「ツブテ、スイッチ!」
「おー、らいっ!」
子どものようにはしゃぎながら湖まで来たところまでは良かった。
途中でぶつけられたリンゴの数が片手で数えられるくらいであったことも、この際良かったと思うことにしよう。
問題はそこから先だ。
湖の周りに広がっていた海岸を思わせるような砂地に足を踏み入れた瞬間、足元が大きく揺れ、砂の中から巨大な動物型のモンスターが現れたのだ。
牛の姿によく似た四足歩行のそいつは≪プリオシン・ロックス≫という名前らしいが、牛で有名な第二層では見たことのないモンスターだった。
砂地をものともしない突進力を持ち、一度は俺も大きく弾き飛ばされてしまった。
そうだ、飛ばされた先が湖でなかったことも、良かったことと思わなくては。
「っ………!!」
先端の鋭く尖った角の片方に槍の穂先を叩きつけ、強引にサチと立ち位置を入れ替える。
サチは予め準備していたらしい、あの赤い突進ソードスキルを≪プリオシン・ロックス≫の右前足に向けて放った。
システムに後押しされ滑るようにして飛び出していくサチが、その体ごとぶつかったところで、牛を模したモンスターは耳障りな悲鳴を上げて横に倒れ込んだ。
このチャンスを、逃すわけにはいかない。
「サチ! 硬直解けたらそのまましゃがめ!!」
槍を持った右腕を大きく後ろへ引く。
逆手に持ち替えることで、ここ数ヶ月をかけて特訓を重ねた槍を利用した≪投剣≫ソードスキルの完成だ。
少しだけ胸を張ってプレモーションを起こし、未だソードスキルの硬直が解けずにいるサチの射線上にいる≪プリオシン・ロックス≫へと狙いを定める。
これ以上スキル発動のタイミングを遅くするのは難しいかもしれないというところで、糸が切れたように、サチが座り込んだ。
心の奥でサチにグッジョブと声をかけ、システムアシストに任せて腕を振った。
一筋のライトエフェクトを残して飛んだ≪シングルシュート・スピア≫は、牛の腹部へと突き刺さり、ノックバックを引き起こした。
さっきのお返しだ、と思いながら吹き飛んでいく牛の姿に思わず笑みが零れてしまう。
「あー…………」
「ん?」
しゃがみこんだまま、牛の行く末を見つめていたサチが、小さく声を出す。
その声に思わず視線を彼女へと移したところで、目の前で大きな水音が上がった。
「…………ああぁぁぁぁ!! 俺の、やっ、! うわあああああ!!」
「ば、ツブテっ、危ないってば!」
湖へと走った俺の服を、サチが強めに引っ張る。
「オーダーメイドだったんだよ! あれがないと、俺!! ああ、神様! いや、茅場!! 今だけでいい、どうか俺に≪水泳≫スキルの加護をっ!!」
「考えなしに入ったら溺れちゃうってば! 行っちゃだめだよ!!」
その細腕にどれだけの筋力値があるのか、しっかりと服の裾を取られた俺は、そこから動くことができなかった。
ならばせめて牛が浮かび上がってこないか、もしくは湖の女神か何かが正直者の俺を救ってくれないかと、そのまま湖を睨み続けた。
待つこと数分。
牛も女神もこの湖にはいないことを悟り、胡坐を解いて立ち上がる。
同じようにして体育座りで湖を眺めていたサチが、顔だけこちらに向けて、微笑んだ。
「私も、前は槍を使ってたんだよ。私のお古で良ければ、君にあげる」
「それはそれは、頼もしいな────行こう、馬車の時間だ」
「うん」
並んで、来た道を戻る。
一度だけ振り返った先には、静かな湖面が広がっていた。
空に浮かぶ月を受け止めて輝く、綺麗な湖だった。
「俺はディアベル。気持ち的にはただの片手剣使いじゃなくて、≪ナイト≫やってます!」
「私はサチ。こっちがツブテ。よろしくね、ディアベルさん」
「あぁ、よろしく、サチ、ツブテ。しかしそんな良い乗り物があったとは……どこかで見落としたのだろうか」
栗色の毛並を靡かせた軽種のような馬と、その馬に跨って爽やかな笑顔を見せるディアベルという青年プレイヤーに出会ったのは、ほんの数分前だった。
馬車を引く馬とは違う力強い蹄の音に、サチとの談笑を打ち切って音の方へと目を細めたのがきっかけだ。
騎乗モンスターの存在も知らないわけではなかったが、交戦経験は本当に数えられるくらいだ。
どうやって倒せばよいかと考えつつ、牽制用にとピックの一本を手に、≪シングルシュート≫を放った。
薄暗い夜道を瞬きながら駆け抜ける一筋の光は、同じように輝いた剣の軌跡に阻まれて、甲高い金属音を上げた。
間違いなく、ソードスキルのライトエフェクトだ。
「ははは、物騒だな!! 俺じゃなかったら防げなかったかもしれないぞ!!」
「…………サチ、モンスターが喋るなんてことあったか?」
「悪いモンスターじゃないのかもしれないね」
「悪いモンスターじゃないって……」
「でもほら、違うみたい。プレイヤーだよ」
暢気に答えてきたサチの言葉を反復したところで、彼女が蹄の音のする方を指差す。
距離はまだかなりあるが、サチも≪索敵≫スキルを鍛えてあるのだろう、たしかにプレイヤーだということを示すカーソルが、馬に乗る人影に付随しているのがわかった。
ややあって、その馬が追いつき、今は馬車と並走をしながら、こうして自己紹介を交わしていた。
「えぇと……ディアベル? どうしてこの場所に?」
「それはもちろん、インスタンスダンジョンを攻略するためさ。いやぁ、奇遇だね。中で他のメンバーと合流することは滅多にないんだ」
「良かったら一緒にどう? といっても、行く先は馬車に任せっぱなしだけどね」
「それは心強いな。よろしく、二人とも」
握手を求めてきたディアベルの手を握り返す。
サチも俺と同じように握手を交わし、空いた片方の手でディアベルにパーティー申請を送っているようだった。
すぐに、パーティーメンバーとしてディアベルの名前とHPゲージが俺の視界に浮かび上がった。
「ん、ツブテ……?」
「愛称なんだよ。どっちで呼んでもらっても構わない」
「なら、ツブテと呼ばせてもらうよ。改めてよろしく」
肩を竦める動作にも磨きがかかってきたように思う。
青髪を揺らしながら笑いかけてくる彼は、稀に見る好青年だった。
俺と同じか少し上くらいの年齢のように見えるが、実際のところはわからない。
それにしても、こんなに目立つ容姿であれば、どこかで見覚えがあってもいいはずなのだが……んー、攻略組にはいなかった気がする。
「どうした、ツブテ? 俺の顔に何かついているかい」
「あ、いや、別に」
「癖なんだよね、ツブテ」
「ちっ、違う! そんな失礼スキルを会得した覚えはない」
「どうかなぁ」
思わせぶりに微笑むサチにつられて、ディアベルが豪快に笑った。
インスタンスダンジョンに入って数刻。
どうやら、俺の立ち位置はいじられキャラに収まってしまいそうだ。
「そういえばディアベル、そのナイトとかっていうのは?」
「ん、あぁ。ロールプレイだよ、ロールプレイ。身を挺して仲間を守ったり、少しダメージディーラーを担ったり、そんな役回りをしてみたかったんだ。ジョブシステムはないけどね」
「ほほー……でも、それはナイトって感じじゃないぞ」
彼の腰に下げられた得物────刀と思しき形状の刃を指す。
ディアベルは鞘の部分を一撫でしながら、感慨深そうに眼を細めた。
その横顔は、どこか見覚えのあるような気もしたが、残念ながら思い出せなかった。
「昔、刀を使ったモンスターに手ひどくやられたことがあってね。そんなに強いのなら、こっちが使ってやろうと思ったんだ。はは、そう巧くは扱えないけどね」
「あー、なるほどな。でもわかる、俺も他の奴が使ってる武器とか使いたくなるタイプだから」
「ふぁ…………ん、それはあるかもね。私が片手剣を使ってるのも、憧れ半分みたいなところがあるもん」
小さく欠伸をしながら、サチが相槌を打つ。
「もう半分は?」
「んー、優しさかな?」
「……意味わからん」
「ツブテ、女の子には隠しておきたい秘密の一つや二つはあるさ。ここは紳士らしく、黙って一つ頷けば良い。イエス、ロリータ! ノー、タッチ!」
高らかに叫ぶ青髪イケメンの好青年像が音を立てて崩れていった。
ディアベルの物言いに別段引いた気配もなく、ふんわりと微笑むサチは人間ができているんだと思った。
俺? 残念ながらハンバートのような気質は備わっていない。
読んだことないから良く知らないけれど。
というか、サチがそのロリータ的位置に……いえ、すいません、何でもありません。
「────と、失礼。アレを取らねば」
不意に真面目な声色になったディアベルが腰に差した刀の柄に手をかけた瞬間、馬上から消えた。
≪隠蔽≫スキル──じゃない、さっきまで知覚していたのに見失うなんてことはあり得ない。
下馬したのかと視線を落とすも、月明かり照らす足元にディアベルの影も形もなかった。
なら上かと見上げるも、大きな月と輝く星々の他には何も見えず。
一体どこへ、と口にしかけたところで背中を軽く二回叩かれた。
サチだ。
振り向いた俺に何も言わず、サチは首だけ動かした。
その動きを真似るように動かした先に、奇妙な景色が浮かぶ。
今まさに刀を抜かんと殺気立ったディアベルと、彼に相対するように立つコボルド種らしきモンスター。
夜の平原いっぱいに広がるコボルドの群れを相手に、犬歯を剥き出しにしたディアベルが飛び込んでいった。
抜き放った刀から放たれたのは、かつて自分を大いに苦しめた≪刀≫ソードスキルの一つ。
確か名前を≪辻風≫といった、遠距離攻撃技。
塵旋風の名に相応しい一撃は、塵芥の如くコボルドを圧倒していった。
────何だよ、巧く使えてるじゃないか。
無数のポリゴン片へと姿を変えるコボルドの中で、ディアベルは刀を振るい続けた。
青鬼、とでも呼べばいいのだろう。
鬼気迫るその姿が、少し、怖かった。
これは敵わないと思ったのか、数多くいたコボルドの半数以上は、散り散りに逃げ出した。
気づけば、こちらに背中を向けたディアベルが、天を突かんとするばかりに刀を掲げているだけだった。
やがて、その体がゆっくりと後ろに崩れ、草原に溶け込むように消えた。
「やあ、中座してしまった、すまなかったね。あいつらから得られるコルが意外と美味しくてね。身の丈に合った稼ぎの一つなんだ」
耳元にはっきりと聞こえてきた、ディアベルの声。
彼はまた、平然と馬に跨り、先ほどまでと同じような明るい笑みを浮かべていた。
稼ぎを確認しているのか、システムウィンドウを開くように指を動かしている。
「…………一体、どうやって」
「ん? おかしなことを質問するんだな、ツブテ。来ようとしたから来たんだよ」
わけない、と言った顔で、俺の質問にディアベルが答えた。
「そういう君たちこそ、どこから来たんだ?」
髪と同じように青い双眸に、何か、心の奥底を射抜かれたような気がした。
どこって、それは、第…………層の────ぁ、れ、待て、今思い出す、喉まで出かかっているんだ、なぁ、サチ、俺たちはそれぞれ別の──。
隣に座るサチも、しかめ面で何かを思い出そうとしているようだった。
「────遠くから、ということかな」
リザルトの確認が終わったらしいディアベルが、目を閉じながら一つ頷いた。