午前五時。
木ノ葉の里の外れ、第十三演習場。
長い間使われておらず、雑草が生い茂り、フェンスは錆びついている通称「幽霊地区」。
そこに建てられた、廃墟寸前のボロ宿舎が、俺達「ヨフネ隊」に割り当てられた拠点だった。「予算がないから仕方ない」と三代目は笑っていたが、割り当てられているだけありがたい。
隙間風が吹き荒れ、床がきしむこの場所は、昨日の結成式と、その後の座学で疲れ果てた隊員たちにとって、唯一の安息の地……のはずだった。
だが、その平穏は唐突に破られた。
『キィィィィィィィン――――ッ!!』
鼓膜をつんざくような高周波音が、宿舎内に響き渡った。
ただの音ではない。チャクラを乗せた、神経に直接障る不快な音響攻撃だ。
「うわあああっ!? 敵襲!?」
「耳が、耳がぁぁぁ!!」
油女ムタが悲鳴を上げながら飛び起きる。
驚いた拍子に、数百匹の寄壊蟲が床に散らばる。
「あわわ、蟲たちが! 戻って、戻ってぇ!」
その蟲に驚いたのは、下のベッドで寝ていた秋道シトウだ。
「うおっ!? ムタ、虫が顔に!?」
ドスン!
巨体のシトウがベッドから転がり落ち、その衝撃で腐りかけた床板が抜け、シトウの下半身が床下に埋まる。
「ぬ、抜けないぃぃ!」
パニック状態の宿舎に、冷徹な声がアナウンスされた。
『おはようございます、各員。……現在時刻、〇四五五、整列まで残り五分です。遅れた班には、ヨフネ隊長の試作品・兵糧丸が朝食として支給されます』
声の主は、本隊(頭)に配属された、聖シモン。
十三歳にして貴重な音響忍術を使える忍であり、その性格は冷静沈着だ――いささかサディスティックだが。
彼はすでに着替えを済ませ、涼しい顔でマイクを握っている。
「朝から里の中で兵糧丸なんて喰ってられるか!」
兵糧丸の味を知る中忍たちは、血相を変えて飛び出した。一方で、新人の下忍たちはパニックだ。
「パンツ! 俺のパンツどこだよ!」
「靴が片方ない!」
「誰だ俺の額当て踏んだのは!」
泣きそうになりながら、彼らは先輩の背中を追って外へ飛び出す。雑草だらけの演習場には、すでに俺――うたたねヨフネが、トレーニングウェア姿でストップウォッチ片手に仁王立ちしていた。
その横には、日向ホヘトも涼しい顔で控えている。
「……三分ジャスト。ギリギリ合格だ」
俺は震え上がる隊員たちを見回した。
寝癖だらけの髪、前後逆のシャツ、片足だけの靴。
ムタに至っては、まだ数匹の蟲が頭の上を這い回っている。とても精鋭部隊には見えない、烏合の衆だ。
「おはよう、諸君。……爽やかな朝だな」
俺はニッコリと笑った。
「アカデミーでは『立派な忍者になれ』と教わったな? そのための訓練を用意してやった!地獄のブートキャンプへようこそ」
*
「走れ! 足を止めるな! 止まった奴から死ぬと思え!」
午前五時半。
月明かりの下、20名の隊員たちが荒れ地を疾走していた。単純なランニングではない。
チャクラを使わず、足場の悪い森林地帯を全力疾走し、その合間に筋力トレーニングを挟む「地獄のサーキット」だ。
「はぁ、はぁ……! もう、無理……!」
「吐きそう……!」
先頭を走るのは、俺だ。隊長である俺が一番前を走り、ペースを作っている。その後ろを、タシ、トンボ、ダエンといった「戦争を知る世代」が続く。
そして、その後ろで下忍たちが死にそうな顔で遅れている。このランニングで、明確な「差」が出た。それは体力の差ではない。「意識」の差だ。
アカデミーを出たばかりの下忍たちの走りは、まるで「スポーツ」だ。終われば休憩があると思っている。
だが、俺たち戦争経験組は違う。俺たちの走りは、「生存本能」だ。チャクラが尽き、忍具が尽き、それでも敵から逃げなければならない時。あるいは、傷ついた仲間を背負って撤退する時。
その時、足を止めることは「死」を意味する。
「……タシさん、息が乱れてませんね」
「元暗部を舐めないで。これくらい、準備運動にもならないわ」
俺の横を走るタシさんは、汗一つかいていない。
トンボやダエンも、口数こそ減っているが、その足取りは力強い。彼らは知っているのだ。泥沼の戦場で、最後に自分を救うのは「基礎体力」だけだと。
一方、後方ではシトウが泡を吹いて倒れかけている。
「うぷ……もう、走れねぇ……」
「立てシトウ! 置いてくぞ!」
「待ってよぉ……」
ムタやスクイも限界に近い。彼らは戦場を知らない世代だ。本当の意味で「命を削って走った」経験がない。
そんな中、先頭集団に食らいついている少年がいた。うちはシスイだ。彼は、俺の背中を睨みつけるようにして走っている。
息は上がっているが、その瞳には「絶対に離されない」という鬼気迫る色が宿っていた。彼もまた、幼くして渦の国で「地獄」を見た側の人間だからだ。
「……いい目だ、シスイ。だが、周りを見ろ」
俺は走りながら声をかけた。
「お前だけが速くても意味がない。……後ろの連中を引っ張り上げろ」
「……ッ、はい!」
シスイは速度を落とし、後方へ回った。「頑張れ! 足を前に出すんだ!」と仲間を励まし、倒れかけたシトウの背中を押す。
俺はそれを見て、小さく頷いた。まずは、身体に叩き込む。忍びの基本は足だ。システムを動かすのも、結局は肉体なのだから。
*
「眼! 視神経が腐ってるぞ! 座標で言え、座標で!」
フィジカル・トレーニングが終わった後は、脳みそのシゴキだ。俺の罵声が拡声器を通して響き渡る。早朝の基礎訓練第二部「情報の伝言ゲーム」。
広大な演習場に散らばった各班が、互いに姿を見せないまま連携を取る訓練だ。だが、疲労困憊の下忍たちに、実戦レベルの通信は荷が重すぎた。
「あ、あっちに敵影! いっぱいいます!」
遊撃班(眼)の油女ムタが、蟲からのフィードバックを受けて叫ぶ。だが、その報告はあまりに稚拙だった。
「『あっち』ってどっちだバカヤロウ!」
本隊(頭)の山中サンタが頭を抱える。通信役の彼には、曖昧な情報はノイズでしかない。
「えっと、北の方……たぶん! あの大きい木のとこ!」
「森なんだから木は全部でかいんだよ!」
ムタは半泣きだ。アカデミーの授業では、こんな高速で情報を求められることなんてなかった。情報が錯綜している間に、仮想敵(俺が用意した丸太のトラップ)が作動する。
煙が上がり、工兵班(脚)の近くに着弾する。
「うわっ!? こっちに来たぞ!」
奈良ダエンが舌打ちをする。
「シトウ、壁だ! 」
「は、はいっ! ……でも朝から走ってて体力が……」
「文句言うな! 」
秋道シトウが土遁で壁を作る。だが、焦って作ったその壁は、あろうことか味方の射線を塞いでしまった。
「――火遁・豪火球の術!」
火力班(牙)のうちはシスイが放った巨大な火の玉が、シトウが作った壁に直撃し、爆散した。
熱風と土煙が味方を襲う。
「あっちぃ!? シスイ、てめぇ味方を焼く気か!」
「す、すみません! 射線上に壁ができるなんて聞いてなくて!」
現場は大混乱だ。眼はパニックになり、頭は怒鳴り散らし、脚はガス欠で、牙は暴発する。そして、その後始末に追われる医療班(尾)のタシさんが、悲鳴を上げながら走り回っている。
「もう! 怪我人は下がって! 結界から出ないでよ!」
「タシさーん、擦り剥いたぁ……」
「泣かないのスクイちゃん! 応急処置して!」
俺は高台からその惨状を見下ろし、深くため息をついた。隣に立つホヘトも、白眼を解除して首を振る。
「……ひどい有様だな、隊長。連携以前の問題だ」
「ああ。個々の能力は悪くないんだが、繋がっていない」
俺は拡声器を構えた。
「……止めッ!!」
俺の号令で、全員が動きを止めた。泥だらけ、煤だらけの隊員たちが、肩で息をしながらこちらを見る。特に下忍たちは、すでに心が折れかけていた。
「ひどいもんだ。……これがお前らの実力か?」
俺は冷ややかに言った。
「アカデミーごっこは終わりだ。脳からの信号が指先に届くまでに三秒かかってる状態だ。これじゃ実戦なら全滅だぞ」
俺は視線をシスイに向けた。
「シスイ。……お前もだ」
「……はい」
シスイが一歩前に出る。彼の顔には、焦りと困惑の色が見えた。
「お前は速すぎる。お前の『瞬身』と判断速度に、他の班がついていけてない。……結果、お前が突出して孤立し、味方の射線を塞いでいる」
「ですが……僕が前に出て殲滅しなければ、彼らがやられます」
シスイは下忍たちを庇うように言った。
「彼らはまだ経験が浅い。僕がカバーしないと……」
その瞳には、強い責任感と――微かな焦燥が宿っていた。なぜ、そこまで焦るのか。俺にはその理由が痛いほどわかっていた。
「……休憩だ。シスイ、お前は少し俺と来い」
*
演習場の端にある木陰。俺はシスイに水を渡し、隣に腰を下ろした。
「……焦ってるな、シスイ」
俺が言うと、シスイは水を一口飲み、静かに俯いた。
「……そんなつもりはありません。ただ、僕がやらなきゃいけないと」
「『僕がやらなきゃ』。……それがお前の悪い癖だ」
俺は彼の目を見た。普段は人懐っこいその瞳の奥に、深い闇が眠っているのを俺は知っている。
「渦の国でのことを思い出しているのか?」
俺の言葉に、シスイの肩がビクリと震えた。彼はゆっくりと顔を上げた。その双眸が、赤く変色していく。三つの勾玉が繋がり、風車のような文様を描く『万華鏡写輪眼』。
「……ヨフネさんは、あの日、あそこにいましたね」
「ああ。……見ていたさ」
俺は遠い目をして、数年前の記憶を手繰り寄せた。
*
数年前。渦の国。
空は黒煙に覆われ、海は血で赤く染まっていた。霧隠れと岩隠れの連合軍による、元渦の国への侵攻。当時、増援として派遣された木ノ葉の部隊の中に、俺と、そしてシスイの父親がいた。
「シスイ! 下がるんだ!」
シスイの父は、優秀な上忍だった。妻を早くに亡くし、男手一つで育ててきた幼いシスイを連れての任務。本来なら子供を連れてくるべきではないが、戦況はそれほど切迫していた。
「父さん、右から来る!」
幼いシスイの声に、父親が反応する。写輪眼による先読みと、息子の的確なサポート。親子の連携は見事だった。次々と霧の忍を無力化していく。
だが、悲劇は突発的に訪れた。瓦礫の陰から、一人の子供が飛び出してきたのだ。シスイよりもさらに幼い、あどけない少女だった。彼女は泣きじゃくりながら、父親に向かって突撃してきた。
「うわあああん! お母さぁぁん!」
戦場には似つかわしくない、ただの迷子の子供に見えた。
「……くっ、子供か!」
父親は反射的にクナイを止めた。写輪眼を持つ冷徹なうちは一族であっても、非武装の子供を殺すことは躊躇われたのだろう。彼は少女を無力化し、保護しようと手を伸ばした。
「待て! 触るなッ!!」
離れた位置にいた俺は叫んだ。俺も直前に体験したのだ。霧隠れの非道な戦術。子供を『人間爆弾』として利用する、あの手口を。
戦場に転がっていた、遠隔操作で「処理」される負傷兵たち。あるいは、狂喜乱舞して自爆するかぐや一族。
霧隠れという里は、命をただの「爆弾」として扱う。だが、遅かった。俺がレールガンを構えるよりも早く、建物の屋上で監視していた霧隠れの暗部が、印を結んだ。
『――起爆』
少女の背中に彫られた呪印が眩い光を放った。
「父さ――ッ!?」
シスイの目の前で、光が弾けた。
轟音。
爆風。
そして、舞い散る赤い霧。
父親は、咄嗟にシスイを庇うように覆いかぶさり――そして、背中を吹き飛ばされた。少女もまた、跡形もなく消し飛んだ。
「……あ……あ……」
シスイは、父親だった肉塊の下で、呆然と空を見上げていた。降り注ぐ血の雨。守ろうとした優しさが、仇となった瞬間。
彼の瞳の中で、何かが弾けた。悲しみ、怒り、絶望、そして無力感。それらが渦を巻き、三つの勾玉を変形させていく。
『万華鏡写輪眼』
俺は、項垂れる彼を必死で抱き留め、戦場から離脱したのだ。
*
「……あの日、僕は無力でした」
シスイの声が、俺を現在へと引き戻す。
「父さんは優しかった。……でも、その優しさが父さんを殺した。敵の子供を殺せなかったから、父さんは死んだんです」
シスイは拳を握りしめた。爪が食い込み、血が滲む。
「だから、僕は非情にならなきゃいけない。迷わず、誰よりも速く、敵を殲滅しなきゃいけないんです。……あの子たちを守るためには、僕が汚れ役になって、全部終わらせるしかない」
その言葉は、悲痛な叫びだった。天才と呼ばれる少年の、孤独な決意。彼は「二度と大切なものを失わないため」に、自分自身をシステムの一部ではなく、全てを守る「神」になろうとしている。
「……それがお前の驕りだ、シスイ」
俺は厳しく言った。
「お前は強い。万華鏡の力を使えば、単独で戦争を終わらせることだってできるかもしれない。……だが、それを使えばお前が壊れる。心も、眼もな」
「……」
「俺がなぜ、少数もしくは単独での任務も多い忍の世界でこんな面倒くさい部隊を作ったと思う?」
俺は演習場でへたり込んでいる下忍たちを指差した。ムタが泣きながら蟲を集め、シトウは一歩も動けない様子で大の字になって泡を吹いている。
どこからどう見ても、頼りない子供たちだ。だが、彼らには彼らの未来がある。
「お前らみたいな天才一人に背負わせないためだ。……天才が凡人を守るんじゃない。凡人が集まって天才を超えるんだ」
俺はシスイの肩を叩いた。
「『待て』、シスイ。お前の速度に味方を合わせさせるな。お前が味方の速度に合わせて、最後に美味しいところだけ持っていけ。……それが『牙』の仕事だ」
シスイはハッとして顔を上げた。「待つ」こと。それは、彼にとって「焦り」を抑え、「仲間を信じる」という最も難しい訓練だった。
「……仲間を、信じろと?」
「ああ。あいつらは弱い。泣き虫で、ドジで、腹ペコだ。……だが、使いこなしてみせろ。それが本当の強さだ。そのためにお前を隊長にしたんだぞ」
俺は立ち上がり、パンと手を叩いた。
「よし、休憩終わりだ! 午後の訓練を始めるぞ!」
*
午後の訓練。
メニューは「対・本隊(ヨフネ&ホヘト)戦」。
「ルールは簡単だ。……あの高台にある『旗(昼食の焼肉券)』を奪い取れば君たちの勝ちだ」
俺は愛用のレールガン(訓練用・減装薬ペイント弾仕様)を構えた。その横には、日向ホヘトも陣取っている。
「ただし、俺はこの銃で迎撃する。そしてホヘトが俺の『眼』となる。もちろん俺らは潜伏もすれば移動もする」
俺はニヤリと笑った。
「弾に当たった奴は『死体』とみなして即退場。……ちなみにこの塗料、一週間は落ちない蛍光ピンクだからな。覚悟しろよ」
「げぇっ!? 一週間!?」
「顔面ピンクで里を歩くのかよ!?」
下忍たちが悲鳴を上げる。年頃の彼らにとって、それは死よりも恐ろしい罰ゲームだ。
「開始ッ!」
俺の合図と共に、十八名の隊員が一斉に散開した。
最初は、やはりバラバラだった。功を焦った中忍数名が正面から突っ込んでくる。
「隊長、三時の方向、距離200。敵影2」
ホヘトが白眼を展開し、冷静に座標を告げた。
「了解」
俺は冷静にペイント弾を風遁で放つ。乾いた発射音と共に、蛍光ピンクの弾丸が彼らの額に直撃する。
「ぐわぁっ!?」
「前が見えねぇ!」
「次! 脚が止まってるぞ!」
俺は容赦なく撃ちまくった。ホヘトの白眼に死角はない。隠れても、回り込んでも、全てお見通しだ。次々とピンク色に染まり、脱落していく隊員たち。圧倒的な火力と索敵能力。個人の力では、近づくことすらできない。
下忍たちは物陰に隠れて震えていた。
「無理だよ、あんなの……」「白眼で見られてるんじゃ、隠れても意味ない……」
恐怖が伝染していく。その時だ。
「……みんな、落ち着いて! バラバラじゃただの的だ!」
トンボの声が響いた。長く俺と一緒にいる彼が、パニックになりかけた隊員たちを叱咤する。
「『眼』! 隊長の射線を読んで! リロードの隙があるはずだ! それにホヘトの白眼にも、意識の集中による『隙』はある!」
「わ、わかった! ……行ってくれ、私の蟲たち!」
遊撃班のムタが、涙目で蟲を飛ばす。
「怖いけど……やるしかないんだ!」
無数の蟲が、空気の流れと俺の指の動きを感知するセンサーとして展開された。さらに蟲たちは密集してチャクラの壁を作り、ホヘトの視界を攪乱する。
「……ほう。蟲で視界を塞ぐか。悪くない手だ」
ホヘトが感心したように呟く。
「今だ! 『脚』、壁を作れ!」
奈良ダエンと秋道シトウが動く。
「シトウ、やれるか!?」
「お腹すいたけど……やるぅぅッ! 倍化の術・岩の盾!」
巨大化したシトウが、最後の力を振り絞って瓦礫を持ち上げる。即席のバリケードが、俺の射線を物理的に遮断した。
「チッ、小賢しい!」
俺は遮蔽物を迂回させるように弾道を曲げるが、そこにはすでに結界が張られていた。医療班のタシとスクイだ。
「ここは通さないわよ! 簡易結界!」
小規模ながら強固な結界が、俺のペイント弾を弾く。
安全地帯が確保されたことで、前衛部隊が息を吹き返した。
「よし、今だ! 突っ込め!」
飛竹トンボが合図を出し、残った隊員たちが一斉に走り出す。だが、俺はニヤリと笑った。
「甘いな。……そこはキルゾーンだ」
俺は設置していた起爆札(ペイント仕様)を一斉に起爆させた。ピンク色の煙幕が上がり、突撃した隊員たちが全滅する。
「くそっ、罠かよ!?」
万事休すか。そう思われた瞬間。煙幕の中から、一つの影が飛び出した。うちはシスイだ。
彼は、ずっと待っていたのだ。味方が囮になり、壁を作り、俺とホヘトの注意を引きつけ、罠を使わせるその瞬間まで。
いつもなら、「彼らが危ない」と飛び出していた場面だ。だが、彼は唇を噛み締め、じっと耐えていた。彼らが作った一瞬の隙を、無駄にしないために。
仲間の屍(ピンク色の死体)を乗り越え、彼は「瞬身」で俺の懐に肉薄した。
「――もらったぁッ!!」
シスイの手には風遁使いの下忍が投げていたクナイをキャッチして握られている。
速い。
今の俺の体勢では、レールガンの照準が間に合わない。ホヘトも、蟲の対応に追われて反応が遅れている。
(やるな、シスイ。……『待て』たじゃないか)
俺は心の中で称賛し――そして、足元のスイッチを踏んだ。
『バチバチバチッ!!』
「うわああっ!?」
シスイの身体が、強烈な電流に打たれて硬直した。俺の周囲半径2メートルに張り巡らせておいた、雷遁結界だ。
「……残念だったな。詰めが甘いぞ、天才」
俺は動けなくなったシスイの額に、ペイント弾を密着発射した。
『ベチャッ!』
シスイの顔が、鮮やかな蛍光ピンクに染まる。
「……終了ッ!!」
*
夕暮れの演習場。そこには、蛍光ピンクに染まった十八名の「死体」が転がっていた。全員、疲労困憊で指一本動かせない。
特に、最後に電撃を食らったシスイは、アフロヘアーのような髪型になって空を見上げていた。
「……あーあ。全滅かよ」
「ヨフネ隊長、大人げなさすぎだろ……」
下忍たちが恨めしそうに俺を見る。俺はホヘトと共に高台から降り、彼らの前に立った。
「……全滅だ。実戦なら、君たちは死んでいた」
俺の言葉に、場が静まり返る。ムタが悔しそうに顔を伏せ、シトウが腹の音を鳴らす。だが、俺は続けて口を開いた。
「だが……まあ最後のアレは悪くなかった」
俺はシスイを見た。彼はピンク色の顔で、少しバツが悪そうにしている。
「シスイが『待った』ことで、他の班が機能した。泣き虫の『眼』が情報を見つけ、腹ペコの『脚』が場を整え、お節介な『尾』が守り……最後に『牙』が届いた。……負けはしたが、システムとしては機能し始めていた」
隣のホヘトも、満足げに頷く。
「白眼を蟲で塞ぐとはな。……一本取られた気分だ」
俺はニカっと笑った。
「及第点だ。……晩飯は俺が奢ってやる」
「……え? ホントですか?」
秋道シトウがガバっと起き上がる。
「ああ。里一番の焼肉屋『Q』だ。好きなだけ食え」
「やったぁぁぁ!!」
「肉だ! 肉だぁぁ!」
歓声が上がる。単純な連中だ。だが、その単純さが今は頼もしい。
「ただし」
俺は付け加えた。
「そのペイント、一週間は落ちないからな。……その顔のまま行くぞ」
「ええええええッ!?」
*
焼肉『Q』。
その夜、店内は異様な光景に包まれていた。顔中ピンク色の集団が、猛獣のように肉を貪り食っているのだ。
他の客はギョッとして遠巻きに見ているが、隊員たちは気にする様子もない。
「うめぇ! やっぱ動いた後の肉は最高だぜ!」
「おいシトウ、俺のカルビ取るなよ!」
「早い者勝ちだろ!」
ダエンが全てを食い尽くそうとするシトウに怒っている。騒がしくも、活気のある光景だ。俺は少し離れた席で、タシさん、ホヘトと共にその様子を眺めていた。
俺たちのテーブルには、ピンク色のアフロヘアーになったシスイも座っている。
「……どうだ、シスイ。みんなで食う飯は」
俺が聞くと、シスイは肉を焼きながら、少し恥ずかしそうに、でも憑き物が落ちたような穏やかな顔で笑った。
「……美味しいですね。一人で食べるより、ずっと」
その言葉に、万華鏡の孤独な影はなかった。彼は天才であることをやめ、仲間の一人としてそこにいた。
親父さんが命を賭して守りたかったのは、きっとこういう景色だったのかもしれない。
「よかったわね、ヨフネ隊長」
タシさんが一人ビールを傾けながら微笑む。ホヘトも茶を啜りながら、静かに目を細めていた。俺はウーロン茶を煽った。
まだ部隊は生まれたばかりだ。課題は山積みだし、シスイの強さを完全に活かすにはまだまだ調整が必要だ。だが、第一歩としては悪くない。
騒がしい宴は、夜遅くまで続いた。
システムという名の怪物は、産声を上げ、確かに脈打ち始めていた。
「あ、一ヶ月はこの調子で訓練するからな」
俺は容赦なく現実を叩きつけながら、一瞬で絶望した顔になる新たな仲間たちを目に焼き付けた。
聖シモン
白髪で髪を伸ばしており、目元は隠れている。
原作においては、中忍選抜第一の試験にて試験官を務める。その確かな眼力で、カンニング回数超過者を次々と失格させた。