≪インスタンス・ダンジョン≫というものがある。
そのダンジョンに入ったパーティーあるいはプレイヤーごとに生成される、新しいダンジョンのことである。
MMORPGでは広く普及されているゲームシステムの一つであり、このソードアート・オンラインの世界でも、そのシステムを用いたダンジョンは存在した。
しかし、デスゲームと化した今となっては、どんな敵が出てくるのか、どんなマップになるのか、入ってみなければわからないそのダンジョンに、入ろうとするプレイヤーはごくわずかであった。
腕に自信のあるプレイヤー、何かレアなアイテムを入手できるのではないかと躍起になるプレイヤー、死に場所を求めているプレイヤー、せっかくだから色々なコンテンツを楽しみたいという酔狂な奴もいた。
俺はというと、さっき挙げた中から二つ目、レアなアイテムで一攫千金を狙っているプレイヤーだ。
すでにダンジョンに潜った回数は五十を数え、先日クリアした際には、≪ダンジョン男爵≫なるプレイヤー称号を得ることになった。
俺の周りにもこの≪インスタンス・ダンジョン≫に挑戦する奴らはたくさんいたが、ここまで回数を重ねているのは、たぶん俺くらいだろう。
というのも、過去に美味しい思いをしているからだ。
まだ片手で数えられるくらいしか、ダンジョンに潜っていなかったときのことだ。
ダンジョンの途中で、NPCの商人に出会った。
その商人が販売していたものが、どれもプレイヤーが初めて目にするような、レアリティの高い品々だった。
もちろん十分なコルも持っていなかったので、その場は泣く泣く立ち去ったが、今度もう一度会うことができたら、その中でも有効そうなアイテムを手に入れて、一度は諦めた攻略組への道を、もう一度歩きたい。
そんな思いで、今日も俺は≪インスタンス・ダンジョン≫の扉を叩く。
場所は27層主街区≪ロンバール≫の一角。
地下修道院の奥にある通常では開かない扉に、あるクエストで入手した≪グラブ・ジョバンニ≫を腕にはめた状態で2回ノックすると、≪インスタンス・ダンジョン≫に入るか入らないかのシステムメッセージが表示されるのだ。
「────よし、行くか」
ストレージ内に転移結晶があることを確認し、目の前に出現していたシステムメッセージに対してOKボタンを押す。
ガチャリ、というやや重苦しい、耳慣れた鍵の開錠音が聞こえたところで、ドアノブを軽く回し、そのまま扉を開く。
先の見えない暗闇の中へ一歩足を踏み込んだ瞬間、自分の体がどこか別の場所へと転移するのがわかった。
SAOで読む銀河鉄道の夜
耳心地の良いリズムに、ゆっくりと目を開く。
初めに飛び込んできたのは、空。
太陽はもう沈みきってしまい、星々の瞬く夜空だった。
そこで、自分が寝転がっていたことに気づく。
不思議と背中は痛くなく、むしろふわふわと柔らかい。
少し顔を動かすと、自分が乾草を集めて束にした上に寝そべっていたのがわかった。
体を起こして、周りを見回す。
どうやら、馬車が俺と乾草とを運んでいるらしい。
ダンジョンの設定か何かなのだろうか、馬車の手綱を引くNPCの姿は見えず、二頭の馬がゆっくりとした歩みで、馬車を引いていた。
どこかの街道のような、舗装されていない土の上を古めかしい車輪が音を立てながら回る。
さっきまで聞こえていた耳心地の良いリズムとは、この音だったのだろう。
このまま馬車に乗っていくべきか、それとも自分の足で歩いてみるべきか、どう行動して次のフロアを目指すべきか悩んでしまい、しばしそのまま乾草の上に寝転がっていた。
そのときのことだ。
馬車がそのスピードを落とし、ついには街道沿いに生えた大きな木を前に止まった。
何かクエストでも始まるのかと思い、馬車から降りようとしたところで、蠢く影の存在に気づいた────木の陰に、何かがいる。
牽制用に忍ばせておいたナイフの一本を手にする。
プレモーションを起こせばすぐにでもソードスキルが発動できるような姿勢になりつつ、その影の方を見やると、影はゆっくりとこちらに向かって歩いてきているのが
わかった。
≪索敵≫スキルを鍛えることによって獲得した暗視能力によって、その影がプレイヤーだと判断するのに、そう時間はかからなかった。
向こうからもナイフを持つ手が見えたのか、そのプレイヤーが困ったように笑って、それから喋りかけてきた。
「こんばんは、良い夜ね」
「……こんばんは、そうだな。あんた、プレイヤーか?」
「もちろん。君もこの≪インスタンス・ダンジョン≫に入ってきたんだね。私はサチっていうの。君は?」
「────ツブテ。仲間内からは、そう呼ばれているよ」
「ツブテ、さん。初めまして、よろしくね」
「いいよ、そんなに歳も変わらないだろうし、さん付けしなくても気にしない」
サチ──と名乗ったその女の子は、俺の言葉に苦笑しながら、じゃあ改めてよろしく、ツブテと言い直してから、握手を求めるように右手を伸ばしてきた。
友好を深める行為に水を差すつもりもないので、こちらも右手を伸ばして軽く握手する。
右目の下に泣き黒子のあるボブカットの彼女の顔に、残念ながら見覚えはなかった。
同じような中層で活動するプレイヤーは、自然と顔も割れてくるものだ。
まして、こんなエンドコンテンツに現を抜かすような輩は、決して多くない。
となると、彼女は最近になってここまで上がってきたプレイヤーか、それとも上層から降りてきたプレイヤーなのか。
サチ、という名前を頭の中のSAOプレイヤー名簿の検索にかけるも、思い当たることはなかった。
「あの、ツブテ? 手、離してもいいかな」
「ん? あぁ、ごめん、繋いだままだった」
「それに、じっと人の顔見たりして。何かついてた?」
「…………えっと、目が二つに、鼻が一つに口も一つ」
「あはは、何それ」
朗らかに笑う彼女につられて、自分も苦笑いのような表情をつくる。
彼女の“初めまして”という挨拶からも初対面であることはわかっていたのに、誰だろうと探ってしまうのは、俺の悪い癖なのだろう。
しばらく人付き合いを絶っていた影響か、相手との距離感というものを、測り損ねてしまうことが、稀にある。
サチはたっぷり笑ったあとで、透明感のある声で話しかけてきた。
「ねぇ、ツブテ。せっかく一緒になったんだし、パーティー組まない?」
「そうだ、それそれ。サチ、このダンジョンがインスタンスだってわかってるんだろう? どうして一緒に入ったわけでもないのに、俺とサチが同じダンジョンにいるんだ?」
引っかかっていたことを、思い出した。
不思議な話だ、パーティーを組んで≪インスタンス・ダンジョン≫に入れば、そのパーティーで同じダンジョンへと進むことができる。
しかし、全く別のプレイヤーとダンジョンを一緒に進むことなど、今までは経験したことがなかった。
捲し立てるように返事をした俺に、まるで子どもに教える先生のごとく、サチは右手の人差し指を立てながら、答えてくれた。
「アインクラッドには、たくさんの≪インスタンス・ダンジョン≫へと続く扉があるんだよ。ちょうど同じタイミングで入ると、その行く先が同じになるの。知らなかった?」
「おおー、そんなカラクリがあったのか、初耳だ」
「君のはめてるそれと違うでしょ? 私も、別のところから入ってきたんだ」
そう言って、彼女は立てた人差し指で、左腕にはめた手袋を差す。
この星空を切り取ったような、漆黒地の光沢ある手袋は、たしかに俺のはめているグラブとは違う。
見比べるようにしてグラブをはめた左腕を前へと伸ばす。
同じく黒をベースとしたカラーリングであるが、彼女のそれよりもずっと明るい、夜明け前の空のような色だ。
「ちなみに、どこから入ったのかは教えてもらえる?」
「残念、企業秘密です。もしくはそうだね、50万コルでどうカナ?」
某情報通の鼠の声色を真似して、くすくすとサチが笑う。
「はい、もう申請しちゃいました。パーティー組んでくれたら、教えちゃうかもよ?」
「それは楽しみだ」
肩を竦めながら、目の前に表示されたパーティー申請のウィンドウのOKボタンをタップする。
すぐに視界の左上に、新しいHPゲージとプレイヤーネームが追加される。
Sachi──サチとパーティー、いや、コンビを組んだ証だ。
「え、あれ?」
「ん、仲間内のニックネームなんだよ。だからどっちでもいい」
「……うん、それじゃあツブテ。よろしくね」
ニックネームの方が先行してしまっているせいか、パーティーを組んだプレイヤーは必ず首を傾げる。
自分のプレイヤーネームが嫌いというわけではなかったが、最近はもうツブテの愛称で呼ばれることの方が多く、サチからも慣れ親しんだその名で呼ばれることに、どこか安堵した気持ちがあった。
まさか投石を続けた結果つけられた蔑称だったとは、彼女も知らないだろう。
というか、恥ずかしくて知らせるつもりもない。
「あ、ぁ、馬車動き始めたよ」
「二人くらいなら乗れるよな? 行こう、サチ」
「うんっ」
馬車へと飛び乗り、走り寄ってきた彼女の手を取って、馬車の荷台へと引き上げる。
プレイヤー二人分の重さになったにも関わらず、馬車を引く馬のスピードは、さほど落ちていないように思えた。
隣に姿勢良く座ったサチを一瞥しながら、乾草へと寝転がる。
再び、目の前に夜空が飛び込んできた。
一筋流れたように見えたのは、流れ星のライトエフェクトだったのだろうか。
「ね、見える? あれってリンドウの花みたい。アインクラッドもすっかり秋めいてきたねぇ」
「へぇ、あの紫のがリンドウなのか……近くで見てみたいなぁ」
少し体を起こし、サチの指差した道端の草花に目を向ける。
最近になって≪疾走≫スキルの習熟に取りかかっていたため、ぱっと行って、ぱっと見て、ぱっと帰ってくるくらいならできるかもしれない。
しかしそんな俺の考えも、俺の表情や動作に表れていたのか、サチは苦笑交じりに俺を制した。
「もう無理だよ。あんなに遠ざかっちゃったもの」
サチがそう言ったか言わないかのうちに、また別のリンドウの花々が、月夜の街道を紫に染めては通り過ぎて行く
次から次へと流れていくリンドウは、まるで光る紫の絨毯のようで、馬車に揺られる俺たち二人を、楽しませてくれた。