今日指が滑って、今日仕上げたので私にしては爆速でした。
読む内容も短いので爆速で終わると思います。
テーマは読んで頂ければ分かるかなと思います。
では。
本。
それは、世界への呪詛。
物語。
それは、世界への祝詞。
晴れ間に来訪した図書館。
手入れされた多くの書が棚に並べられる中、少し匂う古い紙を束ねる背表紙の数々が私を見る。そのような本たちの白や金色の横顔を見ながら品定めをする。
現代のベストセラー、昔の著名作、専門書に辞書……惹かれる背表紙は数あれどその中を探索したいと思うものは中々無い。
ふと、幼少期の感性が惹起される。
まるで、森の中で格好いい木の棒を探すような。
まるで、川縁で水切りのために平たい石を探すような。
そんな気分だ。
鼻歌でも口ずさみながら冒険と洒落こみたいが、人は少ないとは言え公共の面前だ。かくいう私も社会人の端くれであり、手足を放り出して駄々をこねる子供では断じてない。
理性と本能のせめぎあいを制しながら、近代文学の棚に立ち寄る。
歩みを進めると強烈に惹き付けられる本があった。引力があったとも言える。
斜陽とある表題の本を開き、読み耽る。そして、一通り読み終えてスマホで事実の確認と現在時刻の確認を行う。
繁栄と没落、腐敗と革命、権威と現実……事実は小説より奇なりとは言うがこうにも妙だと感心する。それこそ、本の後ろを見て続きを幻視してしまうほどに。
口の中に豊潤な薫りが満たされた、と同時に昏いものが私の脳裏から這いずってきた。
私はこの本から多くを感じた、と同時に昔語彙や感性が無いにも関わらず偉そうに講釈を垂れてきた何かを思い出した。感想は深みのない短文、技巧や意図を汲むことのない感性。それで自身の論理は完成と吹聴する何かしらのことを。
ふと、思う。
本というのは現代でいう『心と文字の圧縮ファイル』だと。
心の豊かな者は文字と紙越しに後ろのテーマや思想に行きつく。
知識の豊かな者は技巧や構文、出現した単語に疑問を抱き自らの糧とする。
対となる者もまた然り。
心の貧しい者は読むことに満足したり、設定されたテーマへ考えを巡らせはしない。
知識の貧しい者は単語の意味が分からず手元にいる本がさめざめと泣くだろう。
目の無い本がすすり泣くことを想うと、私の心は古本の紙のように容易く引き裂かれそうになる。
情報を要約して人に伝達することは確かに大事だとは思う。
けれども、目の前の本を見て心を踊らせ潤すことも過酷な現代では必要だと思う。
腹立たしい過去が小脳から喉へ染み出す。
甘美と辛酸が口の中で争う。
両者が相殺され口の中に苦いものを感じた私はいつの間にか小雨が降る空へ足を進めた。
いやー、図書館で本を読むことなんてもう何年してないんですかね。知らんって話ですが。
図書館で駄弁って勉強したのが遥か昔ですので、懐かしさに何か出そうです。
ちょっとトイレ行ってきますね(笑)
それでは、また次回。