勇者だと勘違いされているただのコスプレイヤーです 作:PPP
異世界に来て、一夜が明けた。
誠一は天蓋付きの巨大なベッドの上で目を覚ました。絹のシーツはひんやりと心地よく、羽毛の枕は頭を優しく包み込んでいる。
「……夢じゃなかったのか」
呟きながら、誠一は周囲を見回した。
部屋は広い。いや、広いなんてものではない。誠一が住んでいた東京のワンルームマンションが、この部屋の十分の一にも満たないだろう。天井には壮麗なシャンデリアが輝き、壁には重厚な油絵が掛けられている。窓辺には真紅のカーテンがかかり、その隙間から朝日が差し込んでいた。
「勇者様、お目覚めでございますか」
ノックの音と共に、柔らかな声が聞こえた。
「あ、はい……」
返事をすると、扉が静かに開いた。入ってきたのは、メイド服に身を包んだ若い女性だ。両手にはトレイを捧げ持ち、その上には湯気を立てるカップと焼きたてのパンが載っている。
「朝食をお持ちしました。お着替えがお済みでしたら、リーナ様がお待ちです」
「あ、ありがとうございます……」
メイドは優雅に一礼すると、テーブルに朝食を置いて去っていった。
誠一はベッドから降り、窓辺に歩み寄った。
カーテンを開ける。
「……うわ」
眼下に広がっていたのは、中世ヨーロッパを思わせる街並みだった。
石畳の道を馬車が行き交い、露店が立ち並ぶ市場では人々が賑やかに買い物をしている。遠くには緑豊かな丘陵が広がり、その向こうには雪を頂いた山脈が聳えていた。
完全なファンタジー世界だ。
昨日の記憶が、改めて現実として突きつけられる。コスプレイベントの帰り道、コンビニの前で光に包まれた。気づいたら神殿で、王女に「勇者様」と呼ばれていた。
「本当に、異世界に来ちゃったんだな……」
しかし不思議と、パニックにはならなかった。
元々、誠一は追い詰められると妙に冷静になる性質がある。会社で理不尽なクレームを受けた時も、取引先でトラブルが起きた時も、焦れば焦るほど思考がクリアになる。今もそうだった。
状況を整理しよう。
一、異世界に召喚された。
二、伝説の勇者に間違われている。
三、元の世界に帰る方法は、今のところない。
「……詰んでね?」
声に出してみると、改めて絶望感が込み上げてきた。
いや、待て。まだ諦めるのは早い。
リーナ王女は「今のところ」帰還の術は見つかっていないと言っていた。つまり、探せばあるかもしれない。この世界の人々に協力してもらえれば、いずれ帰れる可能性だってある。
そのためには――
「勇者じゃないって、ちゃんと説明しないと」
誠一は拳を握った。
昨日は疲労と混乱で上手く伝えられなかった。でも今日こそは、きちんと話を聞いてもらおう。誠実に、丁寧に、誤解を解くのだ。
朝食を済ませ、誠一は廊下に出た。
◇ ◇ ◇
「勇者様、おはようございます!」
廊下を歩いていると、すれ違う人全員がそう声をかけてきた。
騎士も、メイドも、すれ違う貴族らしき人物も。全員が深々と頭を下げ、敬意のこもった眼差しを向けてくる。
「あ、ども……おはようございます……」
誠一は曖昧に会釈を返しながら、居心地の悪さを感じていた。
俺、勇者じゃないんだけどな。
心の中で呟くが、口には出せない。この状況で「実は勇者じゃありません」と言ったら、どんな反応をされるか。詐欺師として投獄されるかもしれない。あるいはもっと酷いことに――
「勇者様、お待ちしておりました」
考え事をしているうちに、誠一は大きな扉の前に辿り着いていた。
扉が開くと、そこは広い謁見の間だった。赤い絨毯が奥まで続き、その先には玉座がある。玉座には誰も座っておらず、代わりにその手前にリーナ王女が立っていた。
「よくお休みになれましたか、勇者様」
「あ、はい。おかげさまで……」
誠一は周囲を見回した。
リーナ王女の他にも、数人の人物が控えている。
一人は巨躯の男だった。歳は四十代半ばだろうか。全身を覆う銀色の甲冑は実戦向きの無骨なデザインで、腰には使い込まれた長剣が下げられている。顔には無数の古傷があり、鋭い眼光が誠一を射抜いていた。
もう一人は、対照的に小柄な少女だった。見た目は十四歳程度。しかしその瞳には、子供らしからぬ深い叡智が宿っている。とがった耳と、腰まで届く緑の髪。明らかに――人間ではない。
「ご紹介いたします」
リーナ王女が二人に手を向けた。
「こちらはガルド・バルトロス。我が国の騎士団長です」
「……勇者殿」
ガルドと呼ばれた巨漢が、低い声で言った。頭は下げているが、その目には警戒の色がある。明らかに、誠一を値踏みしている。
「そしてこちらは、メルティ殿。エルフの大魔導師にして、我が国の宮廷魔術師です」
「はじめまして、『勇者様』」
メルティは薄く微笑んだ。その『勇者様』という言葉には、微かな皮肉が込められているように聞こえた。
「さて、勇者様」
リーナ王女が居住まいを正した。
「本日お呼び立てしたのは、改めて現状をご説明するためです。また、勇者様のお力を確認させていただきたく――」
「あの、その前に」
誠一は手を挙げた。
今しかない。このタイミングを逃したら、もう永遠に言えなくなる。
「俺の話を聞いてもらえますか」
「もちろんです」
リーナ王女が真剣な顔で頷いた。
誠一は深呼吸をした。
「あの……実は、俺――」
どう言えばいいんだ。いきなり「勇者じゃありません」と言っても信じてもらえないだろう。順序立てて説明しよう。まずは、この衣装について。
「この鎧なんですけど」
誠一は自分の胸を叩いた。昨夜、着替えようとしたのだが「勇者様の聖なる武具を軽々しく扱えない」と言われ、結局着たまま寝る羽目になった。
「これは、本物の鎧じゃないんです。俺が作った――衣装、なんです」
「衣装……」
リーナ王女が首を傾げた。
「はい。えーと、つまり……コスプレっていうか、仮装っていうか……」
「成る程」
リーナ王女が深く頷いた。そして、感嘆のため息をついた。
「まあ、なんと謙虚なお方……!」
「は?」
「ご自身の聖なる武具を『衣装』『仮装』とおっしゃるとは。やはり伝説通り、驕りのない御方ですのね」
「いや、だから本当に俺が作った――」
「勇者殿」
ガルドが口を開いた。相変わらず鋭い目で誠一を見ている。
「確認させていただきたい。あなたは本当に、三百年前に魔王を封印した勇者ロードリックなのか?」
「違います」
誠一は即答した。
「だから言ってるじゃないですか。俺はただの――」
「では、その鎧はどこで手に入れた?」
「だから、俺が作ったんです。材料はEVAフォームと――」
「古代神聖語か」
ガルドが顔をしかめた。
「ともかく、その鎧は伝説に記された勇者の武具と完全に一致している。胸の紋章、肩当ての装飾、剣の柄頭の宝珠――すべてだ。これが偶然とは思えん」
「偶然なんです! 元ネタがあって――ゲームっていうんですけど――そのキャラクターの衣装を再現しただけで――」
「げぇむ?」
三人が同時に首を傾げた。
誠一は頭を抱えた。文化が違いすぎる。ゲームという概念から説明しなければならないのか。
「えーと……つまり……物語、みたいなもので……その登場人物の格好を真似る遊びがあって……」
「成る程」
メルティが初めて口を開いた。その翡翠の瞳が、興味深そうに誠一を見つめている。
「異界には、勇者の伝説が『物語』として伝わっているのですね。そしてあなたは、その物語に触発されて勇者の姿を模した――と」
「そ、そうです! そういうことです!」
ようやく話が通じた。誠一は安堵の息をついた。
「だから俺は勇者じゃないんです。ただの一般人で――」
「つまり」
メルティは薄く微笑んだ。
「あなたは、勇者の伝説に導かれてその姿を纏い、そして召喚に応じてこの世界にやってきた――ということですわね」
「え?」
「まさに運命。いえ、必然と言うべきでしょう。勇者の魂が、時空を超えてあなたを選んだのです」
「いや、全然そういう話じゃ――」
「素晴らしい!」
リーナ王女が両手を組んで感激していた。
「やはり勇者様は謙虚な方。ご自身を『一般人』と称されるとは……!」
「本当に一般人なんですって! 俺、戦えないんです! 剣なんか振ったこともないし、魔法も使えないし――」
「なんと……!」
ガルドが息を呑んだ。
その顔に浮かんでいるのは、疑念ではなく――驚愕と、同情だった。
「封印の代償で、力を失っておられるのか……!」
「は?」
「伝説に曰く、勇者ロードリックは魔王を封印する際、自らの力の大半を犠牲にしたと。その影響が、三百年経った今も続いているのですな……!」
「だから違――」
「ご安心ください、勇者殿」
ガルドが片膝をついた。その目には、先ほどまでの警戒心はない。代わりに、熱い敬意が燃えていた。
「この私が、必ずあなたの力を取り戻す手助けをいたします。騎士団の総力を挙げて、お仕えいたしましょう」
「いや、だから――」
「リーナ様」
ガルドが立ち上がり、王女に向き直った。
「私は勇者殿を疑っていたことを恥じます。あの方は本物だ。偽者ならば、自らの弱さを認めるはずがない」
「ええ、私も同感です」
リーナ王女が嬉しそうに微笑んだ。
「勇者様の誠実なお人柄が、よく分かりましたわ」
誠一は愕然とした。
自分の弱さを正直に告白したら、逆に信用されてしまった。
何だこれ。何なんだこの世界は。
「あの、聞いてます? 俺、本当に普通の会社員なんですけど――」
「会社員……?」
メルティが眉をひそめた。
「それは何かの暗号かしら? 『会』……社の員……集会を司る者? 何かの組織の一員……?」
「違う違う違う! 普通に会社で働いてるってことです! 経理部で! 毎日数字とにらめっこして、月次レポートとか作って――」
「月次レポート……」
リーナ王女の目が輝いた。
「月に一度、何かを報告される役職……。なんと、勇者様は異界で要職に就いておられたのですね……!」
「要職って、ただの平社員ですよ!」
「『平』の『社員』……」
ガルドが考え込む。
「平和を司る、社……神殿の員か? 異界では、勇者様が平和の守り手として崇められていたのだな」
「崇められてない! むしろ怒られてる! 佐藤課長に毎日ネチネチ言われて――」
「サトウ・カチョウ……」
三人が顔を見合わせた。
「強大な存在のようですね」
「勇者様に意見できるとは、相当な実力者に違いない」
「きっと異界の賢者のような存在でしょう」
「ただの中間管理職です!」
誠一は叫んだ。
しかし三人は、感心したように頷き合っている。
駄目だ。何を言っても通じない。言葉は通じているのに、意味が通じない。
文化の壁というやつか。いや、それ以上に――この人たちは最初から「誠一は勇者である」という結論を持っている。何を言っても、その結論に合うように解釈されてしまう。
誠一は深いため息をついた。
「……もういいです」
「何かおっしゃいましたか?」
「いえ……。それより、一つ確認させてください」
誠一は真剣な顔でリーナ王女を見た。
「俺――私は、元の世界に帰れるんですか」
リーナ王女の表情が、わずかに曇った。
「……申し訳ございません。先日も申し上げた通り、召喚の術は一方通行でございます。逆方向の術式は、まだ発見されておりません」
「でも、探せばあるかもしれないんですよね?」
「それは……」
「可能性はゼロではない」
メルティが口を挟んだ。
「ただし、召喚術自体が失われた古代魔法。逆召喚となれば、さらに高度な術式が必要になる。現存する文献では、手がかりすら見つかっていないのが現状よ」
「じゃあ、俺は一生この世界にいるってことですか」
誠一の声が、わずかに震えた。
さっきまでは冷静でいられた。でも改めて言葉にされると、現実が重くのしかかってくる。
もう二度と、あの世界に帰れない。
家族にも、友人にも、会えない。まあ、友人はほとんどいなかったし、家族とも疎遠だったけど――それでも、永遠に帰れないというのは、あまりにも――
「勇者様」
リーナ王女が、そっと誠一の手を取った。
「お辛い思いをさせてしまい、本当に申し訳ございません。召喚の儀を執り行ったのは私です。その責任は、私が取らねばなりません」
その手は、小さくて、温かかった。
「帰還の術を探すこと。それを私の生涯の使命といたします。必ず、あなた様を元の世界にお帰しする方法を見つけてみせます」
「リーナ様……」
「ですから、どうか――」
リーナ王女は真っ直ぐに誠一を見上げた。
「それまでの間、この世界で、私たちと共に生きていただけませんか」
その瞳は、純粋だった。
打算も、嘘も、何もない。ただ真摯に、誠一の幸せを願っている目だった。
誠一は――
「……分かりました」
気がつけば、そう答えていた。
「え?」
「帰還の術を探してくれるなら、それまでは協力します。でも――」
誠一は三人を見回した。
「俺が勇者じゃないってことだけは、覚えておいてください。本当に戦えないんです。魔王がどうとか言われても、俺には何もできません」
「ご謙遜を――」
「謙遜じゃなくて事実です」
誠一は、できるだけ真剣な声で言った。
「俺は、あなたたちが期待してるような存在じゃない。それだけは、分かっておいてください」
三人は顔を見合わせた。
そして――
「やはり、真の勇者は違いますな」
ガルドが感嘆の声を上げた。
「己の力を誇らず、驕らず、常に謙虚であれ――伝説の通りだ」
「ええ、本当に」
リーナ王女が頷いた。
「勇者様のお言葉、胸に刻みました。我々は過度な期待をせず、勇者様をお支えいたします」
「興味深い方ね」
メルティだけは、どこか冷めた目で誠一を見ている。
「まあ、いいわ。しばらく様子を見させてもらうことにするわ、『勇者様』」
誠一は諦めたようにため息をついた。
駄目だ。本当に駄目だ。何を言っても通じない。
でも、とりあえず――
殺されることも、投獄されることもなさそうだ。それだけでも、よしとするしかない。
「では勇者様」
リーナ王女が嬉しそうに手を叩いた。
「本日より、この城があなた様の新しいお住まいです。何でもお申し付けください。最高のおもてなしをさせていただきます!」
「あ、はい……」
こうして、田中誠一――自称・ただの会社員――の異世界生活が、本格的に始まったのである。
勇者という、とんでもない肩書きと共に。