同情するならチャクラくれ   作:あしたま

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059.月詠

 

 

 新たな火影が決まらぬまま、会議が終わってしまった翌日。木ノ葉の里には、今日も復興の槌音が響き渡っていた。

 

 甘味処の軒先。心地よい風が吹き抜ける中、俺ははたけカカシ、猿飛アスマ、マイト・ガイと共に茶をすすっていた。

 

「いやぁ、それにしても驚いたぜ。親父が一線を退くとはな。お前、火影候補になってるって噂は本当か?」

 

 アスマが、口に咥えた火のついていない煙草を転がしながら、ニヤニヤと笑う。

 

「みんな買い被りなんだよな。俺はちょっと金を持ってるだけのただの上忍だよ」

「嘘つけ、この里の忍びの中では一番金持ちだろうが」

「そうだ、謙遜するな、ヨフネ! お前の青春の炎は、いま木ノ葉で最も熱く燃え盛っているではないか!」

 

 ガイが白い歯を見せてサムズアップする。その隣で、カカシは相変わらず『イチャイチャパラダイス』から目を離さずに適当な相槌を打っていた。

 

「で? お前こそどうなんだアスマ。紅の体調は」

 

 カカシが本から視線を上げずに問うと、アスマは照れくさそうに頭を掻いた。

 

「ああ。もう八ヶ月目に入った。戦闘にも巻き込まれずに済んで、順調そのものだ。もうすぐ親父になるってのに、里がこんな状況で少し心配だったが……ヨフネ、これもお前のおかげだ」

 

 珍しく素直なアスマの言葉が嬉しかった。

 アスマの横には、紅への手土産であるみたらし団子の包みが置かれている。これから生まれてくる新しい命と、それを守る大人の顔。

 

 忍という死と隣り合わせの職業において、こういう穏やかな時間は何より尊い。

 だが、そんな和やかな空気が、一瞬にして凍りついた。

 

 茶を飲もうとした俺の視界の端に、店内の隅の席に座る二つの影が映ったのだ。

 編み笠を深く被り、顔を隠した二人組。

 黒地に赤雲の外套。

 

 (……暁……!)

 

 心臓が跳ねるのを、強靭な意志で押さえ込む。うちはイタチと、干柿鬼鮫。俺は彼らがここへ来る理由を知っているが、それでも、S級の抜け忍二人を前にして何もしないわけにもいかない。

 

 (それに、イタチと情報交換できるチャンスかもしれない……)

 

 ふと横を見ると、先程までだらけきっていたカカシの視線が、本越しに鋭くその二人を捉えていた。元暗部として、冷たく研ぎ澄まされた顔だ。

 

 俺は動揺を微塵も見せず、机の下でカカシへ向けて指先だけを動かした。

 音を立てない、猟犬によって広められたハンドサイン。

 

 『警戒』『危険度:高』『援軍要請』

 

 視線を一切合わせず、カカシの指先が机の裏をトン、と一度だけ叩いた。

 『了解』の合図だ。

 

「……おっと」

 

 カカシがパタンと本を閉じ、立ち上がる。

 

「ちょっと野暮用を思い出した。悪いが、先に行くよ」

「なんだカカシ、お前もか? 実は俺も、三代目に呼ばれてるんだ」

 

 俺も合わせて席を立つ。

 アスマとガイは、俺たち二人の行動で、即座に空気を察した。伊達に上忍を張っているわけではない。彼らもまた、視線だけを動かして店内の隅の二人組を捉えた。

 

「……そうかよ。じゃあ、俺らもいくか。紅への土産が冷めちまう前にな」

 

 アスマが煙草に火をつけ、静かに息を吐き出す。

 

「俺も付き合おう!」

 

 ガイが普段通りの大声を出しながらも、その全身の筋肉は完全に戦闘態勢へと移行していた。

 俺は三人に背を向け、店を後にする。

 

 向かう先は猟犬の待機所だ。急ぎシスイを動かし、あわよくば鬼鮫だけを倒したい……が、そうはうまく行かないだろうな。

 

 とりあえず、波の国に向かっている自来也様に警戒くらいは呼びかけないとな。

 

 平和な昼下がりは、みたらし団子の甘い香りと共に唐突に終わりを告げた。

 笠を被った影も席を立ち、それを追って木ノ葉が誇る三人の上忍が動き出した。

 

 

 

 

 「……シスイさん?」

 

 木ノ葉の通りを歩いていたサスケは、ふと足を止めた。

 

 視線の先、建物の屋根を音もなく疾走していく集団がいる。隊服に身を包んだ猟犬の部隊。そしてその先頭を走るのは、普段から自分の生活の面倒を見てくれている、うちはシスイだった。

 

 サスケは声をかけようと息を吸い込み――直後、背筋に冷たい汗が伝うのを感じて言葉を呑み込んだ。

 

 (なんだ、あの殺気は……)

 

 いつも穏やかに笑うシスイの顔からは、一切の感情が消え失せていた。そして周りの隊員が放つ、凄まじい殺気。

 

 しかも彼らが向かっているのは里の外の任務ではなく、里の内側、川沿いの方向だ。

 

 (里の中で、シスイさんがあんな顔をするなんて……一体何が起きているんだ?)

 

 異常すぎる事態。サスケは嫌な予感に急き立てられるように、無我夢中でシスイたちの後を追った。

 

 

 

 

 一方、川沿いの水上。

 俺が手配を終えて駆けつけた時、そこには一見すると絶望的な結果が横たわっていた。

 

「はぁっ……はぁっ……!」

 

 水面に膝をつき、全身を痙攣させているカカシ。その前で、アスマとガイが彼を庇うように立ち塞がっている。

 

「木ノ葉の気高き碧い猛獣…? いえ、どう見てもただの珍獣ですね」

 

 数十メートル先で水面を滑りながら体勢を立て直した鬼鮫が、大刀・鮫肌を担ぎ直してガイを冷笑した。どうやらガイの蹴りで距離を取らせた直後のようだ。

 

 そして、鬼鮫の隣に静かに立つ男――うちはイタチ。

 

「……遅れたな」

 

 俺が音もなくアスマたちの横に降り立つと、アスマが血相を変えて叫んだ。

 

「ヨフネ! 奴の眼を見るな! カカシが一瞬でやられた!」

 

 その警告は正しい。写輪眼の幻術に対するセオリーだ。

 だが、俺は武器も構えず、ゆっくりと一歩前に出た。そしてアスマの制止も聞かず、イタチの血のように赤い『万華鏡写輪眼』を真っ直ぐに覗き込んだ。

 

「おや……その腰にある刀は雷刀、ということはこれが噂に聞く、うたたねヨフネさんですか。しかし……木ノ葉の死神とは馬鹿なのでしょうか?忠告を聞かずに自ら眼を合わせるとは。すでに幻術の餌食ですね」

 

 鬼鮫が嗤う。アスマが「馬鹿野郎!」と絶望の声を上げた。

 周囲の誰の目にも、俺が間抜けにも幻術の罠に飛び込んだようにしか見えなかっただろう。

 俺とイタチの視線が、交差した。

 

 そして、世界が反転する。

 

 空は血のように赤く濁り、風景のすべてが白と黒のモノクロに染まる。

 

 だが、カカシが引きずり込まれたはずの凄惨な拷問空間は、そこにはなかった。広がっていたのは、かつて木ノ葉の里に存在した、静かな「うちは一族の居住区」の縁側だった。

 

 現実では一瞬の出来事も、この空間では術者によって、時間が引き延ばすことができたはずだ。暁の目である鬼鮫を完全に欺き、誰にも邪魔されずに情報交換ができる『密室』だ。

 

「……あえて眼を合わせてくるとは。幻術の中で殺されるとは思わなかったのですか、ヨフネさん」

 

 イタチの低く静かな声が、赤い空の下に響く。

 冷酷な暁の抜け忍としての仮面を外し、かつて共に戦った木ノ葉の里の「うちはイタチ」の口調に戻っていた。

 

「そこは信じるしかないだろう。少なくともお前が俺を殺す理由がない」

 

 俺が縁側に腰を下ろして隣を叩くと、イタチは小さく息を吐き、重苦しい黒地に赤雲の外套を脱ぎ捨てた。そして、憑き物が落ちたような顔で俺の隣に座る。

 

「ここは俺の精神世界です。外の時間は完全に止まっています。外では一瞬でも、ここでは七十二時間過ごせます」

「気が利く術じゃないか。なら、急ぐ必要はないな」

「それでも、お互いに知りたいことは山ほどあるはずです。まずは、中忍試験と大蛇丸の件からお願いします」

 

 俺は事の顛末を語り始めようとして、幻術で再現された茶を啜る……不味い。せめて美味しくしてくれよ。

 

「中忍試験の前に、お前が『大蛇丸が暁を抜けた』という情報を事前に流してくれたおかげで、里の防衛を強化する大義名分ができた。しかし大蛇丸は、木ノ葉を攻める以外にも目的があったらしい。不屍転生の術、自身の精神だけを他者の肉体に移し、これを繰り返す事で永遠の命を得ようとする術だ。そして、その器に選ばれたのがサスケだった」

 

 その言葉を聞いた瞬間、イタチの双眸が微かに見開かれ、口を開く。

 

「奴は俺を襲おうとしたため返り討ちにした結果、暁を抜けました。うちはの眼を狙っているとは思いましたが、想像以上に碌でもない事を考えていたようですね」

「ああ、だが安心しろ。サスケが襲われた時に猟犬で退けた。何か術をかけられた痕跡も無い」

 

 その言葉を受けて、イタチから深い安堵の息が漏れた。

 

「……感謝します。ですが、木ノ葉崩しそのものは防げなかったと聞いています。里の被害は」

「建物やインフラの損害は大きいが、死傷者は最小限に抑えた。……だが、あの事件の責任を取り、三代目の爺様が一線を退くことになった」

 

 俺の言葉に、イタチの顔つきがスッと変わる。

 

「三代目が……。では、五代目は誰が?」

「自来也様が、もう一人の三忍である綱手様を探しに出ている。おそらく彼女が就任するだろう。安心しろ、お前との約束については共有して守らせるさ。絶対にな」

「ありがとうございます。そのことが心配でここに来たんです。あなたに託して正解でした」

 

 イタチは感嘆の息を漏らした。だが、俺はすぐに表情を引き締める。

 

「目的はそれだけか?『暁』は尾獣や様々な術を集めていると聞いている」

「そこまで情報を……そうです。俺達には九尾の人柱力の捕縛命令が出ています。俺達が戦っても退けられる忍を護衛につけておいて下さい」

 

 無茶なことを簡単にいうやつだ。万華鏡写輪眼と尾のない尾獣と言われる相手を退けられる忍なんてそうそういてたまるか。

 

「難しい事を簡単に言いやがって。ただ、これからは自来也様がナルトに修行をつけるだろうから、まあなんとかなるか。あと、今は自来也様と一緒に波の国に向かっているからな。綱手様もいる」

「それは……過剰戦力ですね。そこまでいくと、本気で戦ってみたいですね。」

「やめてくれ」

 

 俺がそう言いながら頭を抱えると、イタチがクスッと笑った表情を見せた。

 

「お前のその表情が見れて嬉しいよ。暁にとって大蛇丸は今どういう扱いになっている?」

「奴は裏切り者として、見つけ次第報告、もしくは抹殺の対象となっています。奴は俺を襲おうとしただけでなく、この術具を持って逃げましたから」

 

 そう言ってつけている指輪を見せてくる。

 

「そうか。なら、現実に戻った後、鬼鮫には『俺の表層心理を読み取って情報を得た』と報告しろ」

「俺が隊長の心理を……? どのような情報ですか」

「大蛇丸に関する、確かな事実だ」

 

 俺は、猟犬の独自調査、という名目の未来の知識をイタチに話した。

 

「奴は田の国に『音隠れの里』という新興の里を作った。だが、俺たちの集めた情報によれば、明確な一つの拠点があるわけじゃない。田の国中に小さなアジトが点在している、極めて厄介な構造だ。……そして奴は今、『左近と右近』という双子の忍の肉体に乗り移っている」

「双子……」

「灰色の髪に、特徴的な濃い口紅をした若い男だ。普段は一つの肉体に融合しているらしい。だが、大蛇丸のその乗り移りはあくまで一時的なもので、完全に肉体を定着させるには特殊な『儀式』が必要なようだな」

 

 俺の言葉に、イタチの顔に険しい影が落ちた。

 

「一時的な肉体……。木ノ葉を襲った時に奴の器を壊したのですね」

「ああ、それでも逃げられてしまったがな」

 

 話しながらも、思い出して悔しくなる。

 

「奴はうちは一族の血を、『万華鏡写輪眼』を渇望している。俺はこれからサスケを鍛えるが、奴に自由に動かれると困るんだ。……大蛇丸の情報を暁に持ち帰れ。組織の目をあちらに向けることで、サスケを守るんだ」

「了解しました。これで、暁も当分は九尾の人柱力から手を引く口実ができます」

 

 互いの利害が一致し、細かな調整を行う。

 緊迫した情報交換が一通り終わると、話題は自然と、今まで触れることのできなかった「互いの日常」へと移っていった。

 

「そういえば、イズミはどうしていますか」

 

 ぽつりと、イタチが尋ねる。その横顔は、S級の抜け忍ではなく、ただの一人の青年のものだった。

 

「元気すぎるくらいだ。今は波の国で、シラカワ商会を全部仕切ってくれている。俺が新しい賭場を立ち上げたんだが、その胴元の儲けのシステムを教えたら『詐欺じゃないですか!』って真っ赤になって怒っててな。毎日俺への文句の手紙が届く」

 

 俺が苦笑交じりに言うと、イタチは目を丸くした。

 

「『あんな阿漕な真似、波の国の子供達の情操教育に悪いと思わないんですか!?』だとさ。お前からも今度言ってやってくれ、あれは立派な経済活動だと」

「……ふっ」

 

 堪えきれないように、イタチがフッと吹き出して笑った。

 

「……そうですか。彼女は昔から、曲がったことが嫌いでしたから。目に浮かぶようです」

 

 愛した人が別の場所でたくましく、文句を言いながらも人間らしく生きている。その事実が、イタチの心をどれほど救済しているか。穏やかな笑顔がそれを物語っていた。

 

「……サスケは、どうですか。好物のオカカのおむすびは、今も食べていますか? 今の実力は、どの程度に……」

 

 兄としての、極めて些細で個人的な質問。

 

「相変わらずの意地っ張りな性格だよ。シスイが面倒見れない時はトマトとおむすびばっかり食ってるらしいぞ。ただ、俺の猟犬式の特訓のせいで毎日泥だらけだ。あいつは頭がいいが、素直じゃないからな」

「……すみません、サスケの面倒まで押し付けてしまって」

「気にするな。……シスイも、猟犬の副官として上手くやってる。あいつも、お前のことが心配で仕方ないみたいだぞ。『今度会ったら一発殴って説教してやる』って言ってたからな。後で来るから覚悟しておけよ」

 

 イタチが困ったように、けれどどこか嬉しそうに目を伏せる。

 それからも、縁側で幻術の茶を飲みながら、暁のこと、主にメンバーのことや組織体制について、そして他国のことなどの情報交換をしつつも、時折り昔話に花を咲かせるという、精神世界での静かで濃密な時間が過ぎていった。

 

 だが、二日目の夜(にあたる時間)。

 俺は縁側から立ち上がり、イタチを見下ろして声を荒げた。

 

「ふざけるな。そんな自己犠牲の提案は受けないぞ、イタチ」

 

 イタチの「最終的にはサスケに自分を討たせ、木ノ葉の英雄にする」という計画を聞かされた直後だった。

 

「お前は確かに賢いし、強い。だが、全部一人で背負って、全部自分の思い通りに動かせると思っているなら、それはただの『傲慢』だ」

「……サスケは、うちはの憎しみを知らぬまま、木ノ葉の光のなかで生きねばなりません。そのための憎しみです。俺が死ぬことでしか、あいつの眼は開かない」

「いつまで真実を隠す気だ? 憎しみだけを原動力にさせれば、あいつの精神は必ずどこかで壊れる! お前がいなくなった後、真実を知ったサスケが木ノ葉を憎まないとでも言い切れるのか!」

 

 俺の厳しい叱責に、イタチは言葉を詰まらせた。

 

「前にも言ったが、サスケの育成は俺が面倒を見る。絶対に大蛇丸のような力には頼らせないし、里抜けもさせない。……お前もサスケも、両方救う道を探す!」

 

 俺の決意に少し気圧された様子のイタチに畳み掛ける。

 

「いざとなったら、イザナギでも何でも使って生き延びろ。シスイと同じように死を偽装しろ!そのために使える『眼』をお前は持っているだろう」

「シスイの眼をそんなスペアのようには……」

「シスイのではない、お前の父親、フガクさんのだ」

 

 イタチは驚いた表情でこちらを見ているが、バレてないとでも思っていたのか、この馬鹿め。

 

「あの夜、俺達が駆けつけた時、遺体の多くから眼が奪われていた。おそらく犯人は、お前が協力を依頼した暁の影の支配者、そしてダンゾウ率いる根だろう。それらの遺体は効率を優先した奪い方で傷が乱暴だった。しかし、一人だけ丁寧にくり抜かれていた。それがフガクさんだ」

 

 俺がそう追求すると、イタチはしばらく沈黙し、やがて深く息を吐いて頭を下げた。

 

「流石に父親ですから……。奴らに奪われる事だけは許せなかったんです」

「なら、その眼は息子達を助けるために使われるべきだ。今すぐどうこうしてくれというんじゃないが、頭の片隅には置いておけ。俺は『仲間』を失いたくないんだ」

 

 俺の言葉でイタチはハッと顔を上げた。

 ずっと孤独だった彼は『仲間』と言われたことが、久しぶりだったのか少し呆然とした表情を見せた。

 

「……分かりました。覚えておきます」

 

 そして、三日目の終わりが近づいた頃。

 俺は、今さら気づいたかのように装って、イタチの顔を覗き込んだ。

 

「……イタチ。お前、具合が悪いんじゃないか?」

「!」

「万華鏡の反動だけじゃない……よな?何か、病に侵されているな?」

 

 イタチが僅かに目を見張った。彼は誰にも、暁のメンバーにすらその病を隠していたはずだ。俺は未来の知識からの逆算だが、さも今気づいたかのように指摘する。

「……さすがは隊長です。隠し通せるものではありませんね。ですが、大したこと」

「馬鹿野郎、勝手に決めるな」

 

 俺はイタチの言葉を遮った。

 

「俺の計画では、お前はイズミと結婚して波の国を守ってもらわなきゃいけないんだ。イズミもちゃんと一生面倒見れるように身体には気をつけろ」

 

 イズミの名前を出すとイタチは身体を硬くした。

 

「シラカワ商会には、世界中のあらゆる希少な医療物資と情報が集まっている。それに今は綱手様もいる。商会の裏ルートを使って、薬を流してやるからちゃんと治せ」

「そこまでしていただく理由は……」

「後輩を見捨てる先輩がいるか。良いな、死ぬことは許さん。戦闘でも病でもだ」

 

 赤い空が、ガラスのようにピキピキとひび割れ始めていた。七十二時間の終わりが近づいている。俺は立ち上がり、最後の打ち合わせを始めた。

 

「そろそろ時間のようです。……ヨフネさん、この七十二時間の膨大な記憶は、現実に戻った瞬間、脳に一瞬でフィードバックされるはずです」

「だとすると、脳へ負荷がかかることになるな」

「そうです。なので、その隙を突いて下さい」

「分かった。……ちょっと色々あってから、幻術対策として懐に術式を彫り込んだ『チャクラ結晶』を入れているんだ。今は意図的にオフにしているが、結晶を握り潰して、自力で強力な幻術返しを発動したように偽装する。鬼鮫へのカモフラージュだ」

 

 イタチが、俺の意図を即座に理解して頷く。

 

「俺は幻術を破ったフリをして、体勢を崩したお前に強烈な一撃を入れる。お前は驚いて後退しろ。その瞬間……」

「血を流すのは難しいですが、俺の懐に『血のついた塵紙』があるので、そちらを掠め取って下さい」

「分かった。綱手様ならそれでも可能だろう……病理検査に回しておく」

「色々頼んでばかりですみません」

「何を言ってるんだ。色々頼んでばかりなのは、俺たちの方だ」

 

 視界の端から、世界がパラパラと崩れ落ちていく。

 イタチが、最後に深く頭を下げた。

 

「……この三日間。仮初だとしても、本当に楽しかったです。ありがとうございます、ヨフネさん」

 

 次の瞬間、世界が元の色彩を取り戻した。

 現実世界。時間にして、わずか〇・一秒の経過。

 

「……ッ!!」

 

 イタチが、急激な情報のフィードバックによる脳への負荷に耐えきれず、ガクンと膝を折って苦悶の声を漏らした。

 同時に、俺も頭痛に襲われながらも、懐に手を入れて貴重なチャクラ結晶を、躊躇しながらも粉々に握り潰した。

 

 ガラスが砕け散るような派手な破砕音と共に、チャクラが整い頭痛も軽減された。これならいける!

 

「なっ……月詠が、破られた……!?」

 

 鬼鮫が、信じられないものを見るように目を見開き、鮫肌を構える手元を狂わせた。アスマたちも、驚いている。

 

「もらったァッ!!」

 

 俺は咆哮と共に踏み込み、体勢を崩しているイタチの胸ぐらへ向けて、拳を突き入れた。

 ドンッ!! という重い打撃音が響く。

 

 だが、その拳は寸前で威力を殺している。俺の真の目的は、拳を叩き込んだフリをして、イタチの懐から「吐血を拭った塵紙」を鮮やかに掠め取ることだ。

 

「ぐぅッ……!」

 

 イタチがわざと大きく吹き飛び、水面を数十メートルも滑って後退した。

 

「イタチさん!!」

「ヨフネ!! お前、自力で幻術を……!?」

 

 驚愕する鬼鮫と、目を見張るアスマ。

 俺は手に入れた塵紙を悟られないよう素早く忍具入れに隠し、冷や汗を流すフリをしながら、圧倒的強者の顔を作って笑いかけた。

 

「ああ、強いていうなら紅のおかげかな?」

 

 鬼鮫が凶悪な笑みを浮かべ、鮫肌を肩に担ぎ直した。

 

「素晴らしいですね……。あの術を自力で押し返すとは。それに『雷刀"牙"』ですか……やはり削りがいがありそうだ」

 

 鬼鮫から放たれる、本物の殺気。

 だが、その一触即発の空気を切り裂いたのは、周囲の樹々や水面から音もなく現れた、無数の影だった。

 

「そこまでだ」

 

 低く、落ち着いた声。

 イタチと同じく写輪眼を持つシスイが、猟犬連隊の精鋭たちを引き連れて、俺達を守るように前に立つ。

 

「……チッ、猟犬のお出ましですか」

 

 鬼鮫が忌々しそうに舌打ちをする。イタチは濡れた膝を払い、冷徹なトーンで短く告げた。

 

「……行くぞ、鬼鮫。これだけの数を相手にするのは無駄だ」

「引くのですか? せっかく雷刀の旦那と遊べそうなのに」

「……奴の表層心理から情報を得た。標的はここにはいない。自来也と共に、波の国へ向かったようだ」

 

 イタチのぶっきらぼうな報告に、鬼鮫がピクリと反応する。

 

「波の国……。自来也の護衛付きですか、それは厄介ですね」

「加えて、奴の記憶から大蛇丸の拠点の秘密も得た。田の国に潜伏し、『左近・右近』という双子の肉体を器にしているようだ。ここで得られる物はもうない。引くぞ」

「……なるほど。イタチさんがそう言うなら、従いましょう」

 

 鬼鮫は慇懃無礼な態度でこちらに鮫肌を向ける。

 

「雷刀の旦那、勝負は預けておきましょう。また近いうちに……」

 

 そう言いながら、二人の姿は霧に溶けるようにかき消えた。

 沈黙が支配する戦場。シスイが俺の隣に並び、去っていった気配を追いながら、周りに聞こえない程度の声で囁いた。

 

「……行ったか。イタチの奴、顔色が悪かったですね」

「流石だな。すぐに気づくか。あいつの血は手に入れたから、検査に回しておく」

 

 俺がそう答えた、その時だった。

 

「これは、何があった?!」

 

 一人の少年が現場に乱入してきた。肩で息をし、髪を振り乱したサスケだ。カカシがダメージを負っている状況を見て驚いている。

 

「また、砂と音の連中が来たのか?」

 

 サスケには誤魔化そうかと思ったが、すぐにバレそうな気がしてやめた。サスケの肩を掴んで話す。

 

「別だ。暁という傭兵組織の二人が里に侵入したんだ。そのうちの一人は……うちはイタチだ」

 

 そう告げると、サスケの瞳が黒から写輪眼へと一瞬で切り替わる。

 

「あいつが、あいつがここにいたのか!! どこだ、どこへ行った!!」

 

 狂乱したサスケが、俺の手を振り払いイタチの消えた方角へ飛び出そうとする。

 その行く手を、俺は最短距離で遮り、サスケの胸ぐらを掴んで冷たい水面へと叩きつけた。

 

「がはっ……!? な、何すんだ! 放せ!!」

「頭を冷やせ。追ってどうする。今のお前が行って、死ぬ以外に何ができる?」

 

 俺の冷徹な声に、サスケがハッとして目を見開く。

 俺はサスケを抑え込んだまま、視線だけで周囲を指し示した。

 

「見ろ、サスケ。これが現実だ」

 

 サスケの瞳が、恐怖と絶望に揺れた。

 そこには、自分の師である上忍のカカシが、虚ろな目で肩に担がれ運ばれていく姿があった。

 

 そして、自分が目標としていたシスイが、追いかけることなく、俺の横で待機している。

 

「カカシが……あんな一瞬で? ……シスイさんや、ヨフネさんがいて、それでも……」

 

 サスケが屈辱で震え、水面を強く叩いた。

 

「そうだ。お前はまだ弱い」

 

 俺はサスケを解放し、彼を見下ろした。

 

「だが、お前は間違いなく強くなれる。安心しろ、俺達で強くしてやる。そうだな、二、三年を俺に預けろ」

 

 俺は、かつての上司がサスケを鍛えるはずであった期間、代わりに育て上げてみせる。

 

 サスケは、運ばれていくカカシの背中を、そして無言で自分を見守るシスイを見つめた。

 やがて、血が出るほど唇を噛み切り、サスケは言い放った。

 

「……俺に、力をくれ」

 

 

第一部と第二部の間について

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  • ダイジェスト(幕間)で読みたい
  • 第二部の中で明らかになっていく方が良い
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