あかん。これ、あかんわ。
冷や汗が止まらん。心臓が早鐘を打っとる。目の前にいるのは、昨日まで泥水啜ってたガキと──規格外の化け物や。
「随分と遅かったやん、直哉くん。まあでも──会いに来てくれて嬉しいなぁ」
雅が笑うとる。なに俺の前で笑ってんねん。
「...久しぶりやな。少しみんうちに随分変わったやん」
平静を装う。声が震えそうになるのを必死で抑える。なんやねん、その化物。どないなっとんねん。
これのどこが1級やねん。お前、どんなクソふざけた縛り結びよった。1級が特級に、それもこのレベルに昇格するなんてありえへんやろ。
「どうしたん。今日は随分と行儀いいやん。前は『同じ空間で呼吸すんなや』とかいってボコしてくれたのに」
「昔のことやん。水に流しいや」
....殺れるか。雅本体は敵やない。栄養失調で痩せ細った貧相なガキや。一撃で殺せる。
問題は後ろのアレや。術師が死んだ時の呪霊の挙動は『消滅』か『暴走』。
あんなんが暴走したら禪院家は終わる。悟君か甚爾君くらいしか止められへん。
──まあ、ええわ。そんなん、殺した後に考えたらええ。
誰か来る前に殺さな。この状況を見たら、雅を当主に持ち上げようとするカス共が出てくるやろ。
殺せるかどうかやない。殺さなあかん。今ここで、確実に。
「──僕なぁ、直哉くん嫌いやねん。直哉くんだけやない。この家で偉そうにしてる人間全員嫌いやねん」
雅が淡々と語り出す。
「力がなければ考える頭もない偉そうなカスの集まり。それが禪院家や」
「ハッ、まんまお前に当てはまるやん。力がないから倉庫に追いやられて、考える頭がないから俺に歯向かう。そのくせ、態度と言葉だけは一丁前やな」
挑発に乗るなや。冷静になれ。いつ仕掛けるかや。
呼吸を整えろ。画角を決めろ。タイミングさえ間違えなかったら──殺せる
「同じにせんといてや。強者相手にはしっぽを振る負け犬たちと、誰が相手でも態度を変えへん僕。全然違うやろ」
雅が一歩、前に出た。
「──特に直哉くんなんて、典型的な負け犬やん。僕の呪霊が強いから、普段みたいに偉そうにして僕を攻撃できてない。普段やったら、もう腕の1本でも折ってる頃やろ?」
2本とも折っとるに決まってるやろ。調子のんなや、ドブカスが。
「そんなんやから特級になれないんよ。所詮直哉くんは、弱者に威張り散らすのが限界の──小物やから」
──ブチッ。
何かが切れた。
調子のんなや、お前。いつでも殺せんねんぞ。ただ俺は後ろの化け物を警戒してるだけで、お前を認めてるわけでもビビってるわけでもちゃうわ!
思考が加速する。視界をフレームに分割する。
投射呪法発動。狙うは雅の首。最短距離で──
『虐めようとした』
──は?唐突に聞こえる鈴を転がすような、幼い、不気味な声。
雅の背後にいた呪霊がいつの間にか消えて....俺の前におる。
「ッ、ガ、は....ッ!?」
首が、締まる。
息が、出来ん。
視界が歪む。
いつ、いつ動いたんや。何も見えんかった。俺の術式発動より速い?動きを作る隙さえなかった。
なんやねん、何やねんお前らは....!
術式を発動しようとした瞬間、首に加わる力が強くなる。クソがッ....!お前近づいてこいや!なに自分だけ安全圏の距離とっとんねん!
「直哉くんって凡人よな。弱者をいじめて、下らない伝統を是として、強くなるために代償を払うこともせん。ほんま、甘ちゃんや」
「っ、ドブ、カスが.....!なに、偉そうに、上から──」
「自分で靴も履けん赤ちゃんより上やろ」
──舐めとんか。女なんて男に従うくらいしか脳ないやろ。女は男の3歩後ろを歩いてればええねん。
履けんのやない、履かせて名誉を与えてやったんねん!!
「僕な、直哉くんのこと嫌いやけど殺したくないねん。やけど、ケジメは必要やろ?」
「『今まで僕みたいな雑魚が見下してごめんなさい』言うたら見逃したってもええよ」
───死ねや、ドブカス。
誰がお前なんかに謝るんや。縛りや。縛りを結んだる。今ここでこいつを殺せるなら、多少不便でもしゃあない。
『動きを作る時に失敗した際の硬直時間を2秒に』
『戦闘において武器を使うことを禁止する』
殺したる。もうええ。お前だけは殺したるからな。フレームを作れ。最高速で、心臓を抉る──!!
「投射呪法──」
思考の中で世界が止まる。勝った。
『──なんで、虐めるの?』
「アホやな。蛮勇と勇気は別もんや──ありがとうなぁ、座敷ちゃん」
『私、偉い?』
「偉いも何も最高やん。僕、最後の直哉君の動き見えんかったし。座敷ちゃんおらんかったら死んでたわ」
『約束破ったらダメだよ』
「好きなだけおはぎでも大福でも用意したるよ。まあ、諸々終わらせたあとやけど。行こか、本邸に。僕が当主になるために」
「──パパ。最初に仕掛けてこんと、後悔することになるで」
俺は震えた。恐怖ではない。歓喜だ。ここまで、ここまで成長したか。
雅が持っていたのは1級の呪霊玉が一つだけ。お世辞にも強い呪霊ではなかった。だが、それをこうまで昇華させたのか。
背後に佇む童の姿をした特級呪霊。その実力は、あの五条悟にも引けをとらんだろう。雰囲気がまったくもって別物だ。
「何見とんねん。なんや、見捨てたガキに殺されるんが怖いん?なっさけないなぁ」
「死ぬのなど怖くない」
ああ、怖くない。ただ妻の元に逝くだけだ。
この最高傑作に──息子の手で殺されるのなら、それも悪くない。
「やったら、かかってきたらどうや。先手は譲ったる言うとんねん。直哉くんも扇の爺さんも、当主の直毘人でさえ先手で攻撃しよったで?」
「断る」
なぜ俺が攻撃する必要がある。
その口ぶりから推察するに、お前はすでに次期当主筆頭の直哉を殺し、プライドだけは一丁前の扇を殺し──更には速の直毘人まで手にかけた。
少し見ぬ間に、これほどまでに化けた息子。
俺を殺せば、お前が名実ともに禪院家当主だ。他に継げる者はいない。
「話が通じんなぁ。かかってこい言うとんねん。それともなんや、今更父親風でも吹かせよう言うん?気色わるいなぁ」
「ああ、そうだ。父親風を吹かせている....あの劣悪な環境でお前は生き残り、強大な力を手に入れた。『禪院家に非ずんば呪術師に非ず 呪術師に非ずんば人に非ず』だ」
俺は雅を見据える。
「呪霊操術を使えぬお前は呪術師ではなかった。呪術師でないお前は人ではなかった。だが、今の──その特級を使役するお前は、これ以上ない最高の呪術師だ」
才がある。脳がある。そして何より、底辺の『飢え』を知っている。
「──舐めとるん。そんな下らないクソみたいな考えのせいで、僕を見捨てて倉庫に追いやったんか?」
「お前を次代の当主にするためだ。お前が成長した時に苦労しないためだ。身をもって味わったはずだ、差別というものを、理不尽というものを」
自らが泥水を啜り、底辺を這いずった人間がトップになった時、組織は強くなる。
温室育ちの直哉では無理だった。プライドだけの扇には希望さえなかった。だが、お前なら、禪院家を間違いなく他の家よりも高みへ連れて行ける。
これが、俺なりの英才教育だ。
「.....そら、随分とイカれた教育方針やな。吐き気がするわ」
雅の顔が冷徹に歪む。だが、俺に悔いはない。
「俺はこの方法しか知らん──久しぶりの息子との会話も楽しめた。さあ、殺れ」
俺は目を閉じ、抵抗の意がないことを示す。介錯を待つ武人のように。
「.....」
しかし、いつまで経っても衝撃は来ない。
「──あかんなぁ。パパにはもっと苦しんでもらわなあかん」
目を開けると、雅が俺を見下ろしていた。
「楽に死ねる思うたらあかんやろ。死んで逃げるなんて許さへん」
「.....なんだと?」
「これから僕が当主になる禪院家を支えるんや。奴隷のように働き、犬のように僕に従うんや」
雅は、ニタリと笑った。俺の息子は、こんな風に笑うのか。こんな風に人を見下ろすのか。
「息子に残りの生涯仕えるなんて──死ぬより屈辱やろ?」
お前はどれだけ孝行息子なんだ。屈辱なわけがないだろ。俺の息子がお前でよかった。
「残りの人生をお前の作る禪院家のために捧げると誓おう」
「これからの禪院家の家訓は『門を掃き、福を招け。穢れし心に──居場所なし』や。従わんカスはパパが殺したらええねん」
「御三家はどうせどの家もクズやねんから、禪院家は一抜けしよか。クズ御三家トップは加茂家と五条家で争えばええねん」
「他の家なんて古びた家訓と共に滅びたらええんよ」
あっかーん。
どないしよう。早めに新しい呪霊を使役せな、不安でしゃーないわ。
というのもや、僕の唯一の手持ちである『座敷童子』は、完全に自身の意思で動く。つまり、必ずしも僕の命令を聞いてくれるわけではないんよ。
座敷ちゃんが僕のために動くのは『僕が攻撃されそうな時』『僕が虐められそうな時』だけ。これは約束してくれた。縛りは結んでくれんかったけど、まあ信じて問題ないやろ。僕が死んだら座敷ちゃんも消滅する可能性はあるからな。
でも逆に言えば、それ以外の時は座敷ちゃんの意思次第。
『攻撃して』言うても、相手が戦意喪失してたら『──イジメないって言ってるよ?』とか言うて攻撃やめる可能性がある。
完全に言うことを聞いてくれるなら、パパも殺しとったのに。まあ、もうええけどな。死ぬまでこき使ったるから。
はぁ.....それにしても、もうしんどい。
当主としての仕事、面倒くさすぎるやろ。山のような書類をなんで僕がやらなあかんねん。僕まだ7歳やで?遊び盛りなんやけど。
おまけに、適度に座敷ちゃんの機嫌もとらなアカン。
呪力消費したくないから召喚やめたくても、本人が『ここ、綺麗で居心地いい』言うて重圧かけてくるし。
いや、無理やり戻すことはできるんよ。でも、そんなことしてヘソ曲げられて、次召喚した時に『ぷいっ』てされたら僕が死ぬやん?
せやから僕は今も、目の前でおはぎを頬張っとる座敷ちゃんを現界させ続けなあかん。
「なぁ、座敷ちゃん、それ美味い?」
『ん、おいしい』
「.........そら良かったな」
あーあ、無駄な呪力使わされとるなぁ。僕の呪力量が規格外じゃなかったら血反吐吐いてるで、ほんま。
挑発していた理由:虐め認定されないと座敷ちゃんが動いてくれないため。
おはぎを貪る座敷ちゃん
やだよー、直哉くんもっと書きたかったよー。
ドブカスラッシュ書きたかったよー。
成長した真希真依にボコられる姿書きたかったよー。