勇者だと勘違いされているただのコスプレイヤーです 作:PPP
正午の鐘が鳴り響いた。
城門の前に、五十名の騎士が整列している。全員が磨き上げられた鎧に身を包み、腰には剣を佩いている。その表情は引き締まり、これから戦地に向かう者たちの覚悟が滲み出ていた。
そして、その先頭に――誠一はいた。
「勇者様、馬の準備が整いました」
従者に促され、誠一は目の前の馬を見上げた。
黒い毛並みの、堂々とした軍馬だ。筋肉質な体躯は力強く、賢そうな瞳がこちらを見つめている。サラブレッドとは違う、戦場で鍛えられた馬特有の威圧感があった。
「この馬は『疾風』と申します。王国最高の軍馬でございます」
「は、はあ……」
誠一は冷や汗をかいていた。
乗馬経験など、皆無だ。
修学旅行で一度だけ、観光牧場のポニーに乗ったことがある。それも、係員に手綱を引いてもらいながら、ゆっくり歩いただけだ。
こんな立派な軍馬に乗れるわけがない。
「あの、俺は馬に乗ったことが――」
「ご謙遜を。勇者様ほどのお方が、馬術を修めておられないはずがありません」
従者が当然のように言った。
誠一は口を噤んだ。言っても無駄だ。どうせ「謙虚でいらっしゃる」と解釈されるに決まっている。
「では、お乗りください」
従者が誠一の足を支え、馬上に押し上げた。
誠一は必死に鞍にしがみついた。予想以上に高い。地面が遠い。落ちたら絶対に痛い。
「勇者様、手綱はこうお持ちください」
「あ、はい……」
教えられるがままに手綱を握る。馬が小さく嘶き、首を振った。
(おい、動くな、頼むから動くな……)
心の中で祈るが、馬に通じるはずもない。
「それでは、出発いたします!」
ガルドの号令と共に、騎士団が動き始めた。
誠一の馬も、それに合わせて歩き出す。揺れる。想像以上に揺れる。
「ひっ……」
情けない声が漏れたが、幸い誰にも聞こえなかったようだ。
誠一は馬の首にしがみつきながら、なんとか落馬しないように耐えた。
◇ ◇ ◇
「勇者殿、馬の調子はいかがですか」
出発から数時間。街道を進む騎士団の中で、ガルドが誠一に話しかけてきた。
「え、あ、はい……まあまあです……」
正直に言えば、最悪だった。
尻が痛い。腰が痛い。太ももが悲鳴を上げている。鞍との摩擦で、すでに皮が剥けているかもしれない。
しかし、弱音を吐くわけにはいかない。
「そうですか。その馬は『疾風』――王国最高の軍馬でしてな」
ガルドが感心したように言った。
「気性が荒いことで知られていて、これまで乗りこなせた者はほとんどいません。先王陛下でさえ、振り落とされたことがあるとか」
「え……」
「しかし勇者殿が乗ると、実に大人しいものだ。やはり、馬も勇者殿の器を感じ取っているのでしょう」
(いや、単に馬が優しいだけだと思うんですけど……)
誠一は内心でツッコミを入れた。
というか、そんな危険な馬に乗せないでほしい。普通の大人しい馬でいいのに。
「勇者殿」
「はい?」
「道中、お時間もありますので――魔物について、お話ししてもよろしいでしょうか」
「魔物……」
その言葉だけで、誠一の心臓が跳ねた。
「はい。敵を知ることは、戦において最も重要なことです。勇者殿もご存知かとは思いますが、改めて確認のため」
「あ、はい。お願いします」
「では――」
ガルドが、淡々と説明を始めた。
「先遣隊を構成しているのは、主にゴブリンとオークでしょう」
ガルドの声が、馬蹄の音に混じって聞こえる。
「どちらも下級の魔物ですが、数が揃えば厄介です」
「ゴブリンって……小さい緑のやつですか」
「ご存知でしたか」
ガルドが感心したように頷いた。
「そうです、体長は子供ほど。緑色の肌に、尖った耳、鉤爪のような指。小柄ですが俊敏で狡猾。単体では大したことはありませんが、群れで襲ってきます」
「群れ……」
「十体、二十体は当たり前。時には五十体を超えることもあります。一体一体は弱くとも、数で押されると熟練の騎士でも苦戦します」
誠一の顔が、わずかに青ざめた。
「オークは?」
「豚の顔をした大柄な魔物です」
ガルドが説明を続ける。
「体長は人間の倍近く。知能は低いですが、腕力は騎士数人分。まともに殴られれば、鎧ごと潰されます」
「鎧ごと……」
「武器は棍棒が主です。それを振り回されると、並の剣では受け止めることすらできません。基本的には複数人で囲んで、動きを封じてから急所を突くのがセオリーです」
誠一の顔から、血の気が引いていく。
「あと、稀にオーガが混じっていることもあります」
「オーガ……」
「オークの上位種です。体長は三メートルを超え、腕力はオークの比ではありません。額から角が生えており、
それを突き立てられれば、城壁すら砕けます」
「さ、三メートル……」
誠一の頭の中で、巨大な怪物の姿が浮かんだ。
三メートル。大人の二倍近い身長。そんな化け物が、角を振り回して突進してくる。
想像するだけで、足が震えた。
「まあ、オーガが出たとしても一体か二体でしょう」
ガルドは平然と言った。
「騎士団で対処できます。勇者殿が気にされることはありません」
「は、はあ……」
誠一は曖昧に頷いた。
気にするなと言われても、無理だ。今の説明を聞いて、気にしない方がおかしい。
(帰りたい……帰りたい……日本に帰りたい……)
心の中で、何度目か分からない願いを呟いた。
しかし、そんな願いが叶うはずもなく――騎士団は、着実に目的地へと近づいていった。
◇ ◇ ◇
日が暮れ、騎士団は街道沿いの平地で野営を張った。
テントが設営され、焚き火が焚かれ、簡素な夕食が配られる。騎士たちは交代で見張りに立ち、残りは明日に備えて休息を取る。
誠一には、一人用の立派なテントが用意されていた。
「勇者様、何かございましたらお申し付けください」
「あ、ありがとうございます……」
従者に礼を言い、誠一はテントの中に入った。
簡素だが、清潔な寝床が用意されている。毛布も枕もある。野営としては、十分すぎる設備だ。
しかし、誠一は眠れなかった。
ガルドの説明が、頭の中でリフレインしている。
ゴブリン。群れで襲ってくる。
オーク。鎧ごと潰される。
オーガ。三メートル。城壁すら砕く。
明日――いや、明後日には、それらと対峙することになる。
「……無理だ」
誠一は、毛布を被って丸くなった。
体が震えている。恐怖で、どうしようもなく震えている。
戦えない。絶対に戦えない。剣なんて振ったこともないし、魔法も使えない。
視察だと言われたけれど、もし魔物が襲ってきたら? 騎士たちが守ってくれると言っていたけれど、もし守り切れなかったら?
その時、テントの入り口が開いた。
「あなた、起きているわね」
メルティだった。
ランプの灯りに照らされた彼女の顔は、いつものように冷静で、どこか皮肉げだ。
「怖いのでしょう」
「えっ、いや、そんなことは――」
「嘘はいいわ」
メルティが、テントの中に入ってきた。
「顔に書いてあるもの。『怖い』『逃げたい』『助けて』――全部、丸見えよ」
「……」
誠一は、何も言い返せなかった。
図星だったからだ。
メルティはため息をつき、小さな革袋を差し出した。
「これを持っておきなさい」
「これは?」
「閃光玉と煙幕玉よ」
メルティが説明した。
「いざという時、これを地面に叩きつけなさい。閃光玉は強烈な光で目を眩ませる。煙幕玉は濃い煙を発生させる。どちらも、逃げる時間くらいは稼げるわ」
「……」
誠一は、袋を受け取った。
中には、拳大の球が四つ入っている。二つは白っぽく、二つは灰色だ。おそらく、白が閃光玉で灰色が煙幕玉だろう。
「あなた、俺のことまだ疑ってるんですよね」
誠一は、ふと尋ねた。
「なんで、助けてくれるんですか」
メルティは、肩をすくめた。
「疑っているからよ」
「え?」
「あなたが本物の勇者なら、こんなものは必要ない。伝説通りの力があるなら、魔物など敵ではないでしょう」
「……」
「でも、もし偽物なら――死なれては困るの」
メルティの目が、誠一を射抜いた。
「真実を暴く前に死なれたら、後味が悪いでしょう。だから、生き延びてもらわないと」
「……なんか、複雑な理由ですね」
「そうね」
メルティは薄く笑った。
「でも、結果的にあなたの役に立つでしょう。受け取っておきなさい」
「……ありがとうございます」
誠一は、素直に礼を言った。
理由はどうあれ、これで少しは安心できる。いざという時の保険があるのとないのとでは、心の余裕が違う。
「それと」
メルティが、テントを出ようとして振り返った。
「一つだけ言っておくわ」
「はい?」
「明日――いえ、明後日、村に着いたら。あなたは、できるだけ安全な場所にいなさい」
「……それは、そのつもりです」
「分かっているならいいわ」
メルティは踵を返し、テントを出ていった。
その背中を見送りながら、誠一は袋を握りしめた。
閃光玉と煙幕玉。たったそれだけの道具が、今はとても心強く感じられた。
(頼むから、使う機会がありませんように……)
そう祈りながら、誠一は目を閉じた。
眠れるはずはなかったが、せめて体を休めようと思った。
明日も、長い行軍が続く。
そして明後日――いよいよ、戦場に着く。
テントの外では、見張りの騎士たちが火を囲んでいる。低い話し声と、時折響く馬の嘶き。
異世界の夜は、いつになく長く感じられた。