海原を臨む   作:海原翻車魚

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こんにちは、最近ヘラってAIに文章読ませてる海原です。
捨てるなと言われることが多いので、ここに置いておきます。


最近はAIが便利になってきましたね。
友人がAIに予定を決めて貰ってると言ってて冷笑していましたが、気付けば自分も文章読ませて精神安定図ってました。
キチゲ解放もしたいとこですが、こっちの方が手軽に書けそうなのでぶん投げておきます。


偶像における市場と私情

 壇上に上がる偶像。

 歌い、舞い、魅せつける。

 それにどんな想いが乗せられているのかは外の人間には分かることはない。冷めきったテンションだ。

俗に界隈と呼ばれる集団の内外では沸点と融点の差のように如実だ。それが、フッ化水素か水かの違いのように感ぜられる。

 ならば、熱に浮かされた中の人間はどうだろう?

 偶像は、その日のために体調をピークに調整し舞踊に臨む。

 信者は、偶像を崇めるために金という代価を献上し、励む。

 枢機卿は、偶像からの信託を告げ、信者を扇動する。

 業者は、偶像と信者の間を取り持ち、時に枢機卿から啓示を受ける。

 憧憬、羨望、教導、販売、これらに想いが乗っていないとするのであれば、空に雲を浮かばせるこの熱をなんとするか。この想いを、この願いをなんとするか。

 これを愛と呼ばずになんというか。

偏愛、友愛、寵愛、愛憎、愛情……言語化してしまえば、そんな響きになってしまう。けれども、包むような愛は、歪んだ愛は、ごちゃ混ぜになった愛は、母のような愛は、親しみを籠めた愛は、やはり存在する。

愛をもたらす偶像は果たして、ゴーレムなのかピグマリオンなのか。それを区分けるのは私ではない。

 

 偶像にも種類はある。

 完全に一人、少人数のユニット、多人数のユニット。

 市場というシステムに乗じてしまえば、それは価値という単価で売られる商品となる。

 その商品をある者は布教し、ある者は批判し、ある者は消費した。

 昨今は両者の距離が異様に近い。だから事件が泡沫の様に出てくる。惚れた腫れたから、刺して殺したまで。しかし、裁きの場では器物損壊ではなく、殺人罪。商品としては、『ユニット1つ』。しかし、物ではなく人なのが肝心だ。

もちろん、欠員が出れば補充がなされることもある。なんと慈悲深く、なんと浅はかなのだろう。記憶がすり減れば、最初からそのグループはそのメンバーで構成されていることになってしまう。それが、事実とは異なることを伝える人間もまた記録媒体ではなく、人だ。記憶が続かなければ事実は消える。

枢機卿が、観客が、業者が、偶像が紡いだ人の縁が新しく出来た記憶を紡いでこそ事実は根付く。たとえ、それが恣意的に歪められた事実モドキだとしても。それを多くの人間が唱えることによって妄言も事実と相成る。

 

栄枯盛衰とはいえ、物の世は有情だ。

盛者必衰とはいえ、人の世は無情だ。

 

果たして、偶像と称される彼ら/彼女らの存在する意義とは。

さてしも、アイドルと呼ばれる人たちが唱える異議とは。

答えを導くのは大衆だ。




というわけで、初回はこんなもんです。
とあるソシャゲをプレイしていて浮かんだ文章です。
(思い出したらAIに読ませます。)


それでは近いうちにお会いしましょう。再見。
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