勇者だと勘違いされているただのコスプレイヤーです   作:PPP

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第2話「いや、これコスプレなんですけど」

 

 

 

 

 

 異世界に来て、一夜が明けた。

 

 誠一は天蓋付きの巨大なベッドの上で目を覚ました。絹のシーツはひんやりと心地よく、羽毛の枕は頭を優しく包み込んでいる。

 

 

 

「……夢じゃなかったのか」

 

 

 

 呟きながら、誠一は周囲を見回した。

 

 部屋は広い。いや、広いなんてものではない。誠一が住んでいた東京のワンルームマンションが、この部屋の十分の一にも満たないだろう。天井には壮麗なシャンデリアが輝き、壁には重厚な油絵が掛けられている。窓辺には真紅のカーテンがかかり、その隙間から朝日が差し込んでいた。

 

 

 

「勇者様、お目覚めでございますか」

 

 

 

 ノックの音と共に、柔らかな声が聞こえた。

 

 

 

「あ、はい……」

 

 

 

 返事をすると、扉が静かに開いた。入ってきたのは、メイド服に身を包んだ若い女性だ。両手にはトレイを捧げ持ち、その上には湯気を立てるカップと焼きたてのパンが載っている。

 

 

 

「朝食をお持ちしました。お着替えがお済みでしたら、リーナ様がお待ちです」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 

 

 メイドは優雅に一礼すると、テーブルに朝食を置いて去っていった。

 

 誠一はベッドから降り、窓辺に歩み寄った。

 

 カーテンを開ける。

 

 

 

「……うわ」

 

 

 

 眼下に広がっていたのは、中世ヨーロッパを思わせる街並みだった。

 

 石畳の道を馬車が行き交い、露店が立ち並ぶ市場では人々が賑やかに買い物をしている。遠くには緑豊かな丘陵が広がり、その向こうには雪を頂いた山脈が聳えていた。

 

 完全なファンタジー世界だ。

 

 昨日の記憶が、改めて現実として突きつけられる。コスプレイベントの帰り道、コンビニの前で光に包まれた。気づいたら神殿で、王女に「勇者様」と呼ばれていた。

 

 

 

「本当に、異世界に来ちゃったんだな……」

 

 

 

 しかし不思議と、パニックにはならなかった。

 

 元々、誠一は追い詰められると妙に冷静になる性質がある。会社で理不尽なクレームを受けた時も、取引先でトラブルが起きた時も、焦れば焦るほど思考がクリアになる。今もそうだった。

 

 状況を整理しよう。

 

 一、異世界に召喚された。

 

 二、伝説の勇者に間違われている。

 

 三、元の世界に帰る方法は、今のところない。

 

 

 

「……詰んでね?」

 

 

 

 声に出してみると、改めて絶望感が込み上げてきた。

 

 いや、待て。まだ諦めるのは早い。

 

 リーナ王女は「今のところ」帰還の術は見つかっていないと言っていた。つまり、探せばあるかもしれない。この世界の人々に協力してもらえれば、いずれ帰れる可能性だってある。

 

 そのためには――

 

 

 

「勇者じゃないって、ちゃんと説明しないと」

 

 

 

 誠一は拳を握った。

 

 昨日は疲労と混乱で上手く伝えられなかった。でも今日こそは、きちんと話を聞いてもらおう。誠実に、丁寧に、誤解を解くのだ。

 

 朝食を済ませ、誠一は廊下に出た。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「勇者様、おはようございます!」

 

 

 

 廊下を歩いていると、すれ違う人全員がそう声をかけてきた。

 

 騎士も、メイドも、すれ違う貴族らしき人物も。全員が深々と頭を下げ、敬意のこもった眼差しを向けてくる。

 

 

 

「あ、ども……おはようございます……」

 

 

 

 誠一は曖昧に会釈を返しながら、居心地の悪さを感じていた。

 

 俺、勇者じゃないんだけどな。

 

 心の中で呟くが、口には出せない。この状況で「実は勇者じゃありません」と言ったら、どんな反応をされるか。詐欺師として投獄されるかもしれない。あるいはもっと酷いことに――

 

 

 

「勇者様、お待ちしておりました」

 

 

 

 考え事をしているうちに、誠一は大きな扉の前に辿り着いていた。

 

 扉が開くと、そこは広い謁見の間だった。赤い絨毯が奥まで続き、その先には玉座がある。玉座には誰も座っておらず、代わりにその手前にリーナ王女が立っていた。

 

 

 

「よくお休みになれましたか、勇者様」

 

「あ、はい。おかげさまで……」

 

 

 

 誠一は周囲を見回した。

 

 リーナ王女の他にも、数人の人物が控えている。

 

 一人は巨躯の男だった。歳は四十代半ばだろうか。全身を覆う銀色の甲冑は実戦向きの無骨なデザインで、腰には使い込まれた長剣が下げられている。顔には無数の古傷があり、鋭い眼光が誠一を射抜いていた。

 

 もう一人は、対照的に小柄な少女だった。見た目は十四歳程度。しかしその瞳には、子供らしからぬ深い叡智が宿っている。とがった耳と、腰まで届く緑の髪。明らかに――人間ではない。

 

 

 

「ご紹介いたします」

 

 

 

 リーナ王女が二人に手を向けた。

 

 

 

「こちらはガルド・バルトロス。我が国の騎士団長です」

 

「……勇者殿」

 

 

 

 ガルドと呼ばれた巨漢が、低い声で言った。頭は下げているが、その目には警戒の色がある。明らかに、誠一を値踏みしている。

 

 

 

「そしてこちらは、メルティ殿。エルフの大魔導師にして、我が国の宮廷魔術師です」

 

「はじめまして、『勇者様』」

 

 

 

 メルティは薄く微笑んだ。その『勇者様』という言葉には、微かな皮肉が込められているように聞こえた。

 

 

 

「さて、勇者様」

 

 

 

 リーナ王女が居住まいを正した。

 

 

 

「本日お呼び立てしたのは、改めて現状をご説明するためです。また、勇者様のお力を確認させていただきたく――」

 

「あの、その前に」

 

 

 

 誠一は手を挙げた。

 

 今しかない。このタイミングを逃したら、もう永遠に言えなくなる。

 

 

 

「俺の話を聞いてもらえますか」

 

「もちろんです」

 

 

 

 リーナ王女が真剣な顔で頷いた。

 

 誠一は深呼吸をした。

 

 

 

「あの……実は、俺――」

 

 

 

 どう言えばいいんだ。いきなり「勇者じゃありません」と言っても信じてもらえないだろう。順序立てて説明しよう。まずは、この衣装について。

 

 

 

「この鎧なんですけど」

 

 

 

 誠一は自分の胸を叩いた。昨夜、着替えようとしたのだが「勇者様の聖なる武具を軽々しく扱えない」と言われ、結局着たまま寝る羽目になった。

 

 

 

「これは、本物の鎧じゃないんです。俺が作った――衣装、なんです」

 

「衣装……」

 

 

 

 リーナ王女が首を傾げた。

 

 

 

「はい。えーと、つまり……コスプレっていうか、仮装っていうか……」

 

「成る程」

 

 

 

 リーナ王女が深く頷いた。そして、感嘆のため息をついた。

 

 

 

「まあ、なんと謙虚なお方……!」

 

「は?」

 

「ご自身の聖なる武具を『衣装』『仮装』とおっしゃるとは。やはり伝説通り、驕りのない御方ですのね」

 

「いや、だから本当に俺が作った――」

 

「勇者殿」

 

 

 

 ガルドが口を開いた。相変わらず鋭い目で誠一を見ている。

 

 

 

「確認させていただきたい。あなたは本当に、三百年前に魔王を封印した勇者ロードリックなのか?」

 

「違います」

 

 

 

 誠一は即答した。

 

 

 

「だから言ってるじゃないですか。俺はただの――」

 

「では、その鎧はどこで手に入れた?」

 

「だから、俺が作ったんです。材料はEVAフォームと――」

 

「古代神聖語か」

 

 

 

 ガルドが顔をしかめた。

 

 

 

「ともかく、その鎧は伝説に記された勇者の武具と完全に一致している。胸の紋章、肩当ての装飾、剣の柄頭の宝珠――すべてだ。これが偶然とは思えん」

 

「偶然なんです! 元ネタがあって――ゲームっていうんですけど――そのキャラクターの衣装を再現しただけで――」

 

「げぇむ?」

 

 

 

 三人が同時に首を傾げた。

 

 誠一は頭を抱えた。文化が違いすぎる。ゲームという概念から説明しなければならないのか。

 

 

 

「えーと……つまり……物語、みたいなもので……その登場人物の格好を真似る遊びがあって……」

 

「成る程」

 

 

 

 メルティが初めて口を開いた。その翡翠の瞳が、興味深そうに誠一を見つめている。

 

 

 

「異界には、勇者の伝説が『物語』として伝わっているのですね。そしてあなたは、その物語に触発されて勇者の姿を模した――と」

 

「そ、そうです! そういうことです!」

 

 

 

 ようやく話が通じた。誠一は安堵の息をついた。

 

 

 

「だから俺は勇者じゃないんです。ただの一般人で――」

 

「つまり」

 

 

 

 メルティは薄く微笑んだ。

 

 

 

「あなたは、勇者の伝説に導かれてその姿を纏い、そして召喚に応じてこの世界にやってきた――ということですわね」

 

「え?」

 

「まさに運命。いえ、必然と言うべきでしょう。勇者の魂が、時空を超えてあなたを選んだのです」

 

「いや、全然そういう話じゃ――」

 

「素晴らしい!」

 

 

 

 リーナ王女が両手を組んで感激していた。

 

 

 

「やはり勇者様は謙虚な方。ご自身を『一般人』と称されるとは……!」

 

「本当に一般人なんですって! 俺、戦えないんです! 剣なんか振ったこともないし、魔法も使えないし――」

 

「なんと……!」

 

 

 

 ガルドが息を呑んだ。

 

 その顔に浮かんでいるのは、疑念ではなく――驚愕と、同情だった。

 

 

 

「封印の代償で、力を失っておられるのか……!」

 

「は?」

 

「伝説に曰く、勇者ロードリックは魔王を封印する際、自らの力の大半を犠牲にしたと。その影響が、三百年経った今も続いているのですな……!」

 

「だから違――」

 

「ご安心ください、勇者殿」

 

 

 

 ガルドが片膝をついた。その目には、先ほどまでの警戒心はない。代わりに、熱い敬意が燃えていた。

 

 

 

「この私が、必ずあなたの力を取り戻す手助けをいたします。騎士団の総力を挙げて、お仕えいたしましょう」

 

「いや、だから――」

 

「リーナ様」

 

 

 

 ガルドが立ち上がり、王女に向き直った。

 

 

 

「私は勇者殿を疑っていたことを恥じます。あの方は本物だ。偽者ならば、自らの弱さを認めるはずがない」

 

「ええ、私も同感です」

 

 

 

 リーナ王女が嬉しそうに微笑んだ。

 

 

 

「勇者様の誠実なお人柄が、よく分かりましたわ」

 

 

 

 誠一は愕然とした。

 

 自分の弱さを正直に告白したら、逆に信用されてしまった。

 

 何だこれ。何なんだこの世界は。

 

 

 

「あの、聞いてます? 俺、本当に普通の会社員なんですけど――」

 

「会社員……?」

 

 

 

 メルティが眉をひそめた。

 

 

 

「それは何かの暗号かしら? 『会』……社の員……集会を司る者? 何かの組織の一員……?」

 

「違う違う違う! 普通に会社で働いてるってことです! 経理部で! 毎日数字とにらめっこして、月次レポートとか作って――」

 

「月次レポート……」

 

 

 

 リーナ王女の目が輝いた。

 

 

 

「月に一度、何かを報告される役職……。なんと、勇者様は異界で要職に就いておられたのですね……!」

 

「要職って、ただの平社員ですよ!」

 

「『平』の『社員』……」

 

 

 

 ガルドが考え込む。

 

 

 

「平和を司る、社……神殿の員か? 異界では、勇者様が平和の守り手として崇められていたのだな」

 

「崇められてない! むしろ怒られてる! 佐藤課長に毎日ネチネチ言われて――」

 

「サトウ・カチョウ……」

 

 

 

 三人が顔を見合わせた。

 

 

 

「強大な存在のようですね」

 

「勇者様に意見できるとは、相当な実力者に違いない」

 

「きっと異界の賢者のような存在でしょう」

 

「ただの中間管理職です!」

 

 

 

 誠一は叫んだ。

 

 しかし三人は、感心したように頷き合っている。

 

 駄目だ。何を言っても通じない。言葉は通じているのに、意味が通じない。

 

 文化の壁というやつか。いや、それ以上に――この人たちは最初から「誠一は勇者である」という結論を持っている。何を言っても、その結論に合うように解釈されてしまう。

 

 誠一は深いため息をついた。

 

 

 

「……もういいです」

 

「何かおっしゃいましたか?」

 

「いえ……。それより、一つ確認させてください」

 

 

 

 誠一は真剣な顔でリーナ王女を見た。

 

 

 

「俺――私は、元の世界に帰れるんですか」

 

 

 

 リーナ王女の表情が、わずかに曇った。

 

 

 

「……申し訳ございません。先日も申し上げた通り、召喚の術は一方通行でございます。逆方向の術式は、まだ発見されておりません」

 

「でも、探せばあるかもしれないんですよね?」

 

「それは……」

 

「可能性はゼロではない」

 

 

 

 メルティが口を挟んだ。

 

 

 

「ただし、召喚術自体が失われた古代魔法。逆召喚となれば、さらに高度な術式が必要になる。現存する文献では、手がかりすら見つかっていないのが現状よ」

 

「じゃあ、俺は一生この世界にいるってことですか」

 

 

 

 誠一の声が、わずかに震えた。

 

 さっきまでは冷静でいられた。でも改めて言葉にされると、現実が重くのしかかってくる。

 

 もう二度と、あの世界に帰れない。

 

 家族にも、友人にも、会えない。まあ、友人はほとんどいなかったし、家族とも疎遠だったけど――それでも、永遠に帰れないというのは、あまりにも――

 

 

 

「勇者様」

 

 

 

 リーナ王女が、そっと誠一の手を取った。

 

 

 

「お辛い思いをさせてしまい、本当に申し訳ございません。召喚の儀を執り行ったのは私です。その責任は、私が取らねばなりません」

 

 

 

 その手は、小さくて、温かかった。

 

 

 

「帰還の術を探すこと。それを私の生涯の使命といたします。必ず、あなた様を元の世界にお帰しする方法を見つけてみせます」

 

「リーナ様……」

 

「ですから、どうか――」

 

 

 

 リーナ王女は真っ直ぐに誠一を見上げた。

 

 

 

「それまでの間、この世界で、私たちと共に生きていただけませんか」

 

 

 

 その瞳は、純粋だった。

 

 打算も、嘘も、何もない。ただ真摯に、誠一の幸せを願っている目だった。

 

 誠一は――

 

 

 

「……分かりました」

 

 

 

 気がつけば、そう答えていた。

 

 

 

「え?」

 

「帰還の術を探してくれるなら、それまでは協力します。でも――」

 

 

 

 誠一は三人を見回した。

 

 

 

「俺が勇者じゃないってことだけは、覚えておいてください。本当に戦えないんです。魔王がどうとか言われても、俺には何もできません」

 

「ご謙遜を――」

 

「謙遜じゃなくて事実です」

 

 

 

 誠一は、できるだけ真剣な声で言った。

 

 

 

「俺は、あなたたちが期待してるような存在じゃない。それだけは、分かっておいてください」

 

 

 

 三人は顔を見合わせた。

 

 そして――

 

 

 

「やはり、真の勇者は違いますな」

 

 

 

 ガルドが感嘆の声を上げた。

 

 

 

「己の力を誇らず、驕らず、常に謙虚であれ――伝説の通りだ」

 

「ええ、本当に」

 

 

 

 リーナ王女が頷いた。

 

 

 

「勇者様のお言葉、胸に刻みました。我々は過度な期待をせず、勇者様をお支えいたします」

 

「興味深い方ね」

 

 

 

 メルティだけは、どこか冷めた目で誠一を見ている。

 

 

 

「まあ、いいわ。しばらく様子を見させてもらうことにするわ、『勇者様』」

 

 

 

 誠一は諦めたようにため息をついた。

 

 駄目だ。本当に駄目だ。何を言っても通じない。

 

 でも、とりあえず――

 

 殺されることも、投獄されることもなさそうだ。それだけでも、よしとするしかない。

 

 

 

「では勇者様」

 

 

 

 リーナ王女が嬉しそうに手を叩いた。

 

 

 

「本日より、この城があなた様の新しいお住まいです。何でもお申し付けください。最高のおもてなしをさせていただきます!」

 

「あ、はい……」

 

 

 

 こうして、田中誠一――自称・ただの会社員――の異世界生活が、本格的に始まったのである。

 

 勇者という、とんでもない肩書きと共に。

 

 

 

 

 

 

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