同情するならチャクラくれ   作:あしたま

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001.覚悟

 

 意識がはっきりとした時、俺を取り巻く世界は一変していた。

 見覚えのない低い天井。古びた畳の乾いた匂いと、柱に染み付いた線香のような微かな香り。

 障子越しに差し込む夕日は肌を焼くようにジリジリと熱く、その光源を遮るように埃が舞っているのが見えた。

 

 自分の意志に反して短く、頼りなく動く手足に視線を落とし、俺は認めざるを得なかった。

 ……赤ん坊になっていたのだ。

 

「ヨフネ。うたたねヨフネ。いい名前だと思わないかい、お前さん」

 

 少し掠れた、しかし鋼のように芯の通った女の声。それが俺に付けられた新しい名前であり、不条理な二度目の人生の始まりだった。

 自分が「転生」という、ネット小説で使い古された現象に巻き込まれたのだと気づくのに時間はかからなかった。

 

 ゆりかごから見える開け放たれた窓の向こう。そこには重力を無視して建物の壁を駆け上がる影や、額に金属の「額当て」を巻いた人間たちがいた。文字通り、絵に描いたような「忍者」が、生活のすぐ隣に息づいている世界。

 

『NARUTO』。かつてジャンプで夢中になって読んでいた、あのあまりにも残酷で、それでいて眩い物語の中に、俺は放り込まれたのだ。

 

(せめて、もう少し平和な世界が良かった……)

 

 天井を見上げるしかできない体で、俺はこれからの人生に絶望した。この世界の大まかな流れは知っている。だが、物語の後半、インフレが進む第四次忍界大戦あたりの設定は、記憶の霧の向こう側だ。

 ただ、一つだけ確信を持って言える幸運があった。

 

(うちは一族じゃなくて、本当によかった……!)

 

 あの一族に生まれていれば、今頃は「全滅までのカウントダウン」に怯えて不眠症になっていたに違いない。

 

 自分も最初は「うたたね」?なんだ原作にも出てきていない一般モブか、と思っていた。だが、現実はそう甘くはない。「うたたね一族」というのも、中々に厄介事に首まで浸かった血筋だった。というのも――

 

「おお、これがお前の孫か。お前に似ず可愛いではないか。とうとうお前も婆じゃの!」

「誰がブスじゃ!婆じゃ!」

「おい、コハルやめろ。火影岩を彫り直さなきゃならん」

「ええい!ホムラ、止めてくれるな!」

 

 家に来て早々、俺の顔を覗き込みながらうるさく騒いでいるのは、まだ若い三代目火影・猿飛ヒルゼン。そして、そのヒルゼンに殴り掛かろうとしている祖母はどうやらコハルというらしい。さらにその祖母を止める、ホムラと名乗る理知的に見える眼鏡をかけた男。

 後に里の相談役になる、うたたねコハルが俺の祖母らしい。

 

 ……モブどころか、里の最高幹部の身内じゃないか。

 

 そこでようやく、こんな乳幼児を置いて一向に両親の姿が見えない理由を知った。

 

「あやつらもこんな子供を置いて先に行くとは」

「なに、一族の誇りとして死んだのだ。この子もいつか理解するさ」

 

 コハルの言葉は冷徹に聞こえたが、俺を抱きあげた腕は微かに震えていた。

 任務に出ていたのではない。戦死していたのだ。この、平和に見える木漏れ日の裏側で、常に誰かが死に続けているのが忍の世界なのだと、俺は身をもって理解してしまった。

 

「一人でその子の面倒を見るのか?」というヒルゼンの問いに、婆様は鼻で笑って答えた。

 

「なに、幸いこの子は不思議なほど手がかからん。……少し、私事の時間を削れば済む話さ」

 

 正直、原作のイメージから「冷徹な政治家」だと思っていた。だが、俺に向けられる視線には、不器用な、しかし確かな体温があった。

 

 

 *

 

 

 ……と思っていられたのは、安定して歩き始められる前までだった。

 俺が五歳になった頃。忍の里の教育は、情け容赦がないという現実を叩き込まれることになった。特に、自分の孫に「生き残る術」を仕込もうとする隠居間際の忍ほど、恐ろしいものはない。

 

「……もう、むり……。ばあちゃん、おんぶして……」

 

 演習場。泥まみれで膝をつき、荒い息を吐く。肺が焼けるように痛く、視界がチカチカと明滅する。全身の毛穴から汗と共に体力が漏れ出していくような感覚。チャクラを使い果たし、指先一つ動かすのも億劫だった。

 

「早く立たぬか。戦場では、その『無理』の後に動けるかどうかで生死が決まるぞ」

 

 婆様は冷たく言い放つ。

 

「……そんなの、わかってるもん。でも、足が……ガクガクして……」

「ガクガク動くのなら、まだ余裕がある証拠だ」

 

 そう言って、婆様は俺を置いてスタスタと歩き去っていく。

 前世の基準なら余裕で児童虐待の範疇だが、ここは忍の里。動けなければ死ぬ。それがルールだ。俺は震える自分の掌を見つめた。

 

 婆様の指導でチャクラの練り方は覚えた。コントロールも、同年代の子供に比べれば悪くないはずだ。だが、五歳の子供の俺が持っているチャクラのタンクは、悲しいほどに小さい。

 

 十五分ほど泥を舐めて這いつくばり、ようやく這い上がった頃には、陽が落ち掛けていた。

 トボトボと、鉛のように重い足を引きずって里のメインストリート――商店街を通る。夕暮れ時の木ノ葉隠れの里は、不思議と温かい。

 

「おう、ヨフネちゃん!今日もコハル様に絞られたのか?ほら、これ食って元気出しな!」

「あ、おじさん……ありがとう……」

 

 馴染みの肉屋の店主が、揚げたてのコロッケを一つ差し出してくれた。ラードの香ばしい匂いと、じゃがいもの熱気が鼻腔をくすぐり、空っぽの胃袋が鳴る。

 

「ほら、ヨフネちゃん。明日も頑張りな」

 

 隣の豆腐屋の婆さんも、揚げたての厚揚げを袋に入れて握らせてくれる。

 周囲を見渡せば、買い物袋を提げた主婦たちが笑い合い、アカデミーの帰りらしい子供たちが追いかけっこをしている。どこにでもある、ありふれた平和な街の光景。

 

 だが、俺は知っている。この平穏な夕景の先には、血で血を洗う戦場があり、いずれ九尾の化け狐がこの街を蹂躙し、さらには「ペイン」という神を自称する男が、この全てを更地にする未来を。

 

(……壊させない。たとえ復興できるとしても、この里が瓦礫の山になるのは見たくない)

 

 握りしめたコロッケの熱が、冷え切った指先に染み込んでくる。

 転生して、本来この世にはいないかもしれない俺は、この街の、この空気が好きになっていた。

 その夜。自宅の食卓には、俺の好物である川魚の塩焼きが並んでいた。

 

「ばあちゃん、これ。厚揚げ、豆腐屋のおばちゃんからもらった」

「そうかい。お前の愛想だけは、誰に似たんだか……」

 

 婆様はぶっきらぼうに言い捨てて、湯呑みを啜る。

 食後、俺は以前から気になっていたことを切り出した。

 

「……ばあちゃん。俺、もっと体術の練習したい。だから……髪、切って」

 

 俺は、腰まで届きそうになっていた自分の髪を指差した。うたたね一族の特徴でもある、艶のある少し赤みがかった白髪。

 

「……忍にとって髪は、チャクラを流す媒体としてかなり優秀だと教えたはずだよ?長い方が有利な場合も多いが」

「今日の練習で分かったの。今の少ないチャクラ、髪にまで回す余裕なんてないよ。それに……」

 

 俺は昼間の演習で、髪が一瞬視界を塞ぎ、婆様のクナイを避け損ねて頬を掠った時のヒヤリとした感覚を思い出していた。

 

「……死にたくない。一瞬の油断で、この街からいなくなるのは嫌だ。だから、邪魔なものは全部捨てる。覚悟を決めたいんだ」

 

 声だけは、五歳の子供らしくないほど低く、はっきりと出た。

 婆様は、湯呑みを置いた。その指先には、現役時代に刻まれたであろう消えない傷跡が幾つも残っている。

 しばらくの沈黙の後、婆様は棚から古びた裁ち鋏を取り出してきた。

 

「……動くんじゃないよ」

 

 ジョキリ、という重く鈍い音と共に、首筋に冷たい夜風が当たった。

 パラパラと畳に落ちる白髪。自分のアイデンティティの一部が削ぎ落とされていくような喪失感と、それ以上の解放感。

 

「……あの髪は、お前の母親にそっくりだったんだがね」

 

 ポツリと、本当に消え入りそうな声で婆様が漏らした。鋏を持つ手が、微かに震えている。

 その一言に、俺の心臓は激しく跳ねた。「里の相談役」ではなく、ただ一人の「祖母」としての顔が覗いた瞬間だった。

 彼女は、俺に厳しく接しながらも、その髪の中に死んだ娘の面影を追い続けていたのだ。それを、俺は自らの手で切り捨てろと言った。

 

「……ごめん、ばあちゃん」

「謝るんじゃないよ。わしがお前に求めているのは、英雄になることではない。……生き残ることだ」

 

 コハルの手が、短くなった俺の頭を乱暴に、しかし温かく撫でた。

 

「明日からは、今までの倍のメニューにするよ。泣き言は聞き飽きたからね」

「……へいへい、望むところだよ」

 

 鏡の中には、少しだけ忍らしくなったガキがいた。

 

 

 *

 

 

 翌年。俺が六歳になり、迎えたアカデミーの入学式当日。木ノ葉隠れの里は、文字通り「木の葉」が舞い散る穏やかな陽気に包まれていた。

 

「いいかい、ヨフネ。今日からお前はただの子供ではない。『忍の卵』だ」

 

 門の前で、婆様――コハルが俺の襟を正す。彼女の指先はいつも通り冷たかったが、その瞳にはどこか誇らしげな色が混じっていた。

 

「わかってる。うたたねの名に恥じないように、だろ?」

「ふん、口だけは達者だ。……死ぬんじゃないよ」

 

 それが彼女なりの「いってらっしゃい」なのだと、今の俺にはわかる。俺は軽く手を振って、騒がしい校門の奥へと足を踏み入れた。

 校庭には、これから同期となる子供たちとその親で溢れかえっていた。

 

 豪華な着物を着た名門の家系、いかにも「忍の家系」といった風貌の無骨な親子。その中に混じって、俺のように親のいない子も少なくない。この里の平穏は、こうした新芽たちを戦場という名の土壌に植え替えることで維持されている。

 

(……あそこにいるのは、秋道の一族か。あっちは奈良……。本物だ)

 

 原作の知識が、目の前の光景を「資料」として処理しようとする。だが、肺に吸い込む土の匂いや、騒がしい子供たちの熱気は、ここが血の通った現実であることを否応なしに突きつけてきた。

 

「おい、ヨフネ!ぼさっとしてんじゃねーぞ!席なくなるだろーが!」

 

 教室の扉を開けた瞬間、鼓膜を震わせたのは聞き覚えのある野太い声だった。

 声の主は、猿飛アスマ。三代目火影の息子であり、この時代においては「一番の目立ちたがり屋」だ。

 

 まだ幼いながらも、その立ち振る舞いには火影の息子らしい自信と、同時にその「七光り」扱いを撥ね除けようとする生意気な余裕が同居している。

 

「わかってるよ、アスマ。お前こそ、そんなに大声出してると先生に怒られるぞ」

「けっ、関係ねーよ!俺はとっとと卒業して、親父を驚かせてやるんだからな!」

 

 アスマは親指で自分の胸を叩く。その隣で、くすくすと笑っているのは夕日紅だ。

 

「ふふっ、二人とも仲がいいわね。おはよう、ヨフネくん。あれ、髪切ったの?かっこいいじゃない!」

「……ああ、気合を入れようと思ってな。紅もおはよう」

 

 紅は相変わらず、変なところでよく見ている。後に里屈指の幻術使いになる彼女は、この頃から他人の変化に敏感だった。

 彼女たちが隣に座るように促してくれる。その平穏なやり取りに、俺の心は少しだけ軽くなった。

 

 だが、その安らぎは、教室の最後列に座る「一点」によって瞬時に凍りついた。

 

(……いた)

 

 一人で窓の外を眺めている、銀髪の少年。

 はたけカカシ。

 まだ五歳。本来なら親の膝で甘えていてもおかしくない年齢だ。しかし、彼が纏っている空気は、他の子供たちとは一線を画していた。

 

 隙がない、というよりも――「異質」だった。

 俺のように「絞り出して」コントロールしているのではない。一切の無駄なく練り上げられたチャクラが、肌を刺すような冷たいプレッシャーとなって周囲を威圧している。そんな気がした。

 

(バケモノかよ……。あれでアカデミー生か?)

 

 自分の持つチャクラが「泥水」だとしたら、あいつは「研ぎ澄まされた氷の刃」だ。

 子供特有のブレや甘さが微塵もない、純粋な殺意すら孕んだ異常な完成度。

 

「……あいつ、はたけカカシだろ?白い牙の息子。一個下なのにもうアカデミー来たんだとよ」

 

 アスマが声を潜めて言った。その声には、対抗心と、それ以上に抗いようのない「才能の差」への困惑が混じっていた。

 

「ああ。あいつが」

 

 俺が呟くと、カカシの視線がわずかにこちらへ動いた。

 感情を排した、冷徹な観察者の目。

 

(……これが、火影になる男の目か)

 

 なんというか、あいつは既に「死」と隣り合わせの場所に立っている。そんな確信があった。

 そして、授業が始まれば、その差は残酷なほど明確になった。

 

 そもそも、忍者アカデミーは基礎的な授業も行うが、あくまで目的は各生徒の適性を見るためのものなのだ。集団学習もあるが、メインではなく、それぞれの進捗状況に合わせて、どんどんとレベルが上げられていく。

 

「変化の術」

 

 教師の合図と共に、カカシが印を結ぶ。

 ドロン、という煙と共に現れたのは、教師と瓜二つの姿。だが、その変化はただ似ているだけではない。放たれるチャクラの圧が、本物以上に本物らしい質量を持っていた。

 繊細さよりも、有無を言わさぬ練度でねじ伏せるような豪快な術。

 対して、俺は。

 

(最小限のチャクラで、イメージを固定する……!)

 

 俺の変化は、カカシほどの圧力はない。だが、髪の毛一本、服の皺一つに至るまで、無駄なチャクラを一切使わずに再現した「精密機械」のような変化だった。

 

 教師はカカシを見て驚愕し、俺を見て感心したように頷いた。

 だが、俺にはわかる。カカシは、予備知識無しで全科目において一番高いレベルにいる、本当の天才だ。

 

 それでも、前世の知識のおかげで学業に余裕がある俺は、基礎的な手裏剣術や体術にひたすら打ち込んだ。家に帰れば厳しくも厳しい、婆様との実戦形式の修行を行う。あれ?厳しいしかない。

 

 

 *

 

 

 そんな切磋琢磨する毎日が続いていくと思ったが、時代はそれを許さなかった。

 

 俺達が入学してからしばらく経ったころ第三次忍界大戦が始まり、里は日に日に物々しい雰囲気に包まれていった。そしてカカシは、最前線で活躍を続ける父・サクモさんの後を追うように、あっという間にアカデミーを卒業していった。

 

 たった一年。彼は俺たちの前から、さらに遠い血の匂いのする場所へと駆け抜けていった。

 

 そして季節が巡り、俺たちが八歳になる頃。

 サクモさんが亡くなった。

 

 任務失敗。里の仲間のために掟を破った彼は、英雄から一転、里の恥晒しとして弾劾され、自ら命を絶った。

 

 骨の髄まで冷えるような、冷たい雨の日だった。

 葬儀の帰り道、泥濘む道を歩いていると、黒い服を着た大人たちが、ヒソヒソと囁き合う声が聞こえる。

 

「里の面汚しが」「忍失格だ」

 

 容赦のない言葉のナイフが、雨音に混じって降り注ぐ。

 その中心に、カカシは立っていた。

 以前よりもさらに小さく見える背中。だが、その周囲には誰も近寄ろうとしない。

 

「……クソが。どいつもこいつも、好き勝手言いやがって」

 

 アスマが傘の柄を白くなるほど強く握りしめ、地面を睨みつけていた。

 

「……俺、あいつのこと気に入らねーけど……これはないわ」

 

 アスマの言葉は、カカシへの失望ではない。憧れていた「強い忍」でさえ、里の冷たい空気に殺されてしまうことへの絶望のように聞こえた。

 紅は何も言わず、ただ悲しげに瞳を伏せている。

 俺は、傘の縁からカカシを見つめた。

 

 才能があっても、英雄と呼ばれても、守れないものがある。

 チャクラの量や才能だけでは、この理不尽な世界は生き抜けない。

 俺は、あんな風には急がない。

 生き残るために、俺は俺のやり方で泥臭く強くなる。

 

「帰ろうぜ」

 

 俺は俺のペースで、今日も婆様に叩き伏せられるために帰路についた。

 

 




 
忍界歴1年
猿飛ヒルゼン(9)

初代火影・千手柱間が隠れ里の仕組みを考え、各国が真似し、現在の統治体制となったこの年を元年として、時系列整理のために忍界歴とつけました。
()内は年齢です。
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