善いことをしとるつもりなんよなぁ。
「選ばれた者だけ救われるべき、ねぇ......」
言葉だけ聞いたら、僕の考えに近い部分もある。
呪術師の存在を認めず、危険だけ押し付けてくる連中まで助ける義理はない。そこは変わらん。
けど、誰を助けるか判断するんは僕ら呪術師や。見えもせん、祓えもせん非術師が、勝手に他人の救済を邪魔してどうするねん。
特に、今回追い返されかけたんは子どもやろ。
病人を治してもらう前から『入信せぇ』と脅すような場所に、誰が好き好んで来るんや。写真でも撮られて広まったら、教団の看板に泥を塗るだけやないか。
僕は信者が欲しいんであって、敵を量産したいわけちゃう。
斉藤はその辺り、よう分かっとる。
注意に従った信徒の記録も細かいし、退会した者にまで謝罪の手紙を送っとる。やりすぎな部分もあるけど、少なくとも仕事を任せる相手としては申し分ない。
残った3人についても、反発を隠さず報告してきた。
失敗を誤魔化す部下より、出来んことを出来んと言える部下の方がよほど使える。
「さて、と」
僕は立ち上がり、着物の襟を整えた。
そろそろ説法の時間や。
扉が開くと、今日も講堂には大勢の信徒が集まっていた。
先日より増えとるんちゃうか。熱心なんは結構やけど、こっちの予定も考えてほしいわ。
檀上に立ち、静かになるのを待つ。
「──面を上げよ」
それだけで、ざわめきが消えた。
僕は会場をゆっくり見渡した。
前列の右側。報告書にあった3人も来とるな。斉藤が教えたんか、本人たちが勝手に集まったんか。どっちでもええけど。
「お前たちに問う。この社は、何のためにある?」
誰も答えない。
「救いを求める者が訪れ、己の目に映らぬ穢れを知り、その身を守る術を学ぶ場所だ。少なくとも、門前で泣く子を追い返すために建てた覚えはない」
講堂の空気が変わった。
誰かが息を呑む音がする。
「先日、病を抱えた子どもがこの地を訪れた。だが、一部の信徒が、その子に救われる資格はないと言い放ったそうだな」
僕はひと呼吸置いた。
「私が、いつそのように命じた?」
声を荒らげる必要はない。
静かに問いかけるだけで、全員が身じろぎをやめる。
「私の名を使い、私の許しなく他者を裁く者がいる。信仰を持たぬ者を見下し、弱った者を脅し、従わぬ者を穢れと呼ぶ。随分と偉くなったものだ」
前列の男が、わずかに顔を強張らせた。
「勘違いするな。お前たちが信じる心を持つのは自由だ。だが、その信仰は他人を踏みつけるための免状ではない」
僕は両手を広げた。
「穢れを祓う力もなく、誰かの命を救う力もない者が、私の代わりに救いの門を閉ざすな。分を弁えよ」
ここで声を少しだけ低くする。
「次はない。私の名を騙る者は、信徒であろうと容赦せん」
一瞬、講堂が完全に静まり返った。
やがて、どこからともなく謝罪と祈りの声が上がる。
全員が頭を下げたのを見届けて、僕はいつものように微笑んだ。
「正しく祈れ。正しく学べ。お前たちに幸あらんことを」
はい、終わり。
今日は普段より長く喋った気がする。喉乾いたわ。
「見事なお言葉でした、教祖様......!」
控室に戻るなり、斉藤が目を潤ませて迎えてくれた。
「皆、深く反省したはずです。これで教団も、再び本来の姿に......」
「そうなるとええね」
僕は差し出されたお茶を飲んだ。
今日の予定はまだ残っとる。例の親子の子どもも診なあかんし、狐ちゃんと烏ちゃんにも働いてもらわんと。
その前に、ひとつだけ確認しておこう。
「斉藤。あの3人、説法のあとも様子見といてな」
「承知いたしました」
「直接注意する必要はない。何を言うとるか、それだけ教えて」
「......はい」
斉藤は少し不思議そうにしたが、素直に頷いた。
その夜、報告が届いた。
3人は説法のあと、仲間を集めてこう話したらしい。
『教祖様は、まだ信仰の浅い者を気遣っておられるだけだ』
『本当は我々の考えが正しい。選ばれた者には、選別する責務がある』
『斉藤様も、いずれ理解できるであろう』
「......あかんなぁ」
僕の言葉を聞いて、なおそれか。
ここまで来ると、理解できないんやなくて、理解する気がないんやろ。
「狐ちゃん、ちょっとええ?」
部屋の隅でいなり寿司をつまんでいた白狐が、面倒そうに顔を上げた。
『何じゃ、人の子。妾は今、食事中じゃぞ』
「仕事頼みたいねん」
『またか。最近のお主は、妾を便利な下女か何かと勘違いしておらんか?』
「そんなこと思ってへんよ。特級の狐ちゃんにしか頼めん、大事な仕事や」
『......ふん。言ってみよ』
単純やなぁ。いや、助かるけど。
僕は机の上に3人の名前が書かれた紙を置いた。
「この3人、もういらんわ」
狐ちゃんの赤い瞳が、紙の上を滑る。
『教団の信徒か。先ほどの説法で叱った者たちじゃな?』
「そ。警告はしたし、斉藤も何回も説明しとる。それでもやめへん。なら、これ以上置いとく理由ないやろ」
『追い出せばよいではないか』
「追い出して大人しくしてくれるんならな。あいつら、僕の名前を勝手に使っとるやん。外で同じことされる方が面倒や」
『ほほう。それで、妾に何を望む?』
「3日後。そのときまでに、3人とも死んでもらおか」
狐ちゃんは、楽しそうに目を細めた。
『随分と物騒な頼みじゃのう。信徒が減るぞ?』
「減らんよ。あんなの残してたら、もっと減る」
「関係ない人まで巻き込まんといてな。そこだけ頼むわ」
『よかろう。対価は?』
「いなり寿司、好きなだけ用意したる」
『ふふっ。契約成立じゃ』
......ほんま、食い意地張っとるなぁ。
3日後。
朝から僕の携帯が鳴りっぱなしやった。
「もしもし?」
『教祖様......!』
斉藤の声が震えている。
『先日ご報告した信徒の方々が......3名とも、亡くなられました』
「......は?」
いやぁ、我ながらええ声が出た。
『それぞれ別の場所で、急に倒れたとのことで......詳しい事情はまだ分かっておりません。こんなことが、どうして......』
「そら、大変やな。家族には連絡したん?」
『はい。教団からも、お悔やみを申し上げる準備を......』
「なら、それでええ。警察の調べにはちゃんと協力しといて。余計な憶測を広めんよう、信徒にも伝えてな」
『......承知いたしました』
受話器の向こうで、斉藤が小さく息を吸う。
『教祖様。私は、あの方々を最後まで導くことができませんでした』
「君のせいちゃうよ」
今度は慰めのための言葉やなくて、本心や。
説得する機会は何度もあった。斉藤はやれることをやったし、僕も警告した。
それでも聞かんかったんは、あいつら自身や。
「君はこれまで通り、困っとる人の相談に乗ってや。そっちの方がよっぽど大事やろ」
『......はい。ありがとうございます』
電話が切れた。
窓の外では、朝日が庭を照らしている。
『人の子。言いつけどおりじゃ』
振り返ると、白狐が窓際に腰掛けていた。
『まこと、人というものは面白い。同じ言葉を聞いても、己に都合のよいようにしか受け取らぬ』
「せやから面倒なんよ」
僕は携帯を机に置いた。
あの3人も、教団に害を与えるつもりはなかったんやろ。むしろ、教団を守っとるつもりやったはずや。
けどなぁ。
人を救う看板を掲げとる場所で、救いを求める親子を追い返すんは、さすがに困る。
僕がいずれ呪霊の存在を公表するとき、必要になるんは信徒の数だけやない。世間からの信用と、何があっても命令を守る組織や。
勝手な正義を振りかざす連中は、そのどっちも壊しよる。
「狐ちゃん。いなり寿司、何個ほしい?」
『まずは百じゃな』
「......食べ過ぎやろ」
『命を3つも始末してやったのじゃぞ。安いものよ』
まあ、ええか。
仕事には対価を払わなあかん。それは信徒でも、部下でも、呪霊でも一緒や。なにより、機嫌損ねて座敷ちゃんにチクられたらシャレにならんし。
僕はパパに連絡して、狐ちゃんのいなり寿司を手配させた。
さて、今日も仕事や。
斉藤には教団をより大きく強固にさせなあかんし、僕には呪術界を変える仕事がまだ山ほど残っとる。
門を掃き、福を招く。
家の外でも、やることは変わらへんなぁ。
斉藤さん
狐ちゃん