勇者だと勘違いされているただのコスプレイヤーです   作:PPP

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第4話「謁見の間の珍客」

 

 

 

 

 

 異世界生活五日目の朝。

 

 誠一は、すでに城での生活にわずかながら慣れ始めていた。

 

 朝は好きな時間に起きる。食事は質素だが最高級の食材を使った料理が出てくる。訓練は免除。一日の大半は、城内を散策するか、部屋で過ごすか。

 

 控えめに言って、天国だった。

 

 

 

(これが勇者の生活か……悪くないな)

 

 

 

 朝食のテーブルで焼きたてのパンをかじりながら、誠一はそんなことを考えていた。

 

 もちろん、根本的な問題――自分が勇者ではないこと、元の世界に帰れないこと――は何も解決していない。しかし、とりあえず今この瞬間は平和だ。平和を享受して何が悪い。

 

 

 

「勇者様」

 

 

 

 リーナ王女の声で、誠一は我に返った。

 

 

 

「本日は謁見の日でございます」

 

「謁見?」

 

 

 

 聞き慣れない言葉に、誠一は首を傾げた。

 

 

 

「はい。勇者様の復活を聞きつけた方々が、各地からご挨拶に参られています。貴族の方々、商人の方々、神官の方々……お時間のある時に、お会いいただけますでしょうか」

 

「え、俺がですか」

 

「もちろんです。皆様、勇者様に一目お会いしたいと」

 

 

 

 誠一は困惑した。

 

 謁見。つまり、偉い人が下々の者と会う儀式のことだろう。時代劇で見たことがある。殿様が「苦しゅうない、面を上げい」とか言うやつだ。

 

 そんな経験、あるわけがない。

 

 田中誠一、三十二歳。中堅機械メーカーの経理部社員。面を上げいどころか、面を上げてもらう側の人間だ。

 

 

 

「あの、何を話せばいいんでしょうか」

 

「勇者様のお好きなように、で結構でございます」

 

 

 

 リーナ王女は微笑んだ。

 

 

 

「皆様、勇者様のお言葉を賜れるだけで光栄と思っておられます。どうかお気軽に」

 

 

 

 お気軽に、と言われても。

 

 誠一は内心で頭を抱えた。しかし、断る理由も見つからない。

 

 

 

「……分かりました」

 

 

 

 こうして誠一は、人生初の謁見に臨むことになったのである。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 謁見の間は、城の中でも特に荘厳な空間だった。

 

 高い天井にはシャンデリアが輝き、壁には歴代の王や英雄の肖像画が掛けられている。床には深紅の絨毯が敷かれ、その先には玉座がそびえていた。

 

 今日、玉座には誰も座っていない。国王は別の公務で不在だという。

 

 代わりに、玉座の手前に誠一の席が用意されていた。

 

 

 

「こちらにお座りください、勇者様」

 

 

 

 リーナ王女に促され、誠一は椅子に腰を下ろした。

 

 緊張する。

 

 なんだこの状況は。つい一週間前まで、経理部のデスクでデータ処理をしていた男が、今や王城で謁見を行おうとしている。

 

 

 

(落ち着け……落ち着け……)

 

 

 

 誠一は深呼吸をした。

 

 こういう時、会社ではどうしていた? 取引先との初対面、上司への報告、クレーム対応……十年のサラリーマン生活で培った経験を、総動員するしかない。

 

 

 

「それでは、最初の方をお通しいたします」

 

 

 

 リーナ王女の合図で、謁見の間の大扉が開いた。

 

 入ってきたのは、恰幅の良い中年男性だった。

 

 豪華な刺繍が施されたマント、指には宝石をあしらった指輪がいくつも光っている。一目で分かる――金持ちだ。

 

 

 

「おおお、これが伝説の勇者様ですか!」

 

 

 

 男は誠一の前で大げさに跪いた。

 

 

 

「私はオルランド伯爵と申します! 王都の東方、オルランド領を治めております!」

 

「あ、どうも……」

 

 

 

 誠一は戸惑いながら会釈した。

 

 伯爵。貴族だ。日本で言えば……何だろう、県知事くらいか? いや、もっと偉いかもしれない。

 

 

 

「勇者様の復活、心よりお慶び申し上げます! 三百年ぶりの吉報に、領民一同、歓喜しております!」

 

「は、はあ……」

 

「つきましては、ぜひ我が領地にもお越しいただきたい! 盛大な歓迎の宴を催しますぞ!」

 

 

 

 オルランド伯爵の目が、期待に満ちて輝いている。

 

 誠一は困った。

 

 領地に行く? 何をしに? そもそも、行って何をすればいいのか分からない。

 

 しかし、ここではっきり断るのも角が立つ。

 

 こういう時は――そうだ、曖昧に返事をしておけばいい。取引先に「今度飲みに行きましょう」と言われた時の対応だ。

 

 

 

「あ、はい。機会があれば、ぜひ」

 

 

 

 誠一は無難な笑顔を浮かべた。

 

 するとオルランド伯爵が、大げさに感動した。

 

 

 

「おおお! 勇者様自らお越しいただけると!」

 

「え、いや、機会があればって言っただけで――」

 

「なんと謙虚なお方!」

 

 

 

 伯爵の目に、涙が浮かんでいた。

 

 

 

「『機会があれば』とは、我が領地がその価値を持った時にお越しくださるということですね! つまり、私がもっと精進し、勇者様に相応しい領地を作り上げねばならない……そういうことですな!」

 

「いや、そこまで深い意味は――」

 

「感服いたしました! 勇者様の期待に応えられるよう、より一層努力いたします!」

 

 

 

 オルランド伯爵は深々と頭を下げ、晴れやかな顔で謁見の間を去っていった。

 

 誠一は呆然とした。

 

 何が起きたのか、よく分からない。

 

 「機会があれば」という、最も無難で非コミットな返事をしただけなのに。なぜあんなに感動されたのか。

 

 

 

「次の方をお通しいたします」

 

 

 

 考える間もなく、次の謁見者が入ってきた。

 

 今度は、商人風の男だった。

 

 質素だが仕立ての良い服を着ており、腰には帳簿らしき革製の鞄を提げている。目は鋭く、いかにも計算高そうな印象を受ける。

 

 

 

「勇者様、初めまして。私はマルコ商会の会頭、マルコ・ベネッティと申します」

 

 

 

 商人は慇懃に頭を下げた。

 

 

 

「我が商会は、王国随一の品揃えを誇っております。武具、防具、魔法具、日用品――何でも取り揃えております。どうか、我が商会をご贔屓に」

 

「は、はあ……」

 

「勇者様のお望みの品があれば、最高の品をお届けいたします。価格は……まあ、勇者様ですから、特別にお安くいたしますとも」

 

 

 

 商人の目が、ギラリと光った。

 

 誠一はピンときた。

 

 これは営業トークだ。「特別にお安く」と言いながら、実際はそこまで安くないパターン。社会人なら誰でも知っている、よくある手口だ。

 

 経理部で十年働いてきた誠一には、この手の話は日常茶飯事だった。

 

 

 

「あー、品質も大事ですけど」

 

 

 

 誠一は何気なく言った。

 

 

 

「価格とのバランスも見たいですね。最高の品でも、コストに見合わなければ意味がないので」

 

 

 

 商人の顔が、一瞬で変わった。

 

 

 

「おおおお!」

 

 

 

 目を見開き、口をあんぐりと開けている。まるで、天啓を受けたかのような表情だ。

 

 

 

「流石は勇者様! 品質だけでなく価格も重視されるとは!」

 

「え? いや、普通のことだと思うんですけど……」

 

「普通ではございません!」

 

 

 

 商人が力説した。

 

 

 

「これまでお会いした貴族や英雄の方々は、価格など気にもなさいませんでした! 最高の品さえあればいい、金は惜しまぬ、と! しかし勇者様は違う!」

 

「いや、単に経理部出身だから――」

 

「民のことを第一に考えておられる証拠ですな! 高い品ばかり買えば、その分の負担は最終的に民にかかる。だから、コストパフォーマンスを重視される……!」

 

 

 

 商人の目に、涙が光っていた。

 

 

 

「感動いたしました! 以後、勇者様には特別価格でご提供いたします! 利益度外視で!」

 

「え、いや、そこまでしなくても――」

 

「いいえ! 勇者様のお心に報いるには、これくらいしなければ! マルコ商会の名にかけて、最高の品を最安の価格でお届けいたします!」

 

 

 

 商人は深々と一礼し、感激した様子で去っていった。

 

 誠一は、もはや何も言えなかった。

 

 自分は当たり前のことを言っただけだ。品質と価格のバランスを見る――経理部では毎日のようにやっていた、ごく普通の業務だ。

 

 それなのに、なぜこんなに感動されるのか。

 

 

 

(この世界の人たち、経理知らないのかな……)

 

 

 

 そんな疑問を抱きながら、誠一は次の謁見者を迎えた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 謁見は、延々と続いた。

 

 領地の視察を求める伯爵。新製品を売り込む商人。祝福を与えに来た神官。娘を紹介したがる男爵。

 

 次から次へと人が訪れ、誠一はひたすら無難な対応を繰り返した。

 

 

 

「機会があれば」

 

「検討させていただきます」

 

「ありがたいお申し出ですが、今は控えさせていただきます」

 

「皆様のお気持ちだけで十分です」

 

 

 

 すべて、サラリーマン時代に使い古したフレーズだ。

 

 取引先を怒らせず、かといって約束もしない。誰の顔も潰さず、自分も追い込まれない。そんな処世術を、誠一は十年かけて身につけてきた。

 

 ところが――

 

 

 

「なんと深いお言葉……!」

 

「勇者様の謙虚さに感服いたしました……!」

 

「これぞ真の英雄の器……!」

 

 

 

 謁見者たちは、誠一の一言一言に感動していた。

 

 無難な対応が「深謀遠慮」と解釈され、曖昧な返事が「謙虚さ」と称賛される。

 

 誠一には、さっぱり理解できなかった。

 

 

 

(俺、何か特別なこと言ったか……?)

 

 

 

 謁見の間の隅で、メルティが腕を組んで立っていた。

 

 彼女の翡翠の瞳が、誠一の一挙一動を観察している。その表情は、相変わらず懐疑的だ。

 

 しかし――見れば見るほど、分からなくなる。

 

 誠一の対応は、確かに無難だ。誰も傷つけず、誰の顔も潰さない。それでいて、相手に希望を持たせる。

 

 言葉の選び方、間の取り方、表情の作り方――すべてが絶妙だ。

 

 これが演技なら、相当な策士だ。三百年の封印を経てなお、これほどの外交手腕を発揮できるとは。

 

 あるいは素なら――天性の才能か。考えずとも、自然と最適な対応ができてしまう。そんな能力の持ち主なのか。

 

 どちらにせよ、凡人ではない。

 

 メルティは眉をひそめた。

 

 

 

(あなた、本当に何者なの……?)

 

 

 

 疑念は、深まるばかりだった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 すべての謁見が終わったのは、日が傾き始めた頃だった。

 

 誠一は椅子の背にもたれ、深いため息をついた。

 

 疲れた。本当に疲れた。

 

 肉体的な疲労ではない。精神的な疲労だ。

 

 初対面の人間と次から次へと話し、一人一人に適切な対応を返す。それを何十回も繰り返す。

 

 会社の営業部の人間は、毎日こんなことをしているのか。尊敬する。

 

 

 

「勇者様!」

 

 

 

 リーナ王女が、弾むような足取りで駆け寄ってきた。

 

 

 

「素晴らしかったです!」

 

「え、何がですか?」

 

「今日のご対応です! 皆様、勇者様に感銘を受けておられました!」

 

 

 

 リーナ王女の目が、キラキラと輝いている。

 

 

 

「『あれほど謙虚で、庶民の視点を持った勇者は初めてだ』と、オルランド伯爵がおっしゃっていました。マルコ会頭も、『真に民のことを考えておられる方だ』と感動なさっていました」

 

「俺、普通のこと言っただけなんですけど……」

 

「それが素晴らしいのです!」

 

 

 

 リーナ王女は力強く言った。

 

 その顔には、感動と、少しの寂しさが入り混じっていた。

 

 

 

「これまでの英雄や貴族は、民のことなど考えていませんでした」

 

「そうなんですか?」

 

「はい。自分の名誉、自分の利益、自分の領地。それだけを考え、それだけのために動く。民は、その道具に過ぎない――そう考える方が、ほとんどでした」

 

 

 

 リーナ王女の声が、わずかに沈んだ。

 

 

 

「私も王族ですから、同じようなものかもしれません。民のために政を行っているつもりでも、結局は自分の立場を守るためではないかと……時々、そう思うことがあります」

 

「リーナ様……」

 

「でも、勇者様は違います」

 

 

 

 リーナ王女が顔を上げた。その目は、真っ直ぐに誠一を見つめている。

 

 

 

「当たり前のことを、当たり前のようにおっしゃる。価格を気にする、約束は慎重にする、相手の気持ちを考える。どれも当然のことのはずなのに、この世界では誰もできていなかった」

 

「いや、それは……」

 

「それがどれほど難しいことか、私は知っています。権力を持つと、人は変わってしまう。当たり前のことが、当たり前にできなくなる。でも勇者様は、それをなさっている」

 

 

 

 リーナ王女が、そっと誠一の手を取った。

 

 

 

「勇者様が復活してくださって、本当に良かった」

 

 

 

 誠一は、何とも言えない気持ちになった。

 

 自分は何も特別なことをしていない。ただ、サラリーマン時代の処世術を使っているだけだ。

 

 波風を立てない。相手を怒らせない。自分も追い込まれない。それだけを考えて、十年間生きてきた。

 

 それが――この世界では、「勇者らしい」と評価される。

 

 皮肉なものだ。

 

 日本にいた頃は、「もっと積極的になれ」「自分の意見を言え」と言われ続けてきた。消極的で、主体性がなくて、どこにでもいる平凡なサラリーマン。それが田中誠一だった。

 

 それなのに、異世界では「謙虚で、民を思う勇者」として称賛される。

 

 同じ行動なのに、評価がまったく違う。

 

 

 

(世界が変わると、価値観も変わるんだな……)

 

 

 

 そんなことを考えていると、リーナ王女が明るい声を上げた。

 

 

 

「勇者様、今日のお疲れを癒すため、温泉をご用意いたしました!」

 

「温泉?」

 

 

 

 誠一の耳が、ピクリと反応した。

 

 

 

「はい。城の地下に湧いている温泉でございます。この国でも有数の名湯と言われております」

 

 

 

 温泉。

 

 その言葉が、誠一の脳内で輝いた。

 

 温泉。お湯に浸かる。疲れが取れる。最高。

 

 

 

「どうぞ、ゆっくりお休みください」

 

「行きます」

 

 

 

 即答だった。

 

 今日一日で最も積極的な返事だった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 城の地下に、温泉はあった。

 

 天然の岩盤をくり抜いて作られた浴場は、思っていた以上に広かった。湯気が立ち上り、ほのかな硫黄の香りが漂っている。

 

 誠一は服を脱ぎ、湯船に身を沈めた。

 

 

 

「あぁ……」

 

 

 

 自然と声が漏れる。

 

 熱すぎず、ぬるすぎず。絶妙な温度の湯が、全身を包み込んでいく。一日の疲れが、じんわりと溶けていくのを感じる。

 

 

 

「最高だ……」

 

 

 

 異世界に来て、初めて心からの喜びを感じた。

 

 勇者として祭り上げられることも、周囲の過大評価も、帰れない不安も――今だけは、すべて忘れられる。

 

 誠一は湯船に深く沈み込み、天井を見上げた。

 

 岩盤に反射する湯気が、幻想的な模様を描いている。

 

 

 

(この世界の人たちは、普通のことを普通と思っていないんだな……)

 

 

 

 今日の謁見を振り返る。

 

 誠一にとっては当たり前の対応が、彼らには特別に映る。それは――良いことなのか、悪いことなのか。

 

 考えても、答えは出ない。

 

 ただ、一つだけ分かることがある。

 

 自分の「当たり前」が、この世界では価値を持っている。

 

 それが誤解であれ、勘違いであれ――結果として、人々を喜ばせている。

 

 それは、そんなに悪いことではないのかもしれない。

 

 

 

「まあ、いいか……」

 

 

 

 誠一は目を閉じた。

 

 難しいことは、また明日考えよう。

 

 今は、この温泉を楽しむことだけを考えよう。

 

 湯船の中で、誠一はゆっくりと呼吸を整えた。

 

 異世界の夜は、静かに更けていく。

 

 

 

 

 

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