「……追うぞ」
俺は立ち上がり、シトウの血で赤く染まった自らの手を見つめながら、氷のような声で命じた。だが、どれだけ周囲の森を捜索しても、志村ダンゾウの痕跡は完全に消え失せていた。足跡一つ、血痕一滴、チャクラの残り香すら存在しない。
さすがは長年『根』という闇の組織を束ねてきた男だ。老いてなお、撤退と隠蔽の技術は通常の暗部のそれを遥かに凌駕している。
「隊長、これ以上の追跡は不可能です。……どうしますか」
ホヘトが白眼を解き、悔しそうに報告してくる。俺は泥濘む地面を強く踏みしめ、決断を下した。
「まずは重要な参考人であるホムラ様を、確実に火影邸へ送り届ける。ホヘト、サンタ、そして残りの一般隊員はホムラ様の護衛につけ。……タシは俺と共に来い。シスイたちと決めていた事前の合流ポイントへ向かう」
俺の指示に、隊員たちは短く応じて動き出した。タシの医療忍術があれば、万が一シスイたちが負傷していても対応できる。
俺たちは部隊を二手に分け、それぞれの目的地へと雨の夜の森を駆け出した。
*
シスイとイタチとの事前の合流ポイントは、かつて密会を行った切り立った岩壁に囲まれた渓谷だ。
シスイの別天神によるクーデター阻止が成功していれば、彼はここで俺たちを待っているはずだった。
「……誰も、いませんね」
渓谷に到着したタシが、周囲を警戒しながら短く呟く。周囲には、人影一つない。嫌な予感が胸の奥で脈打っていた。
ふと、タシがハッとして遠くの夜空を指差した。
「隊長、あれを!」
タシの指差す先、木ノ葉の里の端……うちは地区がある方角の夜空が、赤々と染まっていた。
火の手が上がっているのだ。
「……馬鹿な」
俺は絶望的な光景に息を呑んだ。
作戦は失敗した。クーデターが始まってしまったのか、それとも里の鎮圧部隊が動いたのか。いずれにせよ、最悪の事態が起きていることだけは間違いない。
今すぐうちは地区へ向かおうと地を蹴りかけた、その時だった。
「……隊、長……」
激流の音に紛れるような、かすかな声。
岩陰から、一人の忍が足を引きずりながら姿を現した。
「シスイ!」
俺とタシは弾かれたように駆け寄った。
だが、その姿を間近で見た瞬間、俺は言葉を失った。シスイの全身は深い裂傷と泥にまみれていたのだ。
「タシ、すぐに治療を!」
「はい!」
タシが即座にシスイの横に跪き、両手にチャクラを灯して傷口に当てようとする。だが、シスイは血に濡れた手でタシの腕を弱々しく、しかし明確に押し留めた。
「どうなったんだ、シスイ! 誰にやられた!」
俺が問い詰めると、シスイは荒い息を吐きながら、俺を見上げた。
「……作戦は、失敗しました」
「失敗しただと? 別天神は効かなかったのか!」
「いえ……フガク様に別天神の使用は、成功しました」
シスイの言葉に、俺は眉をひそめた。
「ならばどうして火の手が上がっている!」
「別天神によってフガク様が、急にクーデターの取りやめと和平を申し出たからです。……それに対し、右腕として動いていた強硬派のヤクミさんが激昂し……フガク様を背後から、刺しました」
「なんだと……!?」
俺の背筋に冷たいものが走った。指導者が刺されたことで、集会は完全にパニックになったはずだ。
「それと同時に……神社の外で待機していた見張りが、『面を被った男』に刺されたと血だらけで駆け込んできたんです」
(面を被った男……オビトか!)
俺の脳内で、バラバラだったピースが最悪の形で組み上がっていく。俺がどれだけ里の内部で工作をしようとも、あのイレギュラーが強引に外から介入してきたというのか。
「そこで場は完全に騒然とし、『里が暗部を使ってうちはを滅亡させる気だ!』という流れになりました。そして……うちはの幹部の一人が、急にフガク様が意見を変えるのはおかしいと言い出したんです。俺が、別天神でフガク様を操ったに違いない、と」
「……お前の別天神の能力を知る者は、ごくわずかなはずだ」
「能力について知った者が……意図的に一族に漏らしたとしか考えられません」
「ダンゾウだな……!」
あの男は、やはりクーデターを止める気など最初からなかったのだ。別天神の情報をあえてうちはの過激派に流し、シスイへの疑心暗鬼を煽ることで、一族の自滅を誘発した。
「俺が疑われた直後……フガク様が刺された惨状を見て、イタチの動きが完全に止まったんです。まるで強力な幻術にでもかけられたように。……その隙を突かれ、俺はヤクミさんに背後から刺されました」
シスイは自らの脇腹に空く穴に触れながら、苦痛に顔を歪めた。
「神社から脱出する中、うちはの若手イナビにも襲撃され……撃退はしましたが、もう限界です」
「待て。その後イタチはどうした! 神社に残ったのか!?」
俺の嫌な予感は、ついに限界を突破しようとしていた。
「イタチは……あの場で後戻りできなくなったと悟り、イナビを除いた過激派の大半を殺しました」
「なに……? なら、今火の手が上がっているのは何故だ! 幹部が死んだのならクーデターは止まるはずだ!」
シスイは悲痛な色を浮かべ、血を吐くような声で告げた。
「イタチは……一族を皆殺しにするつもりです」
「どうしてそうなる!! 何故だ! 最悪、クーデターを主導していた過激派だけを殺せば済む話じゃないか!」
「それではダメなんです……!」
シスイが残りの力を振り絞るように、声を荒げた。
「密かに集まっていた過激派だけが殺されたら、残された他の住民はどう思いますか? 『里の命令で、イタチが同胞を暗殺した』と必ず考えます。それでは、今まで和平派だった人たちだって過激派に変わります! 憎しみの連鎖は止まらず、和平なんて絶対に無理なんです!」
俺は息を呑んだ。
うちは一族という閉鎖的なコミュニティにおいて、里への疑心暗鬼はすでに限界を超えている。ここで中途半端に血を流せば、残った者たちは里への復讐に必ず立ち上がる。
それを防ぐには、イタチという一人の「狂人」が、個人的な理由で一族全てを惨殺したという「絶対悪」になるしかないのだ。
「かといって……夜が明けて騒ぎが大きくなる前に、たった一人で一族全員を殺すなんて到底無理だ。非戦闘員も含めれば、約百人はいるんだぞ!」
「イタチは、こうなることを前から覚悟していたようです。……すでに『手は打ってある』と言っていました」
面の男。オビトを引き入れたということか。イタチはあの密会の後も、独自の判断で最悪の事態に備えて単独で動いていたのだ。
「体に障るから大声を出さないで! あなた、内臓まで深く刺されているのよ、急いで本格的な治療をしなくちゃ……!」
タシが泣きそうな声でシスイの胸の傷にチャクラを送り込もうとする。
だが、シスイはゆっくりと首を横に振り、タシの手を再び退けた。
「俺は、もう大丈夫です」
「大丈夫なわけないだろ! 大量出血だ、死ぬぞ!」
「ええ。……死ななければ、ならないんです」
シスイは静かに、底知れぬ覚悟を秘めた顔で俺を見上げた。
「何をする気だ、シスイ」
「隊長……。万華鏡写輪眼の開眼条件って、ご存じですか?」
その言葉を聞いた瞬間、俺の心臓が凍りついたように止まった。
原作の知識。うちは一族が至る、呪われた究極の瞳術。その開眼条件はただ一つ。
「やめろ、シスイ……!」
「参ったな。隊長は、何もかもお見通しですか」
「さあな。弱気なお前の考えなど知らん!」
俺は怒鳴るように返した。嫌な予感がする。こいつが何を考えているのか、痛いほど伝わってくる。
「聞いて下さい」
シスイの口調は、ひどく穏やかだった。
「万華鏡写輪眼の開眼には一つの条件があります。それは……最も親しい人間の死を体験することです」
「何を言ってるんだ!」
俺の叫びは、崖下の激流の音にかき消されそうだった。
そんな事は知っている。原作の知識として知っているからこそ、絶対に認めたくない。
「俺がイタチの前で死ぬことで、あいつに万華鏡写輪眼を開眼させるつもりです」
シスイは、一切の未練がない顔で言葉を紡いだ。
「俺の左眼を託すことで、イタチが別天神を使えるようになる可能性もあります。そうしたらダンゾウに全ての罪を被ってもらい、イタチは弟と共に生きていけるんです。隊長なら分かるでしょ。今のこの最悪の状況を考えると、これが里とうちはを救う最善なんです」
「そんな可能性は無い! それにまだお前は助かるじゃないか。諦めるな、ふざけるなッ!」
俺はシスイの胸倉を掴み上げた。
「俺はシトウを失ったんだ! これ以上、お前まで死なせてたまるか!」
「いくら隊長だって、そんな事言い切れないでしょ」
シスイは優しく、だが力強く俺の手を外した。
「もしあいつの眼が別天神じゃなくても……逃亡するイタチには、力が必要です。俺の命を、あいつの眼にするんです」
その悲痛な瞳を見た瞬間、俺は悟った。
こいつはもう、自分が生き残る未来を完全に諦めている。俺が力ずくで彼を連れ去ろうとしても、必ずどこかで死を選ぶだろう。
なら、どうする。
部下の、友の命を、ただ黙って見送るのか?
(……冗談じゃない)
原作通りの悲劇をなぞるなど、転生者としての俺が絶対に許さない。投身自殺という最悪の結末を想定していたからこそ、俺は事前に手を打っていたのだ。
「…………分かった」
俺は奥歯を食い縛り、シスイの肩を強く掴んだ。
「周囲に配置しているコン平が察知した。今、こっちにイタチが向かっている。全ての方がついたのだろう。ただしだ! 俺の“条件”を飲んでもらうぞ」
「“条件”ですか?」
いぶかしむシスイの耳元に顔を寄せ、俺は絞り出すような声で囁いた。
「――死んだふりをしろ。生きて、這いつくばってでも生き延びろ」
シスイの体がビクリと震える。
「お前のやりたいようにしろ。だが、崖下の川にはタシを潜伏させる。水に落ちた直後、仮死薬と増血剤を飲め。絶対に死ぬな。……生きて、俺と一緒に任務に行くぞ」
シスイは目を丸くし、やがて困ったように笑って、フッと息を吐いた。
「……貴方は本当に……死神とは思えませんね」
「約束しろ、シスイ」
「分かりましたよ、隊長の悪あがきに、俺の命を預けます」
その時。
遠くの森から、凄まじい速度で接近してくるチャクラの気配を感じた。
「タシ、大きな傷口だけでも塞げたか?」
「塞いだだけです」
「やむを得ない。タシはすぐに下流に行って網でも張るんだ」
「分かりました」
そうしてタシはすぐさま崖を降りていった。
「……ヨフネ隊長、貴方もすぐに行って下さい」
シスイは俺から離れ、崖の縁へと歩み寄った。
「うちは地区へ。サスケだけでも必ず保護して下さい。イタチのために。……ここから先は、俺とイタチの問題です。早く行ってくれ!」
俺は、シスイの背中を見つめた。
彼がこれからイタチに何を託し、イタチがどれほどの地獄を背負うことになるのか。それを知っていながら、俺はこの場を去らなければならない。
「……シスイ。条件を、絶対に忘れるなよ」
血を吐くような思いでそれだけを言い残し、俺は背を向けた。足に込めたチャクラが泥を跳ね上げ、俺は火の上がる方へ全速力で駆け出した。
途中でイタチとすれ違いざまに言葉を投げた。
「すまなかった。それと……シスイを頼む」
イタチは深く頷いてくれた気がした。
*
俺が去った直後。
崖の上に、息を切らせたイタチが辿り着いた。
「シスイ……!」
泥と血にまみれた親友の姿に、イタチの顔が蒼白になる。
シスイは振り返り、イタチに向けていつもの、少しだけ困ったような微笑みを浮かべた。
「……遅かったじゃないか、イタチ」
「どうした!何故治療をやめた!」
「俺達の作戦は失敗だ。隊長でも止められなかった」
シスイは、別天神の使用によって万華鏡の模様の消えた右目を手で覆い、残された左目だけをイタチに向けた。
「イタチ、お前は何も言わなかったが、たぶん俺達の思っている以上に複雑な立場だったんだよな? 里、一族、ダンゾウ、そして俺達猟犬、それぞれから期待され、無理をさせて、すまない」
イタチの瞳に、絶望の影が落ちる。
「イタチ、それでもだ。俺はお前にしか頼めない。……代わりに俺の残りの左目、お前に託す」
シスイは指先で自らの左目を抉り出し、血まみれの眼球を、震えるイタチの手のひらに直接握らせた。
「シスイ,お前……何を……!」
「俺の死を、お前の力にしろ」
シスイは血の涙を流しながら一歩後退し、崖の縁、その虚空へと足を踏み出した。
「お前にしか頼めない、友よ。……里を、うちはの名を守ってくれ。サスケは隊長が見てくれると約束してくれた……じゃあな」
「シスィィィィィィィィィッ!!!」
イタチの絶叫が、夜の闇を引き裂いた。
シスイの体が重力に引かれ、崖下の激しく渦巻く南賀ノ川へと吸い込まれていく。
手を伸ばしても届かない。水面に叩きつけられ、暗い飛沫と共に消えていく親友の姿。
父の死、一族の狂気、そして唯一の理解者であった友の喪失。
限界を超えた悲しみと怒り、心を殺して一族を手にかけた後悔、そしてどうしようもない無力感が、イタチの眼を焼き焦がした。
「あああああぁぁぁぁぁぁッ!!」
血の涙を流して天を仰ぐイタチの瞳の中で、三つの巴が激しく交わり、繋がり、禍々しい風車のような紋様――『万華鏡写輪眼』が、ついにその形を成した。
だが、絶望の底で慟哭するイタチは知る由もなかった。
崖下の激流の底深く、事前に命を受けて潜伏していたタシが、水中に沈んできたシスイの身体を確実な手際で回収し、闇の中へと消えていったことを。
*
泥と血にまみれた身体を引き摺るようにして、俺――うたたねヨフネは、燃え盛るうちはの居住区に到着した。
風に乗って、焦げた木材の煙と、むせ返るほどの濃密な血の匂い、そして肌を刺すような熱気が漂ってくる。
「火影様ッ!」
暗部に指示を出していた三代目火影・猿飛ヒルゼンが、幽鬼のような俺の姿を見て、駆け寄ってきた。
「ヨフネ、話は聞いたぞ……すまん。お前達に背負わせてしまった」
「……ダンゾウは姿を消しましたが、こちらには?」
「来ておらぬ」
荒い息を吐きながら、俺達が何を計画していたのか話した。そして、会合で何があったのか。
報告を聞き終えたヒルゼン様の顔から、血の気が完全に失われていった。深く刻まれた皺の一つひとつに、取り返しのつかない後悔と怒りが影を落とす。
「……ダンゾウめ。わしから光を奪い、里の同胞を謀略で殺し合わせるのがお前の正義か……ッ!」
ヒルゼン様は拳で家の塀を叩き、即座に周囲にいた暗部たちに怒号を飛ばした。
「直ちに感知の得意な者でダンゾウの捜索をするんじゃ! その他の者は引き続き、うちは居住区を完全封鎖し、遺体の回収を行え。急げッ!」
三代目が指示を出す後ろで俺は周りを見渡す。
つい数時間前まで、そこには人々の暮らしがあったはずだ。夕餉の支度をする匂いや、子供たちの笑い声があったはずの家々は、火遁によって無残に焼け焦げていた。
自慢の団扇の紋章が描かれた暖簾は返り血で真っ赤に染まり、泥濘んだ石畳の上には、無数のうちは一族の遺体が折り重なるように転がっている。
俺は転がっている遺体から目を伏せた。
ただ一族の誇りを守りたかっただけの者たちが、同じ一族の手によって屠られたのだ。
「イタチ……」
ヒルゼン様が悲痛な声で呟いた時、背後の石段を駆け下りてくる足音が響いた。
どうやったのか、上の警備をすり抜けて、幼いサスケが息を切らして現れたのだ。おそらく、帰りが遅い母親を迎えに来たのだろう。
サスケは周囲の凄惨な光景を目に焼き付けるように呆然としていた。しかし、その目には燃え盛る家と遺体ばかりが映る。
「なんで、なんでみんなが死んでるの?」
サスケはパニックを起こしたように泣き叫んだ。
「ねえ! 兄さんはどこ? 誰がなんでこんな事したの?! 誰か何か言ってよ!!」
誰もが眼を背け、サスケの言葉に反応しない。いや、何と言えば良いのか分からず、反応出来なかった。
「誰か、その子を木ノ葉病院に連れて行ってやりなさい」
泣き狂うサスケの声を遮るように、三代目が静かに命じた。暗部の一人がサスケの首筋に手刀を入れ、気を失わせた彼を抱き上げて連れ出していく。
残りの暗部たちが黙々と遺体の処理を進めようとしたが、ヒルゼン様がそれを鋭く制した。
「遺体はすべて、火影直轄の封印班に引き渡せ。『根』の者には指一本、眼球一つたりとも触れさせるな。下がれ!」
暗部たちが一斉に退避し、現場には俺と三代目だけが残された。
「俺はうちはも里も守りたかったんです」
「ワシもだ。だが、それを望まぬ者がいた。そしてそれはかつての友であった……ヨフネ、お前にはこれからもっと苦労をかけることになる。ワシを支えてくれ」
「……はい」
三代目に返事をした俺は微かな希望を抱き、生存者を探すことにした。
*
翌日の夕暮れ。
里中がうちは滅亡の報で揺れる中、俺は火影直轄の極秘施設へと向かっていた。
道中、物陰から現れたタシとすれ違う。彼女は一瞬だけ俺の目を見つめ、スッと一枚の紙を差し出してきた。
『シスイは一命を取り留めた。それと伝言です』
そこには最後の作戦成功と伝言が書かれていた。そのわずかな報告だけで、俺の心臓の鼓動はようやく正常に戻った。
施設の影となる、知らなければ辿り着けない場所。
そこには三代目と俺,そして抜け忍となるイタチの三人が集まっていた。
「すまなかったな、イタチ。ワシの力不足で……お前に全てを背負わせてしまった」
ヒルゼン様は深く頭を下げた。
「いえ……これで、良かったのです。父フガクは実は万華鏡写輪眼を開眼しておりました」
「何だと!」
やはりこの世は知らないことばかりだ。
「父が背後から刺された時、俺は父に幻覚を見せられました。うちはがクーデターを起こすと何が起こるのか」
俺と三代目は言葉がでない。あの神社の前でイタチの動きが止まっていたのは、その幻術を見せられていたからだったのか。
「今よりもっと悲惨な結末を見ました。だからきっと,これで良かったんです」
諦めのようなイタチの言葉に無力感が漂う。
「お主はこれからどうするのだ」
「今回ある者の手を借りました。その組織に入ろうかと。その名は暁。俺が内側から奴らの動向を探り、里を見張ります。それが、俺にできる最後の任務です」
自ら地獄の底へ赴くという少年の決意に、ヒルゼン様は痛ましげに目を伏せた。
結局そうなってしまうのか。
「約束通り、決してサスケに手を出させん。サスケはワシが責任を持って守ろう」
「それは俺からも約束する」
俺と三代目では頼りないかもしれないが、これぐらいは任せて欲しい。
「結界の暗号は変えずにおく。気になればいつでも様子を見に来ると良い」
「貴方達の優しさを一族の者が理解しなかったのが残念です」
俺は懐から皮袋を取り出し、膝をついたままのイタチへ投げつけた。
「持ってけ。これからの生活、金がなけりゃどうにもならないだろ」
イタチは無言でその袋を受け取った。
「……隊長。シスイの遺体は、回収されましたか」
絞り出すような声で、イタチが問うてきた。
「いや。……あいつは今、タシの隠れ家で寝てるよ。絶対安静だが」
「…………は?」
死に絶えていたイタチの瞳に、激しい動揺が走った。
「あの時お前とすれ違う前のシスイは間違いなく死のうとしていた。だが俺が条件を出したんだ。『死んだふりをしろ』ってな。下流に潜伏させておいたタシが回収した」
俺は、自分の左目を指差しながら伝える。
「シスイからの伝言だ。『お前が里を出ても道を踏み外さないか、俺が見ててやる。一緒に連れて行ってくれ』だとさ」
「シスイ……」
「それに、奴の代わりの目には当てがあるんだ。あいつの親父さんの眼がな」
かつて俺の目の前で亡くなったあいつの父親の眼。大戦中とはいえ貴重な瞳術を戦場に置いておくことはできず、俺が回収していたのだ。まさかこんな形で役立つとは思わなかったが。
「イタチ……本当にすまなかった。困ったことがあればどうにかして連絡をくれ」
そう俺が言葉をかけると、立ちあがろうとしたイタチがふと止まった。
「隊長……最後に一つ、個人的な頼みがあります」
「なんだ」
「……うちはイズミのことです。俺が彼女の部屋に行った時、イズミはどこにもいなかったんです。最近体調を崩していて寝ていたはずなんですが、布団から抜け出たままの様子でした。あいつの遺体は見つかりましたか?」
その言葉に、俺は少しだけ間を空けた。
「うちはイズミ。……お前も隅に置けないな」
俺の揶揄うような言葉に、イタチは痛ましげに目を伏せる。
「……調べるまでもない。攫ったのは俺だ」
室内の空気が凍りついた。イタチの体から、鋭い殺気が膨れ上がる。
だが、俺はそのまま淡々と続けた。
「正確には、俺の指示で数日前にシスイに幻術をかけさせて、波の国へ逃がしたよ。今頃はもう、海を渡ってるはずだ」
イタチの殺気が霧散し、その場に呆然と立ち尽くした。
「大名からの指名依頼で部隊を分断された時はダンゾウの罠かと焦ったが、結果的にあの外交ルートが、お前の大事な『恋人』を逃がすための完璧な隠れ蓑になったってわけだ」
「イズミ……生きて、いるんですか」
「可愛い後輩の惚れた女を、そう簡単に死なせるわけねえだろ」
イタチの瞳から、堪えきれずに大粒の涙がこぼれ落ちた。
両手で顔を覆い、静かに肩を震わせる。どれほどのものを背負い、どれほどのものを自分の手で壊してきたのか。せめて、その重りを少しでも減らしてやりたかった。
「勘違いすんな。お前が里からの憎しみを全部背負ってくれるから、その分の前払いだ。……ちょっと面を貸せ」
俺は泣き崩れるイタチの前に歩み寄り、顔を上げさせた。
そして懐から一本のクナイを抜き,イタチの額当ての金属部分に、刃先を強く押し当てた。
硬質な金属が軋む嫌な感触が手に伝わり、暗い室内に微かな火花が散る。木ノ葉のマークを引き裂くように、横一文字の深い傷をゆっくりと真っ直ぐに刻み込む。刃先を通じて、イタチの堪えきれない震えが伝わってきた。
「抜け忍の証だ。これでお前は、木ノ葉の罪人になった」
俺はクナイを下ろし、涙で濡れたイタチの瞳を真っ直ぐに見据えた。
「だが……俺たちだけは,お前が本当は何を守ったか知っている。だから、一人で抱え込んで、簡単にくたばるんじゃねえぞ」
イタチは額当ての傷をそっと指でなぞり、深く、深く頭を下げた。
「……行ってまいります、ヨフネ隊長」
イタチは闇の中へと旅立っていった。
残された俺たちは、窓辺に歩み寄り、夜の木ノ葉の里を見下ろした。
忍界歴55年
うちはイタチが一族を虐殺
死者105名、生存2名
ヒルゼン(63)、綱手(46)、カカシ(22)、ナルト(7)