【詐欺師の娘】
波の国、シラカワ商会本部。
海風が吹き込むその執務室で、うちはイズミ――表向きは商会代表「シラカワ」の娘として身分を偽っている彼女は、デスクに積まれた新たな企画書の山を前に、深いため息をついた。
先日、火の国から派遣されてきた優秀なエリート文官が、煩雑な帳簿や関税の計算を丸ごと引き受けてくれた。おかげで、ようやく終わりの見えない事務作業から解放され、楽になったと思ったのも束の間だった。
「……お父さんは、また碌でもないことを言い出したわね」
イズミが『お父さん』と呼ぶ人物。それは変化の術でシラカワと名乗っている、木ノ葉の猟犬部隊隊長・うたたねヨフネのことである。
現在、急激な経済成長を遂げる波の国において、かつてこの国を支配していた大名の広大な空き屋敷の活用は、予てよりの課題となっていた。
そこにあの人は、『賭事野(カジノ)』とかいう訳のわからない巨大な賭博施設を作ると言い出したのだ。
賭け事というもの自体、まだ十代のイズミにとっては知識として知っているだけで、決して理解できるものではない。
ましてや――。
「ゆ、ゆ、遊郭なんて……!」
イズミは誰もいない部屋で一人、カァッと顔を真っ赤にして叫んだ。
一応、ヨフネも年頃の娘であるイズミに気を遣い、そういう『大人向け』の事業の書類は彼女を通さずに裏で進めようとしていたらしい。だが、商会のお線の流れをすべて把握しているイズミの目を誤魔化し通せるはずがなかった。
「元とはいえ、大名の屋敷を改装して使う以上、最終的な管理運営は波の国の自治体に任せるって言ってたけど……『アドバイザー料』の名目で、きっちり莫大な利益を貰う気満々だし」
イズミは頭を抱えた。
それにしても、あの人は一体どこからあんな恐るしい知識を持ってくるのだろうか。
「『大数の法則』だっけ……。控除率の仕組みを組み込めば、胴元がほぼ百パーセント儲かるなんて、そんなのただの詐欺じゃない」
しかも、ヨフネの指示書には恐るべき心理的トラップが書き連ねてあった。
『客に時間を忘れさせるため、場内に時計と窓は一切置くな』
『判断力を鈍らせるため、酒と軽食は無料で提供しろ』
『現金ではなく、独自の硬貨に交換させてから遊ばせろ。金銭感覚を麻痺させるためだ』
木ノ葉の忍のはずなのに、火の国のエリート文官すら青ざめるような悪魔的発想。まさしく、超一流の詐欺師の手口である。
「……まあ、遊郭については、どうせ闇に紛れて違法にやっている連中がいるなら、国が管理して衛生面や治安を統制した方がいいっていう理屈は分かるけど。……私としては、絶対に関わりたくないけどね」
イズミは気を取り直し、別の企画書に目を向けた。
唯一、彼女が感心したのは『VIP専用病院』の設立案だ。最高級旅館のような設備とおもてなしを備えた病院を作れば、諸外国の富豪たちがわざわざ大金を落としにやって来る。そして、そこから得た莫大な利益を、波の国の住人たちの医療費に充てて無償化するというのだ。
これなら、誰も批判などできない。本当に、よく考えられている。
だが、書類を読み進めるうちに、イズミの背筋に冷たいものが走った。そもそも、なぜ波の国の大名は、この立派な屋敷を捨てて国から逃げ出したのか。
それは、火の国と水の国と雷の国という大国に挟まれた海の要衝であり、海賊の標的にもされやすいという「地政学的リスク」を恐れたからだ。
(……待って。もしかして、この巨大な娯楽施設や高級病院って……)
イズミの脳裏に、一つの恐ろしい仮説が浮かび上がった。
各国の富豪や要人を顧客として波の国に常駐させる。それはつまり、彼ら自身を実質的な『人質』として機能させるということだ。
世界中のVIPが滞在する島になれば、大国は容易に軍事介入できなくなる。他国の要人を巻き込めば、国際問題に発展するからだ。
「……ただの金儲けじゃなくて、波の国を他国から守るためなの……?」
イズミは書類を持つ手を震わせた。
「……それにしても、まさか波の国に『議会政治』を導入させるなんて」
ヨフネが「商人たちによる自治体制を整えろ」と指示を出した結果、波の国に設立されたのは、各職業別の組合の代表者たちによる合議制の議会だった。
忍の世界において、大名や里の長による独裁ではない、民衆の代表による政治体制など聞いたこともない。
だが、その議会も結局はヨフネの打ち出す革新的な施策に振り回され、同時に彼がもたらす莫大な利益に依存しきっているため、今では議員たちの多くが裏でヨフネの顔色を窺うようになっている。
「……あの人、絶対に忍なんかやめて政治家になった方が良いわ」
有能すぎるがゆえの恐ろしさに身震いしつつ、イズミはふと、別の心配事を思い浮かべた。
最近、雲隠れのマブイや、霧隠れの照美メイといった、大人の色気と権力を持つ美女たちが、たまにヨフネと二人きりで親しげに密談しているを見かけるのだ。
(あんな詐欺師みたいな手口で国を動かす人なんだから……女の人に対しても、意外とだらしなく騙してたりするのかしら?)
身内としてのジト目を向けつつ、イズミは小さく息を吐き、自分のデスクの奥、鍵のかかった引き出しをそっと開けた。
そこには、新しく届いたばかりの、まだ読んでいない一通の手紙が隠されている。
カラスを通じて極秘裏に届けられるその手紙の差出人を、イズミは誰よりもよく知っていた。
(……イタチ君)
手紙の表面をそっと指先でなぞる。
機密保持のため、読んだらすぐに燃やして処分しなければならない。そして何より、彼が今どこでどんな過酷な任務に就いているのか分からない以上、こちらから返信を出することは絶対に許されないのだ。
相手から来るばかりで、自分の想いや近況を伝えることができない。
それが、うちはイズミが抱える、誰にも言えない目下の最大の悩みだった。
波の国の喧騒が遠く聞こえる部屋の中で、イズミは一人、静かに手紙の封を切った。
【想いを馳せる兄】
火の国から遠く離れた、名もなき山中の廃神社。
腐り落ちかけた屋根を激しい雨が打ち据え、堂内には重い湿気と土の匂いが立ち込めていた。
「……よく降りますね。これでは、しばらく動けそうにありません」
干柿鬼鮫は、相棒である大刀『鮫肌』を壁に立てかけながら、退屈そうに首を鳴らした。
堂内の入り口に立つうちはイタチは、振り返ることもなく、ただ黒地に赤雲の外套を濡らす雨の壁を静かに見つめていた。
「イタチさん。そういえば最近、裏社会の方々からの間で少し面白い噂を耳にしましてね」
焚き火の準備をしながら、鬼鮫が世間話のトーンで口を開いた。
「東の海にある『波の国』という辺境の小国が、近頃やけに羽振りが良いらしいのです。なんでも巨大な賭場を作って、世界中の富豪から莫大な金を吸い上げているとか。……裏で糸を引いているのは、木ノ葉の『猟犬』と呼ばれる部隊だそうですが、ご存知ですか?」
「…………」
イタチは振り返ることなく、視線を雨に向けたまま淡々と口を開いた。
「……うたたねヨフネのことか。白々しいな、鬼鮫」
「おや」
「元・霧の暗部だったお前が、知らないはずもないだろう。……既に奴の厄介さについてある程度の『裏』は取っているのだろう?」
イタチの鋭く冷たい指摘に、鬼鮫はニヤリと鮫のような牙を剥き出しにして笑った。
「……くくっ。やはり、イタチさんには誤魔化せませんねえ」
鬼鮫は肩をすくめ、探り合いの空気を解く。
「ええ。他国の裏社会から、少しばかり耳にしましてね。ですが、かつて木ノ葉の暗部分隊長まで務めたあなたの『評価』を直接聞いておきたかったのですよ。……強い忍で?」
「……純粋な『個』の武力で言えば、他にも上はいる。だが……部隊を率いる指揮官として見れば、間違いなく木ノ葉で最も恐るべき男だ」
イタチの迷いのない評価に、鬼鮫は少しだけ意外そうな顔をした。
「イタチさんにそこまで言わせるとは。どのような戦い方をするのです?」
「情報による、戦場の完全な支配だ」
イタチは脳裏に、かつて見たヨフネの部隊の動きを思い描きながら語る。
「白眼による索敵と、山中一族の秘伝による精神伝達網。部隊員全員が情報を共有し、連携して動く。……いや、もはや『よく統制された群れ』などという次元ではない。あれは部隊全体で、意志を持った『一つの生き物』として機能している。奴と戦うということは、単体の忍と打ち合うのではなく、その巨大な生物そのものを相手にするということだ」
「なるほど。ただの力押しではないと」
「ああ。地形を変え、罠を張り、自身の強力な雷遁を囮にして敵を死地に誘導する。……加えて、奴はかつて霧隠れから奪い取った『雷刀・牙』を所有し、戦場全域を雷の檻へと変える」
その名が出た瞬間。
鬼鮫の纏う空気が、ピリッと鋭く冷たいものに変わった。壁に立てかけられていた『鮫肌』が、主の殺気に呼応するようにガサリと包帯の中で身をよじる。
「……雷刀・牙。それは、聞き捨てなりませんね」
鬼鮫の目に、剣士としての好戦的な光が宿った。
「我々霧隠れの刀を、木ノ葉の犬が使っているとは。……いっそ、波の国に赴いて私が『回収』してきましょうか?」
「やめておけ」
イタチは視線を動かさず、静かな、しかし絶対的な冷酷さを含んだ声で制した。
「あの調教された部隊を相手にすれば、お前といえど無傷では済まない。我々には我々の果たすべき任務がある。ただの刀一本のために、無用な消耗とリスクを負う意味はない」
「……」
「それに、我々『暁』の最終目的の一つは『九尾』の回収だ。いずれ木ノ葉を標的とする時が来れば、嫌でも奴らと交戦する機会は訪れる。……今は焦る必要はないだろう」
「……くくっ。なるほど、確かに」
鬼鮫は少しばかり残念そうに息を吐きながらも、鮫肌の柄から手を離した。
「大目標を見失っては本末転倒ですね。イタチさんの言う通りにしておきましょう」
イタチは客観的かつ冷徹な論理で鬼鮫の刃を完全に封じ込めた。
表情の筋肉は一切動いていない。だが、その胸の奥底では、決して表に出すことのない深い感情が静かに波打っていた。
(……だからこそ、俺はあの人に託すことができたのだ)
一族の抹殺という最悪の任務を背負う覚悟を決めていた自分に対し、ヨフネは冷徹なまでの計算と武力をもって介入し、木ノ葉と一族の共倒れという最悪の事態を回避してみせた。
抜け忍として犯罪組織に身を置く今でも、イタチのヨフネに対する絶対的な信頼は揺らいでいない。
あの隙のない男が、木ノ葉という巨大な生き物の手綱を握っている限り、里が致命的な過ちを犯すことはない。
そして、ヨフネが裏で支配する波の国には、イタチにとって生涯忘れることのない少女――うちはイズミがいる。
計画通りであれば、俺の手で命を奪わなければならなかった彼女を、ヨフネは波の国へと逃がしてくれた。
(俺の手は血に染まっている。もう二度と、お前に触れることは許されない)
暁として生きる以上、彼女の前に姿を現すことは絶対にない。だが、彼女が波の国で生きている。その事実だけで、イタチの心は十分すぎるほどに救われていた。
ふと、木ノ葉の里に残してきた最愛の弟、サスケの顔が浮かぶ。
本来であれば、幼い弟を里にたった一人で残してきたことは、イタチにとって最大の不安要素となるはずだった。だが、今のイタチにその不安はない。
木ノ葉の影には、彼が自分の命よりも信頼する親友が潜んでいるからだ。
(シスイ……。お前が里で見ていてくれるなら、サスケが完全に道を踏み外すことはない)
イタチの代わりに、シスイが猟犬部隊の副官として、裏からサスケを護り、導いてくれている。
自分がすべての憎しみを被り、サスケを強くする。その結果、いつかサスケが自分を殺しに来たとしても構わない。
あの恐るべき指揮官が里を護り、シスイが弟を護り、イズミが波の国で生きている。
「……イタチさん? どうかしましたか」
「……いや」
イタチはゆっくりと瞬きをして、胸の奥に渦巻く温かな感情をすべて冷たい檻の中へ閉じ込めた。
振り返った彼の顔には、木ノ葉の忍としての感情も、兄としての弱さも微塵も残っていない。ただ、冷酷な『暁のイタチ』としての無機質な黒い瞳があるだけだった。
「ただ、雨が……少し弱まってきたようだな」
イタチは短く答え、再び外へと視線を戻した。
決して交わることのない光の世界を胸に抱きながら、イタチは再び、長く冷たい闇の道へと歩き出すのだった。
【猟犬達の休日】
木ノ葉隠れの里。繁華街から少し外れた路地裏にある、赤提灯が目印の大衆居酒屋『枡亀』。
香ばしいタレの焦げる匂いと活気ある喧騒が満ちる店内の奥の座敷に、猟犬部隊の古参メンバー七人が集まっていた。
日向ホヘト、山中サンタ、聖シモン、飛竹トンボ、油女ムタ、うちはシスイ、そして奈良ダエン。
部隊がまだ「ヨフネ隊」という寄せ集めだった頃から、死亡率の極めて高い最前線を共に潜り抜けてきた生え抜きのメンバーたちだ。
テーブルの中央には、誰も手をつけていない小さなグラスが一つ、静かに置かれている。
「……それじゃあ。今日も俺たちが無事に生きて帰れたことと」
トンボがジョッキを掲げ、中央の小さなグラスへと視線を向けた。
「俺たちの、腹ペコで誰よりも勇敢だった一番槍に」
「「「シトウに。献杯」」」
七つのジョッキと、一つの小さなグラスがカチンと鳴る。
あの雨の日のダンゾウとの死闘。たった一人の戦死者となってしまった秋道シトウを偲ぶのは、彼ら古参メンバーが集まる時の、静かで大切な儀式だった。
「はい、お待たせ! 追加の冷奴と唐揚げねー!」
しんみりとした空気を吹き飛ばすように、看板娘のお京が料理を運んできた。その瞬間、シモンとムタの二人が弾かれたように背筋を伸ばした。
「あ、あ、ありがとう、お京ちゃん! 」
「この唐揚げの揚げ具合、最高に絶妙だよ!」
女性に奥手な二人が、ひどく真面目で的外れな褒め言葉を早口で並べ立てる。
「ふふっ、変なの。いっぱい食べてね!」
お京は屈託なく笑うと、軽やかな足取りで戻っていった。
それを見送りながら、シモンとムタは互いを牽制するように睨み合い、そして同時に深いため息をついた。
「……いいよなぁ、お京ちゃん。優しくて働き者で……なんで俺たちにはああいう春が来ないんだ」
「俺たちは任務と訓練ばかりで、外での出会いが致命的に少ないからな……」
恋に不器用な男二人が、ジョッキを握りしめて心底切なそうに嘆いた。
「いやあ、それにしても……俺らも大きくなったよな」
サンタが唐揚げをつまみながら、ふと感慨深げに呟く。
「隊長が最初、『S級任務を下忍と中忍の部隊でやれるような部隊にする』って言い出した時は、正気かよって思ったけどな」
「違いねえ。シトウの犠牲はあったが……あの地獄を抜けて、こうして部隊が回ってるんだ。大したもんさ」
ダエンが気だるげに笑いながら、焼き鳥の串を手に取る。
かつては泥にまみれ、理不尽な命令に振り回されていた十代の少年たちも、今やそれぞれの班を率いる立派な大人の忍に成長していた。
「そういえば、トンボ。お前、そろそろ結婚するのか? ほら、病院の……カオリちゃんだっけ?」
シモンが話を振ると、トンボは少し照れくさそうに頭を掻いた。
「まあな。任務がもう少し落ち着いたらって二人で話してるんだけど……うちの隊長、波の国だの他国への介入だのって、次から次へすぐ新しい仕事を増やすだろ? なかなかタイミングが難しくてな」
「あー、分かります。僕たちには『休める時に休め、後輩とローテーションを組め』って口うるさく言うのに」
ムタが苦笑いして同意する。
「でも、結局あの人が誰よりも一番働いてるからな。文句も言えねえよ」
ホヘトが静かにお猪口の熱燗を傾けた。
部隊の規模が拡大し、優秀な後輩たちが育ってきたおかげで、ようやく古参の彼らもこうして休日を合わせられるようになったのだ。
「でもさ、ホヘトやシスイは一族の血筋的に、色々しがらみがあって結婚も難しいんじゃないのか?」
サンタが聞くと、ホヘトは薄く微笑んで首を振った。
「俺のところは、分家同士で許嫁がいるからな。相手も昔からよく知ってる奴だし、気心が知れてる。嫌ではないかな」
「ホヘトは大人だなあ……。シスイはどうなんだ?」
「俺は、まだまだ難しいな……サスケもいるからな。あいつが立派に一人前になるのを見届けてから、自分のことはゆっくり考えるよ」
「お前それ、いつになるんだ。顔が完全に子離れできない親父になってるぞ」
シモンが真面目な顔でツッコミを入れ、座敷に笑い声が弾けた。
「ダエンは、そろそろ子供が産まれるんだっけ?」
「ああ。来月にはな。名前、いくつか考えてるんだが……」
ダエンが少しだけ父親らしい、柔らかい表情を見せる。
「いいなあ! ダエンはパパになるし、トンボはカオリちゃんと結婚間近、サンタだって医療班のスクイと最近良い感じだしよ! なんで俺たちばっかり!」
非モテ組のムタとシモンが、やけくそ気味にジョッキのビールを一気に煽った。
「まあまあ、焦るなよ。……そういえば、恋愛事情といえば、うちの隊長はどうなんだ?」
トンボがふと思い出したように話題を切り替えた。
「よくよく考えてみろよ。隊長は今、二十代。里の暗部すら凌ぐ最強部隊のトップで、政治力は上層部と同等。おまけに波の国の商会を裏で握ってるから、個人の資産は計り知れない。ついでに言うなら、あの恐ろしい真顔さえ崩せば、顔だって悪くない……」
トンボが指折り数えながら解説していくと、座敷の男たちは徐々に真顔になっていった。
「……冷静に分析すると、とんでもないハイスペック物件だな、うちの隊長」
ダエンがドン引きしたように呟く。
「そろそろ身を固めてもいい年齢だろ。お前ら、誰が隊長の奥さんになると思う?」
その問いに、古参メンバーたちの目がギラリと光った。
「俺は、昔馴染みのシズネ一択だね」
下忍時代からの付き合いであるトンボが、ドヤ顔で言い切る。
「第四班で一緒に死線を越えた仲だ。あの気苦労の絶えない苦労人同士、一番素の顔を見せられるのは間違いなくシズネだ」
「なるほど。だが、俺は霧の照美メイだと思うね」
ダエンが顎を撫でる。
「隊長はああいう押しが強くて権力のあるタイプに弱いだろ。あの色気と政治的圧力で迫られたら、物理的に溶かされる恐怖も含めて、最終的に押し切られる方に賭けるね」
「いやいや、俺は絶対に雲隠れのマブイさん推しだな!」
サンタがジョッキをドンと置いて熱弁を振るう。
「あんたたち、あの二人の『やり取り』を見てないから分からないんだよ! 直接一緒に仕事してるわけじゃないのに、他国間の物流や交渉の書面でのシンクロ率が異常なんだ! 隊長が『こう動きたい』って思惑を、あの人は先回りして完璧な調整書を送ってくる。隊長のあの頭の回転についてこれるのは、あの人しかいないって!」
白熱する『シズネ・メイ・マブイ』の三つ巴の議論の中、シモンがふと真面目な顔で提案した。
「じゃあ、もっと身近なところで……同じ部隊のアンコはどうだ?」
その瞬間。
賑やかだった座敷の空気が、ピタリと止まった。
トンボ、ホヘト、サンタ、ムタ、シスイ、ダエン。
全員が顔を見合わせ、まるで示し合わせたかのように、真顔で同時に首を横に振った。
「「「アンコは……ないな」」」
満場一致だった。
「性格が致命的に合わない。隊長がストレスで死ぬ」
ダエンの的確すぎる分析に、全員が深く頷きながらジョッキを傾けた。
「じゃあ……波の国にいる、シラカワ商会のイズミちゃんとかは? ほら、歳は離れているけど隊長もあの子のこと特別扱いしてるだろ?」
ムタが首を傾げながら口にする。すると、シスイがふっと優しく微笑み、静かに首を振った。
「いや、隊長はあの子のことは完全に『大事な娘』として扱ってるよ。保護者目線ってやつだ。だから、恋愛対象には絶対にならないな」
シスイの断言に、ムタは「そっかぁ」と納得したように頷いた。
「じゃあ、結局誰なんだよ……」
「やっぱりシズネだって」
「メイ様に溶かされるね」
「マブイさん一択!」
「いっそ、誰も選ばずに一生仕事して過労で倒れる方に俺は賭けるぜ」
「あり得るから怖いなそれ」
夜はまだ浅い。
明日にはまた、血と泥にまみれる死線の任務が待っているかもしれない。
それでも今夜だけは、木ノ葉の裏社会を支配する「猟犬」たちも、亡き友を想いながら、ただの気の良い青年として他愛のない議論に花を咲かせるのだった。