エルフィンはひどく重い足取りで、『あなた』へと歩いていく。
口の中はカラカラで、なんだかクラクラする。
抱える箱の中には頑張って作った記念ケーキが入っている筈で、甘ったるい匂いがしている筈なのに何も感じなかった。
いつかの記念の時のように『祝100年目』とチョコレートで出来たプレートが乗った、自慢のケーキ。
『あなた』と一緒に食べるのが楽しみで仕方なかったケーキ。
朝まではまるで雲のように軽かったケーキは今、ズシリとした重さでエルフィンを苛んでいた。
「……エルフィン」
それでもエルフィンは足は止めなかった。
怪しい足取りでも、一歩一歩、『あなた』へと向かっていく。
心配そうに顔を歪め、けれど手を差し出す事は無く、エルフィンを見つめるベリータの横を通り過ぎていく。
「女王様……教主様は、此方です」
そう言って道を開けて『あなた』を指し示すネルに従って、エルフィンは少しずつ、少しずつ足を進めていった。
未だかつてない程に足が重い。
進みたくない、心の何処かで叫ぶ自分を押し込めて、それでもエルフィンは歩き続けた。
やがて幾人もの使徒達に見守られながら、エルフィンは花と贈り物に囲まれた『あなた』の前に立った。
お腹の上で指を組んで、静かに横たわる『あなた』はまるで眠っているかのように安らかだった。
「…………教主」
か細く力の無い声で、エルフィンは『あなた』を呼ぶ。
眠る『あなた』からは当然、返事はない。
エルフィンは、本当はわかっていた。
心の何処かで、『あなた』の状態が普通ではない事を。
取り返しのつかないものであると。
最近『あなた』の体の調子が良くなかった事も、ベッドで過ごす時間が増えていた事も、儚げに微笑む事が増えていた事も……その前兆だったのだろうと、今では思えた。
ただ、それを信じたくなかった。
『あなた』との別れを受け入れたくなかった。
『あなた』と過ごす日々を終わらせたくなかった。
でも、それでも、どれだけ逃避しても、目を背けても。
現実は変わらなかった。
もう『あなた』は目覚めない。
起きて、笑ってはくれない。
あの温もりと、もう二度と触れ合えない。
「もう……撫でては、くれないのね……」
エルフィンの視界が滲む。
溢れる涙が頬を伝って、口も声も震えていた。
ずっと一緒にいられると思いたかった。
ずっと変わらない日常を送れると思いたかった。
ずっと、この楽しい日々が続くと、思いたかった。
「もう……教主とは……お別れ、なのね……」
喉を震わせて、絞り出すように言葉を紡ぐ。
いつもなら、こんな風に泣いていたら、『あなた』はエルフィンを慰めてくれた。
エルフィンが悪ければ叱って、時にはネルに対してもやりすぎだと窘めて……泣き続けるエルフィンを撫でて、優しく慰めていた。
でももう、どれだけ泣いても、『あなた』が慰めてくれる事はない。
エルフィンにとって、既に日常だった『あなた』がいなくなる事が、どれだけ辛いか。
ポロポロと涙を流すエルフィンは、胸が張り裂けそうな思いだった。
それでも。
「…………ッ……!」
それでもエルフィンは、俯いていた自分を鼓舞して、無理矢理顔をあげた。
抱えていた箱を『あなた』の胸に置いて、顔を乱暴に拭った。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔は、更に滅茶苦茶になったけれど、エルフィンはそれを気にする事なく、震える口元を無理矢理吊り上げた。
プルプルと震えながら、それでも、気丈に、真っ直ぐ『あなた』を見下ろした。
「もう、大丈夫だから!」
発した声は、ひどく震えていた。
「教主がいなくなっても、大丈夫よ! 今までいっぱい教主にお世話になったんだもの、これからは私達だけでどうにかしてみせるわ!」
所々裏返りながらも、エルフィンは言葉を紡ぎ続ける。
「教主が来てから反乱は減ったし、これからもそんな状況を維持してみせるわ! 教団だって、私が教主の分も頑張る! 教主みたいに完璧に……なんては言えないけど、きっと大丈夫よ! 後の事は、この妖精の女王であるエルフィン様に任せなさい!」
ふと、閉じた瞳から一筋だけ、涙が流れた。
「……だから、ゆっくり休んで。……今まで、ありがとう」
エルフィンは満面の笑みを浮かべる。
『あなた』への想いを込めて。
「大好き」
そして『あなた』への、別れを告げた。
「さようなら」
言い切った途端にピクピクと、エルフィンの頬が震える。
ニコリと細められた瞳から、涙が溢れていく。
やがて喉の奥から、嗚咽が漏れだして……エルフィンはその場に崩れ落ちた。
そしてその瞬間、エルフィンは堰を切ったように泣き叫ぶのだった。
「うぁ…………うぁあああああああああん! うわぁああああああああああああああああああああああん! きょーしゅー!」
その気丈に振る舞った立派な姿に、ネルとベリータも瞳に涙を浮かべ、エルフィンの元へと駆け出していく。
地べたに座り込んで『あなた』との別れに涙し、泣き叫ぶエルフィンを、二人は身を寄せて優しく慰め続けた。
『あなた』との別れの式……世界樹から燦々と降り注ぐ木漏れ日の中、エルフィンの慟哭はいつまでも響き続けた。
こうして、『あなた』の葬式は恙無く終了した。
『あなた』の体はヴィヴィが見つけたという妙に真新しい世界樹のウロに埋葬される事となった。
いくつもの花と贈り物に囲まれた『あなた』は、世界樹の中で永久の眠りにつくこととなる。
それは、とても安らかな寝顔だった。
『あなた』を喪っても、エーリアスは今日も時を刻んでいく……。
『あなた』は暖かな何かに包まれて微睡みに身を任せている。
そこはとても、暖かく、心地好い。
辛い事も痛い事も苦しい事もない。
ただただふわふわと心地好い空間。
そんな時不意に、冷たく、固い、そんな何かが『あなた』をつついた。
なんだか、それとは別に小さな衝撃も感じる。
いつか似たようなものを受けた事があったような気がする。
けれど、頭に靄がかかったみたいに、『あなた』の思考は纏まらない。
折角いい気分で微睡んでいたのに、と『あなた』はそれらを払い除けた。
この暖かい空間で、夢見心地で、温もりに身を任せていたい。
そう思っているのに、冷たい何かは『あなた』をつつきまわし、小さな衝撃はなおも『あなた』を襲い続けた。
《なんなんだよ、もう》
『あなた』は……
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微睡みに身を任せた。
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冷たい何かに手を伸ばした。
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小さな衝撃を手で受け止めた。