下忍になってからの半年間は、怒涛のように過ぎ去っていった。
日々の任務は大半がD級の雑用だったが、時折挟まるC級任務や、婆様や自来也様との修行が俺の日常を埋め尽くしていた。
気づけば季節は巡り、里にはどこか浮き足立ったような、それでいてピリついた空気が漂い始めていた。中忍試験の時期だ。
中忍試験。一年に二回行われるこの昇格試験は、単なる実力測定の場ではない。部隊を率いる隊長としての資質、判断力、そして何より「任務を完遂できるか」を問われる場だ。
戦時中のため、原作のような他里との合同開催ではない。当然、各里は自らの次世代戦力を他国にさらけ出すリスクを避けた。結果として、ここ数年は木ノ葉隠れの里単独開催だ。
「お前たち全員が合格するとは、正直思っていない」
推薦状を手渡す際、油女シビ先生はいつも通り無表情に、そして淡々と言い放った。
「だが、お前たちはこの半年で多くの経験を積んだ。今の自分が里の中でどの位置にいるのか。それを知ることは、今後の生存率に直結する。……不合格を恐れず、足掻いてこい。明朝、ここに集合してから受付へ向かえ。八時までだ」
シビ先生なりの激励を受け取った俺たちは、翌日の早朝、演習場にいた。まだ霧が立ち込める中、俺とトンボ、そしてシズネの三人は顔を合わせた。
「いよいよだね、ヨフネ君。緊張してない?」
シズネが少し不安そうに微笑む。彼女の手元には、いつもの医療キットがしっかりと備え付けられていた。
「緊張してミスするほど、婆ちゃんの修行は甘くなかったからね。……それよりトンボ、周囲の気配はどう?」
「今のところ、いつも通りだ。試験官らしき気配も、他班の尾行もない。……行こうぜ。遅れるとそれだけで失格になりかねない」
トンボが額当ての下の瞳を閉じたまま、里の入り口方向を指差す。
俺たちは演習場を出て、里のメインストリートを抜け、受付のある「里の正門」へと歩き出した。
道中、里は朝の活気に満ちていた。
「お、ヨフネ。今日から試験か? 頑張れよ!」
いつもの肉屋の親父が、開店準備をしながら声をかけてくる。
「うん、行ってくるよ!」
俺たちは軽い足取りで歩を進める。その途中、何人かの住人とすれ違った。
買い出しに出かける主婦、大きな荷物を背負った行商人、そして「今日はセールだから早く行かなきゃな」と掃除していた知り合いのおばちゃんと会話する茶色の服を着た男性。
何の変哲もない日常の風景。俺たちはそれを横目に見ながら、里の入り口にある受付へと到着した。
周囲には既に多くの下忍たちが集まっており、朝の冷ややかな空気の中にも関わらず、焦燥感と熱気、そして微かな汗の匂いが入り混じって漂っていた。誰もが周囲を警戒し、ピリピリとした緊張感が肌を刺す。
「第四班、うたたねヨフネ、飛竹トンボ、シズネ。……推薦状の確認は取れた。受理する」
受付に座っていた中忍の試験官は、事務的に書類に判を押すと、俺たちを見据えた。
「では、一次試験の内容を告げる。……里の中に潜んでいる『本物の試験官』を見つけ出し、声をかけ、二つの巻物を受け取れ。以上だ」
「……えっ、それだけですか?」
トンボが驚いて聞き返したが、試験官は視線を書類に戻した。
「チャンスは班ごとに合計三回。二回間違えた時点で、その班は即失格とする。範囲は里内すべて。十二時までにここへ持ってこい……始めろ」
「アヒィ! ヒントなし!? 範囲広すぎない? そんなの見当もつかないよ」
シズネが頭を抱えて悲鳴を上げる。トンボも困惑したように周囲を感知し始めた。
「里の中には数千人の人間がいるんだぞ。その中から変装した試験官を見つけるなんて、数日あっても足りない……。ヨフネ、どうする?」
俺は目を強く閉じ、婆様に叩き込まれた記憶力を必死に振り絞った。脳裏に焼き付いた今朝の光景を、一コマずつ泥臭く手繰り寄せる。
「シズネ、トンボ。まずは落ち着いて。シビ先生がわざわざ『一度ここに集合してから行け』って言った意味を考えるんだ」
「ヨフネ、何か分かったの?」
「単なる集合場所の指定なら、この正門前でも良かったはずだ。わざわざ里の端にある演習場からここまで『移動』させた。つまり、その道中にヒントがあったんだよ」
俺は里の中へと続く大通りを指差した。
「さっき、公園の角ですれ違った茶色の着物の男を覚えてる? 『今日はセールだから急がなきゃ』って言って、里の中心部へ向かって歩いてた人だ」
「あ、覚えてるわ。あのおじさん、すごく急いでたものね」
「今、あのおじさんは門の外……里の敷地から出て、街道を歩いてる」
シズネが「じゃあ、あのおじさんを追いかけなきゃ!」と駆け出そうとしたが、俺はその肩を掴んで制止した。
「待って。行っちゃダメだ、シズネ」
「えっ? どうして? あの人が試験官なんじゃないの?」
「範囲を思い出して。『里内すべて』だ。今、あの人がいるのは門の外……つまり範囲外。もしあの人を追いかけて門を出れば、その時点で失格か、少なくとも貴重なチャンスを一回分ドブに捨てることになる」
トンボが納得したように声を上げた。
「……なるほど。あいつは『矛盾』を抱えたヒントであり、同時に『範囲外』へ誘い出す罠か」
「そう。あの人は囮だ。本物は、あの男とすれ違った時に会話していたおばちゃんだ」
公園の角。茶色の着物の男が「セールに行く」と言って歩き去ったとき会話していた女性。
彼女は、男と話していたにも関わらず男が逆方向――つまり正門の方へ向かって歩き出したとき、一瞬だけその背中を目で追った。
普段なら気にも留めない出来事だ。だがこの中忍試験が絡んでいるとすると話は別だ。
「……戻るよ。公園の角にいた女性。あの人が一人目だ。他にヒントがない以上、試してみよう」
俺たちは来た道を戻り、公園の入り口に辿り着いた。
そこには、先ほどと変わらず黙々と竹箒を動かす女性がいた。
「お疲れ様です。……あんまり一生懸命掃きすぎると、せっかくの『天の巻物』が埃を被っちゃいますよ」
俺が声をかけると、女性は箒を止めた。顔を上げ、深い皺の刻まれた顔で俺たちを見据える。
「……何のことかな、お坊ちゃん。私はただの主婦だよ」
「ただの主婦なら、さっき知り合いの男性が逆方向に歩き出したとき、声もかけもせずあんなに鋭い目で背中を追ったりしませんよ。それに、あんたの箒の動かし方……周囲の音を殺して気配を消すための『一定すぎるリズム』だ」
女性はしばらく沈黙した後、ふっと口角を上げた。
「……カカシといい、お前といい。近頃の飛び級組は可愛げがないな」
ボフッという白煙と共に、女性は木ノ葉の額当てをつけた忍へと姿を変えた。
「合格だ。一つ目、確実に受け取れ」
投げ渡された巻物を、俺は片手でキャッチした。
「さて、二人目はどこにいるかな? 残り時間は二時間半。チャンスはあと二回だ」
試験官はそう言い残すと、瞬身の術でかき消えるように去っていった。
「やった! 一つ目ゲットだよ!」
シズネが弾むような声で言うが、トンボは依然として表情を崩さない。
「ヨフネ。問題は二人目だ。……一人目がこれだけ手の込んだヒントを使っていたんだ。二人目も同じパターンとは限らないぞ」
「分かってる。……ここからは、里の『いつもの景色』との間違い探しだ」
俺たちは再び商店街へと足を踏み入れた。
チャクラの絶対量が極端に少ない俺にとって、真正面からの力押しは死を意味する。だからこそ、俺は生存率を1%でも上げるために、この里のあらゆる情報を頭に叩き込んできた。
どの店が何時に開店し、どの角に誰が立っているのが「日常」なのか。圧倒的な才能がないなら、血のにじむような観察と記憶力で補うしかない。
俺はその「正解」の中から、僅かな違和感を探し始めた。
「……シズネ、見てみて。あそこの茶屋『甘栗甘』の前だ」
「え? 普通に混んでるみたいだけど……」
「違う。あそこのテラス席に座っている、あの男の人だ」
風に乗って、焦げた醤油と砂糖の甘じょっぱい匂いが鼻をくすぐる。俺が指差したのは、みたらし団子を片手に新聞を読んでいる、ごく平凡な身なりの男だった。
「あの人、さっき俺たちが演習場から受付に向かう時も、全く同じ場所にいたよね? でも、おかしいのはそこじゃない。……見て。あの人が読んでる新聞の日付だ」
シズネが目を凝らし、驚愕した。
「……一週間前の新聞だ。しかも、あの人、さっきから一度もページを捲っていない」
「それだけじゃないよ。あの人が座ってる場所は、店の看板がちょうど死角になって、正門から入ってきた奴の顔が一番よく見える位置だ。……おまけに、あいつが食べてる団子。あれは『甘栗甘』の看板メニューじゃない。あそこは栗餡が売りなのに、あの人が持ってるのはただのみたらしだ。この時間にみたらしを出すのは、隣の通りにある団子屋のはずだよ」
俺の分析を聞いて、俺たちは茶屋のテラス席へと向かった。
男に近づくと、彼は新聞から目を離さず、静かに言った。
「……お坊ちゃん。せっかくの休日だ、邪魔しないでくれないか」
「休日に一週間前の新聞を読んで、わざわざ他店の団子を持ち込んで居座るなんて、ずいぶん変わった趣味ですね。……それとも、そこから誰かを見張るための『任務』ですか?」
俺がテーブルを指先で叩くと、男は新聞をゆっくりと畳んだ。
その瞳には、隠しきれない鋭い光が宿っていた。
「……お前達のいう通り、みたらし団子の店は、十時開店。まさか新聞の日付まで見ていたとはな」
男は立ち上がると、懐から二本目の巻物を取り出した。
「二つ目だ。……中忍試験において、最も重要なのは『違和感』を放置しないことだ。お前はそれを完璧にこなした」
巻物を受け取ると、男もまた煙と共に姿を消した。
*
「一次試験、第四班、合格だ。時間は……開始から一時間か。早いな」
受付の試験官が、驚きを隠せない様子で合格の判を押した。
周囲では、まだ闇雲に里中を駆け回っている他班の受験生たちが、驚愕の表情で俺たちを見ている。
「やったあ! ヨフネ君、私たち一番乗りだよ!」
シズネが俺の肩を叩いて喜び、トンボも安堵したように息を吐いた。
「……助かったぜ。正直、あの新聞の日付なんて、言われるまで気にも留めなかったよ」
「俺も、たまたま昨日の新聞でその記事を読んでたから気づいただけだよ」
俺は子供らしく笑って誤魔化した。本当は、婆様と里を歩く時に普段から似たような訓練を受けさせられていたのだ。
「それにしても、団子屋の開店時間やメニューの違いまで気づくなんてすごいわ。ヨフネ君、やっぱり里のことを隅々まで調べてるの?」
シズネが感心したように言うと、俺は思わず言葉に詰まり、ポリポリと頬を掻いた。
「いや、あのみたらし団子に関しては……ばあちゃんの好物で、昔からよくお使いに行かされてるから、たまたま知ってただけで……」
「ふふっ、なんだ。そういうことね」
シズネが微笑み、トンボも呆れたように肩をすくめる。
九歳の子供らしい日常の積み重ねが偶然活きたことに、俺は少しだけ気恥ずかしさを覚えた。
試験終了後、演習場の片隅で油女シビ先生が待っていた。
俺たちが二本の巻物を見せると、彼はいつも通り無機質な声で言った。
「……一時間か。期待以上だ」
「シビ先生。今回の試験、里の『日常』を熟知していないと解けないようになっていましたね」
「その通りだ。忍にとって、戦場は森や砂漠だけではない。自分たちが守るべき里こそが、最も情報に満ちた場所だ。……日常の風景を『ただの景色』として見ている者に、異変は察知できない。中忍として部隊を率いるなら、その『基準』を誰よりも深く理解していなければならない」
先生の言葉に、俺は深く頷いた。
俺たちがこの半年、猫を追いかけ、街の人々と挨拶を交わし、ドブさらいをしてきたこと。
それは単なる雑用ではなく、里を覚えるための、立派な修行だったのだ。
「……さて。一次試験はこれで終わりだが、二次試験はさらに過酷になる。次の舞台は、里の外だ」
シビ先生の言葉に、俺たちは顔を引き締めた。
里の中での「間違い探し」は終わった。
次は、敵意に満ちた未知の世界での「生存競争」が始まる。
「……やってやろうぜ」
九歳の秋。
この先の過酷な試験も、あの婆様の理不尽な修行に比べれば、きっとまだマシなはずだ。俺はそう自分に言い聞かせ、次なる試験へ踏み出した。
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