「きょーしゅー! きょーしゅー!」
ゆさゆさ
ゆさゆさ
微睡みの中、『あなた』を揺さぶりながら呼び掛ける声が聞こえる。
意識はまだ夢現な『あなた』は、またエルフィンが起こしに来たとは理解するものの、何故起こしに来たのかはわからなかった。
御褒美の日はまだの筈だけど、こんな早朝になんだろう、と。
少し控え目に恐らく片手で揺さぶられる『あなた』は、揺れる頭の中でボンヤリと考えながら、布団の隙間からカレンダーを眺めた。
何か、あったかな、と首を傾げて……焦点があうにつれて思考も纏まっていき、段々と朧気に答えが形になっていく。
「きょー! しゅー!」
ゆさゆさ
ゆさゆさ
『あなた』を起こそうと揺さぶるエルフィンの必死な様子に苦笑しながら、合点がいった『あなた』はゆっくりと体を起こした。
ボヤけている目を擦り、見上げるエルフィンを『あなた』は見つめた。
箱を大事そうに抱えた、笑みを隠しきれていないエルフィンを。
「おはよう教主!」
にぱっ、と笑みを浮かべたエルフィンは、抱えていた箱を両手で持って『あなた』に差し出した。
白い箱は、金色のリボンで簡単に装飾されていた。
結びが甘く少し解れていたが……そこはご愛嬌だろうか。
「今日で教主が教主になって10年! 今年も張り切ってプレゼントを用意したわ! おめでとう教主!」
そう言って笑うエルフィンに、『あなた』は苦笑を思わず漏らした。
《……そう、か。もう10年経ったんだね》
その声色には、拭いきれない寂しさに満ちていた。
何もわからない状態で、気付いたらこのエーリアスにいて、がむしゃらに突き進み続けたこの10年。
思い浮かぶいくつもの記憶には、思わず目の前のエルフィンのもちもちのほっぺをつまみたくなるような思い出も数多く存在した。
こうして改めて言葉にされて、『あなた』はふと寂しさを感じていた。
上手く言葉に出来ない、不思議な寂しさ。
それはまだ、『あなた』の心の片隅に潜むだけのもの。
「……教主?」
《っ……ああ、ごめんごめん。まずは着替えるよ。毎年ありがとうねエルフィン。嬉しいよ》
『あなた』は首を傾げるエルフィンの視線から逃れるように、視線を背けてベッドから立ち上がった。
なんだか嫌な事を考えてしまったような気がして、胸にモヤモヤとしたものを抱えながら、『あなた』は寝間着を脱ぎ始めた。
「えへへへー、あのね、教主ー。今回のケーキはスッゴいのよ! エシュールに頼んで特別な事して貰ったの!」
《特別な事……? まさかまた辛いのでも仕込んだんじゃないだろうね?》
7周年記念の時、シストから買ったという『七味』という調味料を隠し味として勝手に仕込まれた時の事が『あなた』の頭に過った。
7年目のプレゼントに『
悪気はなかったようなので『あなた』はすぐに許したものの、ケーキ自体は台無しになってしまった。
ケーキを実質ダメにしてしまったし、食べるのも辛くて大変だった為に、当時エルフィンは二重三重の意味で涙目になっていた。
「そんな事! したけど……これは違うの! スッゴいんだから! 教主なんてビックリして腰抜かしちゃうんだから!」
それを心配しての苦言だったが、そうではなかったようだ。
《なら安心かな。エルフィンの選ぶケーキは美味しいからね。去年はキャラメルクリームのケーキだったっけか。今年はどんなケーキか楽しみだよ》
『あなた』はそう言って、足元で箱を抱えてチョロチョロ歩き回るエルフィンに微笑みを向けた。
「えっへへへへー! 期待しててねー!」
嬉しそうに落ち着きなく動き回るエルフィンに、ふと心配が頭に過る。
そんなに動き回って大丈夫だろうか、と。
廊下を元気に走る姿をよく見るエルフィンだが、同じくらいにそのまま転ぶ姿もよく見る。
はしゃいでる時によりよく見るその光景……その時のエルフィンと今のエルフィンは『あなた』には重なって見えた。
そして、その懸念は『あなた』が口に出すより先に現実となった。
ガッ
「あっ」
《あっ》
ふわり
躓いたエルフィンの手から、白い箱がすっぽぬけた。
箱は放物線を描いてくるくると回転し……よりにもよって角から床に落ちてしまった。
しかも、不運は続くもので、その衝撃で金のリボンがほどけ、蓋がズレてしまい……。
グシャッ
開いた隙間から白いクリームがたっぷり、床にぶちまけられてしまった。
「…………」
《…………》
『あなた』は言葉もなく、倒れたエルフィンを見下ろした。
目を見開いて瞬きもせざ、飛び散ったクリームと箱を見つめているエルフィンは、暫く微動だにしなかった。
けれど、ゆっくり、ゆっくりと現実を認識し始めたのか、床についた手が震え始める。
「……きょーしゅの……けーき……」
大きな瞳に涙を浮かべて、エルフィンは肩を震わせた。
「うぇえ…………うぇえええええん……」
その瞳から、ポロリと滴が溢れた。
次から次へと流れてくる滴はエルフィンの頬を次々と伝い、床に染みをつくっていく。
「落としちゃったぁ……えぇえええん……」
それは、聞いている『あなた』も思わず泣きたくなる程の嘆きだった。
強い後悔と嘆きに満ちた、静かな泣き声は、『あなた』の心を強く揺さぶった。
自分がさっさと受け取っておけば、こんな事にはならなかったのに、そんな後悔すら顔を出してくる。
「うぇええええん……ごめん、きょーしゅー……!」
けれど、どれだけ後悔しようとエルフィンは泣いたままだ。
ここで床に落ちて崩れたケーキを全て食べる事など、『あなた』には造作もない事だが、エルフィンの悲しみは癒えないだろう。
それなら……。
《エルフィン……》
「うぇえええん……ひっく……きょーしゅー……きょーしゅー……! きょーしゅの為のけーき、ダメにしちゃったぁ……! ごめん、ごめんなさぁあい……!」
両膝をついてしゃがみこめば、すがりついてしゃくりあげるエルフィンを、『あなた』は優しく胸元に誘った。
しおれた顔で震えるエルフィンはあまりにも哀れだった。
そんな可哀想なエルフィンの背中を優しく擦りながら、『あなた』はゆっくりと口を開く。
《……なら、かわりにケーキ、一緒に作ってみない?》
腕の中、ポロポロと涙を流し震えるエルフィンへと、その提案を口にするのだった。