朝。
静謐な雰囲気が満ち、新たな日を迎える世界を朝日が照らす。
それはここエーリアスでも変わる事なく、世界樹が聳え立つ世界に新しい1日が始まろうとしていた。
そんなエーリアスで、世界樹教団の教主である『あなた』は自室で静かに寝息をたてていた。
まだ朝日が昇って間も無い時間、起きるには早いと布団にくるまり、カーテンの隙間から射し込んできた日差しを遮る。
まだ惰眠を貪ろう、そう意気込み息を吐く『あなた』の鼓膜を、小さな足音が僅かに揺らした。
廊下の向こう、けれどそれは確実に『あなた』の部屋に近付いているようで、少しずつその音は大きくなっていく。
《うーん》
思わず唸るも夢と現の間にいる『あなた』は何も出来ない。
やがてその足音は『あなた』の部屋の前まで辿り着き、一瞬の躊躇いもなくドアノブが回り、勢いよく扉が開いた。
ガチャ
バンッ!
スタタタタタ
そのまま同じ足音を響かせながら、それは『あなた』の眠るベッドへと真っ直ぐ向かってくる。
そしてそのまま、夢の世界に入り込みそうだった『あなた』へと、体全体で飛び込んで来たのだった。
「きょーしゅー! おはよー!」
どすっ
《ふぐぅっ!》
『あなた』は鳩尾への不意の一撃に声を漏らした。
微睡んでいた『あなた』の意識はそれによって一気に覚醒させられるのだった。
ただし意思とは裏腹になかなか開かない瞳。
『あなた』は開かない瞼の暗闇の中、腹部で乗って蠢いている物体に手を伸ばした。
妙に温かく柔らかいそれは、触れた手に体を擦り付けた。
「んふふふ……」
なんだか耳に馴染む笑い声が聞こえ、その正体に察しをつけつつも、『あなた』はどうにか重い瞼を開いた。
そうして飛び込んできた金色のボサボサの髪を見てその正体を把握した『あなた』はそれの脇に手を差し込み、持ち上げた。
「きゃー! あはははは!」
持ち上げられて無邪気に笑うのは小さな少女。
もちもちとしたほっぺを揺すって笑う金髪の少女の名前は、エルフィン。
ここ妖精王国の王女である。
《エルフィン……寝てるところにダイブするのはやめてね、本当に》
『あなた』は苦言を呈するが、からからと笑うエルフィンの耳に届いたかどうかは定かではなかった。
寝間着のままボサボサの髪でここにいるエルフィンに、『あなた』は思わずタメ息を吐いた。
恐らくはネルにも何も言わずにここに来たのだろう。
その理由も『あなた』にはある程度推察がついたが、それで安眠を妨害されては堪ったものではない。
《エルフィン?》
再び名前を声に出せば、エルフィンは漸く笑うのを止めて、キョトンとした顔で此方を見下ろした。
「?」
頭に疑問符をつけて首を傾げるエルフィンに、『あなた』は脇を軽く擽りながら、言葉を紡いだ。
《乱暴に起こすのは止めて! 心臓に悪いから! お腹も痛いし!》
「くふくふっ……きゃははは! 擽ったーい!」
聞いてるのか聞いていないのか……呆れを滲ませながら、『あなた』はエルフィンを抱えたまま体を起こした。
このまま惰眠を貪る気にはならなかった。
《やれやれ……エルフィンったら、朝から本当に仕方ない子なんだから……》
腕の中で首を傾げるエルフィンのボサボサの頭を撫でながら、『あなた』は小さく呟いた。
そうやって甘やかすのがいけないとネルとヨミによく言われているものの、『あなた』はどうしてもエルフィンに甘い態度をとってしまう。
「ふんふん……♪」
自分の身支度をする為の鏡台の椅子に座らせてあげれば、『あなた』が髪を梳かしてくれると知っているのか足をパタつかせてご機嫌に鼻唄を奏で始めた。
そんな純粋に甘えてくる姿を、どうしても『あなた』は邪険に出来なかった。
生意気なクソガキな部分が目立ち、無責任で仕事を放って逃げがちで、今まで苦労させられた数は数えきれない。
そもそも初対面が妖精に反旗を翻された状態で、反省もなく、『あなた』を巻き込んでも平気な顔をして……礼儀知らずで自分勝手で、欠点をあげればきりがなかった。
それなのに……憎みきれなかった。
裏表のない彼女の在り方に、絆されてしまった。
後はもう、湧いてしまった情のままにこうして甘やかすようになってしまっていた。
《こうして私の部屋に朝から来ないでとは言わないけど、もう少し日が登ってからが嬉しいかな……ネルにも此所に来る事言ってないでしょ?》
苦笑しながら『あなた』は言うが、既にその手は櫛でエルフィンのボサボサの頭を梳かし始めていた。
心地よさげに目を細めるエルフィンは、笑いながら鏡ごしに『あなた』の瞳を真っ直ぐに見つめた。
星の輝く特徴的な朱い瞳は、はちみつのような甘さを孕んでいるように見えた。
「えへへへー、きょーしゅー! ごめんね。 今日はきょーしゅの御褒美の日だったから我慢出来なくて。……時間まで、一緒にいて良い?」
潤んだ瞳に懇願され、『あなた』はため息一つ、ついつい許容してしまう。
《……ふぅ、仕方ないなぁ。まぁ、固いことは言いっこだしたね。今日は折角二人とも休みだからね……》
とろりとろり、蕩けそうな程に甘い。
はちみつを梳かす度にきっと、『あなた』は侵されていっているのかもしれない。
エルフィンから漂う甘い香りが、より『あなた』の思考を侵しているのかもしれない。
それに少しも恐怖を感じないと言えば嘘になるだろう。
それでも『あなた』は、今も全幅の信頼をもって体を預けてリラックスしているエルフィンを、甘やかしたかった。
そんな不思議な感覚を覚えながら、『あなた』は櫛を優しい手つきで通していく。
「…………♪」
足をパタパタさせながらもエルフィンは大人しくそれを受け入れて、からからと嬉しそうに笑うのだった。