あっという間に、中忍試験の当日がやってきた。
第八班の三人が無事に受験会場であるアカデミーの教室へと入っていくのを見届け、俺は久しぶりに同期の担当上忍たちと試験結果を待つことにした。
カカシ、ガイ、そしてアスマ。俺たちが集まったのは、下忍たちの熱気から離れて一息つけるアカデミーの屋上だった。雲一つない青空から、眩しい陽射しが降り注いでいた。
「……ほら、アスマ。一本どうだ? 波の国で茶の国から貰ったの、極上の葉巻だぞ」
俺は木箱から太い葉巻を一本取り出し、隣で露骨に貧乏揺すりをしているアスマの鼻先へわざとらしく差し出した。芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
「……てめえ、自分は全く吸わねえくせに!俺が禁煙中だって知っててわざとやってるだろ」
アスマが親の仇でも見るような目で俺の葉巻を睨みつける。
「一本くらい良いんじゃないかな、アスマ。記念にさ」
カカシが本から目を上げず、とぼけた調子で口を挟んだ。
「お前まで言うか!」
「いや、でもほら。一本くらいなら誤差でしょ。誤差」
「誤差じゃねえんだよ! 禁煙ってのはな、一本が命取りなんだ!」
「それは大げさでは」
「大げさじゃない!」
アスマの声がひっくり返った。カカシはそこでようやく本を閉じ、やれやれと肩をすくめた。
「そもそも、なんでまだ辞めてないの? ちょっと前も辞めるって言ってたじゃないか」
「うるせえ。簡単に出来たら苦労なんかしない」
「……ああ、失敗してるんだ」
「馬鹿にしてるだろ今」
「してないよ。……してないよ?」
「語尾に疑問符をつけるな」
言い合いを横から眺めていたガイが、おもむろに腕を組み、真剣な顔でアスマに向き直った。
「アスマよ。実はかねがね言おうと思っていたのだが、煙草というのは体に毒だぞ。肺に煤が積もり、血管が細くなり、心臓への負担も増える。忍として鍛え上げた体に、わざわざダメージを与え続けるのは実にもったいない話だ。それに副流煙の問題もある。妻や子供への影響を考えれば、喫煙は百害あって一利なしと言えるだろう。むしろ今まで吸っていたことの方が……」
「だから今やめようとしてるんだよ!!」
アスマが立ち上がり、両手でガイの襟を掴んだ。
「なんで俺が禁煙しようとしてるのかを全部説明してから『喫煙は百害あって一利なし』とか言えるんだ! 分かってる! 分かってるから苦労してるんだ!」
「ふむ。つまり、理性では分かっていても体が言うことを聞かないという、青春の葛藤か。……それもまた人間としての尊い戦いだな、アスマ!」
「話を聞け!」
「紅ももう妊娠七ヶ月くらいだろ。出産が近づいて、少しでも健康に気を使おうって親父の涙ぐましい努力だな」
俺が笑いながら葉巻を箱にしまうと、ガイの襟から手を離したアスマが、今度は俺を睨みつけた。
「お前、俺たち相手だと容赦ないな」
「まあな、だって同期じゃん。……それにしても、あの紅が母親か。俺が背中を押してやらなきゃウジウジしてたお前らが、立派になったもんだ」
「うるさい。それを言うな」
アスマがバツが悪そうにそっぽを向いた。かつて俺の介入で二人が結ばれた経緯があるため、こういう悪戯も気心の知れた幼馴染ならではだ。
「……おっ。どうやら一次試験のペーパーテストで、早くも最初の脱落者が出始めたみたいだな」
泣き崩れながらアカデミーを出ていく下忍たちの気配を感じ取り、カカシが呟いた。
「もうか。俺たちの班の奴らは大丈夫だろうが……手がかかる分、妙に肩入れしちまうな」
アスマが苦笑しながら、使う筈がないのに何故か持っているライターを弄る。その言葉に、フェンスに背中を預けていたガイが、白い歯を見せてニッと笑いかけてきた。
「どうだヨフネ。俺が以前言った通り、若者を導く担当上忍の任務も悪くないだろう?」
「ああ。お前がしつこく勧めてきた意味が、今は少しだけ分かった気がするよ。……思った以上に大変だったがな」
俺が素直に頷くと、ガイは満足そうに腕を組み、深く頷き返した。
「うむ。たまには真っ直ぐな若者たちから力をもらうのも悪くないはずだ。お前は背負いすぎるからな」
熱血漢だが、こういう時にスッと核心を突いてくるから、この男は侮れない。
「おや……? 珍しい人が来たね」
カカシが屋上の入り口へと視線を向けた。そこから現れたのは、額に汗を滲ませ、落ち着かない様子でウロウロと歩き回るアカデミー教師のイルカだった。見送りを終えた後も気になって、自然と足がここへ向いてしまったのだろう。
「イルカ先生。そんなに落ち着きなく歩き回って、どうしたのさ」
カカシが気怠げに声をかけると、イルカはビクッと肩を跳ねさせた。
「あ、カカシさん……それに皆さんも。いえ、その……教え子たちが無事に試験を受けられているか心配で。特に、ナルトが……」
イルカは眉尻を下げ、心配そうに階下の教室の方を見つめた。
「あいつは不器用で、アカデミーでもずっと失敗ばかりでした。でも、誰よりも真っ直ぐに頑張る奴なんです。だからこそ、無理をして無茶な行動に出ないか……気が気じゃなくて」
「過保護だねえ。あいつらはもう立派な下忍だよ」
カカシがクスクスと笑い、アスマも「親鳥だな」と呆れたように笑う。
「大丈夫ですよ、イルカ先生。あいつはもう一人じゃない。背中を預けられる仲間も、競い合うライバルもいますから」
俺が声をかけると、イルカは少しだけホッとしたように「そうですね……」と微笑んだ。そのまま、照れくさそうに会釈をして屋上を後にしていく。
眩しい陽光の下で、教え子を案じる恩師と、笑い合う同期たち。この光景を守るために、俺たち猟犬は裏で動いている。
「……さて。俺はそろそろ、警備の仕事に行くとするかね」
俺が立ち上がると、カカシたちが不思議そうに首を傾げた。
「警備? お前、担当上忍は待機してても良いんじゃないのか?」
「性分でね。ただ待ってるより、現場の空気を吸ってた方が落ち着くんだ。お前たちも気を付けておけよ。今年は他里の連中が大勢来ているんだからな」
カカシは俺の背中を見送りながら、一度だけ目を細めた。
*
アカデミーの屋上から人気のない裏路地へと飛び降りた俺は、表情から先ほどの和やかな笑みを完全に消し去った。
冷たい日陰の風が頬を撫でる。猟犬連隊のトップとしての冷徹なスイッチを入れ、俺は耳元のインカムを起動した。
「トンボ、聞こえるか。俺もこれから警備の遊撃につく」
『あ、隊長。担当上忍の待機時間だろ? 現場に出ちゃっていいのかよ』
結界班のシステムルームに詰めているトンボから、昔と同じ班だった頃の気安い口調が返ってくる。
「試験が始まってしまえば、担当上忍にやることはないからな。それよりも、感知水球の様子はどうだ? ちゃんと起動しているな?」
『ああ、作動状況は完璧だ。……それにしても隊長』
インカムの向こうで、トンボが小さく息を吐いて笑う気配がした。
『最近の隊長、完全に可愛い部下たちに対して過保護になってきてるじゃん。さっきの声も、今まで聞いたことがないくらい楽しそうだったし』
「……馬鹿なことを言うな。俺はいつだって真面目に仕事をしてる」
『はいはい、そういうことにしておくよ。……で? 本当のところはどうなんだ? みんなの前では言えなかったが、いくら同盟国同士の代理戦争の側面があるからと言って、今回の警備体制、流石に警戒しすぎじゃないか? 何か、ヤバい情報を掴んでるんだろ』
トンボの鋭い指摘に、俺は足を進めながら低く答えた。
「杞憂に終われば、それに越したことはないだろう。……今回、他里が出入りするタイミングで、初めて『音隠れの里』という得体の知れない小国が参加している」
『田の国に新しくできた里だよな。うちの情報部でも、あまり内情を掴めていないブラックボックスだが』
「ああ。お前、田の国の歴史を知っているか?」
『……農業主体の小さな国で、独自の忍の里を持たなかったってことくらいは』
「そうだ。火の国や雷の国といった大国に挟まれたあの国は、戦争が起きるたびに軍隊に領土を通過され、田畑を荒らされ、略奪されるただの『通り道』にされてきた。だが、忍という軍事力がないため、国際社会での発言力はゼロだ。どれだけ被害を受けても、五大国に対して文句一つ言えない」
『……悲惨なもんだな。だが、それがどう繋がるんだ?』
「もし、そんな小国が周辺国に対抗するための発言力と軍事力を、手っ取り早く得ようとしたらどうする? 必要なのは、他国が震え上がるような『代表の知名度』と、脅威となる『暗部の力』だ」
『……ッ!』
インカムの奥で、トンボが息を呑む気配がした。
「かつて木ノ葉を抜けたあの『大蛇丸』が、とある組織を脱退したのが約一年前だ。そして、音隠れの里が歴史に名を現したのも約一年前」
『待てよ……大蛇丸の知名度に、暗部の力……木ノ葉から逃亡して行方をくらましている、ダンゾウ……!? まさか、その二人が裏で手を組んで、田の国を隠れ蓑にしてるって言うのか!?』
「あくまで俺の推測だがな」
俺は冷たく言い放つ。
「だが、最悪を想定するなら無い話では無いと思う。……他の通常任務を置いてまで、この試験の警備を猟犬連隊の総力でやらせた本当の理由が分かるな?」
『…………ああ。背筋が凍ったよ。これ、他の大隊長たちには? 』
「まだ誰にも伝えてない」
『それが良かったと思う。推測の段階で変に情報が回って余計な力が入れば、大蛇丸クラスの忍にはすぐに警戒を悟られるかもしれないからな』
トンボはそう言うと、重く息を吐いた。
「結界班と各部隊を繋ぐ要はお前だ。だからこそ、警戒すべき規格外のチャクラの性質を、お前だけには具体的にイメージして探らせておく必要があった。直前になって重いものを背負わせてすまないが、頼むぞ」
『……分かった。水球の反応は絶対に見逃さない。何か異変があれば、すぐに知らせる。他に気を付けておくべきことはあるか?』
「参加者全員のチャクラ反応を、水球で常時追いかけられるか?」
『いや、ちょっと全員の常時監視はまだ難しいな。水球の処理能力よりも、こっちの頭が追いつかなそうだ』
「そうか。なら、そろそろ一次試験の合格者が出る頃だ。脱落者が出て半分くらいの人数になればいけるか?」
『それでギリギリだな』
「なら、他里の下忍とその担当上忍にターゲットを絞って見張ってくれ。その代わり、何があっても怪しい動きは見逃すな」
『了解。……あ』
突然、遠くのアカデミーの校舎の方から「ガシャアアアンッ!」という派手なガラスの破砕音が響き渡った。
「どうした?」
『いや……おそらく、特別試験官のアンコが、試験会場に窓を突き破って飛び込んだんだと思う。今、すさまじい勢いでチャクラが移動した』
「そうか。あいつの今月の給料から、ガラスの修理代は天引きしておくように事務に伝えておく。……さて、どうやら一次試験は終わったようだな」
俺は歩みを止め、里の南側へと視線を向けた。
「俺はいつでも動けるように、里内を警備している部隊と合流しておく。今、本部に待機しているのは?」
『ホヘトの第一大隊だ。猟犬本部にて即応待機中だぜ』
「分かった。第二次試験の舞台は第44演習場、死の森だ。今すぐホヘトの部隊を死の森の周辺へ移動させろ。俺もそっちへ向かう」
『了解!』
通信を切り、俺は冷たい風が吹き抜ける木ノ葉の通りを蹴った。
(来るべきものが、来る)
転生者として知っていた歯車が、今まさに動き始めた。だからといって、余裕があるわけではない。知っていることと、防げることは別の話だ。
*
そして数時間後。いよいよ第二次試験の幕が上がった。
会場となる『第44演習場』、通称・死の森。その周囲を取り囲む高い金網の外側で、俺は即応待機についていたホヘト率いる第一大隊と合流し、フォーメーションの最終確認を行っていた。
「……各班、演習場内の異常には常に備えておけ。相手は血気盛んな下忍たちだ、試験官の目を盗んでの殺し合いがいつ起きてもおかしくない」
「はっ!」
隊員たちが短く応じたその時、俺の隣でサンタの表情が強張った。彼は耳元のインカムを強く押さえ、本部のシステムルームにいるトンボからの報告に意識を集中させている。
「隊長! トンボ大隊長から緊急の報告です!」
サンタが緊迫した声で叫んだ。
「たった今、草隠れの下忍の元へ、極めて巨大なチャクラが一瞬で近づきました。その後……すべてのチャクラが一度消え、草隠れの下忍のチャクラだけが再び復活したとのことです。確認と指示をお願いします!」
(……来たか)
俺は内心で短く息を吐き、瞬時に冷徹な指揮官の顔へと切り替えた。
「ホヘト、聞いたな。すぐに行くぞ。第一ゲートで試験官をしているアンコにも急行させろ!」
「了解しました! 場所は演習場の第十二番ゲート付近です!」
俺たちは地形を蹴り、木々の間を猛スピードで駆け抜けた。
目的の場所はすぐに見つかった。第十二番ゲート付近、古びた地蔵が彫られた石壁の影。そこに、顔の皮膚を無惨に剥ぎ取られた三体の遺体が転がっていた。
「……酷い有様ね」
背後の茂みが揺れ、第一ゲートから駆けつけた猟犬部隊員であるアンコが、俺たちとほぼ同時に現場へと飛び込んできた。血だまりの中に転がる遺体を一瞥し、彼女は顔を歪める。
「受験生の中に、この草隠れの忍に成り代わった侵入者がいるわね」
「この顔の剥がされ方……知っているのか、アンコ」
俺が問うと、アンコは忌々しそうに、そしてひどく苦しげに首を振った。
「『消写顔の術』よ。殺害した忍の顔皮を自分に被せることで、チャクラや声帯まで完璧に成り代わる恐ろしい禁術。これを躊躇なく使える奴なんて、そう多くないわ……ッ!」
突然、アンコが自らの首筋を強く押さえ、苦悶の声を上げてうずくまった。額から滝のような冷や汗が流れ落ち、呼吸が浅く乱れる。俺が肩を支えると、彼女は首筋に刻まれた黒い三つ巴の痣――『呪印』を掻きむしるように押さえながら、ガタガタと震え出した。
恐怖、憎悪、そして自らの過去との決着。アンコは血が滲むほど唇を噛み締め、その凄まじい決意と共に、忌まわしいかつての師の名を絞り出した。
「……間違いないわ。この術は、大蛇丸よ。あいつに刻まれたこの呪印が、近くにいるあいつのチャクラに反応して疼いてるのよ……!」
その名が出た瞬間、周囲の空気が一気に凍りついた。伝説の三忍の一人であり、木ノ葉に深い怨みを持つS級の抜け忍。
「……そうか」
俺は静かに立ち上がり、即座に戦闘態勢へと移行した。
「医療班だけここに残って、遺体と現場の保存だ。他の実動部隊は、今から演習場の中へ突入するぞ」
俺はインカムに手を伸ばし、本部へ矢継ぎ早に指示を出す。
「トンボ、聞こえるか。今すぐ火影様に連絡しろ。早急に暗部の増援を寄越してほしいと伝えろ。……敵は大蛇丸だ」
『……ッ!嫌な予感はすぐ当たるな。了解した!』
猟犬の精鋭たちを引き連れ、俺たちは金網を越えて死の森へと突入した。
鬱蒼と生い茂る木々が頭上を覆い尽くし、陽光を遮る。足元では人喰いヒルが息を潜める腐葉土が湿った音を立て、巨大な猛獣の唸り声が遠くから低く響いてくる。それでも、百戦錬磨の猟犬たちにとって、そんなものは何の障害にもなり得ない。
アンコの呪印の反応と、感知タイプの隊員の先導に従い、部隊は足音一つ立てずに森の奥深くへと高速で突き進む。血の匂いと、空気に重くまとわりつくような異常なプレッシャーが近づいてくる。
「隊長! だいぶ近くなってきました!」
先頭を走る隊員の報告に、俺は後方のホヘトへ声を飛ばした。
「ホヘト!」
「はい! 白眼ッ!」
ホヘトの目の周りに青筋が浮かび上がり、前方数キロの視界を正確に捉える。
「……いました! 死んだはずの草隠れの忍たちです! 現在、第七班のナルトたちと完全に対峙しています!」
「そうか。このまま突っ込めば、あいつらを巻き込みかねないな。……サンタ! お前の精神伝達で、ホヘトが捉えた敵とナルトたちの位置情報とチャクラの動きを、全員の脳内に直接マッピングしろ!」
「はいッ!」
山中一族であるサンタが印を結ぶ。その鼻筋から一筋の血がツゥと流れ落ちた。極めて高度で脳に負荷のかかる情報処理だが、彼の手腕によって俺たち全員の脳内に、ホヘトの白眼が捉えた俯瞰の戦況図が直接流れ込んできた。
そこから伝わってくるのは、草隠れの姿をした大蛇丸の圧倒的で禍々しい殺気。そして、それに当てられて足の震えを止められないサスケのチャクラの乱れだった。
あの負けず嫌いでプライドの高いサスケが、蛇に睨まれた蛙のように身動き一つ取れなくなっている。それが、大蛇丸というバケモノの異常性を何よりも物語っていた。
俺は走りながら、背後の部隊へ向けて冷たく、力強い声を響かせた。
「全員、状況はマッピングで確認できたな? 相手は伝説の三忍の一人だ。だからこそ、絶対に個人の判断で動くな。部隊の連携が崩れた瞬間、俺たちはただの烏合の衆になる」
俺の言葉に、猟犬の隊員たちの顔がスッと引き締まった。
「訓練通りにやれ。それだけだ。……プランBへ移行するぞ」
俺の号令と同時、猟犬の隊員たちが走りながら一斉に懐へ手を伸ばした。全員が特殊な防音・遮光機能を持った特製ゴーグルをカチャリと目の上に下ろし、音響閃光弾の投下に備える。
「まずはナルトたちを、あの化けている大蛇丸から引き離す!」
「「「おうッ!!!」」」
猟犬の精鋭たちが、死の森の闇の中を一直線に駆け抜けていった。