狐火。名前はカッコいいが使い道がないと思われていた、コン平と契約した時に得た能力。目に見える範囲にマッチ程度のささやかな火を起こすだけの能力。
だが、純度の高い爆発性の気体に対しては、その小さな火種一つで十分すぎた。
鼓膜を破るような、圧倒的な大轟音。
燃焼を伴う火の爆発ではない。空気が一瞬にして急激に膨張し、肺の中の空気まで持っていかれるような凄まじい衝撃波と突風が、橋の上空で炸裂した。
あまりの音圧と暴風に、橋を覆っていた再不斬の濃霧が、一瞬にして跡形もなく吹き飛ばされた。
戦闘の喧騒が、嘘のようにピタリと止まる。
「ぐあぁっ!?」
「ひぃっ、なんだこの音は!?」
突然の轟音に、橋の波の国側に展開していたガトーと部下のチンピラたちが、耳を押さえて無様にうずくまっていた。霧が晴れたことで、互いの姿が完全に白日の下に晒される。
そして、静まり返った橋の欄干に、俺は音もなく飛び乗った。
「てめェ……なんて音出しやがる! うるせェだろうが!」
いち早く体勢を立て直した再不斬が、怒声と共に首斬り包丁を向ける。しかし、俺の表情はどこまでも平然としていた。
「まあそうカッカするなよ。……後ろ、見てみろ。あ、カカシは動くなよ。白君も、再不斬のそばで待機してな」
有無を言わせぬ俺の声。
その直後、バチバチッ!と俺の全身から青白い雷のチャクラが放電され始め、周囲の空間に幾つもの鈍く光る『鉄球』がフワリと浮遊し始めた。オゾンの焦げた匂いが漂い、肌の産毛が逆立つような静電気のビリビリとした感覚が大気を満たす。
うたたね一族の秘伝である念力と、雷遁による威圧。
(……動けば、死角から鉄球で頭を穿たれる)
再不斬も、本来味方であるはずのカカシも、強者の本能でそれを理解した。俺が放つ死神のプレッシャーによって、橋の上の空間を完全に支配した。まあ、実際にはそんなことはできないのだが。
白が素早くカカシたちの方を向き、再不斬の背中を守る陣形をとる。再不斬は油断なく俺を視界の端に捉えながら、橋の反対側で耳を押さえているガトーたちへと視線を向けた。
「……とりあえず、聞いておこうか」
橋の島側を振り返った再不斬の声が、地を這うような低い殺気を帯びた。
「なんでお前たちがここにいる? 木ノ葉お抱えの商会を襲うんじゃなかったのか?」
昨夜、俺が残した『もし依頼人が裏切っていたらどうする?』という言葉が、再不斬の中で確かな疑念となって膨れ上がっていた。
「うたたねヨフネ……!」
俺の姿を認めたガトーが、顔を憎悪で歪ませて叫んだ。表向きはビジネスの相手だが、昔から水面下でシノギを削ってきた因縁の敵同士だ。
「え、ええい! 知ったような口を叩くな!ワシは お前なんぞ知らんぞ!俺達は木ノ葉や自警団があの海の国の御用商人と海賊の所へ行くと聞いてな、私兵団を連れて万が一のために橋を守りに来たんだ! 」
苦しい言い訳を並べ立てて喚くガトー。
「……そうですか」
静まり返る橋の上で、俺が冷たい声で問いかけた。
「ガトーさん。なんであなたは、ここに『護衛の忍が少ないこと』を知っているんです?」
その指摘に、ガトーがギクッと肩を跳ねさせた。
「そ、それは……これだけ人数がいるんだ! 部下が誰かから聞いて報告してきたんだ!」
「情報の出所も知らずに、これだけの人を集めたと? ……じゃあ、その情報源が誰か、俺が教えてあげましょうか。ギイチさん?」
カカシたちの背後でタズナたちと一緒に固まっていた棟梁の一人が、自分の名前を呼ばれてビクッと体を震わせた。
「なっ……ギ、ギイチが!?」
タズナが信じられないというように目を見開く。
「この前の商会での会議の情報も、タズナさんから話を聞いたギイチさんが、ガトーに報告に行っていたんですよ」
俺は肩に乗って来たコン平を指先で撫でた。
「俺はあの会議の参加者全員にコン平の分身をつけておいた。他人に話すたびに分裂して追跡させるようにね。……あっさりとギイチさんに辿り着きましたよ」
「ガトー、お前……ギイチに何を吹き込んだ!」
タズナが血相を変えて叫ぶ。
「『橋が完成してしまえば、外部の業者が入ってきて地元の大工の仕事はなくなるぞ』……そう言って惑わせたんですよ。そして、今日の爆破計画を知って降りようとしたギイチさんを今度は脅して、妻のアガリさんを人質に取った」
俺は冷徹に事実を並べる。
「ちなみに、アガリさんはすでに俺の手の者が救助済みです」
「タズナさん……すまねェ。俺のせいで……」
ギイチがその場に崩れ落ち、両手で顔を覆った。
「ギイチ、お前……」
「ガトーさんのおかげで、息子は島から出て仕事にも就けたんだ。商売のためにも、話をたまに聞かせてくれって言われたら、断れなかったんだ……! まさか、こんなことになるとは……!」
咽び泣くギイチに、全員の視線が集まる。
その隙を突いて、ガトーが懐から小さな機械、爆弾のスイッチを取り出した。
「もう今さら無駄か。……まあ良い!」
ガトーが下劣な笑みを浮かべ、スイッチを高く掲げた。
「ここでお前達は全員死ぬんだからな! この橋のあちこちに爆弾を仕掛けた! 偉そうに御託を並べたって無駄なんだよォ!」
ガトーが狂ったように起爆スイッチを押し込む。……しかし、当然ながら何も起こらない。
「なんでだ! クソォッ!」
ガトーが焦ってスイッチを叩く。
「ガトーさん。すでに爆弾は解除してありますよ」
俺が溜め息混じりに告げる。その言葉に、ガトーの全身が怒りと屈辱でブルブルと震え出した。
「うるさい! お前はいつも偉そうに! 何がガトー『さん』だ、心にも思ってないくせに! 出会った時から俺のことを疑っていたのは分かってるんだ、お前のその涼しい顔を見るたびに虫唾が走る!」
ガトーはステッキを振り回し、顔を真っ赤にして叫んだ。
「もう良い! 再不斬! うたたねヨフネを足止めしろ! それくらいできるだろ! 高い金を払っているんだ!」
その命令に、再不斬から凄まじい殺気が膨れ上がった。
「……俺を裏切っておいて、随分と虫が良すぎねェか? あァ?」
極寒の殺意を向けられ、ガトーが「ひぃっ」と情けない声を上げて後ずさる。
「再不斬。これで俺の話を、もう少し真剣に聞く気になったか?」
俺が浮遊させていた鉄球を手のひらに収めながら問うと、再不斬は忌々しそうに舌打ちをした。
「……てめェの掌の上で転がされているようで、不快だがな」
「もう良い! お前らやってしまえ!」
ガトーが背後の私兵たちに向かって腕を振り下ろす。
「こっちは百人を超えているんだ! 数の力で押し潰せ!」
「いいや、そんなにはいなさそうですよ?」
あまりの小悪党っぷりに薄く笑ってしまう。こんな奴の排除に長年頭を悩ませていたのかと思うと、同時に少し虚しくなった。
「なに?」
ガトーが振り返ると、背後に控えていたはずの私兵たちの数が、明らかに半分以下に減っていた。俺たちが会話している間にも、シノの蟲とキバたちによって、後列のゴロツキから順番に音もなく間引かれていたのだ。
「ひっ……ば、化物どもめ……!」
ガトーが尻餅をつく。
「ガトーは俺によこせ」
再不斬が首斬り包丁を肩に担ぎながら声をかけて来た。
「しっかり、けじめをつけてやる」
「ダメだ」
だが、俺は短く却下する。
「あいつは捕まえて、この国の裁判第一号になってもらうんだからな。その分、お前にも良いことはあるから我慢してくれ」
「……ちっ」
再不斬は不満げに鼻を鳴らしたが、それ以上反発することはなかった。
「さて……」
そう言いながら俺は両手に雷刀を構え、カカシと再不斬、そして教え子たちを見渡した。
「こっからは、カカシ班とヨフネ班……合同で敵を潰すぞ」
その合図と共に、木ノ葉の忍たちと霧の鬼人が、烏合の衆へ向かって一斉に駆け出した。もはや、勝負の行方を疑う者は誰もいなかった。
*
翌日の午後。
波の国最大の港町にそびえ立つ、イズミ商会本部の特別応接室。
つい数日前にも作戦会議が開かれたその重厚な部屋には、淹れたてのコーヒーの香ばしい匂いが漂っていた。しかし、部屋に集まった者たちの顔ぶれは、あの時よりも多く、そして異質だった。
波の国からは、棟梁のタズナ、自警団のカイザ、そして議長のカジ。この前も参加していた各組合の代表達。
木ノ葉からは、俺とカカシ、猟犬部隊のコウ。
そして部屋の片隅、壁に背を預けるようにして、首斬り包丁を床に置いた桃地再不斬と、仮面を外した素顔の白が静かに佇んでいる。
「……まさか、霧の鬼人と肩を並べてコーヒーを飲む日が来るとはね」
カカシが、片手にカップを持ったまま苦笑混じりに呟いた。
「勘違いすんな。俺は次の雇い主への『手配』が済むまで、ここに身を置いているだけだ」
再不斬が鼻を鳴らし、そっぽを向く。白がその傍らで、申し訳なさそうに小さく会釈をした。
「さて、全員揃ったな」
ソファの中央に腰を下ろしていた俺が、静かに口を開く。
「イズミさん。猟犬部隊と自警団がガトーから吐かせた供述と、押収した裏帳簿……調査の結果を報告してくれ」
「はい」
部屋の正面に立ったイズミが、分厚いファイルをバサリと開いた。紙の擦れる乾いた音が、静まり返った部屋に響く。
「結論から言えば、ガトーが企てていたのは、波の国の物流とインフラの完全な独占……そして、商売敵の徹底的な排除でした」
イズミの色のついた眼鏡の奥で、理知的な瞳が光る。
「まず、海の国の御用商人が企てた『保険金詐欺』について。これは、ガトーが裏で糸を引いていました。ガトーは当商会で保険の受理を担当していた男を、自身の息の掛かった裏賭場に通わせ、莫大な借金漬けにしました」
「借金漬けに……」
タズナが息を呑む。
「ええ。そして弱みを握った担当者を脅し、ライバルである海の国の商人に『架空の海賊被害にあい保険金を騙し取らないか』と持ち掛けさせたのです。欲に目が眩んだ商人がそれに乗ると、今度はガトー自身が匿名で、自警団に『海賊のアジト』を密告しました」
「猟犬部隊を、アジトに総動員させるためか……!」
コウが悔しそうに拳を握りしめる。自分たちが、まんまと囮に踊らされていたことを痛感したのだ。
「その通りです」
イズミは淡々とファイルをめくる。
「木ノ葉の忍が総動員でアジトへ攻め入る、まさにそのタイミングを見計らい、手薄になった大橋を爆破してタズナさんたちを始末する。それが本来の計画でした」
「……おい」
壁際にいた再不斬が、低い声で割り込んだ。
「俺を高い報酬で雇っておきながら、どうして最初から橋ごと爆破するような真似を企んでやがった」
「それこそが、ガトーの強欲さの最たるものです」
イズミが冷ややかな声で答える。
「ガトーは最初から、あなたに高い報酬を支払う気などありませんでした。タズナさんを暗殺させた後、折を見てあなたを『口封じ』として排除するつもりだったようです」
その言葉に、再不斬から微かに殺気が漏れる。白がスッと彼の袖を引いて宥めた。
「ですが、そこに有名な『コピー忍者』であるカカシさんが護衛として現れた。ガトーにとっては想定外の事態でしたが、彼は即座に計画を修正しました。あなたとカカシさんを橋の上で激突させ、両者が疲弊し傷ついた絶好のタイミングで、橋を爆破する……そうすれば、波の国の目障りな職人も、木ノ葉の厄介な忍も、高い報酬を約束した抜け忍も、タダで全員まとめて消し去ることができるからです」
「……セコい野郎だ。自分の手は一切汚さず、金も払わず、邪魔者同士を潰し合わせるつもりだったってわけか」
再不斬が忌々しそうに吐き捨てた。
「ガトーの悪辣さは、それだけにとどまりません。さらに彼は、この国の住人たちの『純粋な不安』をも利用し、分断を図っていました」
イズミの視線が、部屋の端で肩を落としている農業組合の代表へと向けられた。前回の会議で、再不斬の恐怖に駆られ「タズナ、街から出て行ってくれ」と極端な言葉を吐いた男だ。
「農業組合の代表であるあなたに対し、ガトーは裏でこう吹き込んでいたはずです。『橋が完成すれば、他国から安い農作物が大量に流れ込み、波の国の農業は壊滅する』と」
図星を突かれ、農業組合の代表がビクッと体を震わせた。
「あ、ああ……。ワシらはただ、自分たちの畑と生活を守りたかっただけなんだ。橋ができれば物流が変わり、ワシらの作った野菜は誰にも買われなくなるんじゃないかと……」
悲痛な声だった。その動機はあくまで組合員と家族の生活を守るための純粋なものであり、決して責められる性質のものではない。ガトーは、そんな彼らの切実な不安に漬け込み、タズナたち建築派との対立を煽っていたのだ。
「その不安はもっともです。ですが、心配には及びません」
イズミは微笑み、新たな書類をテーブルに広げた。
「今の波の国には、かつてとは違い、カジノや高級宿、そしてVIP向けの病院といった富裕層向けの施設が多数存在しています。彼らが求めているのは、安価な輸入品ではなく、新鮮で品質の高い『地元の高級食材』です。農業組合には今後、これらのVIP施設へ向けた高級路線での納入をご提案します」
「ほ、本当か……!? それなら、今まで以上に高く売れるし、ワシらの生活も……!」
「ええ。橋がもたらすのは脅威ではなく、より大きな市場への接続です。当商会が全力で支援いたします」
イズミの的確な提案に、農業組合の代表の顔から不安が消え、安堵の涙が浮かんだ。これもまた、俺が事前にイズミに指示しておいた政策の一つだ。不安を取り除き、利益で縛る。それが最も確実な国のまとめ方だろう。もっとも指示しなくても、イズミは同じようなことを考えていたようだが。
「ガトーはあらかじめ、『鬼人再不斬を雇ったのは、海の国の御用商人だ』という噂を流していました」
俺はソファに深く座り込み、続くイズミの説明を聞きながら、内心でガトーのことを評価していた。
橋が爆破された後、木ノ葉や猟犬部隊が生き残って事件の黒幕を追及しても、すべての証拠と噂は『海の国の商人』に向かうように設計されていた。
ガトーは無関係を装いながら、破滅したライバルの商圏と立場をそのまま乗っ取り、莫大な利益を手にするつもりだったようだ。
「これが、今回の一連の事件の全貌です」
イズミがファイルをパタンと閉じ、報告を締めくくった。部屋の中は、重苦しい沈黙に包まれていた。想像以上にガトーの影響が大きかったことを皆が実感していた。
「……なんてこった」
議長のカジが、頭を抱えるようにして呻いた。
「ギイチの件もそうだが、ワシら波の国の住人の中にも、知らない間にガトーの罠や甘い言葉に乗せられ、利用されていた連中が山ほどいるってことじゃねェか……」
「ああ」と、自警団のカイザも苦々しい顔で頷く。
「ガトーを捕まえたからといって、すぐに国中が綺麗に片付くわけじゃなさそうだ。この国に根を張った毒を抜くには、相当な時間がかかるぞ……」
大人たちの沈痛な面持ちに、部屋の空気が沈みかけたその時。
「……それで良いんじゃないですかね」
俺が、ティーカップをコトリと皿に置きながら静かに言った。
「ヨフネの旦那……?」
カイザが顔を上げる。俺は立ち上がり、窓の外、建設が再開されるであろう、未完成の大橋の方角へと視線を向けた。
「俺の一言から始まったことではあるが……国っていうのは、外から来た忍がポンと魔法のように平和にしてくれるもんじゃない。騙されていた者がいれば罰し、ルールを作り直し、自分たちの手で時間をかけて土台を固めていく。……腐った柱は俺たちが引き抜いた。あとはあんたたち自身で、新しい国の土台を組み上げていく番だ」
これは俺からの冷たい事実でありながら、彼ら波の国の住人に対する絶対的な「信頼」の証でもあった。
「……ああ、そうじゃな。そうさ!」
タズナが、力強く拳を握りしめる。
「他人の力に頼り切った国に、本当の平和は来ねェ。ワシらは必ずあの橋を完成させ、自分たちの手で、この国を豊かにしてみせるぞ!」
*
「……さて。事件の全貌については以上だが、俺たちにはもう一つ、片付けておかなければならない問題がある」
俺がティーカップを置き、タズナたち波の国の首脳陣へ向き直った。
「ガトーの海運会社についてだ」
「ガトーの会社が、どうかしたのかね?」
カジ議長が怪訝そうに眉を寄せる。
「ガトーが卑劣な悪党であったことは事実だ。だが、あいつが構築した『物流の販路』や、偽善であれ波の国に落としていた金が、この国の復興に役立っていたこともまた事実だ」
俺の徹頭徹尾「経済」を直視する言葉に、部屋の大人たちは黙り込んだ。感情論を抜きにすれば、俺の言う通りだった。
「あいつの資産はこの国で差し押さえれば良い。だが、このままガトーの会社を解体し、せっかくの販路を失うのは世界の損失だ。そこで、新しくガトーに代わる海運会社を立ち上げるべきだと俺は考えているんだが――」
「待ってくれ、ヨフネの旦那」
タズナが、鋭い声で俺の言葉を遮った。
「まさか、その海運会社を『木ノ葉の商会』が取り仕切るって言うんじゃないだろうな?」
タズナは真剣な顔つきで、俺を真っ直ぐに見据えた。
「あんたたちには感謝してもしきれねェ。だが、これ以上この国で『木ノ葉』の影響力が増えすぎちまったら、他国が黙っちゃいねェだろう。大国のパワーバランスが崩れ、新たな火種になるんじゃないのか?」
波の国のただの老棟梁から発せられた、確かな「政治と外交」を見据えた言葉。
それは、彼らが誰かに守られるだけの存在から、国を背負う自立した存在へと成長した何よりの証拠だった。俺は満足げに口角を吊り上げた。
「……その通りだ、タズナさん。俺たち木ノ葉への一極集中は、かえってガトーのような反発や陰謀を生むリスクがある。今回、ガトーがこんな事件を起こした原因の一つも、俺たち木ノ葉がここで力を持ちすぎたことにあるからな」
俺はソファから立ち上がり、部屋の扉の方へと視線を向けた。
「だから、会社を立ち上げるのは俺たちじゃない。今この国には俺たち『木ノ葉隠れ』、そして既に参入している『雲隠れ』がいる。だから、今後運営していくのは残る一つの大国、つまり『霧隠れ』さ。そのための人物は、すでに呼んでいる。入ってくれ」
俺の合図と共に、重厚な扉が静かに開かれた。部屋に入ってきたのは、目深に被った笠と外套に身を包んだ一人の忍。彼が顔を上げると、部屋の隅にいた再不斬が「ほう……」と微かに目を細めた。
霧隠れの反乱軍リーダー、照美メイの側近の一人である『碧』だった。血霧の里の鎖国状態を潜り抜け、極秘裏に波の国へ入国していたのだ。
「よく来てくれた、碧。……これが約束の品だ」
俺はテーブルの上に置かれていた分厚いファイルを手に取り、碧へと放り投げた。碧はそれを片手で受け取る。
「お前たちに、ガトーが持っていた海運の販路と顧客リストの情報をすべてやる。あとはあんた達次第だ。まあ、ここまでお膳立てしてやって、失敗する方が難しいだろうがな」
「……いつも、ありがとうございます。ヨフネ殿」
碧はファイルの中身を素早く確認し、俺に対して深く、敬意を込めて頭を下げた。
「ああ、それと」
俺は親指で、部屋の隅に立つ再不斬を指し示した。
「そこにいるのが桃地再不斬だ。紹介はしたからな。そちらも今後のことは、自分たちでどうにかしてくれ」
「……チッ。勝手に話を進めやがって。俺は高くつくぞ」
再不斬が首斬り包丁の柄を叩きながら不敵に笑うと、碧も「メイ様のご期待に沿える働きを見せてもらいましょう」と静かに応じた。
「ああ、あと再不斬。お前の部下の鬼兄弟だっけ?あいつらも猟犬の宿舎で拘束しているから連れて行け」
「あ?生きてたのか?」
「カカシが無力化したって報告をウチにして来たからな。こっちで拘束しといた」
「チッ、余計な世話しやがって」
そう口では言う再不斬だったが、少し嬉しそうだ。
「ここまでしていただいて、本当によろしいのですか?」
碧が改めて俺に問うと、俺は肩をすくめた。
「あんた達の事業が上手くいき、波の国の物流が安定してくれれば、巡り巡って俺たち木ノ葉の商会だってより儲かる。気にするな、それにそちらからお土産も貰ったしな」
俺が涼しい顔で言い放ったその言葉の裏で。
部屋の端に控えていたイズミとコテツは、顔を見合わせ、全く同じことを心の中で呟いていた。
(……ヨフネ隊長、またメイ陣営に貢いでる)
(絶対にこれ、半分くらい趣味でやってますよね、隊長……)
呆れ顔の部下たちの視線に気づくこともなく、俺は窓の外の青空を見上げた。
(鎖国が解けた後の霧隠れ。あそこの特産品や独自の海産物ルートを、木ノ葉の商会で独占的に安く買い付けるための確実な事前投資。今のうちに恩を売っておいて損はない。それに欲しい物も手に入った)
そう考えながら、俺は碧から受け取った巻物が入っている懐を軽く握りしめた。