カリカリカリカリ
羽ペンを走らせる音が部屋に響く。
ここは妖精王国執務室。
女王であるエルフィンは、まさに書類仕事の真っ最中である。
キョーシュが旅に出て早半年、『教主』復活の報を受けて世界樹教団に戻ってきた使徒達の整理と、すぐに旅に出るとの報を受けて即座に再度脱退していった使徒達の整頓を終えて、漸く通常業務に戻ってきた所だった。
「…………」
カリカリカリカリ
それでも世界樹教団と妖精王国、二つの組織を実質ネルと共同運営しているエルフィンの担当する書類は毎日山と積み重なっている。
それをうっすらと隈の浮かんだ目で流し見て、エルフィンは小さく息を吐いた。
「……また幽霊がやらかして精霊と騒ぎを起こしてる……本当に勘弁してよね」
それこそ昔、キョーシュが『教主』に成り立てだった頃のエルフィンではまともに捌く事も出来ず延々と新たな山を作り出していた事だろう。
けれど成長したエルフィンは一味違う。
一日で一山をしっかりと処理し終えているのだ。
書類を放棄して脱走する事も殆どない。
これには任せてみたはいいものの、影でコッソリ様子を見続けていたネルもニッコリである。
それはそれとして、甘味の消費量が爆発的に増えているのはご愛嬌。
とはいえサボらず立派に仕事をこなす姿からすれば、その程度は許容範囲だろう。
書き終えた書類にポンと判を押し、エルフィンが一息ついた時、控え目なノックの後にガチャリと扉が開く。
「女王様、国民からまた新しい陳情が……」
「見せて」
現れたネルは難しい顔をして書類を差し出してきた。
眉間を揉みながらそれをひったくるように受け取ったエルフィンは、文面に目を通して顔をしかめた。
「……食い逃げを撃退しようとしたエシュールの魔法が、食料倉庫に炸裂して半分が焼失……? そのせいで暴動一歩手前……ハァー……なんでそうなるのかしら……」
ガリガリと頭をかきむしるエルフィンは、白紙の紙を取り出すとそれに乱暴に書きなぐり始める。
目を忌々しく細めて、口をへの次に曲げた。
「……王国、教団、エシュールと食い逃げ犯で5:3:2負担でベーカリーを無料開放して頂戴。エシュールには厳重注意……今回はそれでいいわ」
「承りましたが……少しエシュールさんに甘すぎる対応ではありませんか?」
「……それでエシュールに臍曲げられたら、結局食料の配給が滞ってまた暴動起きるでしょ? それでまた王宮を燃やされたらたまったもんじゃないわ……今は特に。最大一週間続けていいから全方位ご機嫌とりしといて……」
疲れたように呟くエルフィンに、ネルは恭しく一礼を返した。
ポン、と認証印が押されたその紙を受け取り、ネルは素早くその場を後にするのだった。
「はぁ……次は……」
バンッ!
改めて重なった書類に手を伸ばそうとした瞬間、ネルと入れ替わりになるように、新たな闖入者が部屋に飛び込んできた。
「女王っ! 突然現れた亀裂に獣人の子供数人が飲み込まれちまった! 怪しい奴は取っ捕まえたが、全然帰ってこねえ! 助け呼びにいけって言われたから来た!」
飛び込んできたのは獣人のティグ……その手に目を回した幽霊のシェイディの首根っこを掴みながら、そう叫んだ。
顔をあげたエルフィンはうんざりとした顔をしたが、話はそれだけでは終わらなかった。
バタンッ!
窓が突然開き、小さな竜巻に目がついた、風の低級精霊が飛び込んでくる。
『エルフが突然機械で山の麓の伐採を始めた! 此方はそんな話は聞いていないがどうなっている!? 至急説明もしくは対応を求める!』
その竜巻の身に封じ込めていたのだろう、精霊のシーラの声が響き渡り、机に乗った書類が舞い上がる。
エルフィンの額がピクリと震えた。
そして、時を同じくして。
ちゅどーん!
窓の外、妖精王国の丁度エシュールのベーカリーの辺りで、爆発音と共に火柱が上がった。
爆風が部屋の中に吹き込み、書類が部屋中に舞い上がっていった。
「女王!」
『女王様!』
エルフィンはその惨状に思わず俯き、机についた拳を震わてせ肩をいからせた。
「……すぅううう…………ふぅううううううう……」
けれど息を大きく吸い、ゆっくりと吐いたエルフィンは肩の力を抜いて顔を真っ直ぐ前に向けた。
その瞳には、強い覚悟が煌めいていた。
「ティグ! あんたは獣人何人か連れてエルフをとっちめてきて! 逆に精霊達には獣人の子供達の捜索をお願い! 下級精霊を出来る限り動員して! エルフは獣人がとっちめるってシーラに伝えておいて! 私は爆発した場所に行くわ! 異論ある!? ないわね! じゃあ動く!」
「…………はぁ、つかれたぁ……」
日が傾き空が茜色に染まる頃、エルフィンは這々のていで王宮に戻ってきていた。
どうにか今回の問題は万事解決したものの、身体中ススだらけで見るからにボロボロな姿は、まさに疲労困憊。
ため息を吐きながら背中を丸めてトボトボと歩く姿は、哀愁すら漂っていた。
ぐぅ~
「……ハァー……」
遂にはお腹も鳴り始め、エルフィンは再びため息をついた。
ご飯にしたいのは山々だけれど、山のように積もった書類が散らばったまま放置されているはず。
その整理くらいは終わらせないと気が気ではなかった。
しょぼくれた瞳で執務室の扉を開けて……ふわりと香った匂いに頭をガン、と殴られたような衝撃が走った。
カッ
目をかっぴらいたエルフィンの視界に映ったのはキチンと整理された書類と……その近くに置かれた湯気の立ち上る出来立てのバターと蜂蜜たっぷりのパンケーキ。
そして。
「おかえりエルフィン。お疲れ様」
そこに佇む、白金の少女の笑顔だった。
「……………………ッ!」
エルフィンの記憶はそこからあまり定かではない。
けれどその日、エルフィンは心の底から穏やかな気持ちで眠りについたという。
その寝顔は安らかで、無防備で……ただの無垢な少女のようだった。