(完結)よくある聖女召喚   作:埴輪庭

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第二王女①

 ◆

 

 世の中には「理不尽」という言葉が存在する。

 

 たとえば上司からの飲み会の誘い。「今夜空いてる?」という言葉は形式上は疑問文だが実際には命令文である。「空いてません」と答えれば角が立ち、「空いてます」と答えれば肝臓が死ぬ。どちらにしても何かが犠牲になる──理不尽だ。

 

 たとえば姑からの帰省の催促。「今度いつ帰ってくるの?」という言葉には「今すぐ帰ってこい」という意味が込められており、「来月」と答えれば「遅い」と言われ、「来週」と答えれば「準備が間に合わない」と言われる。正解は存在しない──理不尽だ。

 

 たとえば恋人からの「ちょっと話がある」という連絡。この言葉を聞いた瞬間、人は自分が過去にやらかした全ての失態を走馬灯のように思い出す。何も悪いことをしていなくても、何かやったような気がしてくる──理不尽だ。

 

 地球文明圏にとって、至高天からの連絡はまさにそれだった。

 

 形式上は「お願い」であり「相談」であり「もし暇だったら」という枕詞がついている。だが実態はどうか。五千光年の彼方から届くその言葉は人類にとって神託にも等しいのである。そして神託というものは往々にして理不尽なものだ。

 

 その日、各国首脳の端末に届いたメッセージはしかし、これまでのどんな神託よりも脱力するものだった。

 

『ねぇ、暇な人いる~?』

 

 差出人はセレスティア・ルーキス・デー・カエロー・カデンス。至高天第二王女にして、先日地球を訪問したプルーウィア王女の妹君である。語尾に「~」がついているあたり、緊急性は感じられない。しかし緊急性がないからといって無視していいわけではない。無視した結果、太陽系が消滅する可能性がゼロではないからだ。

 

 アメリカ合州国大統領ドナルド・シュリンプはそのメッセージを見た瞬間、義骸化された眉間に深い皺を刻んだ。彼の全身義骸は表情筋の再現にも優れており、こうした微妙な感情表現も可能なのだ。怒り、悲しみ、諦め、そして「また始まった」という倦怠感。それらすべてを同時に表現できる優秀な義骸である。

 

「暇か、だと」

 

 彼は執務室で一人、金属質の声で呟く。暇かどうかを自問すると、答えはすぐに返ってきた。

 

 暇ではない。

 

 断じて暇ではなかった。

 

 現在、アメリカはサイバー・ナノドラッグの密輸問題でキューバおよびコロンビアと険悪な関係にあった。サイバー・ナノドラッグとはナノマシンを介して脳内に直接快楽物質を生成する新型の麻薬である。使用者は「宇宙の真理を見た」とか「神と対話した」とか言い出すのだが、実際には脳内でドーパミンが過剰分泌されているだけだ。真理も神も、結局は化学反応に過ぎない。

 

 つい先日も、マイアミ沖で密輸船の臨検を巡って一触即発の事態が発生した。コロンビアの船員が「我々は自由の戦士だ」と叫びながらナノドラッグを海に投棄し、それを回収しようとしたアメリカの潜水艇と衝突したのだ。幸い死者は出なかったが、外交問題には発展した。

 

「大統領閣下」

 

 副官のジェニファー・モンローが執務室に入ってきた。

 

「コロンビア政府からの返答が届きました。彼らは依然として製造施設の存在を否定しています」

 

「嘘つきどもめ」

 

 シュリンプは吐き捨てるように言った。

 

「衛星画像で施設を特定しているんだ。煙突から出ている煙の成分まで分析済みだ。言い逃れができると思っているのか」

 

「外交的解決を図るか、それとも……」

 

「軍事行動も辞さない。そう伝えろ」

 

 モンローは頷いて退室しようとした。だがその足が止まる。彼女の視線はシュリンプの端末に表示されたメッセージに向けられていた。

 

「閣下、それは……」

 

「見ての通りだ」

 

 シュリンプの声には疲労が滲んでいる。いや、疲労というより諦観だろうか。

 

「至高天の第二王女殿下からのお便りだよ。暇かどうか聞いてきやがった」

 

 モンローの顔が青ざめる。至高天という名前が持つ重みは彼女のような下級官僚にとってはなおさら大きいのだろう。シュリンプは毎日のようにこの名前と向き合っているが、慣れることはない。慣れてはいけないのかもしれない。

 

「それで、閣下はなんとお答えに……」

 

「決まってるだろう」

 

 シュリンプは端末に向かって返信を打ち込んだ。

 

『もちろん暇です。いつでもお役に立てます』

 

 嘘である。

 

 大嘘である。

 

 だが本当のことを言える相手ではない。「すみません、今ちょっと麻薬カルテルの件で忙しいんで」などと返信したら、次の瞬間には太陽系が消滅しているかもしれない。そんなことはないと思いたいが、ないと断言できる根拠もない。

 

 送信ボタンを押す指先が、わずかに震えていることに彼自身は気づいていなかった。

 

 ◆

 

 同じ頃、日本国首相官邸でも似たような光景が繰り広げられていた。

 

 内閣総理大臣の鷹市香苗は執務机に積み上げられた書類の山を前にして、深い溜息をついている。彼女の前には選挙対策本部からの報告書、支持率調査の結果、各種メディアへの出演スケジュール、そして至高天からの例のメッセージが並んでいた。

 

 書類の山は高さ三十センチほど。これを今夜中に処理しなければならない。支持率は前月比で二ポイント下落。理由は「首相の顔が疲れてるように見える。陰気だ」という世論調査の結果だった。顔が疲れているのは当然だ。毎日こんな量の書類と格闘しているのだから。

 

「暇な人いる、ですか」

 

 秘書官の桐生が困惑した声を上げる。

 

「王女殿下はその、ずいぶんとカジュアルな方のようで」

 

「姉君とは対照的ね」

 

 鷹市は苦笑した。先日の事件で来日したプルーウィア王女は言葉遣いこそ丁寧だったものの、その存在感は圧倒的だった。惑星を握り潰す化け物の姉を持つ妹が、こんなフランクなメッセージを送ってくるとは。もしかしたら彼女たちの間では惑星を握り潰すことは大したことではないのかもしれない。人間が蟻を踏み潰すように、彼女たちは惑星を潰すのだろう。

 

「総理、衆議院解散の件ですが……」

 

「分かってる」

 

 鷹市は書類に目を通しながら答えた。

 

「選挙は予定通り実施する。至高天の件は別途対応するわ」

 

 三週間前、鷹市は衆議院を解散していた。支持率が好調なうちに選挙を行い、政権基盤を固める。政治家としては当然の判断である。だが至高天からの連絡がこのタイミングで届くとは彼女の計算には入っていなかった。政治は計算通りにいかない。特に、計算に「宇宙からの神のような存在」という変数が加わると、もはや計算など意味をなさない。

 

「暇じゃないけど暇よ。今私はこの世界で一番暇なの。そう決めたわ」

 

 それはつまり、今抱えている仕事をすべて放り出すということだ。選挙も、外交も、経済も、すべてを後回しにする。至高天の「暇?」という一言のために。これを屈辱と呼ばずして何と呼ぶのか。だが屈辱でも何でも、生き延びるためには仕方がない。

 

 その言葉に桐生は何も答えなかった。答えられなかったのだろう。

 

 ◆

 

 ロンドンでは英国魔術省が別の問題に追われていた。

 

「深淵の魔術師」と名乗るテロリスト集団が、ここ数週間で急速に活動を活発化させているのである。彼らのリーダーであるウォルト・デ・モードは科学技術を否定し、純粋な魔術による世界の再構築を訴えていた。

 

「魔術師は科学に依存してはならない」

 

 デ・モードの声明映像が、魔術省の会議室のスクリーンに映し出されている。痩せぎすの中年男で、深い皺が刻まれた顔には狂信者特有の光が宿っていた。目の下に隈があるのはおそらく睡眠不足のせいだろう。狂信者というものは往々にして睡眠を軽視する。

 

「我々の力は古来より伝わる神秘の技。それを機械仕掛けの玩具と混ぜ合わせるなど、冒涜に他ならない。魔術師による、魔術師のための世界を。それが我々の目指すところだ」

 

 魔術師による、魔術師のための世界。

 

 言葉だけ聞けば立派な理念だが、具体的にどうやって実現するのかは一切語られていない。テロリストの声明というのは大抵そういうものだ。理念だけは立派で、実行計画は杜撰。

 

 映像が終わると、魔術省大臣コルネリウス・ダッジが重々しく口を開いた。

 

「テムズ川沿いの倉庫で爆発物が発見されました。魔術的な仕掛けが施されていましたが、幸い事前に発見できたため被害はありません」

 

「鎮圧の見通しは」

 

 首相補佐官の質問に、ダッジは頷いた。

 

「まもなくです。彼らの拠点はほぼ特定できています」

 

 ただし、とダッジは言葉を続けた。

 

「厄介なのは組織の規模です。当初の予想よりも大きく、構成員は百名を超えると見られています。しかも全員が相当な腕を持つ魔術師です」

 

「百名……」

 

 首相補佐官が眉をひそめる。

 

「それだけの魔術師が地下に潜伏していたとは」

 

「彼らの主張に共感する者が予想以上に多かったということでしょう。科学技術との融合に反発を感じる魔術師は少なくない」

 

 科学技術との融合に反発を感じる。

 

 その気持ちは分からないでもない。千年以上かけて磨き上げてきた伝統の技が、ここ数百年で急速に発展した科学技術に取って代わられつつある。プライドが傷つくのは当然だろう。だがプライドで腹は膨れない。現実を見ろ、とダッジは心の中で思った。

 

「だが現実的に考えて」

 

 別の官僚が口を挟む。

 

「純粋な魔術だけでは現代の軍事技術に対抗できない。それは先日の事件でも証明されたはずだ」

 

 先日の事件。異世界の王国が、地球圏連合艦隊によって文字通り消滅させられた、あの出来事のことである。魔術で武装した王国軍は光子砲の前に一瞬で蒸発した。まるで蝋燭の炎を吹き消すように、あっけなく。科学と魔術の融合こそが現代戦の主流であり、純粋な魔術原理主義など時代遅れも甚だしい。

 

「理屈ではそうでしょう」

 

 ダッジの声には苦い響きがあった。

 

「しかし感情は別です。長年培ってきた伝統を捨てろと言われて、はいそうですかと頷ける者ばかりではない」

 

 人間は理屈で動く生き物ではない。感情で動く生き物だ。そのことを忘れた政策は必ず失敗する。ダッジは長年の経験からそれを知っていた。

 

 会議室に沈黙が落ちる。

 

 そこへ、ダッジの端末が震えた。画面を見た彼の顔が、一瞬で強張る。

 

「至高天から通信です」

 

 その言葉に、会議室の空気が凍りついた。

 

「内容は……『ねぇ、暇な人いる~?』」

 

 誰も笑わなかった。笑えるわけがない。

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