(完結)よくある聖女召喚   作:埴輪庭

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聖女召喚

 ◆

 

 魔法陣が眩く輝いた。

 

 聖堂の石床に刻まれた七芒星の紋様から、蒼白い光の柱が天井を突き抜けて立ち昇る。居並ぶ神官たちの詠唱が最高潮に達し、大神官マルキシウスの額には脂汗が浮かんでいる。七日七晩に及ぶ儀式。王国の魔石貯蔵庫を空にしてなお足りず、三つの属国から徴発した魔石をすべて砕いて注ぎ込んだ。これで失敗すれば、もはやこの国に未来はない。

 

 ややあって光が収束し、人型の輪郭がその中心に浮かび上がった。

 

「成功だ」

 

 玉座から身を乗り出していた国王ヴァルディオス三世が掠れた声で呟く。傍らに控えていた宰相ゲルハルトが深く息を吐き、神官たちの間からは嗚咽に似た安堵の声が漏れた。

 

 光の中から現れたのは一人の女だった。

 

 銀糸を織り上げたような髪が腰まで流れ、瞳は黎明の空を溶かし込んだかのような淡い紫。纏う衣は見たこともない布地で仕立てられており、刺繍ひとつない簡素な意匠でありながら、この国の王妃が身につけるどんな礼装よりも気品に満ちている。その美貌は居合わせた者すべての息を呑ませるに十分だった。

 

 聖女召喚──この儀式が最後に成功したのはもはや記録にも残らぬほど遠い昔のことだ。しかし伝承は確かに語り継がれていた。世界を覆う瘴気が限界に達したとき、異界より聖なる乙女を招き、その浄化の力を借りるのだと。

 

「ようこそ、聖女よ」

 

 マルキシウスが膝を折り、恭しく頭を垂れる。形式的な敬意。その実、彼の目には既に勝利の確信が宿っている。召喚された者は術者に逆らえない。それが古来よりの理。この女がどれほどの力を持とうと、我らの意のままに動くほかない──と、マルキシウスはそう考えていた。

 

「我らが王国は貴女の力を必要としています。どうか──」

 

「あら」

 

 涼やかな声が大神官の言葉を遮った。

 

 女は周囲を見回している。荘厳な聖堂の天蓋を色褪せたタペストリーを跪く神官たちを。その視線には困惑も恐怖もなく、まるで珍しい虫を見つけた子供のような、純粋な好奇心だけが浮かんでいる。

 

「まあ、まあ。これはこれは」

 

 くすりと笑みを零した。愛らしい仕草だった。だがその笑みの奥にマルキシウスは得体の知れない何かを感じ取る。

 

「随分と……原始的な」

 

 女は──プルーウィア・ルーキス・デー・カエロー・カデンスは興味深げに足元の魔法陣を眺めながら、静かにそう呟いた。

 

 

 ◆

 

 西暦六九一〇年、宇宙歴四六四九年。

 

 かつて人類が「地球」と呼んだ惑星はいまや銀河系有数の文明圏の中枢として、その青い輝きを宇宙に放っていた。軌道上には無数の宇宙港が浮かび、一日あたり数十万隻の船舶が発着する。月は完全にテラフォーミングされ、火星には三億の人口が暮らし、木星の衛星群は太陽系経済の生産拠点として機能している。

 

 だがこの日、地球統合政府本部ビルの最高会議室に集った者たちの表情は文明の繁栄とは無縁の暗さを湛えていた。

 

「状況を整理する」

 

 議長席についたアメリカ合州国大統領ドナルド・シュリンプが金属質の指でテーブルを叩いた。その音は生身の人間が出すものとは明らかに異なっている。全身義骸化。脳と脊髄の一部を除いて、シュリンプの肉体は完全に人工物に置き換えられていた。金色に染められた髪すらも精巧な人工毛髪であり、表情筋を模した微細なアクチュエーターが彼の傲岸な面持ちを忠実に再現する。

 

「今から三時間前、惑星KOI-5889.01──通称『至高天』の第一王女プルーウィア殿下が東京での視察中に忽然と姿を消した」

 

 ホログラムディスプレイに映し出された現場映像を各国首脳が凝視する。皇居東御苑、二の丸庭園。平和な観光地の一角に焦げ跡のような黒い染みが広がっていた。

 

「英国魔術省の初期解析結果を」

 

 シュリンプの促しに画面の隅に小さなウィンドウが開く。痩せぎすの中年男性──英国魔術省大臣コルネリウス・ダッジの顔が映し出された。

 

「異界召喚術式です。極めて原始的な」

 

 ダッジの声は抑制されていたがその奥に隠しきれない動揺が滲んでいる。

 

「紀元前に遡る古典的な術式構造で正直なところ我々の監視網がこれを検知できなかったことが信じられない。理論上、この程度の術式は地球圏のあらゆる防壁に阻まれるはずでした」

 

「だが現に突破された」

 

 低く、しかし鋭い声が割り込む。ロシア連邦大統領ウラジーミル・フルチンが氷のような目でダッジを見据えていた。

 

「なぜだ」

 

「それは……」

 

 ダッジが言い淀む。その沈黙を引き取ったのは日本国内閣総理大臣の鷹市香苗だった。

 

「対象選別の問題です」

 

 鷹市の声は落ち着いている。だがその瞳には国家の存亡を賭けた戦いに臨む者の覚悟が宿っていた。

 

「地球防衛システムの異界召喚妨害機構はあくまで地球起源の生命体を対象として構築されています。二千年前に最終調整が行われて以降、地球人が召喚の被害に遭った事例は一件もありません。しかし至高天の方々は……」

 

「地球人ではない」

 

 中華人民共和国国家主席、龍金平が静かに続けた。その肥満した体躯とは裏腹に目は獰猛な光を宿している。

 

「盲点だった。我々は外からの侵入のみを警戒し、自らの客人を守る術を持たなかった」

 

 沈黙が会議室を満たす。

 

 至高天。その名を口にするとき、いかなる強国の指導者もわずかに声を潜める。人類が宇宙に進出し、数多の異星文明と接触を果たしてきた数千年の歴史の中で地球人類が「畏怖」という感情を抱いた相手はただ一つしかない。

 

「フランスとしては」

 

 マックロー大統領が口を開いた。若く精悍な顔立ちにはいつもの軽妙な笑みがない。

 

「現状の情報を至高天に報告し、指示を仰ぐべきと考える。彼らの技術をもってすれば、王女殿下の救出など容易いはずだ」

 

「既に行った」

 

 シュリンプが首を振る。

 

「返答は──『見守っている』。それだけだ」

 

 会議室の空気がさらに重くなった。

 

 見守っている。至高天がしばしば用いるその言葉を各国首脳は痛いほど理解している。

 

 ◆

 

 惑星KOI-5889.01。地球から約五千光年、ケンタウルス座の方角に位置するその星を人類は「至高天」と呼ぶ。

 

 最初の接触は西暦四二三〇年、宇宙歴九年のことだった。

 

 当時の人類はようやく恒星間航行の技術を確立したばかり。最初の探査船団が太陽系を離れ、近隣の星系を調査していた時代である。ケンタウルス座アルファ星系の調査を終えた第七探査船団が帰路において「それ」と遭遇した。

 

 記録映像は今も機密扱いされている。ただし、当時の艦長が残した手記の一部は公開されており、そこにはこう記されていた。

 

「我々は星を見た。動く星を。そしてその星が我々を見ていた」

 

 至高天の民は人類を歓迎した。驚くほど友好的にそして優しく。

 

 以来二千六百年、両文明は良好な関係を維持してきた。至高天は人類に多くの技術を与え、病を癒し、争いを調停し、時に災厄から守った。その見返りとして彼らが求めたものはほとんど何もない。ただ時折、彼らの王族が地球を訪れ、「観光」を楽しむ。それだけ。

 

 だが人類は知っている。

 

 あの優しさが人間が犬や猫に向けるそれと本質的に変わらないことを。至高天の民にとって、地球人類は「可愛い生き物」に過ぎない。愛玩の対象。保護すべき下等生命体。

 

 その認識を裏付ける事実は枚挙に暇がない。

 

 至高天の技術は人類の科学では解析すら不可能である。彼らが「姿」として見せているものが真の形態ではないことも判明している。至高天の首都を訪れた外交官たちは帰還後、異口同音にこう語った。「あれは都市ではない。都市のように見せてくれているだけだ」と。

 

 人類にとって至高天は友人であり、恩人であり──そして決して怒らせてはならない存在だった。

 

「王女殿下が召喚されたということは」

 

 龍金平が重々しく口を開く。

 

「我々の領域内で至高天の民が被害に遭ったということだ。仮に殿下が傷つくようなことがあれば……」

 

 言葉を続ける必要はなかった。

 

「召喚先は特定できたのか」

 

 フルチンが訊ねた。

 

 鷹市が頷く。

 

「星宮陛下のお力により、逆探知に成功しました」

 

 第二三一代天王、星宮在人。日本国の象徴にして、地球圏最高のPSI能力者である。その遠視能力は銀河を越えて届くと言われているが、彼が全力を発揮する機会は長い治世においてほとんどなかった。

 

「座標はこちらに」

 

 ホログラムに銀河系の三次元マップが展開される。赤い点が一つ、太陽系から見て反対側の渦状腕に明滅していた。

 

「およそ四万光年。ワープ航行で三週間の距離です」

 

「四万光年だと?」

 

 シュリンプが眉を顰める。義骸化された顔面であってもその表情は生々しい人間味を帯びていた。

 

 イタリア首相カンタレラが額に手を当てた。

 

「四万光年先の文明が我々の玄関先から人をさらった。しかも至高天の王女を。これは……」

 

「最悪のシナリオだ」

 

 シュリンプが断言する。

 

「だが我々には選択肢がない。王女殿下を救出し、至高天に無事をお返しする。それ以外に道はない」

 

 各国首脳の視線がアメリカ大統領に集中した。

 

「艦隊を出す。大艦隊をだ」

 

 シュリンプは立ち上がった。金属の関節が滑らかに動き、その巨躯が会議室を圧する。

 

「六大国の総力を結集する。アメリカは第一・第三・第五・第七・第九宇宙艦隊の全力を投入する。他国も同様の規模を求める。総指揮は合州国が執る」

 

「規模は」

 

 フルチンが訊いた。

 

「最大限だ。五千万隻でも足りないくらいだと思っているがそれ以上は物理的に動員できない」

 

「アメリカが指揮を執る理由はなんですか?」

 

鷹市総理が尋ねる。

 

「作戦内容だ」

 

 シュリンプの義眼が獰猛な光を帯びる。

 

「これは救出作戦だが、やる事は斬首作戦と同じだ。外交でも偵察でも示威行動でもない。相手は王女殿下を拉致したテロリストであり、交渉の余地はない。即座に踏み込み、人質を確保し、必要な敵を必要なだけ始末する──この手の野蛮な仕事に最も長けているのはどこか、諸君もご存知だろう」

 

 皮肉げな笑みが何人かの顔に浮かんだ。

 

「作戦名は」

 

 マックローが訊いた。

 

 シュリンプは一瞬だけ考え、それから言った。

 

「オペレーション・ドッグラン」

 

 ◆

 

 プルーウィアは石造りの部屋で静かに佇んでいた。

 

 窓のない小部屋だった。粗末な寝台が一つ、水差しと洗面器が置かれた小卓が一つ。石壁には苔が生え、空気は湿っている。地球の基準で言えばそれは牢獄と呼ぶべき場所だが──。

 

 プルーウィアは少しも不快を感じていなかった。

 

 この程度の環境が彼女に影響を与えることはない。そもそも彼女が知覚しているこの「部屋」は現地の生命体が認識しているそれとはおそらく全く異なるものだろう。石壁に見えているものは実際には何か別の物質であり、苔に見えているものはこの惑星固有の微生物群であり──とまあ、彼女の様な上位存在にとってはそのようなものだ。

 

 興味深いのはこの世界の「瘴気」とやらであった。

 

 大気中に溶け込んだ、この星固有のエネルギー場。地元の人々はそれを忌むべきものとして恐れているようだがプルーウィアの知覚にはむしろ穏やかな揺らぎとして感じられる。この惑星が自らの傷を癒そうとしている、その過程で生じる一時的な現象。あと数百年もすれば自然に収まるはずのものをなぜこの者たちはこれほど恐れているのか。

 

 ああ、そうか。

 

 彼らの寿命では百年待つことすらできないのだ。

 

 プルーウィアはその理解に至って、下等生物たちの余りの脆弱さにかすかな憐れみを覚えた。

 

 扉が開いた。

 

 鎧を纏った兵士が二人、大股で部屋に入ってくる。その後ろから、豪奢なローブに身を包んだ老人──大神官マルキシウスが姿を現した。

 

「立て」

 

 兵士の一人が横柄な声で命じた。

 

 プルーウィアはゆっくりと立ち上がった。急かされたからではない。そろそろ体を動かしてもいい頃合いだと思っただけのこと。

 

「国王陛下がお呼びだ。大人しくついてこい」

 

 兵士たちはプルーウィアの両腕を掴もうとした。

 

「あら」

 

 プルーウィアは小首を傾げた。

 

「触らなくても歩けますのよ?」

 

 その声は子犬に言い聞かせる飼い主のように穏やかだった。兵士たちは一瞬たじろいだがすぐに顔を強張らせる。

 

「黙れ。貴様は召喚された身だ。我々に逆らう術はない」

 

「まあ、そうでしたの」

 

 プルーウィアは微笑んだ。

 

「それは失礼いたしました。どうぞ、ご案内くださいな」

 

 兵士たちはその素直さをかえって不気味に感じたらしい。互いに視線を交わし、結局は彼女の腕を掴むことなく、前後を挟んで歩き始めた。大神官マルキシウスが探るような目でプルーウィアを見つめている。

 

 回廊を進む。

 

 プルーウィアは周囲を興味深げに眺めた。石造りの城。タペストリー、甲冑、燭台。地球で言えば、西暦で言う中世期の様式に近い。ただし魔術の痕跡が至る所に見られ、純粋な技術文明とは異なる発展を遂げたことが窺える。

 

 やがて大広間に出た。

 

 玉座に腰かけた壮年の男──国王ヴァルディオス三世がプルーウィアを睨みつけている。その傍らには宰相らしき人物、そして十数人の貴族や神官が居並んでいた。

 

「これが聖女か」

 

 国王の声には失望と疑念が入り混じっている。

 

「思っていたよりも……人間に近いな」

 

「御意。しかし召喚術式は確かに成功しております」

 

 マルキシウスが平伏しながら答えた。

 

「この者の内に宿る力は間違いなく我らの求めていたもの。瘴気を浄化する聖なる光です」

 

「ふん」

 

 ヴァルディオス三世が玉座から立ち上がった。プルーウィアの前に歩み寄り、顎を上げさせるように手を伸ばす。

 

 その手はプルーウィアの顎に触れる寸前で止まった。

 

 何かが国王の本能に警告を発したのかもしれない。

 

「聖女よ」

 

 国王は手を引き、代わりに威厳を込めた声で語りかけた。

 

「我が王国は貴様の力を必要としている。瘴気はすでに国土の三分の一を覆い、民は日々死んでいく。貴様がその力を使い、瘴気を浄化すれば、我らは貴様を厚遇しよう。望むものは何でも与える」

 

「あらあら」

 

 プルーウィアはにこやかに微笑んだ。

 

「それはご丁寧なお申し出ですこと」

 

 その笑みに国王は眉を顰めた。

 

「しかしわたくし、お断りいたしますわ」

 

 大広間が静まり返った。

 

「……何だと」

 

「わたくしの答えはいいえ、でございます」

 

 プルーウィアはまるで天気の話でもするかのように穏やかに続けた。

 

「皆様のご事情はお察しいたしますけれど、わたくしにはわたくしの予定がございましたの。それを一方的に中断させられて、見知らぬ場所に連れてこられて、いきなりお願いをされましても少々困りますわ」

 

「き、貴様……」

 

 国王の顔が怒りで紅潮していく。

 

「自分の立場が分かっているのか。貴様は召喚された身だ。この世界に戻る術もなく、我々の庇護なくしては生きていけぬのだぞ」

 

「まあ」

 

 プルーウィアは目を丸くした。

 

「そのようなことを仰るのですか。あらあら」

 

 その声音は子供の言い分を聞いた大人のそれだった。

 

「わたくしが皆様の庇護を必要としている、と。そうお考えなのですね」

 

「当然だ。貴様がどれほどの力を持とうと、この世界では我々が主人であり、貴様は──」

 

「ああ、いえいえ」

 

 プルーウィアは小さく手を振った。

 

「誤解なさらないでくださいな。皆様のお考えを否定するつもりはございません。わたくしはただ……少し、可愛らしいと思っただけですの」

 

「可愛らしい、だと?」

 

「ええ」

 

 プルーウィアは微笑んだ。

 

「小さな子犬が飼い主に向かって吠えている様子を見ると、思わず微笑んでしまいますでしょう? それと同じですわ」

 

 一瞬の沈黙。

 

 そして国王の顔が怒りを通り越した何かに歪んだ。

 

「この……無礼者がッ」

 

 平手がプルーウィアの頬を打った。

 

 パンという乾いた音が響く。

 

「陛下ッ」

 

 マルキシウスが慌てて駆け寄った。

 

「何をなさいますか。聖女に手を上げるなど」

 

「この女は──」

 

「お気持ちは分かりますが今は堪えてください。この者の力が必要なのです。ここで傷つけ、もし何かあればすべてが水泡に帰します」

 

 国王は荒い息をついている。プルーウィアはその様子を静かに見つめていた。

 

「あらあら」

 

 その声には怒りの欠片もなかった。

 

「お気を悪くされましたか。申し訳ございませんでした。わたくし、つい正直に申し上げてしまう癖がございまして」

 

 国王はその言葉にさらに激昂しかけたが、マルキシウスに止められた。

 

「……この女を元の部屋に戻せ。考えを改めるまで水以外は与えるな」

 

 兵士たちに連行されていく彼女の背中をヴァルディオス三世は憎悪を込めて見つめていた。

 

 だがその視線にプルーウィアは気づいてもいなかった。

 

 ◆

 

 地球圏六大国連合艦隊の集結は、人類史上最大規模の軍事動員となった。

 

 アメリカ合州国宇宙軍から第一、第三、第五、第七、第九の五個艦隊。中華人民共和国宇宙軍から東方、南方、北方の三個艦隊群。ロシア連邦宇宙軍から第一、第二親衛艦隊。イギリス、フランス、イタリアの欧州連合宇宙軍から三個統合艦隊。日本国宇宙自衛隊から第一、第二、第三護衛隊群。その他、随伴する補給艦、工作艦、医療艦、偵察艦を含めた総数は五千二百万隻を超えた。

 

 これだけの戦力が一堂に会したのは、二千年前の「大粛清」以来のことである。

 

 旗艦はアメリカ宇宙軍の最新鋭超弩級戦艦「エンタープライズ」。全長一万二千メートル、乗員三万八千名、主砲として対惑星級の光子波動砲を備えたこの巨艦が艦隊の中心に位置していた。

 

 その艦橋にシュリンプ大統領は自ら乗り込んでいた。

 

「馬鹿げている、と言われたよ」

 

 副司令官のジェームズ・レイノルズ元帥にシュリンプは言った。義骸化された声帯が独特の金属的な響きを帯びている。

 

「大統領が前線に出るなど前代未聞だと。だが俺は知っている。この作戦は俺が指揮を執らなければならない」

 

「閣下」

 

 レイノルズは困惑と敬意が入り混じった表情を浮かべた。

 

「何故です」

 

「至高天の王女を救い出すんだ。失敗は許されない。そして成功したとき、それが誰の功績になるか、政治的に重要だ。アメリカ大統領が自ら陣頭に立って王女を救出した。その事実が今後の外交において決定的な意味を持つ」

 

「しかし危険が──」

 

「危険?」

 

 シュリンプの義眼が光った。

 

「この体は生身じゃない。脳と脊髄の一部を除けば、すべて機械だ。精神負荷に対するリカバリー機能も搭載してある。少々のことでは壊れんよ」

 

 その言葉にレイノルズは答えなかった。

 

 彼らが本当に恐れているのは未知の惑星の軍勢ではない。

 

 プルーウィア・ルーキス・デー・カエロー・カデンス。

 

 至高天の第一王女。

 

 彼女がもし傷つけられていたら。

 

 もし、既に命を落としていたら。

 

 その可能性を考えるだけでレイノルズは背筋が凍る思いだった。

 

「ダッジ大臣」

 

 シュリンプが艦橋の隅に控えていた英国魔術省大臣を呼んだ。

 

「魔術部隊の準備はできているか」

 

「はい、大統領閣下」

 

 コルネリウス・ダッジは痩せた顔に緊張を浮かべながら答えた。

 

「英国魔術省から精鋭千二百名、バチカン十字軍から八百名、アメリカPSI機関から六百名、その他各国の魔術師を合わせて、計四千三百名。時空間停止の大儀式を執り行う準備は整っています」

 

「犠牲者の見込みは」

 

「……二千名以上、と」

 

 ダッジの声がわずかに震えた。

 

「覚悟はできていますが正直なところ──」

 

「必要なコストだ」

 

 シュリンプの声は冷たかった。

 

「彼らもそれを承知で志願した。至高天の王女を救うためなら、どんな犠牲も払う価値がある」

 

 ダッジは頷いた。

 

 時空間停止。

 

 それはこの時代の魔術──PSI能力が到達し得る最高峰の技術の一つであり、同時に最も過酷な代償を要求するものだった。

 

 術者の精神力と生命力を対価として、限定された空間の時間を停止させる。今回の作戦では王城とその直近の区画のみを停止させる。王都全体を対象とするにはさらに一桁上の術者が必要となり、現実的ではない。強度の高い魔術師──PSI能力者は地球圏にとっても貴重な資産なのだ。

 

 停止時間は最大で五分。その五分間のうちに二つの作戦が同時に実行される。

 

 一つは特殊部隊による王城突入と王女救出。

 

 もう一つは王都への光子砲による飽和砲撃。

 

 王城周辺の時間を止めることで射撃の影響から王女と突入部隊を保護する。そして時が動き出したとき、王都の軍事施設と兵力の大半は灰燼に帰しているはず。

 

 報復の可能性を最小限に抑えるために。

 

「全艦隊に告ぐ」

 

 シュリンプが通信機に向かって宣言した。

 

「これより、オペレーション・ドッグラン、作戦開始」

 

 五千二百万隻の艦隊が一斉にワープ態勢に入った。

 

 ◆

 

 プルーウィアは石壁の牢獄で静かに待っていた。

 

 何を待っているのか。

 

 もちろん、彼女の愛しい「飼い犬」たちが自分を迎えに来てくれるのを待っているのだ。

 

 独力で帰還することは容易だった。この程度の空間の歪みなど、彼女にとっては水たまりを跨ぐようなもの。望めば瞬時に地球に戻り、あるいは至高天の王宮に舞い戻ることもできる。

 

 だがそれでは面白くない。

 

 プルーウィアは地球人が好きだった。

 

 彼らの営み、彼らの感情、彼らの必死さ。小さな生命が与えられた短い時間の中で懸命に何かを成し遂げようとするその姿は見ていて飽きることがない。まるで箱庭の中で生きる精巧な人形劇のように愛らしく、愛おしい。

 

 今、地球は大騒ぎしているはずだ。

 

 自分を取り戻すために艦隊を編成し、英雄たちを集め、危険を冒して遠い星まで旅をしようとしている。彼女にはそれが分かる。何千光年、何万光年離れていようが、彼女にはそれが分かるのだ。

 

 プルーウィアの胸は温かいもので満たされていく。

 

「あらあら」

 

 彼女は微笑んだ。

 

「早く来てくださいね。皆様」

 

 扉が開いた。

 

 今度は兵士ではなく、数人の神官が入ってきた。手には何やら道具を持っている。縄、鎖、そして──注射器のようなもの。

 

「聖女よ」

 

 先頭に立った神官が冷たい声で言った。

 

「国王陛下はお前の態度を改めるため、少々手荒な手段を取ることを許可された」

 

「まあ」

 

 プルーウィアは小首を傾げた。

 

「それはまた、ずいぶんと熱心でいらっしゃいますこと」

 

「我々は本気だ。お前がどれほど高慢であろうと、この薬を打てば従順になる。抵抗しても無駄だ」

 

 神官たちがプルーウィアを取り囲んだ。

 

 だが彼女は微動だにしなかった。

 

「あのう」

 

 プルーウィアは丁寧な口調で言う。

 

「一つお聞きしてもよろしいですか」

 

「何だ」

 

「皆様はわたくしのことをどのような存在だとお考えなのでしょう」

 

 神官は眉を顰めた。

 

「異界から召喚された聖女だ。強大な力を持つが我々の術式に縛られている」

 

「ああ、やはり」

 

 プルーウィアはため息をついた。

 

「残念ですわ。わたくし、説明が苦手なもので。でも一つだけ訂正させてくださいな」

 

 彼女は微笑んだ。

 

 それは今までと変わらぬ穏やかな笑み。だが神官たちはその笑みを見た瞬間、足が竦んだ。背筋に氷を流し込まれたような感覚。本能的な恐怖が彼らの心を鷲掴みにする。

 

「わたくしは皆様の術式に縛られてなどおりませんのよ」

 

 その言葉と同時に神官たちの手にあった道具が塵のように崩れ落ちた。

 

 縄も鎖も注射器も。

 

「ひ……」

 

 神官の一人が悲鳴を上げようとした。だがその声は出なかった。

 

「大丈夫ですよ」

 

 プルーウィアは優しく言った。

 

「わたくし、皆様を傷つけるつもりはございませんの。ただ、少しだけ、待っていただきたいのです」

 

 神官たちは壁際まで後ずさりしていた。彼らの目には純粋な恐怖が浮かんでいる。

 

「あらあら、そんなに怖がらないでくださいな」

 

 プルーウィアは困ったように微笑んだ。

 

「わたくしの可愛いお友達がもうすぐ迎えに来てくれますから。それまで大人しくしていてくださいね」

 

 神官たちは逃げるように部屋を飛び出していった。

 

 プルーウィアは再び静かに待ち始めた。

 

 ◆

 

 ワープアウトした艦隊はその惑星の大気圏に文字通りの壁を築いた。

 

 空を覆う無数の艦影。

 

 その数、五千二百万隻。

 

 惑星の住民たちは突如として昼が夜に変わったかのような異常事態に騒然となっていた。空を見上げた者たちは雲の向こうに無数の巨大な影があることに気づき、叫び声を上げる。

 

 王城ではヴァルディオス三世が蒼白な顔で玉座に座っていた。

 

「何だ、あれは」

 

「分かりません」

 

 宰相ゲルハルトの声も震えていた。

 

「偵察隊からの報告では上空に……無数の、巨大な……船のようなものが」

 

「船だと? 空に?」

 

 国王の理解を超えていた。魔術で短時間の浮遊は可能だがあれほど巨大な物体を空に浮かべることなど、想像もつかない。

 

 そのとき、大広間の窓から眩い光が差し込んだ。

 

 光の柱が王城の中庭に降り立つ。

 

 そしてその光の中から、黒い鎧に身を包んだ兵士たちが姿を現した。

 

「侵入者だ!」

 

 城内に怒号が鳴り響く。近衛兵たちが武器を取り、中庭に駆けつける──が。

 

 同時に王城とその周辺を包み込むような、異様な感覚が広がった。

 

 時間が停止したのだ。連合軍の魔術部隊による時空間停止の魔術が起動した。

 

 そして王都では──。

 

 ◆

 

 地獄が顕現していた。

 

 上空に並んだ数百万隻の艦艇が一斉に光子砲を発射する。

 

 純白の光の柱が無数に降り注いだ。

 

 王都の市街が文字通り蒸発していく。建物が街路が人々が熱と光の奔流に呑み込まれていく。彼らは悲鳴を上げる暇すらなかった。光子砲の直撃を受けた区画は瞬時に摂氏数万度の地獄と化すのだ。石造りの建築物が陶器のように溶け落ちていく。人体がこの光熱に耐える事はできないし、この文明圏の如何なる魔術を用いても防御する事などできない。

 

 とはいえ、地球圏の者たちも相応に代償を支払っている。

 

 術式の維持艦に乗り込んだ四千三百名の魔術師たちは一人、また一人と、命の灯を消していく。彼らの精神力と生命力が王城を守る停止結界の維持に費やされていた。

 

 血を吐く者。

 

 白目を剥いて倒れる者。

 

 静かに息を引き取る者。

 

 彼らは自分たちが何のために死んでいくのかを知っていた。至高天の王女を救うため。人類の未来を守るため。その大義のために躊躇なく命を差し出した。

 

 ダッジは維持艦の甲板でその光景を見つめていた。彼自身も術式に参加しており、視界が霞み、意識が遠のいていく。だが彼は最後の一瞬まで術式を維持し続けるつもりだった。

 

 停止時間は五分。

 

 その五分間ですべてを終わらせる。

 

 ◆

 

 時を同じくして、特殊部隊──アメリカ宇宙海兵隊第一即応連隊の精鋭百二十名が時間の止まった王城内部で行動を開始していた。

 

 彼らの装備はこの世界の住人には魔法としか映らないであろう。

 

 力場装甲(フォース・アーマー)。着用者の周囲に不可視の防壁を展開し、あらゆる物理攻撃を無効化する。

 

 軍用ブラスター。いわゆる光線銃だ。対象を瞬時に蒸発させる。

 

 重力制御ブーツ。局所的な重力場を操作し、壁面の歩行や高速移動を可能にする。

 

 近衛兵たちは時間停止の影響で静止していた。彫像のように動きを止めた兵士たちの間を特殊部隊は迅速に駆け抜けていく。

 

 だが時間停止の効果は王女には及んでいなかった。

 

 当然のことだった。この程度の術式が至高天の民に通用するはずがない。

 

「目標確認」

 

 部隊長のマイケル・ストーン大佐がヘルメット内蔵の通信機で報告した。

 

「地下牢に生体反応。パターン一致。王女殿下と推定」

 

「突入せよ」

 

 旗艦エンタープライズからの指令は簡潔だった。

 

 ストーン大佐は部下に合図を送り、地下への階段を駆け下りた。

 

 牢獄の扉が轟音とともに吹き飛ばされる。

 

 黒い鎧の兵士たちが室内に突入する。その先頭に立つ男がプルーウィアを視認した瞬間、膝を折った。

 

「王女殿下」

 

 ストーン大佐は敬礼しながら報告した。

 

「地球圏六大国連合艦隊、救出部隊です。お迎えに参りました」

 

「あら」

 

 プルーウィアは嬉しそうに微笑んだ。

 

「お待ちしておりましたわ」

 

 残り時間は三分を切っている。

 

「殿下、直ちにこの場を離れます。ご同行ください」

 

「ええ、もちろん」

 

 プルーウィアは優雅な仕草で立ち上がった。

 

「皆様のご活躍、嬉しく思いますわ」

 

 部隊は王女を囲むように陣形を組み、地上へと向かった。

 

 だが王城の中庭に出たとき、時空間停止の術式が切れ──周囲の時間が動き始めた。

 

 近衛兵たちが自分たちの仲間が倒れているのを見て叫び声を上げる。王城の上階から、国王ヴァルディオス三世が姿を現した。

 

「何が起こっている!」

 

 その目が中庭の光景を捉えた。

 

 黒い鎧の兵士たちに囲まれた、銀髪の女。

 

 そして──城壁の外に広がる、地獄の光景。

 

 王都が消えていた。

 

 つい五分前まで存在していた街並みが跡形もなく蒸発している。残っているのは溶けたガラスのように輝く大地と、立ち上る黒煙だけ。数十万の民が暮らしていた王都が一瞬で消滅したのだ。

 

「な……何だ、これは……」

 

 ヴァルディオス三世の顔から、血の気が引いていく。

 

「き、貴様らが……貴様らがやったのか……」

 

「その通りだ」

 

 ストーン大佐が一歩前に出た。彼の声はヘルメットの拡声機能によって、城中に響き渡った。

 

「我々は地球圏六大国連合艦隊の救出部隊である。プルーウィア・ルーキス・デー・カエロー・カデンス殿下を拉致した首謀者の即時引き渡しを要求する」

 

「拉致だと……」

 

 ヴァルディオス三世の顔が絶望と怒りで歪んだ。

 

「貴様らこそ……貴様らこそが侵略者だ……我が民を我が都を……」

 

「交渉の余地はない」

 

 ストーン大佐の声は冷たかった。

 

「王女殿下は惑星KOI-5889.01──至高天の第一王女であり、地球文明圏の賓客である。貴国の行為は銀河法に定める第一級誘拐罪に該当する。首謀者を引き渡せ。さもなくば、さらなる措置を取る」

 

「さらなる……だと……」

 

 国王の目が狂気を帯びた。

 

「既にこれほどのことをしておいて……まだ足りぬというのか……」

 

 国王の背後に大神官マルキシウスや宰相ゲルハルトが姿を現した。彼らの顔も恐怖と絶望に歪んでいる。だがその中に捨て鉢の覚悟が芽生えていた。

 

「……殺してやる」

 

 ヴァルディオス三世が低く呟いた。

 

「我が民を殺した報いだ。貴様らを、あの女を殺してやる!」

 

 国王の手に炎が宿る。ヴァルディオス三世はただ安穏と権力にしがみついているだけの愚物ではない。研鑽を積んだ優れた魔術師でもあるのだ。同様に、マルキシウスとゲルハルトも同様に掌に魔術の光を纏った。

 

 さらには近衛兵たち──彼らは近接戦と魔術戦のエキスパートであり、地球人たちに向けて敵意を露わにしている。

 

「死ね!」

 

 ヴァルディオスらから火球が放たれた。

 

 数十の炎の塊が部隊に向かって飛来する。

 

 ストーン大佐は咄嗟にプルーウィアの前に躍り出た。

 

 火球が力場装甲に衝突し、炸裂する。激しい閃光と熱風が荒れ狂うがしかし、力場装甲がそれらを完全に吸収し、ストーン大佐は傷一つ負わなかった。

 

 この世界の魔術程度では地球圏の防御技術を突破することは不可能なのだ。無論、ストーン大佐に庇われたプルーウィアも無傷である。まあ彼女は惑星すら破壊する光子波動砲の直撃を受けても無傷なので、低級な文明圏の原始的な魔術攻撃など一億年受け続けても痛くも痒くもないのだが。

 

 それでもストーン大佐が彼女をかばったのは、単に彼がジェントルなマインドの持ち主であるからという理由に過ぎなかった。だが、プルーウィアの表情が変わる。

 

 それまでの穏やかな微笑みがふっと消えていた。

 

「あら」

 

 静かな声──しかし。

 

「皆様」

 

 プルーウィアは振り返って言った。

 

「先にお船にお戻りになってくださいな」

 

「殿下?」

 

「大丈夫ですわ。少しだけ、お話がありますの」

 

 その声には有無を言わせぬ何かがあった。

 

 ストーン大佐は一瞬だけ躊躇した。だが王女の目を見て、すぐに判断を下した。

 

「総員撤退! 王女殿下の指示に従え!」

 

 部隊は一斉に後退を始めた。転送装置が起動し、黒い鎧の兵士たちが次々と光に包まれて消えていく。

 

 中庭にはプルーウィアだけが残された。

 

 そして彼女を取り囲む異世界の王と神官と兵士たち。

 

「逃げおったか」

 

 ヴァルディオス三世が狂気じみた笑みを浮かべた。

 

「愚かな女だ。味方がいなくなれば、貴様など──」

 

「王様」

 

 プルーウィアが静かに口を開いた。

 

「一つ、お聞きしてもよろしいですか」

 

「何だ」

 

「先ほど、あの方に向けて、火の玉をお放ちになりましたわね」

 

「ああ、そうだ。それが何だ」

 

 プルーウィアは微笑んだ。

 

 だがその笑みはこれまでのものとは決定的に異なっていた。

 

「あの方はわたくしの大切なお友達なのですよ」

 

 その言葉と同時に空が歪んだ。

 

 いや、空だけではない。

 

 大地が城がこの惑星のすべてが──歪み始めた。

 

「な、何だ……」

 

 ヴァルディオス三世が恐怖に目を見開いた。

 

 眼前に立つプルーウィアの姿がぶれ始める。

 

「お逃げになっても構いませんよ」

 

 プルーウィアの声は穏やかだった。

 

「でもどこへ逃げても同じですわ」

 

 うふふ、という嗤い声と共に、ヴァルディオス三世らは彼女の、プルーウィア・ルーキス・デー・カエロー・カデンスの()()姿()を見た。

 

 ◆

 

 旗艦エンタープライズの艦橋でシュリンプ大統領は()()()()を見つめていた。

 

 言葉がでない。

 

 彼だけではない。艦橋にいる全員が声を出せずにいた。

 

 惑星が握り潰されていく。

 

 無数の触手が大地を掴み、海を押し分け、山脈を砕いていく。

 

 まるで子供が泥団子を握り潰すようにあまりにも容易く。

 

 あまりにも圧倒的に。

 

「ひ……」

 

 誰かが悲鳴を上げた。

 

 それを皮切りに艦橋のあちこちで叫び声が上がる。気が狂ったように笑い出す者、泣き崩れる者、動けなくなる者。

 

「精神防壁を張れ!」

 

 ダッジが叫んだ。時空間停止の術式で消耗しきった体を引きずりながら、それでも責務を果たそうとしている。

 

「だ、ダメだ……艦隊規模の精神保護防壁を……」

 

 だがその言葉は途中で途切れた。

 

 ダッジ自身が白目を剥いて崩れ落ちたのだ。

 

 シュリンプはそれでも目を逸らすことができなかった。

 

 義骸化された眼球が自動的に映像を脳に送り続ける。

 

 あの存在は何だ。

 

 至高天の王女。

 

 彼らが「友好的に」接してきた存在。

 

 人類を「可愛い」と言ってくれた存在。

 

 その正体があれなのか。

 

 シュリンプの視界が赤く染まり始めた。

 

 義骸の警告システムが精神負荷の臨界を告げている。このままでは脳が破壊される。精神が崩壊する。

 

 だがシュリンプの体はそれを許さなかった。

 

 リカバリー機能が起動する。

 

 アメリカ合衆国の技術の粋を注いだ最新鋭の義骸に組み込まれた神経安定剤が脳に直接注入される。感情を司る部位への電気刺激が恐怖反応を強制的に抑制する。

 

 視界がクリアになっていく。

 

 惑星は完全に形を失っていた。

 

 触手はその残骸を──無数の岩塊と、蒸発した海と、かつて生命が住んでいた大地の欠片をゆっくりと引き寄せていく。

 

 そして──

 

 捕食。

 

 それ以外に表現する言葉がなかった。

 

 星が食われているのだ。

 

 シュリンプはリカバリー機能によって辛うじて正気を保っていた。だが周囲の者たちはそうはいかない。艦橋の至る所で人々が倒れ、叫び、泣き、笑っている。

 

 そのとき、艦橋に光が満ちた。

 

 次の瞬間には全員の意識が一瞬で回復していた。

 

「皆様、お騒がせいたしました」

 

 その声に全員が振り返った。

 

 銀髪の女性が艦橋の中央に立っている。

 

 プルーウィア・ルーキス・デー・カエロー・カデンス。

 

 至高天の第一王女。

 

 その姿は牢獄で見たときと寸分違わぬ、美しい人間の女性のもの。だが今、彼女を見る者は誰もが知っている。それが「本当の姿」ではないことを。

 

「申し訳ございません。少し、お騒がせしてしまいましたわ」

 

 プルーウィアは困ったように微笑んだ。

 

「あの方が皆様を傷つけようとなさったものですから、つい……」

 

 彼女は倒れているダッジのそばに歩み寄った。そっと手をかざすと、ダッジの目が開く。

 

「ご気分はいかがですか?」

 

「……私は……」

 

 ダッジは混乱した様子で周囲を見回した。そして自分が正気に戻っていることに気づき、驚愕の表情を浮かべた。

 

「もう大丈夫ですわ。皆様の心はわたくしがお治しいたしましたから」

 

 プルーウィアは立ち上がり、シュリンプに向き直った。

 

「大統領閣下。お迎えに来てくださり、ありがとうございました」

 

 シュリンプは声を出そうとした。だが喉が渇いて、言葉が出ない。いや、義骸化された喉に渇きなどないはずだ。これは心理的なものだ。

 

「あらあら、そんなに緊張なさらないでくださいな」

 

 プルーウィアは子供をあやすような口調で言った。

 

「わたくし、地球の皆様のことが大好きですのよ? ずっと、ずっと、可愛がってさしあげますわ」

 

 その言葉が何を意味するのかシュリンプには痛いほど分かった。

 

 常の彼ならば、そんな上から目線の言葉には唾を吐き散らしながら食ってかかっただろう。だが。

 

「あ……ありがとうございます、殿下」

 

 アメリカでもっともイカれた男を自称するシュリンプでさえ、それだけ言うのが精一杯だった。

 

「ところで」

 

 プルーウィアは思い出したように言った。

 

「魔術師の方々──たくさんお亡くなりになられたようですわね」

 

 ダッジが頷く。

 

「あ……はい。時空間停止の術式は術者の命を対価として……二千名以上が……」

 

「まあ、それはお気の毒に」

 

 プルーウィアはさらりと言った。

 

「お治しいたしましょう」

 

 次の瞬間、艦隊全体に温かな光が広がった。

 

 術式維持艦で死んでいたはずの魔術師たちが一斉に目を覚ました。冷たくなっていた体に再び血が通い始める。止まっていた心臓が動き出す。彼らは自分の体を確かめ、生きていることに驚愕し、そして泣き出した。

 

 二千名以上の死者がすべて蘇生したのだ。

 

「これでよろしいですかしら? 治す、という概念はわたくしにはわかりませんけれど、あなた方に流れる時を巻き戻してみたのです」

 

 プルーウィアはにっこりと微笑んだ。

 

「さあ、地球に帰りましょう。確か日本を観光していましたわよね? わたくし、京都の紅葉を見るのを楽しみにしていたのですよ」

 

 ◆

 

 三週間後。

 

 京都、嵐山。

 

 紅葉の季節は終わりかけていたがそれでも渡月橋から眺める山々は赤と黄と緑の錦絵のように美しかった。

 

 プルーウィアは橋の欄干に手をついて、その景色を眺めていた。

 

 傍らには日本国宇宙自衛隊の護衛官が二名、そして至高天から派遣された随員が一名。だが彼らは王女から少し離れた場所に控えており、彼女の「観光」を邪魔しないように気を配っていた。

 

「綺麗ですわねえ」

 

 プルーウィアは嬉しそうに呟く。その姿はどこから見ても一人の美しい女性が紅葉を楽しんでいるようにしか見えない。すれ違う観光客たちは彼女の美貌に目を奪われながらも、それが何者であるかには気づかなかった。厳重な情報管制が敷かれており、至高天の王女が京都にいるという事実はごく限られた者しか知らないのだ。

 

「あら」

 

 プルーウィアの視線が何かを捉えた。

 

 橋のたもとで小さな女の子が泣いていた。どうやら親とはぐれたらしい。周囲の大人たちは忙しそうに通り過ぎていくばかりで誰も声をかけない。

 

 プルーウィアはゆっくりと女の子に近づいた。

 

 護衛官たちが緊張した面持ちで後を追う。

 

「どうなさいましたの?」

 

 プルーウィアは女の子の前にしゃがみ込んだ。

 

「お母様とはぐれてしまったのかしら?」

 

 女の子は涙目でプルーウィアを見上げた。

 

「……おねえちゃん、だあれ?」

 

「わたくしですか?」

 

 プルーウィアは微笑んだ。

 

「わたくしはただの観光客ですわ。お名前は何というのかしら?」

 

「……みく」

 

「みくちゃん。可愛らしいお名前ですわね」

 

 プルーウィアは女の子の頭をそっと撫でた。

 

「大丈夫ですよ。お母様はきっと近くにいらっしゃいますわ」

 

 その言葉と同時に人混みの向こうから、慌てた様子の女性が走ってきた。

 

「みく! みく、どこにいるの!」

 

「あら、お母様がいらっしゃいましたわ」

 

 プルーウィアは立ち上がり、女の子の手を取って、母親のところまで連れていった。

 

「すみません、うちの子が……」

 

 母親はプルーウィアに深々と頭を下げた。

 

「いいえ、お気になさらないでくださいな」

 

 プルーウィアは穏やかに微笑んだ。

 

「可愛らしいお嬢様ですわね。大切になさってくださいな」

 

 母親はプルーウィアの美しさに少し圧倒された様子だったがすぐに娘を抱きしめ、何度もお礼を言いながら去っていった。

 

 女の子が母親の腕の中から、振り返って手を振る。

 

 プルーウィアも小さく手を振り返した。

 

「殿下」

 

 随員の一人が控えめに声をかけた。

 

「お時間です」

 

「あら、もうそんな時間ですの」

 

 プルーウィアは名残惜しそうに周囲を見回した。

 

「もう少しいたかったのですけれど」

 

「次の予定は金閣寺でございます」

 

「まあ、楽しみですわ」

 

 プルーウィアは嬉しそうに微笑んだ。

 

 渡月橋を渡りながら、彼女は改めて周囲の景色を眺めた。

 

 紅葉。川面に映る山々の影。橋を行き交う人々。

 

 この星の、この国の、この瞬間の美しさ。

 

 プルーウィアはそれをいつくしむように見つめている。

 

 ◆

 

 金閣寺の前でプルーウィアは目を細めた。

 

 夕日を受けて輝く黄金の楼閣。その姿を映す鏡湖池。周囲を囲む松林。

 

「まあ……」

 

 感嘆の声が漏れる。

 

「本当に金色なのですわね」

 

 傍らの護衛官が恐縮したように答える。

 

「はい。金箔が約二十万枚使われていると聞いております」

 

「まあ、そんなに」

 

 プルーウィアは池のほとりまで歩いていった。

 

 水面に映る金閣と、空の茜色。

 

「綺麗……」

 

 その呟きには作り物ではない、純粋な感動が込められていた。

 

 至高天の技術をもってすれば、これより遥かに壮麗な建築物を作ることは造作もない。銀河を股にかける彼らの文明には地球人の想像を超える美が満ちている。

 

 だがこの金閣寺にはそれとは異なる美しさがある。

 

 有限の命を持つ者たちが有限の材料で有限の時間をかけて作り上げた、有限の美。それは永遠の存在には決して生み出せないものであった。まあ、彼女が喰い潰したあの惑星にもそういった美は沢山あったのだろうが。その辺は贔屓の差だろうか。

 

「写真をお撮りいたしましょうか」

 

 随員が声をかけた。

 

「あら、お願いいたしますわ」

 

 プルーウィアは金閣を背景に立った。

 

 カメラのシャッターが切られる。

 

 その一瞬が記録に残される。

 

 至高天の第一王女が地球の古都で微笑んでいる姿。

 

 それは二つの文明の関係を象徴する、一枚の写真となった。

 

 ◆

 

 その夜、至高天の王宮から一通の通信が届いた。

 

 宛先は地球統合政府。

 

 内容はたった一文だった。

 

『よくできました』

 

 その通信を受け取ったシュリンプ大統領は長い長いため息をついた。

 

 義骸化された肺は溜息など必要としない。だが彼の脳はそれを求めていた。

 

 そして小声で呟いた。

 

「……犬も楽じゃないな」

 

 誰にも聞こえないように。

 

 ◆

 

 数日後、プルーウィアは地球を離れた。

 

 至高天の迎えの船が地球軌道上に現れたのだ。

 

 その船は長さ百キロメートルを超える巨大なものだったが地球の観測網には一切検知されなかった。至高天の技術はそういうものなのだ。

 

 出発前、プルーウィアは各国の首脳に向けてビデオメッセージを残した。

 

「皆様、今回は本当にありがとうございました」

 

 画面の中のプルーウィアはいつもの穏やかな笑みを浮かべていた。

 

「皆様が懸命にわたくしを助けに来てくださったこと、わたくしは決して忘れませんわ。あの方々の命を賭した魔術も大統領閣下の勇敢な決断もすべてが嬉しゅうございました」

 

 彼女は一度言葉を切り、そして続けた。

 

「地球はわたくしにとって大切な場所です。皆様はわたくしにとって大切な……そう、お友達ですわ」

 

 その言葉を聞いた者たちはそれぞれに複雑な表情を浮かべた。

 

 友達──飼い主がペットに向けて使う言葉としては悪くない。

 

「また遊びに参りますわね。そのときはどうぞよろしくお願いいたします」

 

 メッセージはそこで終わっていた。

 

 ◆

 

 至高天への帰路。

 

 プルーウィアは船室の窓から、遠ざかっていく地球を眺めていた。

 

 青い惑星。

 

 生命に満ちた、小さな星。

 

 あの星には七十億の人間が住んでいる。それぞれがそれぞれの人生を生きている。喜び、悲しみ、愛し、憎み、生まれ、死んでいく。

 

 プルーウィアにとって、その一人一人の人生は蟻の巣を観察するようなものかもしれない。

 

 だが蟻の巣にも美しさはある。

 

 蟻たちの営みにも感動がある。

 

 そして何より、蟻たちは自分たちの世界を懸命に生きている。

 

 その姿がプルーウィアには愛おしいのだ。

 

 青い星が次第に小さくなっていく。

 

 やがてそれは無数の星々の中の一つになり、そして見えなくなった。

 

 プルーウィアは窓に手を当てたまま、うっすらと微笑んだ。

 

「ずっと"良い子"でいてくださいね」

 

 その言葉は誰にも聞かれることなく、宇宙の静寂に溶けていった。

 

(了)

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