|暗殺する魔法《ザバーニーヤ》   作:ヒゲホモ男爵

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ヒンメルから敗走した後のアウラの動向は捏造です。
アウラ、確定申告しろ




不幸なアウラ/人の心

 

 

 魔王討伐より10年後。

 勇者ヒンメルの死より40年前。

 北側諸国グラナト伯爵領にて断頭台のアウラが討伐されるまで68年。

 

 グラナト伯爵領より更に少し北、ラオブ丘陵*1

 

 

『断頭台のアウラ』と人に呼ばれる魔族は、ひとり森の中を歩いていた。

 下僕の1人もなく、配下の1人もなく、その身ひとつで草木をかき分け、獣道を進んでいた。

 そしてひとしきり歩き終えて、獣道の終わり。森の際から街道に出たところで立ち止まり、愚痴を1つこぼした。

 

 

「今日は実入りが悪いわね」

 

 

『断頭台のアウラ』は敗軍の将である。

 魔王軍に所属し、実力社会の中にあって特別位の高い『七崩賢』に名を連ねたアウラは紛うことなき強者だった。

 アウラのみが有する特別な魔法、人類にとっては未だ呪いに他ならない『服従させる魔法(アゼリューゼ)』と、それによってもたらされた下僕の軍勢がアウラの強さを支えていた。

 

 しかしそれが、勇者ヒンメルによって砕かれた。

 故にアウラは敗者なのだ。

 長年積み重ねてきた下僕の軍勢はほぼ全て失い、直後は魔法ひとつも使えないほどに魔力を失った。

 故にアウラは、失った物を取り戻している最中である。具体的には長期的な休養と鍛錬による魔力の回復と、さらに長い目で見た軍勢の再作成。

 

 適当な森や廃墟に潜み魔力を練りながら、盗賊でもはぐれ者でも運が良ければ武芸者でも少しづつ、服従させては軍勢に溜め込むを繰り返していたのである。

 強大な軍勢を作り直すための足掛かりとして。

 

 しかし、毎日上手くいくという訳でもない。

 なるべく人通りの多い街道沿いに潜伏を繰り返していたアウラではあったのだが、人っ子ひとり見かけない日も多かった。

 そういう日は"実入り"が悪いので、嗜好を変えて別の土地で下僕探しを再開する。その繰り返し。

 大魔族とは程遠い小さな積み重ねの日々を、アウラはもう何年も送っていた。

 

 

 そして今日はラオブ丘陵近辺に足を運び、魔力探知を続けても何一つ反応のない、そういう実入りの悪い現実に辟易していた。

 

 

 ……そんな時のこと。

 アウラは2人の人影を見た。

 

 ひとりは一目見て分かるほどに血色が悪く、布を集めたようなみすぼらしい格好で、長身の若い男。

 ひとりは反対に血色がほど良く、白いワンピースを着た、()()()()()をつけた小さい女の子供。

 

 2人の身長差は相当なもので、アウラよりも倍近く背の高い男が足を畳んで身を屈めていた。

 しかし会話は弾んでいるように見える。

 それに2人とも同じ髪色、似た肌の色をしている。

 

 

 アウラはそれを見て、兄妹という単語を連想した。

 故にアウラは2人の方へ近づいていく。

 

 果物のように鮮やかな(ペイルブルー色の)髪色の2人に。

 

 

 

 

 

 

「アズライールってば浮世離れしすぎですよ、勇者の凱旋って10年も前です。"騒がしくなったから出てきた"って……まさか歩いて来たんですか?」

「その通りだが」

「どんだけ寄り道したらオレオールから中央諸国と北側諸国の境目まで10年かかるんですか」

「道が変わっていてな」

「そりゃ1000年前と同じ道なんてある訳ないじゃないですか……おや?お客様ですか?」

 

 

「……そうね、もてなしてくれる?」

 

 

 時刻は昼。

 天気は晴れ。雲が多めの空に控えめな太陽の光、乾燥と湿潤のいい所取りの空気、春の兆しが鼻腔をくすぐる冬の終わりの頃。

 アウラは自らの何一つを偽る事なく、街道のそばで話をしている人間の兄妹に歩み寄った。角を隠さず、魔力を晒し、己が魔族であることを言葉無しに喧伝しながら獲物に近づいた。

 

 己が魔族であるが故に。

 己が狩る側であるが故に。

 

 

「すみませんが、お客様をもてなす用意は無いんです。5年程前に私がいた集落は滅んでしまったので……この道をしばらく進めば他の村がありますよ」

 

 

 しかしどうやら獲物側はそれを認識していないらしい。アウラを魔族と見て逃げ出すでも敵意を露わにするでもなく、きわめて平静にアウラに道を教えたのだ。

 それが単にアウラが魔族と気付いていないがゆえなのか、それとも気付いていて罠にでも誘うつもりなのか……どちらもアウラには意味の無い違いだった。

 

 何故ならアウラの目的は最初から眼前の()()2人なのだ。

 罠であろうとなかろうと、()()()()()()()()2()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その事実だけが重要なのだ。

 

(まず欲しいのは戦力になりそうな下僕……男の方はそれでいいわね、女の方は食糧にでも。逃げられても面倒だから、さっさと済ませてしまおうかしら)

 

 故にアウラはその手に天秤を出現させる。

 既にアウラの魔力で傾いた、公正な天秤を。

 ……男に向けた。

 

 

 

服従させる魔法(アゼリューゼ)

 

 

 

 愚かなアウラ、不幸なアウラ。

 自ら不幸を招いた事にも気付かぬまま、天秤は動いていく。極めて公正に、極めて残酷に、アウラの軽い魔力を押し上げていく。

 

 

「……は?」

 

 

 アウラが幾つかの違和感と見落としに気付いていれば、眼前の2人が人間でないことなどは察する事ができただろう。

 

 魔族である事をひとつも隠さずに現れたアウラに対して平静な人間という違和感。

 魔物が出現しやすい森のそばにいて、2人が武器ひとつ持っていない違和感。

 何よりアウラが『服従する魔法(アゼリューゼ)』を行使する時には2人の魔力量を測る事ができて、魔力探知を使って獲物を探していた時には、実入りがないと思うほどに反応がなく、つまりこの2人を探知できていなかったという事実。

 

 そしてアウラは忘れていたのだ。

 この地域が200年ほど前まで、魔王軍で噂になっていた土地であったことを。

 

 

 "立ち入った魔族が殺される"

 "あのソリテールが首を斬られて逃げ帰ってきた"

 

 

 そんな噂があったことを。

 

 そしてやはり、力の象徴たる魔力を隠す者など人間でも魔族でもいる訳がない。

 その魔族らしい価値観が、軽率に天秤を動かした。

 

 その結果が、アウラの服従。

 アウラの魔法が、アウラ自身に下僕の烙印を押したのだ。

 

 

「な……ん、で…………っ!」

 

 

 アウラの体は動かない。

 命令も無しに下僕は動かないからだ。

 機能するのは目と口と耳だけ、思考を司る頭の部位だけ、下僕の主にとっては不要なものだけ。

 自らがこれまで下僕にしてきた"この後"が自らにも適用されないなどと、どうして考えられようか。

 しかしそれでもアウラは逃げられない、逃げることを許可されていない。

 

 アウラは既に魔法を行使したのだ。

 事前に通告もなく、不意打ちとして。

 それは魔族であっても明確な敵対行為、いや魔族であるからこそ殺し合いの引き金そのものに他ならない。そして敵意をあらわにした以上、身動きひとつできないアウラに待つのは当然───

 

 

(この私が、殺される……!?)

 

 

 しかし、アウラが状況を理解するまでの間に3秒は経った。魔族が3秒も己に歯向かった相手を生かしておく事は、相当な気狂いでもなければありえない。

 そうでないのならそれは、相手を敵とすら認識していないということ。

 力のみによって形成される上下社会に生きる魔族にとって、最大限の侮辱である。

 

 

「アズライール、どうして斬らなかったんですか?手でも首でも落とせばよかったのに」

 

 

 2人は、未だ身動きの取れないアウラの前で会話をし始めた。

 魔力の起こり一つもない、ただの日常のように。

 女の子供の問いかけに、アウラが現れてからは閉口し続けていた男が口を開き、ようやく立ち上がった。

 男は、アウラが魔法を行使した後も、子供に話しかけられるまで座ったままだったのだ。

 

 男はゆっくりと、気怠そうに立ち上がった。

 尚も心拍の鼓動(動揺)が収まらないアウラを見るでもなく、片手に収まっていた古臭い本を開くと、またすぐに閉じた。

 

 

「……この者の名前は載っていない」

「なるほど、この魔族死ぬ時は決まってるんですね」

「だが、使えそうだ」

 

 

 アウラには全く要領を得ない会話だった。

 ただ眼前の男の独自なルールによって生かされた事だけは確かだった。

 

 そしてこの時ようやく、アウラは眼前の2人が魔族であることを理解した。

 魔力を隠し偽っている、同胞であることを。理解した上で理解できなかった。

 

 

「あ……なた…に、魔族の、誇りは……っ!!」

 

「やはり愚かで哀れ、お前は不幸な生き物だよ」

 

 

 魔族としての誇りを持たない同胞の存在。

 それに向けた怒りに等しい感情。

 自分に向けられた憐れみの目。

 魔族を哀れと、魔族を不幸と上から評する者。

 

 全て不愉快以外の何物でもない。

 侮蔑以外の何物でもない。

 アウラは怒りも憐れみも本当の意味で理解する事はできない、感情と呼ぶには乏しい魂の代謝しか未だ持ちえていない。しかし全く理解できないのとは違う、全く発露できないのとは違う。

 魔族らしく、魔族ゆえに。

 生殺与奪を握られながら殺されず、上から言葉をのしかけられ、否定も許されず、自由を奪われたままいいようにされる。

 

 ……下に見られている、見下されている、その事実だけが。それだけが、それだけが!それだけが!!

 我慢ならない!!!

 

 

「私、をっ、見下すなァッ!!」

 

 

 それでも、アウラには何も残らない。

 アウラが抱いた何もかもが、これから消えてなくなるのだ。

 何故って、主がそう望むのだから。

 

 

「哀れな魔族よ、稀有な事に私はお前の()()()()となった訳だ、文字通り使い魔(サーヴァント)となったお前に、ひとつ命じよう」

 

 

()()()()の名のもとに命ずる」

 

 

 

 

 

「時が来るまで、此度のことは全て忘れろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──あら、私ったら何を……今日は実入りが悪いままね、帰ろうかしら」

 

 

 

 

 

 〜

 

 

 

「リリィ、杖を仕立てようか」

 

 

 交易都市ヴァルムに滞在して1週間。

 すっかり私の体調が回復して、ようやく外に出るお許しが出た時のこと、外から帰ってきたナイオン様がそんな事を言い出しました。

 お母さんの姿はもうしていなくて、普段通りの子供の姿で、何か大きな袋を抱えています。

 

「杖って、魔法の杖ですか?」

「そう、その杖」

 

 看病支度を片付けていた私は片手で(つえ)を、もう片手で(じょう)を握る手振りをしてみせました。ナイオン様が肯定と一緒に指さしたのは(じょう)のほう。

 旅において勾配のある道の助けになるほうの杖ではなく、同じ助けでも魔法の助けになる方の杖を仕立てようと言うのです。

 いや、うーん。

 言ってる事は分かりますけど、えぇ……?

 

「えぇ……?」

「考えてるのがそのまま口に出てるよリリィ」

「いやだって、魔法の杖って高いじゃないですか」

 

 私は当然の事実を口にしました。

 魔法の杖というのはそれなりに高価な代物なのです。これには金遣いの荒いナイオン様も「それはそうだけど」と口を揃えるくらいなので、本当にそれなりの値段がするものなのです。

 

 

 魔法使いが杖と呼ぶもの。

 それは魔法使いが魔法を使う時に、魔力の制御や出力を指向性含めて安定させる補助具。

 この世で最もポピュラーな魔道具です。

 

 熟練した魔法使いであれば杖がなくても魔法が使えますが、反対に未熟な魔法使いは杖が無いと魔法が使えない。魔物や魔族と違って、魔力を貯める事が出来てもそれを出力する事を苦手とする、いわば人類種のための魔道具です。

 魔法使いの手足と言ってもいい代物で、魔法使いにとっての必需品。見習い魔法使いのはじめの一歩が「反射で杖を取り出せるようになること」と言われるほどに、魔法使いにとって"あって当たり前のもの"。

 

 

 ……と、私は本を読んで知っています。

 

 はい、確かに私は杖を持っていません。

 でも家庭用の民間魔法や防御魔法なら杖が無くても使えます、それじゃあ……えぇ、確かにこれではダメですね。

 

 

「そうだよリリィ、それじゃあダメなんだ」

 

 

 ナイオン様は私が自力で答えにたどり着くのを待ってから、教えてくれました。

 

 

「魔法使いにとって杖を握る利点はとても大きい、計り知れない。今までこれをリリィに持たせていなかったのは単に必要がなかったからだ、あと高いし。リリィは才能があるから教えれば魔法が使えたし、何より複雑な術式の魔法を使わせる予定がなかった」

 

「でもこの先、旅の中でリリィには身を守る術を持ってもらう。これは防御魔法をという意味ではなく、自分を攻撃してくる相手を滅ぼすという意味での、身を守る術だ。つまり攻撃魔法、複雑な術式をね」

 

「その複雑な術式を杖無しで行使しようというのは現代でも未来でも非効率極まる。何より一瞬が生死を争う場面で、魔法の構築が遅くて死にました、じゃあ納得できない」

 

「私はそんな理由で君を失いたくない」

 

 

「ここまではいいかな?」

「はい、大丈夫です」

 

 

 最後にだいぶ主観が入っていたように思えますが、まぁ悪い気分ではないので目をつむりましょう。

 でも今まで私に杖を与えなかったのは私に才能があったからとか言ってましたけど、杖が高いってサラッと流してましたよね?私の才能にかまけて杖を買う分のお金も使い込んでたんじゃないですよね?

 

「そ……んなわけないじゃん〜…ほんとほんと」

「クズが」

「ごめんよぉ!!」

 

 転がった虫のように、ナイオン様が泣きべそをかいて私にすり寄ってきました。

 仮にも師匠の姿か……?これが……

 普通にキモい。

 

「ごめんよぉ!でもだってその時はホントに杖は必要ないって思ってたんだから仕方ないじゃんかぁ!杖用の貯金してなかったのは認めるけど、ちゃんと用意してきたからさぁ!許しておくれよぉぉ」

「うわ……汚い」

「びぇえぇぇぇぇ!!」

 

 ナイオン様の涙と鼻水で私のスカートがぐしょぐしょになっていきました、本当に汚い。

 離れてください。

 

 

「ぐぇっ」

 

 

 轢かれたカエルみたい……あれ?

 

 

「ナイオン様、ナイオン様」

「はい……クズのナイオンです…ズビ」

「今はそれどうでもいいです」

「傍若無人!?」

「ナイオン様、最初"杖を仕立てよう"って言いましたよね?なら何をそんなに大きな袋で買ってきたんですか?」

「ん?あぁ……」

 

 私の予想では、ナイオン様が抱えてきた大きな袋には杖が1本入っているものだと考えていました。

 なにせ子供姿のナイオン様や私よりも縦に長い袋で、杖がまるっと入る大きさをしていましたから。

 でも普通杖を買ってきたなら、"仕立てよう"とは言いません。せめて仕立ててきたとか、それこそ買ってきたで良いと思うんですが……

 

 

ドンッ!

 

 

 ───は?

 

 

「じゃじゃーん、これ削って作ろう!」

 

 

 人が両手ないし片手で扱う杖、とは程遠い重量を感じさせる音を鳴らしながら、封をとかれた袋から顔を出したのは……木材でした。

 それも整形された角材などではなくて、切り落としたてほやほやのような枝。それも枝というにはあまりにも太く無骨で大自然すぎる……大樹の枝でした。

 

 その傍に転がり落ちたのは、昔にナイオン様が折ったテーブルの足を直す時に使っていた木工道具達。

 それらの用途は切る・やする・削る……そう、削る。

 

 

 アホが口走った事を現実にするためのもの。

 

 ……私は、これが夢であってほしい。

 

 

「あの……ナイオン様?」

「いやー魔王軍との戦争特需ってやつかな!武具なり素材なりがたくさん流通しててね、そんで魔王討伐で需要が減るだろうからって杖の材料とか安売りしててさー!買ったら魔導書オマケでくれるって言うから〜あぁあと今日にこの街離れて旅しながら杖作ろ──」

「正座」

 

 

 

 

 

「──え?」

「正座」

「…………ッスゥ〜」

 

 

 ナイオンが座りました。

 いいですね、部屋が静かになりました。とても良い気分です、私は今とても良い気分ですよナイオン。

 

 おや、なぜ泣いているんですかナイオン。

泣いて何になるんですか?

 

 

 ……あぁ、いまや懐かしき我が家。

 冬の前には決まって備蓄が必要で、なのにナイオン様が不定期にしか稼いできてくれないお金を何年もほそぼそとやりくりしたり、台所が壊れた時なんかはどうしようもなくて、泣く泣く銭を切ったり……

 少ないお金で何とかやりくりしていた日々が昨日のよう……

 

 私、まだ10歳なんですけど?

 

 そりゃナイオン様が稼いだお金が元手ですし、ナイオン様がふらっと居なくなっては色々買ってくるのは今に始まった話じゃないですから??

 基本の生活は自給自足できていましたし?

 今更、今更ナイオン様がふらっと居なくなろうが何を買ってこようが文句なんて言いません 。

 

 でも何も思わないわけないじゃないですか。

 待っている間、寂しかったんですよ?

 私だってふらっと出かけたかったんですよ?

 私だって、私だって

 

 

 ──それが、えぇ?

 杖を買うどころか杖の材料を丸ごと買ってきて?それを旅の道中で自分で削りながら作る?しかも材料は安売りしてたから選んだもので?オマケに魔導書付き?

 随分と嬉しそうに言うじゃないですか。

 

 私だって

 私だって…

 私だって……!

 ずっとずっと我慢してきたのに……!

 ずっと、ずっと前から……!

 

 

「いっしょに、お買い物したかったのにっ!!!」

「あ……あ……」

「もうしらないっ!ママのばかっ!!!」

 

 

 

 

 私はナイオン様を押しのけて、部屋を走って飛び出しました。

 

 ナイオン様の事なんて……き、嫌いです。

 何があったって、もう帰りません。

 探しに来たって、迎えに来たって、ナイオン様が反省しないかぎり帰ったりしません。

 

 バカ、バカ、バカ……

 ナイオン様は大バカです……

 

 

「きらい、きらい、大っ嫌い……っ、ママなんて、死んじゃえばいいんだ……っ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぅ……、う、ぁあぁぁ……」

 

 

 静まり返った宿の一室で、扉が乱暴に開け放たれたままの部屋で、窓から見える賑やかで笑みに満ちた人々とは対極のように、嗚咽するものがありました。

 走り出してゆく我が子を止められないまま、愛しい子に拒絶されたまま、小さな体をうずくまらせて、心に苦しむ獣がいました。

 

 

「りりぃ……りりぃぃ……」

 

 

 それはナイオン、ハサン、アサシン。

 いくつかの名前を持ちながら、とりわけナイオンと呼ばれる事を好んだもの。

 

 その正体は、どこまでいっても魔族です。

 過去に人間だっただけの魔族。

 魔族になってから失い、人間だった時にはあったはずの心、その代謝を必死になって再現しているだけの魔族です。

 赤子を拾ったことをきっかけに記憶にあるかぎりの『人間らしさ』を出力し、人間らしい自分が当たり前であると自分を騙そうとしている哀しい怪物。

 人には戻れぬ魔族。

 

 

「戻ってきておくれ、帰ってきておくれ……独りにしないで…………」

 

 

 数千年よりも遥か昔、枯れた荒野にひとり発生した魔族がこの10年でようやく手放せた孤独感が、今に戻ってきてしまったら。

 人らしく在るためのナイオンが、人に拒絶されてしまったなら。

 

 ……なにより、愛しい子が去り際にこぼした言葉を聞いてしまったから。

 

 

 ──()()はもう、己の概念(ナイオン)を保てませんでした。

 人らしさを象徴する外殻()さえも保てず、人型の魔族にも戻る事ができず、名無しの魔族第一の分身であるナイオンはどろどろに溶けてしまいました。

 

 

「あぁ……Aaa……」

 

 

 あとには、ただの泥が残りました。

 我が子に在り方を依存した魔族がその我が子に拒絶されて、在り方を失った泥だけが部屋に残されました。

 

 

 

 

 そして、少し前に泣きながら飛び出していく子供を見た宿の主人が、何事かと部屋を訪れ、ちょうどその泥を目にしました。

 なり損ないの口だけが生えた、赤黒い泥を。

 

 

「うわぁぁ!()()()ぉっ!!!」

 

 

 

 

 

 在り方が、与えられました。

 

 

 

 

*1
漫画31話にて魔法を反射する混沌花が出た場所





人の心。
シリアスはつづきません
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