勇者だと勘違いされているただのコスプレイヤーです   作:PPP

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第6話「不穏な知らせ」

 

 

 

 

 

 異世界生活も二週間が経過した。

 

 田中誠一の日常は、驚くほど安定していた。

 

 朝は好きな時間に起きる。太陽が中天に差し掛かろうが、誰も文句を言わない。「勇者様は英気を養っておられる」の一言で、すべてが許される。

 

 食事は質素だが美味しい。最高級の食材を使った、しかし胃もたれしない軽めの料理。誠一の希望が完璧に反映されている。

 

 午前中は城内を散策するか、工房で職人たちと過ごす。週に一度の「講習会」は城中の話題になっており、誠一の「コスプレ製作技術」は「聖装創造術」という仰々しい名前で呼ばれるようになっていた。

 

 午後は謁見があればこなし、なければ自室で次の製作物の設計を練る。

 

 夜は温泉に入って就寝。

 

 

 

「平和だなぁ……」

 

 

 

 誠一は朝食のテーブルで、焼きたてのパンをかじりながら呟いた。

 

 窓から差し込む朝日が、大広間を柔らかく照らしている。向かいの席ではリーナ王女が優雅に紅茶を飲み、壁際ではメイドたちが控えめに待機している。

 

 どこからどう見ても、平和な朝の光景だ。

 

 勇者として祭り上げられている状況は相変わらずだが、実害はない。むしろ、日本にいた頃より良い生活かもしれない。

 

 満員電車もない。残業もない。佐藤課長の小言もない。

 

 毎日温泉に入れて、美味しいご飯が食べられて、趣味の製作もできる。

 

 

 

(このまま平和に暮らせれば、異世界生活も悪くないかも……)

 

 

 

 そんな淡い期待を抱いていた、その時だった。

 

 バァン!

 

 大広間の扉が、勢いよく開け放たれた。

 

 

 

「リーナ様、勇者殿、緊急の報せです!」

 

 

 

 飛び込んできたのはガルドだった。

 

 普段は冷静沈着な騎士団長の顔が、明らかに強張っている。額には汗が滲み、息は荒い。全力で走ってきたのだろう。

 

 

 

「ガルド殿、何があったのですか」

 

 

 

 リーナ王女がカップを置き、立ち上がった。

 

 

 

「国境付近のエルドラ村から、救援要請が届きました」

 

 

 

 ガルドが一枚の紙を差し出す。リーナ王女がそれを受け取り、目を通す。

 

 その顔が、みるみる青ざめていった。

 

 

 

「魔王軍の……先遣隊……」

 

「はい。約五十体の魔物が、村を襲撃しているとのこと。すでに被害が出ている模様です」

 

「五十体……」

 

 

 

 リーナ王女の手が、わずかに震えていた。

 

 誠一は、その様子を見て嫌な予感を覚えた。

 

 

 

「あの、先遣隊って何ですか?」

 

「魔王軍の斥候部隊です」

 

 

 

 ガルドが答えた。

 

 

 

「本格的な侵攻の前に、敵の戦力を探り、民に恐怖を与えるために送り込まれる部隊。通常は下級の魔物で構成されますが、数が揃えば騎士団でも苦戦します」

 

「つまり……」

 

「魔王が、動き始めたということです」

 

 

 

 その言葉が、誠一の脳内で反響した。

 

 魔王。

 

 この世界に召喚された理由。自分が「倒す」ことを期待されている存在。

 

 今まで漠然とした概念でしかなかった。おとぎ話の悪役のような、現実味のない存在だと思っていた。

 

 しかし今、その魔王の軍勢が、実際に人々を襲っている。

 

 

 

「被害は……どの程度なのですか」

 

 

 

 リーナ王女が、絞り出すような声で尋ねた。

 

 

 

「詳細は不明ですが、すでに数名の死者が出ているとのこと。村の自警団が応戦していますが、苦戦しているようです」

 

「そんな……」

 

 

 

 リーナ王女が、唇を噛んだ。

 

 誠一は、その姿を見て胸が痛んだ。彼女は本当に、民のことを思っているのだ。

 

 ガルドが一歩前に出た。

 

 

 

「騎士団の精鋭五十名を、直ちに派遣いたします。本日中に出発すれば、二日後には村に到着できるでしょう」

 

「お願いします、ガルド殿」

 

「はっ」

 

 

 

 ガルドが敬礼し、踵を返そうとした――その時だった。

 

 

 

「私も参ります」

 

 

 

 リーナ王女が、毅然とした声で言った。

 

 

 

「リーナ様!?」

 

 

 

 ガルドが振り返る。その顔には、驚愕と困惑が入り混じっていた。

 

 

 

「民が苦しんでいるのです。王族として、この目で確かめなければなりません」

 

「しかし、危険です! 前線には魔物が――」

 

「承知の上です」

 

 

 

 リーナ王女は、一歩も引かなかった。

 

 

 

「私が安全な城の中にいて、民だけが苦しむなど、あってはならないことです。たとえ危険があろうとも、この目で現状を確かめ、民を励ましたい」

 

 

 

 その目には、強い決意が宿っていた。

 

 ガルドは言葉を失った。主君の決意を前にして、反論できなくなったのだろう。

 

 

 

「……分かりました。ただし、リーナ様の護衛には最精鋭の騎士をつけます」

 

「感謝します、ガルド殿」

 

 

 

 リーナ王女が微笑んだ。そして――誠一を見た。

 

 

 

「それと」

 

「はい?」

 

 

 

 嫌な予感が、全身を駆け巡った。

 

 

 

「勇者様にも、ぜひご同行いただきたいのです」

 

「……は?」

 

 

 

 誠一は、自分の耳を疑った。

 

 今、何と言った? 同行? 前線に? 魔物がいる場所に?

 

 

 

「勇者様が前線にいらっしゃるだけで、民の士気は上がります」

 

 

 

 リーナ王女は、真剣な表情で続けた。

 

 

 

「戦っていただく必要はありません。視察という形で、ご同行いただければ十分です。勇者様のお姿を見れば、民は希望を持てるでしょう」

 

「いや、でも俺――」

 

「もちろん、勇者様の安全は騎士団が全力でお守りいたします」

 

 

 

 ガルドが膝をついた。

 

 

 

「どうかご安心を。勇者殿には指一本触れさせません。この命に代えても」

 

「いや、そこまでしなくても――」

 

「勇者様」

 

 

 

 リーナ王女が、誠一の手を取った。

 

 その手は小さくて、温かくて、そしてわずかに震えていた。

 

 

 

「お願いいたします。民のために……どうか」

 

 

 

 誠一は、その目を見て――何も言えなくなった。

 

 リーナ王女の瞳には、不安と、懇願と、そして信頼が込められていた。

 

 彼女は本気で、誠一を頼りにしている。勇者として。英雄として。

 

 断ることは、簡単だった。「危険だから」「戦えないから」と言えばいい。今まで何度もそうしてきた。

 

 でも――

 

 あの瞳を見て、「嫌です」とは言えなかった。

 

 

 

「……分かりました」

 

 

 

 その言葉が、口をついて出た。

 

 リーナ王女の顔が、パッと明るくなった。

 

 

 

「ありがとうございます、勇者様!」

 

「ただし、本当に視察だけですからね。戦うとか、そういうのは――」

 

「もちろんです! 勇者様には、安全な場所から見守っていただくだけで結構です!」

 

 

 

 リーナ王女が、誠一の手を握りしめた。

 

 その笑顔を見ながら、誠一は心の中で絶叫していた。

 

 

 

(何で承諾しちゃったんだよ俺ぇぇぇぇ!!)

 

 

 

 自分でも信じられなかった。

 

 あんなに平和を望んでいたのに。危険を避けて生きてきたのに。

 

 なぜ、あの瞳を見た瞬間、断れなくなってしまったのか。

 

 

 

「では、出発は本日正午といたします。勇者殿、ご準備をお願いいたします」

 

 

 

 ガルドが立ち上がった。

 

 

 

「えっ、今日!?」

 

「一刻を争う事態です。準備ができ次第、出発いたします」

 

「ちょ、ちょっと待って――」

 

「勇者様、私が荷造りをお手伝いいたしますわ!」

 

 

 

 リーナ王女が、誠一の腕を引っ張った。

 

 

 

「え、いや、あの――」

 

「さあ、参りましょう! 時間がありませんわ!」

 

 

 

 誠一は、されるがままに大広間を後にした。

 

 振り返ると、メルティがこちらを見ていた。

 

 その顔には、複雑な表情が浮かんでいた。呆れているような、興味深そうな、そして――どこか心配しているような。

 

 

 

「……やれやれ」

 

 

 

 メルティの呟きが、誠一の耳に微かに届いた。

 

 

 

「本当に行くつもりなの、あの男」

 

 

 

 その言葉の意味を考える暇もなく、誠一はリーナ王女に引きずられていった。

 

 出発まで、あと数時間。

 

 誠一の心臓は、すでにバクバクと鳴り始めていた。

 

 

 

 

 

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